あそびの時間
私、田中恵子は、思えば変わった子供だった。
私は性別的には女だったが、どうも女子の集団が居心地悪くて仕方なかった。私には二つ年下の弟がいて、弟と私の容姿は双子のように似ていた。弟は女顔。私は男顔だった。
私が毎日足しげく通っていたのは、「大戸君」という男子の家だった。
彼の家に行くには、途中ブルドッグのいる家の前を通らなければならず、私は、そのブルドッグが気付いて吠えないように、そろりそろりとその家の前を通るのだ。そして、大きな大戸君の家の下にたどり着く。しかし、まだ試練が残っている。大戸君の家は、今思えばなぞではあるのだが、道路より、かなり高いところに建ててあった。だから、家までに階段を上らなければならなかった。その階段は、横幅が狭く、一段が高くて、上りにくかった。そして、何より私が嫌いだったのは、上るたびに「クァンクァン」となる音だった。階段の横は壁になっていたので、足音が反響していたのだ。その音は、私の背をぞくりとさせ、誰かに追われているような不安な気持ちにさせるのだった。だから、私は毎回、全速力で階段を上って大戸君の家のチャイムを鳴らしていた。いつもいつも走ってくる、しかも、女の子に大戸君の母親が何を思っていたかは解らないが、とにかくそうして私は大戸君の家に行っていたのだった。なぜそこまで恐い思いをしてまで、大戸君の家に遊びに行っていたのかは不明であるが、明らかに言えるのは、私は彼が好きというような感情は持ち合わせていなかった。ただ、大事な、一番の友達だったのである。大戸君にとってどうだったかは解らないが。
遊びはいたってシンプルだった。当時はきんけし(筋肉マンの消しゴム)が流行っていて、それらで、なんだか必殺技を言い合いながら遊ぶのだ。近くの川にザリガニを釣りに行くこともあった。
それでも、飽きたときは、その頃ほとんどの人が持っていなかったファミコンを持った子の家に押しかけた。一台を囲んでみんなで順番待ちをする。できるときはラッキーだ。大概は回ってこないうちにお開きになる。
大戸君と遊ばないときは、弟とローラースケートで遊んだり、砂場でお城を使ったり、トランプで「銀行」という名のゲームをしたりして遊んでいた。だから、女子が混じって遊ぶのは、幼稚園内がほとんどで、女子たちがどんな遊びをしているのか私は判っていなかった。
だから、指で数えられるだけの、女子と遊んだ日々は、強く印象に残っている。
あそび一
私は父親の仕事の関係で、社宅に住んでいた。社宅での大人同士の付き合いが大変なように、子供の付き合いも大変だった。それでも、先に述べたように、私は男子と遊ぶことが多かった。ロボットのコレクションを見せてもらったり、他、珍しいものを見せてもらったり、とにかく、男子は何かをコレクションするのが好きらしく、私は受身の遊び方が身に染み付いてしまったようだ。
女子と遊ぶときもそれが抜けることはなかった。
その日、私は社宅で一緒の一つ年上のお姉さん、水野さんと遊ぶことになった。誘われたのだ。私は、滅多にないことにドキドキしていた。
彼女は自分の家に私を招待した。そのとき、私は飲んだことのない飲み物を出された。
「ココア」である。私のうちは厳しくて、甘いもの、それから「コーヒー」なども飲ませてもらったことがなかったのだ。
私は困ってしまった。これはどんな味がするんだろう。
「どうしたの? 飲めば? みかんもあるよ」
私はとにかくココアが恐かった。
私はとりあず、食べなれたみかんを先に食べることにした。そして、何も考えずに手の中にあるみかんの皮をむいたのである。そのときだった。
「恵子ちゃん、なにそのみかんのむき方」
水野さんの声に、私はぽかんと口をあけていたと思う。
「みかんのむき方も習っていないの?
