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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第4章 奪還血痕篇
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第四章14 電撃的血紅色

 太陽が真上にまで昇る少し前くらいで、船は件の魔法騎士養成学校生が吸血鬼に襲撃されたところまで到着する。


「ここで間違いないのか、レンナ?」


「…………うん。ここ」


 前回は夜だったから吸血鬼の襲撃を受けたが、今は雲ひとつない炎天下。夜の眷属には手出しできない。


 よく考えればこの時期に卒業が決まるということは、それなりに優秀な学生たちだったのだ。それがレンナを除いて一体の吸血鬼に皆殺しにされるというのは実に恐ろしい事件だ。


「さすがに見えやすな? あの孤城が――そしてこの島が魔境、タリア島でありやす」


「あの孤城っていうか……」


 そこは島というよりも、まさに城だった。


 島全体が自然物と人工物が融合でもしているような「城」になっていて、円錐の屋根が連なる巨城にして古城のもはや「城砦」とでも言えそうな佇まいだった。


 アレス樹海ほどではない大きさの島に見えるが、それなりに大きな島で、ほぼ人工島だ。


 船を横付けした埠頭は既に城の一部といっていい外構えだった。


「百年前からこうなのか?」


『おそらくあっしが流れ着く前からタリア島はこうでありやす。城の中に人工森林や人工河川が収められていて、一種の箱庭といいやすか、吸血鬼が一人で暮らすのに不自由ない場所になっておりやす』


「吸血鬼が一人って……その吸血鬼さん、こんな広い城に一人暮らしなの?」


 ララがサンダーに問いかける。うーん……一人暮らしというか、独り暮らしというか。


『そうでありやす。一年に数回湧き出る吸血衝動の度に島民の血を吸い尽くして生き永らえ、今では奴隷のようになっていた島民も皆死に、前回の吸血衝動では近くを航行していたレンナ嬢の帆船を襲う始末。しばらく吸血衝動は起きないでしょうが、犠牲になった方々には申し訳ない次第でありやす』


 サンダーは埠頭からすぐに直結している城の裏手の入り口を見て目を眇め、続ける。


『まだあっしが吸血鬼と仲睦まじかった頃、電撃ドーピングで吸血衝動は上手く紛らわせていたんでありやすが……さすがに大まかに計算して百年もすればドーピングなんて切れていやす』


 悲しげな、寂しげなサンダーの瞳がまるで彼の半生の苦労を映しているかのようだった。


 かつてタリア島の領主も同然だったサンダーと、その恋人の吸血鬼。


「でも、今でも好きなのよね?」


 サンダーに問いかけるのはまたしてもララ。答えが分かりきっている質問だ。


『……はい。今すぐにでも床に押し倒し、服を裂き、露わになった裸体を舐め尽くしたい衝動が今でも湧き出ていやす』


 性欲とめどねえな。色欲だなあ。


『……ところで、ララの姉御。魔力の方はどうですかな?』


「え? 魔力? なにが?」


 ララは気づいていない模様。


「ここはもう、魔境だぞ。俺なんて、なんか、過剰生成されていく魔力でそわそわしてるし」


 それでも俺の場合は魔力を溜め込めないから無害な方なのだ。


『にはははは、あっしの電撃ドーピングが効いていやすな。今は体内の魔力の残量もろくに量れないでしょうが、魔境では魔力が尽きる心配をする方が無理というものでありやす』


 薬竜の電撃ドーピングはララの首筋に静電気を浴びせるような要領ですぐに終わった。サンダー曰く、この電量が絶妙な力配分らしい。


 しかし魔力感覚の麻痺にはデメリットもある。魔力の加減が不出来になるということになるので、魔法の手加減も難しくなる。


 だが、俺たちは竜と吸血鬼の離婚調停――じゃなくて、痴情の縺れを解消するための調停をすることになるのだ。さながらこれは、



 ――吸血鬼と竜を仲直りさせて血液ひいては不可視インクを得る仕事。



 ということになる。


 簡単なのかな、これは……。


「ふふん。それと、サンダー殿。吸血鬼の名前を伺ってもいいかな?」


「にはは、孤城の現支配者・吸血鬼の彼女の名前は、アルベルタ・エルサ・セポルトゥラ。どうかあっしの顔を立てて、エルサと呼んでやって下せえ」


 女吸血鬼、アルベルタ・エルサ・セポルトゥラ。


 薬竜、サンダー・ネクスト。


 俺の人生よりも長く、捻れた恋を、俺たちは調停できるのだろうか。


『あやつとあっしは幼馴染でありやした。この島に漂着した百五十年前からの付き合いで、その時ゃあもう、大人の人間の成りを二人ともしていたんでありやすが、心根はガキ同然でした。ガキのように走り、追いかけ回し、かくれんぼし、あっしが主菜を、あやつが菓子を作って競い合った。楽しかったでありやす。あの時のように欲望のままにあやつの濡れた秘――――』


