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勘違いは一度まで

作者: 秋雨夜雪

 彼女と初めて会ったのは、ある休日の昼下がりのことだった。

 夏の日差しの中、母から買い物を頼まれ、近くのコンビニに行く途中、わたしは彼女と出会ったのだ。

腰まである綺麗な黒髪で、顔は美人…というよりは美形という言葉があるような整った容貌で、可愛らしさよりも凛々しさのような印象を先に受ける。

年のころはわたしと一緒でおそらく高校生ぐらいだろう。

その容貌でも人々の注目を引くのに十分だが、何よりもその格好が異様だった。

上も下も黒ずくめのスーツで身を固めていたのだ。

暑さのためか、さすがに前を空けていたが、さすがにその姿は住宅街であるこの周辺から浮いていた。

彼女を洒落にならないぐらいだらだらと流しながら、地図らしきものと格闘し、あたりを何度も見回していた。

(暑いんだったら、あんな格好しなきゃいいのに…。)

そう思った瞬間、わたしは彼女と目が合ってしまった。

人通りが少ない場所な上、じろじろの見ていれば相手に気づかれるのは当たり前といえば当たり前なのだが…。

「ど…どうしたんですか?」

会釈でもして軽く通り過ぎようとも思ったが、わたしはつい声をかけてしまった。

同年代であることの親近感に加えて、格好の奇抜さとそれと反比例した容貌に少なからず興味を抱いてしまったことは否めない。

それに、(わたしのフィーリングに過ぎないが)何となく彼女は〝悪い人〟には思えなかったからだ。

声を掛けられ、彼女も驚いたのだろう。一瞬目を丸くしてこちらを見返したが、すぐに愛想笑いとも苦笑いとも取れるような表情で言葉を返してきた。

 「いや、道に迷っちゃってね…。」

 彼女は手に持っていた地図を逆さにしたり斜めにしたりして周囲を何度も見回した。

 「どこに行きたいんですか?」

 「ここに…。」

 そう言って地図をこちらに差し出してある場所を指し示した。彼女が指した目的地は、幸いわたしが良く通る場所だった。

 「ああ、ここに行くには……」

わたしが道順を教えてあげると、うなずいて返事はするものの彼女は一歩も動こうとしない。

道順を聞いて「ありがとう。」と答えたものの、彼女は依然として眉をハの字にしたまま地図帳から目を離そうとしなかった。

(このまま彼女をここに置いて行って良いものかしら?)

普通なら道順を聞けば迷うよう場所ではない。

だが、なんとなしに、わたしは彼女を放っておくのが憚られた。

「あの…。」

「ん?」

「良かったら途中まで案内しましょうか?」

そんな申し出をされるとは思ってもみなかったのだろう。

彼女はわたしを数秒無言で見つめ返した後、あわてたように微笑んだ。

「…良いの?」

「ええ。」

 「助かるよ…。引越し早々に迷子になっちゃって。」

 地図の場所に向かって、わたしと彼女は並んで歩く。

 歩いている間中、彼女はきょろきょろと周囲を見回していた。おそらく二度と迷子になるまいと景色を必死で覚えているのだろう。

 わたしは、そんな彼女をほほえましく思ってしまう。

 「この辺は入り組んでは…いないですけど、初めの土地じゃ迷うのもしかたがないですよ。」

 「これじゃあ、学校通うのもきっと一苦労ね。」

 「高校って、ここら辺からだと西野沢高校…ですか?」

 一見したときは同世代なことに親近感を覚えたが、話してみて口調がわたしなんかよりもずっと大人っぽいので、ついつい敬語を使ってしまう。

「確か、そうだけど…あなたも?」

「ええ、そう…です。」

彼女はわたしを不思議そうにじっと見つめた。

「…ふ~ん。私は平河内柚理。また道に迷ったらお願い。」

(まだ迷う気なんだ…。)