みかんはこうやってお花の形になるようにむくのが上品なむきかたなのよ」
当時幼稚園年少組みの私は、とても動揺した。みかんにむき方があるなんて、知るはずもなかった。それは私が常識がなかったのか、水野さんが大人だったのか、未だに理解できないでいる。
みかんでそれだったのだ。いよいよ私はココアが飲めなくなった。
「どうしたの?何で飲まないの?」
私はどうにかして飲まないですむ言い訳を考えた。そして、考えた末の言葉は、
「私この飲み物嫌いで、飲めないんだ」
水野さんの表情はまた冷たくなった。
「家に招かれたようなときは、出されたものは飲む、食べるのが常識なんだよ」
私は、自分が水野さんの家にいるのがとても恥ずかしくなった。早くこの時間が終わってくれることを心の中で望んだ。
針の筵にされているような時間は過ぎ、ようやく私は解放された。
「またね」
という言葉をもらって。
私は正直、もう誘われたくないなと思った。
ところが、それは偶然に起こった。私が社宅の庭を通りかかったときに、水野さんが、気づいたのだ。水野さんは、一人で花のそばで遊んでいた。
「恵子ちゃん」
私はすぐさま声をかけられ、逃げれなくなった。仕方なしに、水野さんの近くに寄った。
「なあに?」
「ねえ、ちょっと見てよ」
水野さんはそばの、赤や黄色をした花を指差した。見たことがある花ではあるが、名前は知らなかった。
水野さんは言った。
「この花の名前はね、おしろいばなって言うの。何でだと思う?」
オシロイバナ。また知らない名前だった。私は、どう反応したらいいかと戸惑った。水野さんの目を見て、おそるおそる、
「……わかんない」
と答えた。
すると水野さんは満足そうに微笑んだ。そして、オシロイバナの種らしき、黒いものを摘み取った。
「これはおしろいばなの種。黒いでしょ?」
「うん」
私はこれから何が起こるか予測できずに、ただ、その種を見つめていた。
「でもね、見てて」
水野さんはその種をつぶした。その瞬間。
「え?」
私は声を出していた。私の予想外だったからだ。
中からは湿った真っ白な粉が出てきたのだ。
「白いでしょ?だからおしろいばな」
私は当時、もちろん「おしろい」の意味がわかっていなかった。しかし、その予想外の中身に驚いたのはよく覚えている。そして、水野さんがやったように、種をつぶしてみる自分がいた。
黒が一瞬で白に。
私は隣で笑ってる水野さんを見た。そして、オシロイバナと似ているなと思った。「よく解らない」ところが。
母親から、水野さんは一人っ子だけれど、母親があまり相手をしないから、寂しいのよ、と聞いたとき、ちょっと不審に思った。だが、確かに水野さんはよく一人で遊んでいた。
水野さん自身がオシロイバナだった? 外は黒いのに中は白い。硬く気丈に装っているだけなのかもしれない。
年をとった今でも思い出す。オシロイバナを見ると、水野さんを。今も黒く装っているのだろうか。
あそび二
同じ赤組の高田すずちゃんは、私の女子の中での一番のお友達だったといってもいい。 彼女とは誕生日が近く、そして家も近かった。隣の一軒家の大きな家が彼女の家だった。だから、ときどき遊んだのだ。
しかし、彼女とはライバルでもあった。好きな人が一緒だったのだ。(この辺は変にませていたと思う)
すずちゃんは色白で、目が大きく、黒い髪はさらさらで美人だった。そして、社宅とはかけ離れた、大きくて綺麗な家に住んでいた。 私はすずちゃんにコンプレックスを抱えていたのも事実である。
私の望むものは必ず持っていたすずちゃん。
ひなまつりのとき、すずちゃんの家に招待されて、私は驚いた。
「おひなさまは三段じゃないの?」
部屋中に広がる赤い階段と、そこに置かれた人形たちに、私は素っ頓狂な声をあげた。
「え? 三段なの?」
逆に聞き返され、私は、
「私のうちはそうだよ」
と答えた。
その日、家に帰って、母親にそのことを話すと、母親は恥ずかしそうにして、
「そう、本当は何段もあるのよ」
と言った。そのとき、私は、敗北感でいっぱいになった。なぜか悔しいと感じた。
だから今でもお雛様が嫌いだ。
しかし、すずちゃんとの最も深い思い出は、「ピアノ」である。
私は当時、ヤマハで音楽を習っていた。家には古い型のエレクトーンがあるだけだったので、音楽教室の日に、新しいエレクトーンやピアノを触れるのは本当に嬉しかった。
すずちゃんの家は、母親がピアノの先生だった。だから、グランドピアノがすずちゃんの家にはあった。
