第四章15 魔性の吸血鬼
血痕が染みついた血紅色の壁や床。直射日光を拒絶して冷えた空間。
俺たちが奪還するべき城は完全に吸血鬼、アルベルタ・エルサ・セポルトゥラの私物となっていた。
俺たちはその客室のひとつに通されてソファに座らされる。もの凄くふかふかなのに全然落ち着かない。ある意味このソファが一番怖い。しかも魔境になっているせいでさらにそわそわして余計に落ち着かないという不始末。
今はお茶を淹れてくると言ってパントリーに姿を消したエルサを待っている。
「ケンシロー君。いきなりで悪いけれど、サンダー殿はどうなったと思う?」
「さすがに下は海だから大怪我はしても死にはしてないと思うがな」
「もしかしたらあの雷の力をなんやかんやして空中を浮かんでいるかもね」
雷電の力をなんやかんやして宙に浮かぶって、可能なのかそれは。
そんなぐだついた会話を交わしているうちにエルサが茶器を台座に乗せて運んできた。
「ごめんなさいね。アタクシひとりだけの家だから、家政婦もいないの。なんだったら人が訪ねてきたのも久しぶりなくらい」
「あ、はい……」
ものすごく露出の激しいエロい衣装なのに所作がもの凄く所帯じみている。
孤城の女王というよりも、王の正妻のような風格の方が的を射ている。
「あ、私が手伝いますよ」
たぶん、俺と同じことを考えていたであろうララがエルサを手伝いに動いた。
「あら、いいのよ。ララのお嬢ちゃん。お客様はもてなされるのが仕事よ」
「はい……」
そのままララはソファに座り直し、エルサの慣れた手つきを眺める。
俺もエルサの華麗な茶器捌きを眺める。そして眺めていくうちに彼女の肢体に視線が逸れる。引っ込むべきところは引っ込み、出るところは出て、揺れるべきところは揺れ、かつ不自然なほどではないバランスのいい起伏。本来の女性の魅力そのものを詰め込んだような蠱惑的な体つきだった。
なるほど、サンダーが夢中になるのも無理はない。
ゴクリ、とつい滲み出た生唾を呑み込むと、ソファのひとつがギシッと軋み音を鳴らす。なにかと思って見てみたら、――ララが鬼の形相で俺を睨みつけていた。
「……」
俺は無言でララに手刀を使って謝罪の合図を送る。仕方ないんだ。俺だってお前に欲情する一匹のオスだからな。色欲には抗えない。
ララは納得しきれていないがとりあえず怒りは引っ込めてくれたというご様子。
「あの人――サンダーに船を壊されたとか、そんなオチだったりするのかしら?」
「……」
壊されかけたところまで合っているが、宮廷騎士の使者だということをバラしていいものか。
「いえ。航海で迷っている時に海上で漂流していた彼を見つけて助けたら、いい場所を知っていると聞いてここへ訪ねたんですよ」
フィールが流れるように嘘を吐く。これはこれですごい才能。
「へえ、そうでしたの? アタクシてっきり、――宮廷騎士団の坊やたちがサンダーと結託してアタクシを倒しに来たのだとばかり思っていたわ?」
――――っ!