「あ、わたしは西野由梨絵といいます。」

 平河内と名乗ったその少女は、わたしの自己紹介には頷いただけで特に言葉も返さなかった。

そうこうしているうちに、平河内さんの目的地のごく近くまでたどり着いたが、どうやら彼女自身、そのことにはまったく気づいてはいないようだ。

仕方がないので、わたしは平河内さんが持っていた地図を手に取り、ここがあそこで…とわざわざ周囲を指差して教えてあげた。

「悪いわね。こんなところまで。」

「別に。困ったときはお互い様ですよ。」

「お互い様…ねえ。」

それだけ言うと、平河内さんは何も言わず、振り向きもせずに去っていった。

その別れがあまりにも唐突だったため、わたしはその時は「さよなら」すら言うことができなかった。

これがわたしと、平河内さんとの出会いだった。

わたしにとって、この時の彼女はただ単に「美人なのに奇抜な格好をしていて、何となく馬が合いそうな人」程度の印象でしかなかった。

その時は、数週間後にわたしが揉め事に巻き込まれ、彼女に助けられるとは思いもよらなかった。




「そんな…。そんな…。」

わたしは必死に鞄の中を探っていた。

(ちゃんと入れていたはずなのに…。)

あんな騒ぎを起こした後だから、ちゃんと家で確認したのに…。

「どうしたんだい、西野さん?」

心配するようにクラス委員の早川君がわたしに声をかけた。

「なんでも…ないです。」

「なんでもなくはないだろ? そんなに慌てて。」

パニックになっていて気がつかなかったが、いつの間にか自分のノートや教科書類が机やその周りに散乱していた。

「何でも話してよ。僕はクラス委員長なんだし。」

早川君は机から落ちた私の教科書を拾い上げながら、心配するようにこちらの様子を伺っていた。

「いえ…あの…。」

早川君に声を掛けられことで、わたしは自分が周囲の注目の的になっていることに改めて気づいた。

このまま鞄を探っていても埒が明かないことだけは、わたしにも分かっていた。

できることならば、わたしの中だけで解決したい。

でも、ちゃんとした説明をしないと、目の前で心配してくれている早川君は納得してくれないだろう。

数秒悩んだ末、意を決してわたしは言葉をつむいだ。

「見つからないんです…学園祭のお金が…。」

「文化祭のお金って…クラスみんなの学園祭の出店資金のことかい? そりゃ大変だ…。」

早川君も驚いたのだろう。思った以上に声が大きく、クラスメイトの視線がわたしにさらに集まってしまった。

「何かの勘違いで忘れてきたってことはないのかい?」

「違います! ちゃんと黄色い巾着袋に入れて、もって来たはずなんです。…それなのに…。」

早川君は、わたしの言葉を最後まで聞かず、うなずいた。

「うーん、分かった。」

彼は大声で教室にいるクラスメイト全員に呼びかけた。

「みんな聞いてくれ!」

それなりに注目を集めていたわたしたち2人だったが、今の早川君の大声に、まったくこちらに関心がなかった人たちも含めてクラス全員が、彼と、そしてわたしを見た。

「この前、西野さんが集めた文化祭出店用の積み立て金がなくなったみたいなんだよ。」

その言葉に無反応なクラス全員に対し、早川君は続けた。

「そこですまないけど、みんなの鞄、机の中をちょっと調べさせてもらえないかな?」

早川君の発言に、わたしは驚いた。

(そこまでしなくても…。)

思わずそう言いかけた。

でも、それはできなかった。

わざわざみんなに働きかけてくれる早川君の親切心を無駄になどできなかったし、何よりわたし自身、お金を失くしたことに対し、一体どうすればいいのかまったく判断がつかなかった。