すずちゃんの家に行くたびに、私はそのグランドピアノを見ずにはいられなかった。
(大きいピアノ。黒く光ってる。どんな音がするのかな)
ある日、すずちゃんは、
「ピアノ弾きたい?」
と聞いてきた。私は迷わず頷いた。
「はい、いいよ」
ふたが開けられ、白と黒の鍵盤が顔を出す。私は胸が震えるのを感じた。どんな音が出るの?さあ、聞かせて。
私は、ドの音を手始めに鳴らしてみた。ポーンと高くてよく響く音が鳴った。なんて綺麗な音なんだろう。このピアノなら、私が弾いても少しは上手に聞こえるかもしれない。見栄っ張りな私は、最近習ったばかりの曲を得意げに弾いてみせた。エレクトーンで練習しているときより、その音はどこまでも澄んでいて、美しく聞こえた。自分でも、いいできばえだと思った。
すずちゃんはしばらく私にピアノを弾かせてくれた。
「このあと四時からお母さんのレッスンがあるんだ。練習してもいい?」
すずちゃんが言った。私はもう少し弾きたかったのだが、すずちゃんのピアノが聴けるのも嬉しくて、
「もちろん!」
と椅子をおりた。正直、私とどっこいぐらいの腕だろうと思っていた。ところが。
すずちゃんのピアノの音色は、私の音色より、高く聞こえた。そして、私がまだ習っていないような難しい曲をすらすらと弾いたのだった。
「す、すずちゃんって、すごい上手なんだね」
私は、社宅まで泣きながら帰った。ピアノは自信があったのに。私は結局何一つすずちゃんに及ばないということを痛感したのだ。だから。
すずちゃんは私の自慢のお友達。でも、一緒にいるとどこかつらい。そう思う自分が嫌だった。友達ってナンダロウ。答えは……。
あそび三
またまた同じ赤組に、とてもお金持ちの家の子がいた。谷川弘子ちゃん。いつも、フリルのついた、可愛い服を着ていた。ピンクが好きだったようで、よくピンク色の服を着ていた。だから私の中で彼女のイメージはピンクだった。
ピンクちゃんはよく、同じ組の女の子を家に招待していた。私はそれを少し遠くから、うらやましく思って見ていた。
そんなある日、私にもピンクちゃんから声がかかった。
私は、母親にそれを話し、ちゃんとした服を着せてもらい、そして、特別なときにはこうと思っていた、ワインレッドの色の先の丸いスエードの靴をはいて行くことなった。
私は、その靴を履けたことが嬉しくて嬉しくて、ピンクちゃんの家に行く間、ずっとその靴を見つめていた。まるで、バレエ靴のようで、リボンまでついてる、本当に可愛い靴だった。
ピンクちゃんの家は予想以上にすごかった。すずちゃんの家もすごいと思っていたが、それ以上だった。いろんな部屋に連れて行かれて、私はピンクちゃんの後をついていかないと迷子になりそうだった。
私が何よりうらやましかったのは、ピンクちゃんは自分の部屋を持っていることだった。ピンクちゃんには、一人お姉さんがいたのだが、別々の部屋を持っていたのだ。私は弟と同じ部屋だったので、一人ひとりの部屋があることがすばらしく素敵に思えたのだ。
ピンクちゃんはいろいろなものを見せてくれた。りかちゃん人形や、バービー人形のレアなものや、シルバニアファミリーの大きなおうちのセットなど。私にははじめてみるものばかりだった。
当時の私の生活は平均的で、何一つ不自由なことはなかったが、やはり、ここまですごいものを見せ付けられると、世界の違いさを感じ、うらやましく思った。
ピンクちゃんの家で、一通り遊んだときだ。ピンクちゃんは外へ遊びに行こうと言い出した。私は頷いて、お気に入りの靴に足を突っ込んだ。ピンクちゃんはずんずんと坂道を上がっていく。その道はピンクちゃんの散歩コースのようであった。
天気は晴れ。気持ちいい風が吹いている散歩に適した秋の日だった。
ところが。
私は自分の身にいったい何が起こったのか一瞬解らなかった。足を踏み出そうとしたとき、痛みが走った。あわてて足元を見ると。
溝に敷きつめられたタイルの、継ぎ目の真ん中の穴に、自分の足が挟まっていたのである。私は、とにかく足をとろうと引っ張った。しかし、いくらやっても、足は抜けなかった。 私はピンクちゃんの名を必死で呼んだが、ピンクちゃんはしばらくすると家に帰ってしまった。
私のその時の恐怖といったら、どう言ったらいいか解らない。
「ひとさらいにつれていかれるよ」
母親がよく冗談で言っていたことが現実になってもおかしくない状況。しかし、私の頭には、そのとき「ひとさらい」は出てこなかった。それより、段々と暗く、寒くなっていくのを全身で感じ、私はこのまま死ぬのだろうかと、まじめに考えた。