「なんでお前、隙あらば話が性の話題にシフトするんだ? やっぱり色欲の竜なのか?」


『にはは、いわば邪淫の竜でありやすな』


 自分で言うなよ。


「ふふん。まあ、ここで足踏みしていても仕方がない。行こうじゃないか、吸血鬼の城へ」


 行こう――というか、俺たちは既に城の最端部に入っているんだけどな。埠頭に船の横づけは完了した。


 まあ、フィールの言いたいことは「吸血鬼に会いに行こう」って意味だろう。


『その前に四人衆。あっし姿を変えてくれねえですかい? 鋼魔法かなんかで』


 鋼魔法……変身魔法のことだな。


「……変身魔法なら私が一番得意なはずだけど? どうして?」


 魔法の才女、ララの十八番である変身魔法は自身以外にも使えるのだ。


『にはは、あやつには嫌われている故、見つけられ、この姿で捕まったら城外にポイ捨てされるのでありやす』


 城外って、ことここで言うなら海ってことだよな? というか、


「嫌われていても好きなのか?」


 嫌われていると明らかに分かっていても、好きを通せるものなのだろうか。


『には。ケンシローの旦那はまだ若いから分かんねえでしょうが、恋愛って病は簡単に罹るのに、治りが遅くていつの間にか当たり前になっている厄介な病魔でありやすぜ』


 恋愛という病は簡単に罹り、治りにくい。それに似た言葉をどこかで誰かから聞いたような気が――――


「つまりね、ケンシロー。忘れたくてもなかなか忘れられないのが恋なのよ」


『にははは。それなら、離れたくてもなかなか離れられないのが愛なのでありやす』


 ララとサンダーに恋愛観を語られ、俺は圧倒される。


 ララ・ヒルダ・メディエーターは、サンダー・ネクストは、


 ――ずっとひとりの相手を思い煩っていたのだ。


 店長曰く、俺はもっと誠意を見せるべきらしい。


 なるほど確かに。これだけ好意を見せつけられては、応えないのは男じゃない。


 ――ヴァレリーに帰ったらしっかりララに告白しよう。


 昨日で俺も成年だ。ひとりの女に責任を持とう。


 そしてララ・ヒルダ・メディエーターと――――。


「それで、サンダーさん。何に変身するのがお好みなの?」


 飲食店の店主のように、ララがオーダーを聞く。


『そうですなあ、ここは思い切ってとびきり弱そうなやつにして下せえ』


「オッケー。変われ、メタフル」


 サンダーは変身し、奴隷のように痩身で、ボサボサな茶髪の男に成った。しっかり二足歩行で手足は二本ずつ。頭もついている。


 なんだ、ララの手にかかれば魔力の過剰生成なんて怖くも――


「あれ? なんでこんな姿に? 幼気な小さい男の子に変身させようと思ってたのに」


 ――これでもコントロールが利いていないのか。


「まあ、これはこれで弱そうだしいいんじゃないか?」


「見た目に関してはこれでいいね。じゃあ次は、僕たちの中のサンダー殿の立ち位置を決めようか。まず偽名は?」


『クストにしやしょう。サンダーから取るとちょっと安直すぎやすからな。特別な敬称なしのクストでお願いしやす』


 サンダー・ネクストだからクスト……それはそれで安直な気がするが、まあいいだろう。


『あっしの立ち位置は、旦那たちの配下……一番下の手下ってことにして下せえ』


「つまり俺たちはサンダーをこき使っていいと」


『……あくまでも演技でお願いしやすぜ?』


「当たり前だ」


 演技をする時のコツは本気になって演技をしないことだと鋼竜に教わった。ようやく俺の演技派な一面が出せそうだ。


「あと、声と話し方も変えないと。向こうの吸血鬼さんは知っているんでしょう?」


『おおっと、そうでやした。あっしの声と話し方――――』


 サンダー……いや、クストは自分の喉に手をやり、バチバチと電気が弾ける音を鳴らして、


「電撃ドーピングで声質を変えてみました。口調もこんな感じでどうでしょうか。皆さま」


 たった一言、声を発しただけなのに彼の印象ががらりと変わる。下位のヴァレリー人で騎士に同行するだけの、最低限には常識のある弱そうな男の声に成っていた。俺よりも演技派じゃないか。


「ふふん、じゃあもう一回クストとしての設定を加味して自己紹介をしてもらえるかな?」


 おお、フィールが話す相手に敬称を付けないところを久しぶりに見た気がする。


「僕の名前はクスト。名字を持たない平民のクストです。今回は皆さまの身の回りのお世話をするためにヴァレリーから同行してここまで来ました。よろしくお願いします」


「…………上出来」


 彼の演技力に圧倒されつつも、一番早く反応したのはレンナだった。実は圧倒されていない可能性がなきにしもあらず。


「よし、そろそろ本当に突入だ。とはいえここに初めて来た平民の『クスト』に案内させて吸血鬼、エルサのもとまで直行するのもおかしな話だな。どうすんだ?」


「ケンシローはそこまで分かってるのにどうしてそうなのかしら」


 俺の疑問にララが呆れたように答えを示す。「どうしてそうなのかしら」の語句に複雑な意味を込めすぎじゃないか?


