現実とゲームの境目
現代日本に住んでいて、性根は引きこもりの人間が森を見ることがそんなにあっただろうか。
答えは簡単、ない。だ。
コンサート会場とも違う、先ほどまでいたよくわからない空間とも違う
見間違えようの無い森。風がながれ、草木の匂いが体を抜けていく。
よくあるRPGゲームの世界ではこういった森という概念は当たり前であったが、実際自分がそこに放り込まれる事になるとまず何をすればいいのかすらわからず、思わずチュートリアルはどうしたと突っ込みを入れてしまう。
もちろん、ツッコミに対しての反応があるわけもなく、寂しさを胸に秘めながらもまずは自分の状況を把握するためにはどうしたものだろうかと考えを巡らせた次の瞬間、
「鑑定スキルLv1を習得しました」
抑揚のない声が聞こえ何事かとあたりを見回すも人っ子一人あたりにはおらず、動物の気配すらも感じられない。
「鑑定スキル…ねぇ? 自分を鑑定!なんてな。」
そんな都合のいいことがあるわけないと、冗談半分で唱えてみる。もちろん呪文だのなんだのを知っているわけではないので適当にだ。
だが次の瞬間、今まで体験したことがないような事が起こる。半透明なスクリーンのようなものが現れそこに必要最低限の情報なのであろう俺自身の鑑定内容が表示される
カズキ イチガヤ
Lv1
防具:布の服
武器:ナイフ
スキル:メールオーダー、鑑定Lv1
パッシブスキル:経験値上昇、自然治癒、全属性適応、言語習得、魅了チャーム
装備アイテム:マジックバッグ(0/無制限)、マジックリング(0/100)
最近はやりのVRMMOなんかはこんな感じなんだろうか?
むしろ、実は体験版をプレイしているのではないだろうかとすら思えてくる。
何はともあれ導入部分だけを見れば意外とゲーマーだった俺は何とか出来るのではないだろうかと言う気になってくる。だって、こんなボイスコマンドで操作できてなおかつレベル制。勝つる!と心の中でガッツポーズをとっていると、先ほどまで風にそよぐのみだった草むらががさがさと音を立ててている。
敵がいるのかもしれないと反射的にナイフを構えれたのはやはりゲーム脳のおかげだろうか。ナイフを手に握りしめるとほぼ同時にゼリーの塊のようなものが勢いよく跳ね上がりこちらへと向ってくる。
注目してみると鑑定が自動的に適応されたようで、モンスターの少し上に種族名が表示される。
「スライム!?」
ゲームでは序盤に最弱エネミーとしてよく使われるキャラクターだ。おそらく某有名RPGによって老若男女誰でも一度は見たことがあるのではないだろうか。代名詞は「ぼく わるいモンスターじゃないよ」
そんな事を考えているとすでにスライム状のそれは俺の目の前に迫って来ていて、攻撃を仕掛けれるだけの余裕がなくとっさに体を捩じらせ直撃を避ける。
「痛っ…!?」
避けてはみたものの、完全には避けきれずスライムの体の一部が腕を掠り、そこからやけどはぎりぎりしないが熱いお湯に触った程度の痛みが走る。
普段なら踏み入れるような事のない土地。魔法と呼ばれるものなのか空中に現れるステータス画面。ゲームをやっている人間なら一度は見たことがあるであろう敵の名前。
正直俺はワクワクしていた。これはRPGの世界に入った的な夢を見ているのではないだろうかと。
だが、この痛みはきっと夢ではない。スライムが触れた部分の袖が溶け、腕がうっすらと赤くなっている。そして、目の前の敵は殺意を持ってさらなる攻撃を仕掛けようと此方との距離を見定めている。
『シニタクナイ』
今まで感じたことのない生命の危機にドクドクと鼓動が早まっていく。おそらく第3者から見ればたかがスライムにと笑われるだろうし、きっとそれが俺でも笑い飛ばすだろう、一番弱い敵になにをビビるのだと。
掌が汗ばむのを感じながらも、改めてナイフをしっかりと握り直し今まさに攻撃をして来ようとするスライムを正面から見据える。あぁ、なんて間抜けな絵面なんだろうか。
再び体当たりをしてくるスライムに、恐怖で目を閉じそうになるのをグッと堪え、芯を見定めてナイフを振り下ろす。ゼリー状のせいなのか大した抵抗もなくナイフは吸い込まれ、スライムは真っ二つになって地面へと落下した。
「っ…たお、した…?」
無意識に息を止めていた俺は大きく息を吸い込み地面へと落ちたスライムに目を向ける。倒れたスライムは次第に薄くなっていくと小さな宝石のようなものとグミのようなものを残して消え失せてしまった。
安堵に腰が抜け、その場にすわりこんでしまうと腹の底から笑いが押しあがってくる。
半引きこもりのゲーマーヲタクが気が付けば国民的アイドルになっていて、さらに異世界にきて世界を救えと言う。
夢だと思いたいが先ほどの痛みと恐怖がこれは現実なんだと突き付けてくる。
くだらない現実とゲームの様な現実どっちがクソゲーなんだろうかと溜息一つ。
出来れば平穏に暮らせますように。
おそらく叶わぬであろう願いを胸に、こうして俺はまともなチュートリアルもないゲームのような現実へと放り出され、第2の人生を歩き始めることとなった。