エルサの血紅色の瞳が魔性のように毒々しくぎらつき、俺たちは委縮する。
「魔境に入ったということは、ここはアタクシの縄張り。子宮の中も同然だわ。埠頭の前でのやりとりも、玄関に着くまでのやりとりもしっかりと感じさせていただいているの。お分かりかしら? ――旅行客を装った宮廷騎士さんと画材屋さん?」
「な……」
全部筒抜けだったってことかよ。その上で騙されたような振りをしていたとは。……とんだ大物女優じゃねえか。
「……御見それいたしました、エルサ殿。では、我々の本来の目的も既にご存知でしょう?」
フィールが笑顔で軽く頭を下げ、問う。こちらは手の内を全て明かした状態だ。
「さあ? 言ってごらんなさいよ」
……しらじらしい。
「……アルベルタ・エルサ・セポルトゥラ殿。貴女にはサンダー・ネクストと和解して、宮廷に詫び状をひとつ書いて、それなりの賠償金も頂きたいのです。それと、不可視インクに加工するための血液も」
こちらの四つの要求を突き付ける。一番目のやつは最悪なくても大丈夫だが、残りの三つがなかなかに重たい。これを突きつけられて二つ返事で承諾してくれる存在など――
「いいわよ。謝罪文とお金と血を差し上げればいいのね?」
目の前にいた。
「……え? そんなあっさりと?」
「ええ。こんな孤島で引き篭っているアタクシを必要としてくれるなんてとても嬉しいわ。詫び状っていうのは宮廷の誰に向ければいいのかしら? 賠償金はいくら欲しいの? 血液は酒樽何個分くらい必要?」
過去に類を見ないほど簡単に依頼が達成されようとしている。
「ちょっと待った。あんた、本気かよ? 謝罪と賠償と生き血を要求されてんだぞ?」
「それくらいのことはしたもの。この前は吸血衝動が抑えられなくて夜間航海中の船を襲っちゃったけど、十分謝る必要性は感じるわ。ここで頑なに拒否して坊やたちに束でかかられたらひとたまりもないしね。――ただし、今回のことを何年間もずるずる引きずるのはよして? ゴールテープはここに固定して」
「それは勿論です。では具体的な内容に移りますが――――」
フィールは顔色ひとつ変えずに即答で遂行された依頼の処理に移る。しかし、
「――でもね、坊やたち。ひとつだけアタクシが呑み込めない条件があるわ」
「?」と俺たちは疑問符を浮かべてエルサを見る。
「アタクシ、サンダーと和解なんてしたくないわ。そうしたいのであれば、アタクシからの要求を全て呑んで頂くことになるけど、いい?」
「……」
交際相手との仲直りだけは固く拒否の態度を示す吸血鬼だった。
「なんでそこまで嫌がるんだ?」
「だって嫌いなんだもん。あんなのと仲直りなんてできない」
子どものこねる駄々のように、エルサは和解不可の意を示す。
……まあ、人の感情にまで何かを押しつけるというのも気が引ける。サンダーには悪いが、今回はその要求は無かったことにしてもらおう。
「よし、分かっ――」
「そこをなんとかお願いできないですか? エルサ殿」
なぜか引き際を引かなかったのは、俺ではなくフィールだった。
「どういうつもりだよ、お前」
俺は隣のソファに座るフィールに耳打ちする。すると、耳打ちが返ってくる。
「どうもこうも、ここが魔境のままなのは危ないじゃないか。彼女の吸血衝動が今後高まったら、またしても犠牲者が出る。またしても謝罪と賠償を要求しなければならなくなる。謝罪と賠償の要求を繰り返すのは生産的ではないばかりか、お互いの溝しか作らないよ?」
「しかし……」
「サンダー殿は喧嘩別れするまで電撃ドーピングで彼女の吸血衝動を抑えてきたと言っていた。それが可能ならその選択が一番だと僕は思うよ?」
「……」
確かにそうだが、しかし……。
「エルサ自身が心からサンダーを愛し直せないと、仲直りとは言えないだろ」
失った愛を取り戻すなど、武力行使をしても無理だと思われるのに。
「だからこそ僕たちできっかけを作るべきだよ。今までサンダー殿とエルサ殿の二人で非生産的な痴話喧嘩を繰り返していたのだろうからね」
「……」
三人寄れば文殊のなんとかではないが、ここにいる四人でエルサの心境を変えることができれば、再発防止にもつながるというわけか。
「しかたねえな」
「分かってくれたかい、ケンシロー君? さすが僕の親友だ」
嘘を耳打ちで言うな。本当っぽく聞こえるだろうが。
「分かりましたよ、エルサ殿。サンダー殿と仲直り――ひいては、調停の場を作るため、僕たちは貴女の要求を出来るだけ呑みましょう」
「本当に!? ありがとね、さすが騎士様は心が広いわ!」
エルサは跳んで喜び、豊満な胸を揺らす。アズさんもあんな風に揺れるのだろうかと思いつつ、刺し殺すような視線を感じたので即座に視点を血痕の染みた天井に移す。……怖い。
「――ではまず僕らは何をしたらいいですか?」
「とにもかくにも、ここに五人もいるのだから、景気づけにカードゲームでもしましょう!」
魔性の吸血鬼は子どものような笑顔を見せる。
第四章15話でした。今までとはまた違った仕事になります。
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