恐る恐るその場にいるクラス全員の顔を伺うわたし。

持ち物検査など、誰だって行われていい気などしない。

みんなは、鈍いながら軽蔑と悪意の視線をこちらに向けていた。

「そこまでする必要あんのかよ?」

「ちょっとなあ…。」

「西野さんが積み立て金なくしたことで、なんでわたしの持ち物をチェックされなきゃいけないの?」

表立って反論こそないものの、そんなヒソヒソ声が聞こえていた。

でも、早川君はかまわず言葉を続けた。

「いや、もちろんみんなを疑っているつもりはないよ。ただ、間違って誰かの机に中に入っている可能性だってあるかもしれないし。」

早川君の言葉に誰も返事をしない。

「たのむよ。西野さんのためにさ。」

彼の言葉に、やはり誰も明確に答えない。

だが、早川君はその沈黙を了承と受け取ったのだろう。

わたしの方を振り返った。

「じゃあ、始めようと思うんだけど、その巾着袋の特徴なんか教えてもらえるかい?」

「特徴といっても…。」

持っていた巾着袋を想像し、すこし迷いながらもわたしは答えた。

「…星マークの模様の袋で、紐の部分には〝わーにゃん〟の人形がついてるの…。」

〝わんにゃん〟という最近はやりのマスコットキャラのことだ。

TVのあるバラエティ番組内でやっているアニメのキャラクターで、猫か犬だか分からないような容貌で、〝癒し系〟として今人気が高い。

もっともキャラ人気が一人歩きしており、その元となっているアニメを知らない、見たことがない人もかなりいる。

かくいうわたしも、実はそのアニメを見たことがなかったりする。

「わかったよ。じゃあ女子の方は僕が見るわけにはいかないから、西野さん頼むよ。」

(えっ!?)

呆然と推移を見守ることしかできなかったわたしだが、突然早川君の言葉に驚いた。

事態の中心となっているのは確かにわたしだが、クラスメイトを疑うような持ち物検査など決して望んでいるわけではない。

(ちゃんと反対しなかったわたしも悪いけど…これはやりすぎだよ…。)

早速、男子の持ち物チェックをし始めた早川君に、私は遅まきながら反論した。

「早川君、いくらなんでも持ち物チェックなんてしなくても…。」

だが、彼は振り返りもせずに答えた。

「でも、しょうがないじゃないか。〝なくなった〟じゃすまいないものなんだし。それにみんなも納得してくれたんだし。」

手際よく持ち物チェックを行う早川君に対し、わたしはどうしていいか分からず、ただ彼の様子を眺めるだけだった。

だが、やがて女子の一人から「やるんなら早くしてよ」と怒鳴られ、持ち物チェックを始めざるえなくなった。

チェックしている間、わたしはクラスメイトたちの目を見ることなどできなかった。




放課後の屋上…。

帰宅前に一度どこかで落ち着きたかったわたしだが、持ち物検査などやってしまった後では、教室に居られるわけもない。

この時間、大抵の生徒は帰宅するか部活動に精を出すかだ。誰も訪れる者などほとんどいないこの屋上は、今のわたしにとってはまさに最適な場所だった。

「なんでこんなことに…。」

何となしにつぶやいてみたが、言葉に出したところで事態が解決するわけでもなない。

持ち物チェックしていた時に、クラスメイトが自分に向けた視線が忘れられない。

全員と仲が良かったわけでもないが、それでも険悪という感じの人はこれまでいなかった。

だが、今回のことで、明らかに数人は自分に非難と軽蔑の目を向けていた。

もちろん仲が良い友人たちは「気にすることない」と笑っていってくれたが…。

柵に寄りかかり、わたしは目を閉じて自分の失敗を思い返していた。

実は、文化祭のお金をなくしたのは2回目だった。

だた、2回といっても、正確には失くしたと思い込んで、自宅に置き忘れていたのが1回。

そして、今回で2回目になる。

「明日から…来たくないな。」

つぶやいたところ事態が解決するわけでもない。

柵に寄りかかり、目を閉じた。

「…来たくないなら、来なけりゃいいじゃない。」

誰もいないと思っていた屋上に、誰かの声が響いた。

「え?」

慌ててあたりを見回すが、やはり誰も見当たらない。

「だからさ…。今日みたいなことが嫌なら1日やそこら休んじゃってもかまわないと思うけど。」

周囲を見回していたわたしに対し、その声の主は、屋上入り口となっている建物の上からゆっくりと現れた。

「平河内さん…?」

数日前、わたしの家の近くで道に迷っていた彼女だった。

平河内さんあの翌日、わたしは同じクラスに転入してきた。(同学年であること自体、わたしにとって驚きだったが)

いわゆる美形といえるほどの顔立ちと、美しい黒髪をもつ彼女は、こちらに転校した当初かなり人目を引く存在だった。

だが、休み時間(と一部の授業時間)のほとんどを机に突っ伏して寝て過ごしていたことから、やがて彼女を注目する者は一人また一人と減っていき、ついにはクラスの中では〝美人だけど、ずっと寝ている変わり者〟という地位に落ち着いていた。

