第四章12 暴発寸前
夜が明けて確認してみると、ジロヴァガーレ号は酷い有り様だった。
薬竜サンダーの雷撃により甲板は黒焦げ、操舵室は半壊。
夜のうちに火の出た部分は消火して船の炎上・沈没は免れ、航海を続けてはいるが、速度は最高速度を出せないでいた。
「なあ、フィール。あとどれぐらいで着きそうなんだ?」
『ケンシローの旦那、あそこに見えるのがタリア島の孤城でさあ』
「え? あそこ? ってどこ?」
「少なくとも、僕の視界には映っていないよ。ケンシロー君」
俺とフィールが目を凝らしても、孤城はおろか、島の影すら見えない。竜という生物はやはり色々と感覚の鋭い生き物だ。
「おはよう、ケンシロー」
操舵室の奥、二人部屋からララがスッキリした顔で甲板に出てきた。今まで寝ていたのだ。
――いや、俺とフィールが夜通し起きていた、の方が適切なのか。ララとレンナには部屋に戻ってひとまず寝てもらい、俺とフィールでサンダーの監視をしながらタリア島目指して航海を続けていた。
「おはよう、ララ。眠れたか?」
「それなりにはね。ケンシローは寝なくてよかったの?」
「俺か? 俺は平気だ」
夜通し起きていたとはいえ、記憶が飛んでいるところもあるから所々で眠ってはいたのだろう。故にあまり眠く感じない。
「ララさん。積んだ食料の中からパンとトマトスープを用意してもらえるかな? スープは作れるかい?」
「……バカにしないでよ。私はどっちかというと料理は得意な方なの。ケンシロー、手伝って」
「俺に手伝わせるのかよ。寝てないんですけど?」
とはいえ、惚れた弱みがあるので手伝ってやることにする。拒否権などない。
俺とララは食料を積んでいっぱいになった部屋の扉を開け、パンと乾燥トマトと真水を探す。
「……にしても、こんなに大量に積んだのに……この食料はいつ食べられるわけ?」
「夜通し甲板で男三人語り明かした結果、フィールとしてはヴァレリーの食べ物を吸血鬼への賄賂に使う気だったらしいぞ」
「……腹黒ね」
「ああ、あいつは腹黒だ」
中から外まで漆黒の騎士。黒騎士、フィール・フロイデ・シュバルツだ。
「ほら、パンを人数分。……いちおう五つでいいのか?」
「薬竜の分も料理作ればいいのね? じゃあ乾燥トマトも五人分」
「後は真水の用意だな。水は俺が汲んで持っていくから、先に料理を始めておいてくれ」
「そういえば、この船って調理場がないわよね?」
「ああ。外で調理することになる。そうだ、水はララが持って行ってくれ。俺が鍋とパンと乾燥トマトを……」
鍋、鍋、鍋……と調理用の鍋が入った大樽を探すが、なかなか出てこない。
隣の部屋にも食料やらなにやらが詰め込まれているので、そちらかと思い、振り返って部屋を出ようとして、
「わっ――」
「おわ」
まだ部屋に残っていたララと正面衝突しかけた。そしてララが尻もちをつく。
「大丈夫かよ、ララ。怪我は――――おを!?」
そこでふと手を差し出すと、その手を強く引かれた。
尻もちをついて座るララの上に四つん這いの俺が覆い被さる。
「ごめん、ケンシロー。強く引っ張りすぎちゃった」
「ああ、俺の方こそ……」
思わず、超至近距離の彼女の顔に見蕩れる。
昨日、不完全とはいえ、触れようとした女の子の柔らかそうな唇がそこに――――
「どうしたの、ケンシロー? 顔が赤いけど、船酔いじゃないわよね?」
「大丈夫だ。ちょっと……可愛いと思っただけ」
すると今度はララの頬が赤く染まり、
「……わ、私のこと可愛いって言ったの、何気に初めてじゃない?」
俺から目を逸らしつつ、つんけんしてそんなことを言った。
「前から思ってたことだけど、可愛いと思う。なんつーか、何……」
そして俺は自分の体の変化に気づく。下腹部の辺りが熱い――――
「……ララ、先に甲板に出てってくれ。水だけ持って行ってくれるか? あとは責任もって俺が持っていくから」
さすがに目の前の女の子に朝っぱらから「欲情している」だなんて言えない。しっかり二人きりの時に言いたい。いや、言っていいのか?
