第四章18 好き好き大好き大嫌い、やっぱり好き。でも嫌い
エプロンをつけたエルサは俺たちを広い厨房に連れ込んでこう提案する。
「アタクシたち五人で協力して美味しい料理を作りましょう」
それが次の彼女の要求だった。
「協力してって、調理実習かよ」
調理実習。懐かしい響きだ。学生時代にはそんな授業もあった。騎士に成るのに必要なのかは分からなかったが、確かにあった。そして俺は孤立していたからだいたい何もせず見ていて、出来上がりを食べた記憶もない。強いて言うなら、あの時の調理室の空気は美味しくなかった。
だが、今の五人なら材料さえあれば美味しいものを作れそうだ。
「そうだ、ケンシロー君。船に積んでいた食材を使おう。せっかく持ってきたんだからね」
「ああ、そういえばいっぱい積んできたんだったな。じゃあ、エルサにはヴァレリー料理を振る舞ってやるか」
「でも、アタクシも調理に参加したい――」
あくまでも五人で協力して調理したいと志望するエルサ。
彼女は露出の激しい衣装の上からエプロンをつけているので、角度によっては裸エプロン状態に見える不思議。
「大丈夫だ、エルサ。俺も料理できない人間だ。二人で眺めていれば罪悪感も薄い」
「ケンシローの坊やは最初から手伝う気ないんだ!?」
当たり前だ。俺はな、水で溶いた小麦粉を焼く程度のやや凝った料理しかできない男だ。
「じゃあ、ケンシロー君。船から積み荷の食材を持って来てくれないかな? その間に調理器具や食器類の準備をしておくから」
「俺ひとりでやるのか?」
「最初から見学に終始しようってことならそれくらいはしなさいよ」
俺の文句にララからの真っ当な反論が帰ってきて、俺は悲しいかなそれに従うことにする。
「じゃあ、坊やと一緒に見学するアタクシも同行するわ。城の中を迷ったら大変だし」
エルサが水先案内をしてくれると立候補するが、
「いや、でも外は炎天下で、吸血鬼のエルサは直射日光を浴びると燃えて灰になるんじゃ?」
完全なる吸血鬼は太陽の光が天敵なのだ。
「あはは、なら直射日光を浴びない服装をすればいいのよ。――こんなふうに」
エルサは露出している胸元に爪を立てて、肉を裂く。血が噴き出る。
「おい、エルサ!」
自害――したように見えて、実は違った。
彼女の体から出た血は、隷属したように彼女の意志で彼女の体を纏う。
そして、修道女が着るような、露出が全くなく――黒のベールを顔にかけ――しかも黒ずんだ赤色の衣装に様変わりした。
「自身の血の隷属。それが吸血鬼の権能のひとつなのよ。行きましょう、ケンシローの坊や」
血が乾いたような赤黒いコーティングを手に纏ったエルサはその手で俺の腕を引き、場内の近道を使って埠頭までの水先案内を始めた。
***
城の裏手の入り口にはすぐについた。厨房からはそんなに離れていなかったので、積み荷の運搬も楽そうだ。それよりも、
「本当に炎天下に出て大丈夫なのか?」
「もちろんよ。それとも、アタクシと一緒に歩きたくないの?」
「そういうわけじゃねえよ」
目の前で吸血鬼が燃え尽きたら今回の依頼はどうなるのだろうか。死体が無ければ倒した証明にもならないから依頼は未達成になるのか。今回は倒しちゃいけない依頼だし、個人的には倒したくないんだけれど。俺のせいで目の前で灰になって死んだら心臓に悪い。
しかし俺はエルサを信用し、日陰から日向に足を踏み出す。
ひんやりとしていた空気が急に熱気に変わる。あっつい……。
「ケンシローはララのお嬢ちゃんとどこまで進展しているの?」
出入り口から埠頭まで、埠頭から船に渡るまでの道すがら、エルサは恋の話を仕掛けてくる。
「どこまでもなにも、……キス未遂、くらいだ」
昨日の熱いキス未遂を思い出して顔が熱くなる。そういえばあの時、サンダーの登場で続きができなかったんだった。あの野郎……。
「あらあら、初々しいのね。そのわりには互いのことを十分理解しているみたいに見えたけど?」
「まあ、それなりにはな」
出会った当初はぶつかり合いの喧嘩のような日々だったから、あの時のあいつの感情を今さらになって理解し始めたって感じか。
「そういうエルサは、サンダーとは理解し合えてないのか?」
俺の質問の仕方が悪かったのか、エルサは無口になる。黒いベールのせいで表情が見えない。
「あの人のことは、よく分からないわ。なんでもお料理のレシピだって勝手に一人で決めちゃうし、アタクシのせいで傷ついてることだって隠しちゃうし、本心が見えそうで見えないの。そのくせ作り笑顔ばっかり見せて無理するし」
サンダーのそれらを男の精一杯の優しさだと捉えるのは俺が男だからだろうか。それを女に理解させるのは難しいのだろうか。
サンダーめ、罪な男だ。
そういえば、船にもサンダーの姿は見えない。あいつ、今どこにいるんだ?