(お願い。暗くならないで。私の姿が見えなくなっちゃうよ)
もちろん、その間にも私は足を何度も引っ張った。しかし、痛みが増すだけだった。
私は絶望感でいっぱいになり、泣き出した。最初は小さく。そのうち、本当に私は死ぬかもしれないと思い、そんなの嫌だとでも言うように、大きな声で泣いた。そして、泣き疲れた頃、その人は現れた。
郵便配達のお兄さんだった。
「どうしたの?」
私は天にもすがる思いで、お兄さんに助けを求めた。
「足が抜けなくなっちゃったの。お願い、助けてください」
お兄さんは、時間はかかったものの、私の足を引き抜いてくれた。しかし、私のお気に入りの靴は助からなかった。
私はその靴が溝に落ち、ぱしゃりと音を立てるのを聞いた。
「ありがとうございました」
私はそう言ったものの、悲しみでいっぱいだった。
(私の靴……。落ちちゃったよう)
お人よしだった私はとりあえず、ピンクちゃんの家に戻った。
「足抜けたんだ。よかったね。もう帰っていいよ」
私は、その言葉にますます悲しくなり、片足だけ靴下という、無様な格好で、自分の家に帰ったのだった。
結局その日の収穫は、「大事なものを失くす痛み」だった。
それ以来ピンクちゃんの家には行っていない。そして、女子ともほとんど遊ばずに、幼稚園生活を終えた。
そんな私だから、結局、小学生になっても、初めにできた友達は男子で、一人親友の聡ちゃんを除いては、友達はみんな男子だった。だから、その頃の女子の遊びも、一輪車意外は知らない。(一輪車は聡ちゃんとよく練習したのだ)
私はもっぱら男子と、キックベースやドッヂボール、警泥に缶蹴り、エアガン、ファミコンなどで遊ぶ毎日が続いた。
中学生になり、スカートという目印をつけられても、私は男子とつるんでいるほうが楽だった。よく、腕相撲などをした記憶がある。
「お前、男なんじゃねーか?」
よく男子に言われても、不快に思わず、私は時々思っていた。本当に性別を間違って生まれてしまったのかも、と。
しかし、そうじゃないことは高校で発覚した。
今まで、身近で、居心地のよかった男子のそばによるのが、とても恐ろしくなってしまったのである。それは、男子が急に男らしくなったせいで、自分と男子の違いを見せつけられたからかもしれない。当時好きになったのは、男っぽさを感じない、透明さを持つ人だった。しかし、高校までのように気軽に話しかけるなんてことはできず、見ようのよってはストーカーのような行為を繰り返していた。(犯罪になるようなことは決してしていない)
結局まともにしゃべることもできずに、高校を卒業した。高校になって急に増えた、女子の友人は、私のことを「見かけは男子のようなのに、中身は少女漫画」と称していた。確かに、私は、自分の心が女子であることを否定するように、髪をどんどん短くしていき、好きな色は青で、男子のような格好ばかりしていたのは事実だ。
大学に入り、男子にもようやく慣れると、やはり男子の中のほうが居心地がよく、大学でできた友人は男子のほうが多かった。
外見も男子のようで、肩まで髪を伸ばしても、Tシャツにカーゴパンツ姿の私は、通りすがりの人に、よく、
「あの人、男? 女?」
と言われるのが聞こえてきた。高校のときからの女子の友人のバイト先に行ったときなど、彼氏と間違えられたぐらいだ。
そんな私だから、彼氏なんて一生できないだろうと思っていた。それは私の友人も思っていたと思う。
ところが、予想に反して大学で初めて彼氏と言うものができた。
そして、その人と結婚することになるのである。
結婚式のとき、のカクテルドレス姿の私を見て、友人たちはみな驚いていた。
「田中はブルーのドレスを選ぶと思っていた」
私のドレスは深いピンク色をしていた。
私は内心ピンクちゃんのことを思い出して、笑ってしまった。そう、私が青を好きになったのは、空の色だからと言う理由だけでなく、ピンクちゃんとの出来事があったからだったのだ。
結婚した今でも、私は時々幼稚園児だった私を思い出す。私はあの頃、男子たちと遊ぶことで、女として、何か大切なものを学ばずに成長してしまったのではないかと。
でも、その度に、隣にいる旦那を見て、ま、結果よければ全てよしかな、なんて思うのだ。多分、ね。
了
私の過去をモデルに書いた小説です。最後まで読んでくださりありがとうございました。