「うん。じゃあ、真水だけ汲んで持っていけばいいのね」
真水を入れた大樽は隣の部屋に積んであるので、ララは尻もちをついたまま、後ろに下がって隣の部屋に消えた。
俺は食料を積んだ部屋に一人残され、ため息をつく。
「恋って怖い……」
ララのことをあんなにも可愛く思える日が来るとは。
しかも、自分の性欲を抑えるのにこんなにも必死になる日が来るとは。
もし今のやりとりがララの部屋で起きていたことならば、俺はララに乱暴なことをしていたかもしれない。きっとララは、それを拒まないと思う。それが分かってしまう。
恋って怖い。
恋と訳せば綺麗な言葉なのに、欲望に寄せると途端に下卑た欲求になるなんて。
抱き締め、口づけするだけでは抑えきれなくなりそうな自身の欲求に、俺はため息をつき、暴発寸前な自身の猛りが自然に凋むのを待った。
***
トマトスープはそれなりに上手く作れたようで、酸味のある赤い匂いが鼻孔をくすぐる。
「ケンシロー君。レンナさんを呼んできてくれないかな? まだ寝ていると思うんだ」
甲板に設えた簡易調理台には夏場からすると熱いくらいのトマトスープが出来上がっていた。
あとは食べる人間を用意すればいいだけなので、レンナを呼べば朝食開始というわけだ。
――――で、
「俺が呼ぶのか?」
「レンナさんは僕より君に起こされたいんじゃないかな?」
「……」
甲板には腹黒の騎士と獣の亜人。そして俺の大好きな女の子。
「でも」
「なによ、ケンシロー? 結局、フィールと私で朝食をほとんど作って、その間あんたは棒立ちだったんだから、休んだ分だけ働きなさいよ」
確かに俺が暴発寸前だった欲望を抑えている間に簡易調理台と水、鍋を用意したのはフィールだ。俺が食材を持っていった後も、台所に立っていたのはララとフィールだ。
「ララ、大声は出せるか?」
「え? 出そうと思えば、出せるわよ?」
「じゃあ、レンナを呼んで来る」
一度、俺は一番危なそうな獣面のサンダーに射殺すような目線を送り、すぐにレンナに割り振られた部屋へと向かった。
ララが自分の視界の中にいないことが、こんなに不安をかきたてるとは思わなかった。
まず扉を三回ノックし、レンナの反応を待つ。――――無反応。
「レンナ? 入って大丈夫か?」
勝手に部屋に入って着替え中で全裸のレンナを脳裏に焼きつけたらララに何と言われるだろうか。まだなにも関係が始まったわけでもないのに浮気野郎になってしまう。
「……開けるからな」
俺がそっと扉を開くと、レンナは狭い一人部屋の中で、麻布を掛けて就寝中のようだった。
全裸で眠る人種ではないらしく、服は着ている。
俺は眠るレンナの横に膝立ちし、彼女を起こそうと肩に手をやり、揺する。
「レンナ、起きろー? 朝だぞー?」
コロポックルで、吸血鬼の眷属――レンナ・ミサキ・ソウヤ。
見た目は完全に幼女だが、その実年齢は十六歳。入学してすぐに学校を卒業という才媛。
無垢な寝顔は可愛らしい。しかしララとは違ってなんとかしたくなる気分にはならない。
ただひたすらに庇護欲をそそるだけの美少女なのだ。
こんな子でも、魔法騎士養成学校の卒業が決まっているということは、魔法を遣って俺と戦えば、俺に勝ち目がないということだ。
「…………にぃ、なに?」
あ、起きた。黒い右目が開き、赤い左目が続けて開く。
「飯だぞ。起きて一緒に食べよう」
「…………うん」
レンナは小さな体を起こし、目をこすって丸窓を眺める。
「ケンにぃ…………話したいこと…………ある…………」
「話? なんの? とりあえず朝食取りながらでもダメか?」