「そのくせ夜の相性は抜群で、最後にシた夜を思い出すだけでアタクシはもう……」
「……」
とろんとした濡れた声を出すエルサ。修道服姿なのにいやらしい。
サンダーめ、罪な男だ。この場合は大罪的な意味で。色欲的な意味で。
「……本当はサンダーと仲直りしたいんじゃないのか?」
「当たり前よ!」
食い気味でエルサは肯定する。しかし、声の勢いを弱めて、
「でも、あの人を目の前にすると、心がざわざわして、素直になれなくて、結局、暴力で物理的に距離をとってしまうの」
俺たちは船の大樽と小樽をひとつずつ抱え、厨房への一往復目を開始する。
「素直になれない、か……」
竜ほどではなくとも、かなりの長命種である吸血鬼でもそういう悩みを持つのか。
「好きって言えないのか?」
「そりゃ言えないわよ。ケンシローの坊やはララのお嬢ちゃんに言えるの?」
「それは……」
まあ、俺もそれ専用のスイッチが入らないと言えないのだろうな。愛しているなんてなおさらだ。全く、恋愛は本当に厄介な病だ。
恥ずかしがりやな極東人気質というのもあるのかもしれないが、俺は愛情を行動で示したい性格らしい。俺の性格もなかなか厄介だな……。
――しかし、人の気持ちは行動で全てが伝わらないから言語で補完しているんだよなあ。
だとすると、この仕事はエルサがサンダーに「好きだ」と伝えられるようにならないと達成しないのだろうか。サンダーは蹴っ飛ばされて海に落ちて行方不明だし、仕事の難易度がいつもと違うベクトルで高い気がする。皆からもらった加護をどう活かせばいいのだろうか。
「――ちなみに、さっきみたいにサンダーを追い出すことはよくあるのか?」
「もう百回以上はしてるわね」
「恒例行事じゃねえか」
もはや異国の挨拶レベルでサンダーは海に突き落とされている。
「次はやめようと思ってるのに、あの人はいつもいきなり城に来るからこっちの心の準備が出来ずにそうなっちゃうのよ」
それはつまり、しっかり会う予約を取り付けておけば心の準備が出来た状態で会えると?
「でも、魔境のテリトリーに入った時点でサンダーが城を訪ねるのは感知できるんだよな?」
「そんな短時間じゃ心の準備なんてできないのっ! 今日だって化粧を直すだけで精いっぱいだったのに!」
「……さいで」
修道服で全身を覆う大人の女性の幼気な声音を聞いて、少し微笑ましく思う。
「――もうアタクシもサンダーも産まれて二百年を超えたのに、こんなしょうもない理由で喧嘩を続けているのはアタクシも悪いと思ってるのよ」
「二百年か……考えると長いような短いような、だな」
「ぼうっとしていると二百年なんてすぐよ? ……まあ、純正の人間はそうはいかないでしょうけどね」
「……」
二百年の歳月を聞きた薬竜と吸血鬼。
九十年の歳月を生きた骸竜。
五百年の歳月を生きた鋼竜。
二千年の歳月を生きた樹竜。
十八年の歳月を生きた只人、ケンシロー・ハチオージ。
俺の歴史に比べれば、竜の歴史は遠大で、それゆえに早く過ぎ去るのだろう。
「どうしたら、エルサはサンダーに好きって言えそうだ?」
「好き、か……あの人とまた以心伝心の時間を過ごせるようになったらかしら」
「なるほど」
今回の依頼の達成が余計に難しく感じる。
「ちなみに、仲違いすることになった決定的なきっかけって?」
「んー……」
エルサは少しだけ沈黙して、決心したように話し始める。
「あの人、アタクシが作ったプディングを勝手に食べたの」
「……え?」
それだけ、で……仲違いってするものなのか?
第四章18話でした。
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