「旅行客を装って正面玄関の扉をノックすればいいのよ」


 ――つまるところは正面突破というわけだ。


 俺たちは船から埠頭に移る。



    ***



 石の階段を登り、玄関を目指す。


 ララの控えめな胸が背中に当たる。控えめなくせに意識し始めるとどうしようもなく大きく感じる。俺の全神経が今だけは背中に集中しているせいだ。


「なんで足を挫くかね……」


「しかたないじゃない。足場が悪かったんだから。落っことさないでよね」


「ララが手を離さない限りは大丈夫なはずだ」


「ふん。……それにしてもあんた、やっぱり背が高いわね。極東人ってもっと小柄なイメージだったのに。背負われると景色が変わるわ」


「そりゃどうも。肩車して傘を差すっていうコースもあるが、やってみるか?」


「それはルビーじゃないと許されなさそうな絵面ね……遠慮しとく」


「ケンシロー君、ララさん。痴話言はそれくらいにしてくれ給え。正面玄関だよ」


 今の会話を痴話言と称されたことに強い憤りを感じる。別にイチャついていたわけじゃない。何の変哲もない、いつもの会話だ。


 ――と、業腹気分も束の間で正面玄関を見上げる。


 さすがに宮殿とは違って巨人族への配慮とかはなかった。常人サイズの扉である。


 俺はララを背中から下ろして出迎えられる準備をする。


「……にしても、カーブした階段を登って正面玄関に着いたはいいが、後ろを少し進むと海ってなんだかな」


「階段を登り進んで来たからかなりの高度に成ってるわね。断崖絶壁ってレベル」


「落ちないように気をつけないとね。そろそろ呼ぶよ? いいかい?」


 フィールが扉についていたノッカーを鳴らし、来客の合図を送る。


 すると城の中から小さく返事のような声が聞こえて、だんだん足音が大きくなって扉が開く。


 扉を開いて俺たちをひとりずつ一瞥した後、先頭のフィールに彼女は問う。


「こんな辺鄙な島まで何しに来たのかしら? 坊やたち」


 彼女こそがアルベルタ・エルサ・セポルトゥラ。薬竜、サンダー・ネクストの想い人にして、今回のターゲット。しっかり日陰に入って太陽光を浴びないようにしている。


 今回は単なる討伐や駆除ではないので、こちらとしても死なれたら困る。


 もう一度彼女を見る。感想としては……エロい。


 豊満な肉体の上に、布から生えた紐同士を結んでいるだけのような露出の激しい血紅色のドレスを身に纏っている。外見自体は二十代前半くらいの女性。血紅色の目と髪をしている。


 フィールが黒さに誇りを持っているとするならば、彼女エルサは紅さにでも誇りを持っていそうな風貌だった。


「航海中に迷ってここまでたどり着きました。どうかここにある地図で場所を確かめさせてもらえませんかね?」


 フィールがもっともらしいことを言い、エルサは目を丸くする。


「遭難かしら? 大変ね。まずは中に入って。暑いでしょうからお茶を出すわ」


「はい。ありがとうございます」


 フィールは堂々と正面玄関に入り、俺たちもそれに続く。


「まずは名前を教えてくれます? アタクシは坊やたちをなんて呼んだらいいのかしら?」


「フィールとお呼びください」


「俺はケンシローと」


「私はララです」


「…………レンナ」


「僕はクストです。よろしくお願いします」


「へえ、皆素敵な名前ね。妬いちゃうわ」


 言いながら、最後に玄関の中に入ったクストを立ち止まらせて玄関の中と外の境界で静止させる。嗜虐的にエルサは笑った。


「あんた、クストって名前なの?」


「は、はい! そうです。家名はありません。今回の旅では四人の身の回りのお世話をするために同行しまし――」


「演技が見え見えよ! バカサンダー!」


 エルサは言い終わりかけたクスト……いや、サンダーの鳩尾を蹴り上げ、蹴り飛ばした。


 そのサンダーは飛び上がって空中で弧を描き、そして石の階段をも越えて、一直線に海へ落ちた。綺麗に断崖絶壁の下へ姿を消す。


「……」


 呆然と俺たちはそれを見ていた。


 呆然とする俺たちにエルサは振り返った。


「――では坊やたち。歓迎するわ、アタクシの城へようこそ」


 ――サンダーよりも幾分か、電撃的な登場の仕方だった。


第四章14話でした。ようやく吸血鬼が出ました。応援よろしくお願い致します。

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