レンナはかぶりを振って拒否し、今この時間に話すことを所望する。
そしてレンナはその小さな口を開き、
「ケンにぃは宮廷騎士団に入って、今まで馬鹿にしてきた皆を見返すんだって言って村を飛び出したって聞いたのに、ケンにぃはどうして画材屋で働いているの? どうして宮廷騎士団に入らなかったの? どうして私設の騎士団にも入っていないの? どうして一回も里帰りしなかったの? どうしてレンナ以外の女の子と仲良くなってるの? どうしてレンナに手紙をくれなかったの? どうして住んでいるところを教えてくれなかったの? レンナ、手紙たくさん書いたのに住所知らなかったから一通も出せなかった。レンナね、ケンにぃが村を出てからもたまにハチオージ村に訪れたの。ケンにぃのお母さんもまた顔を見たいって言ってた。ケンにぃのお母さんは、『男の子が一度決めたことだから』ってほとんど消息不明のケンにぃのことを我慢してた。ケンにぃは勝手だよ。一番大切にしなきゃいけない相手を間違えてる。ケンにぃは酷いよ。ケンにぃのことを一番大事に思っているのは、ケンにぃのお母さんだよ? 他の女の子とへらへら笑っている場合じゃないと思うの。レンナはケンにぃにまた会えてうれしかった。なのにケンにぃはレンナのことほとんど忘れてる。そんなふうに故郷に置いてきた人たちを、みんな捨ててきたの? ケンにぃは、ハチオージ村での思い出を、レンナやケンにぃのお母さんとの思い出を、全部、なかったことにしようとしてるの? ケンにぃはそれで満足かもしれないけれど、捨てられた人たちの気持ちはどうなっちゃうの? せめて手紙は書くべきだと思ったよ。ケンにぃのお母さん、まだ待ってるよ。レンナは見てられなかったから、だからヴァレリーまで出てきたの。ケンにぃを探すためっていう理由に『蕗子族から宮廷騎士を』っていう大仰な目標まで作って。フィール室長から聞いたけど、ケンにぃは画材屋を自分で選んで就職したんだってね。どうして騎士団を選ばなかったの? どうして画材屋だったの? 本当に成りたいものにくらい成ってよ。レンナの好きなケンにぃは、いつだって無理を通して頑張ってきたのに、ケンにぃはこんなところで――――全てを諦めたの?」
「っ――――――――」
忘れていた。レンナは無口なように見えてよく喋る子だ。こんな風に、用意した言葉を大きな一塊にして、大砲のように飛ばして喋るのだ。
前半何を言われたのか思い出せなくなるくらいの長喋りは約十年ぶりの俺には刺激が強すぎるというか、負荷が大きすぎるというか、受け止めきるのが難しいほどの質量を持っていた。
おそらくは俺に言いたいことが溜まっていたのだろう。母さんの想いまで引き受けて話してくれているのだろう。
確かに、こちらから何の連絡も寄越さなかったのは俺の落ち度だ。
学生時代はいろんなことから逃げるのに必死で、
仕事をしている今は、仕事を覚え、こなすことに必死で、
俺は母さんとまともに話も出来ていなかった。
「レンナ。その件についてはもっとちゃんとした形で話し合って謝りたいから、ひとまずは勘弁してもらえないか?」
俺の腹から情けない音が鳴り、さながら部屋の中を蛇行しながら霧散していく。
「空きっ腹には、真面目な話はできない」
「…………」
レンナは長い沈黙の末に、「…………うん」と頷き、一緒に甲板まで同行してくれた。
暴発寸前のレンナの怒りはひとまずなりを潜めてくれたようだ。
第四章12話目でした。これからいろいろと縺れていく予定です。
ですが、あまりストレスフルではない展開にしようと思っています。
よろしくお願い致します!