わたしも初対面のあの時以来、特に話はしていなかった。

〝しなかった〟というより〝できなかった〟。

同じクラスになった当初、こちらから話しかけたが「あの時はありがとう」と言ったきり、やはり机に突っ伏して寝てしまったのだ。

今も昼寝(と言っても、もう放課後だが)でもしていたのだろうか? 彼女の綺麗なストレートヘアーは乱れて台無しになっており、目元も半開きで焦点がうまく合ってないようにみえた。

「…うん、あなたと同じクラスの平河内柚理さんよ。」

そう言って平河内さんは、わたしを見下ろしながら、一度大きくあくびをした。

「でも、そんなところで何を…?」

「ここでちょっと時間つぶし。クラスにもそれほど親しい人もまだいないから、まあ居眠りを…ね。」

(放課後だし、帰ればいいんじゃないかな…。)

そう思ったものの、そのツッコミは口に出せなかった。

一度背筋を伸ばした後、彼女はよっこらせっと、と言いながら建物から降りた。

「今日は、災難だったわね。」

「…ごめんなさい。」

持ち物チェックの時、平河内さんは表情一つ変えずに黙って従ってくれたが、当の本人であるわたしは、ただもう謝るしかない。

「ばかねえ、別にあなたを責めているわけじゃないわ。むしろ同情しているのよ。」

わたしの隣に腰を下ろし、キザっぽいしぐさで足を組んだ。

「同情って…?」

彼女の思ってしなかった言葉に、わたしは聞き返した。

「言葉通りの意味よ。」

それだけ言って、意地が悪そうな微笑を見せた。

「ねえ、興味本位で聞くんだけど、今日本当に文化祭のお金を学校に持って来たの? 実は家に置き忘れていたなんてことはない?」

「それはないよ。今日はちゃんと持ってきた…はず。」

質問の意図が分からないまま、わたしは質問に答えた。

「でも、確か前も失くしたって騒いだって聞いたけど。」

「…うん。」

前回の時は、単に自宅に置き忘れていただけだった。

その時〝どうしようか?〟と自問自答して真っ青になりながら帰宅し、自分の部屋の机の上に、その文化祭の金を入れた袋を見つけて腰が抜けたように安堵したのはちょっとやそっとじゃ忘れられない。

その時の経験があるから、今度はちゃんと家から持って出る時確認したはず…なのだ。

「でも、今回はちゃんと鞄に入れて持ってきたの。」

「なるほどねえ…。」

何か考え事をするように、平河内さんは少しの間、コンクリートの床をじっと見つめた。

「ちなみに入っていた金額は?」

「…1万5千円ぐらいだったはずだけど。」

集めた金額を言うのはちょっと迷ったが、隠してもしかたがないと思い、素直に答えた。

「その金額を知っているのは?」

「誰もいない…かな。まだみんなから集金している途中だから…。ただ、最終的に8万ちょっと集めるのは、みんな知っていると思うけど。」

また何か考えるように少し沈黙する平河内さん。

彼女の質問の意図が分からないわたしに、彼女はすぐに次の質問をわたしにぶつけた。

「…前回の騒ぎの時も今回みたいなことをやったの?」

「え?今回のようなことって?」

「さっき、あなたと……あの変にリーダーシップを発揮したあの〝彼〟がやったような持ち物チェックのことよ。」

「ま、まさか、そんなことやるわけないよ!」

慌てて首を横に振った。

平河内さんの言う〝彼〟というのは早川君のことであることは、鈍いわたしでも分かった。

「あの時……前回お金を失くしたと思い込んだ時は、わたしの周りにいた2、3人にちょっと話しただけで、そんな…みんなになんか言ってないけど。」

「でも、〝彼〟……早川君?だっけ? 彼は知っていたみたいだけど。」

(そういえば……どうして知っているんだろう?)

先にも平河内さんに言った通り、早川君はわたしが前回お金を失くしたと思い込んだ時のことをごく当たり前にみんなに語っていた。

それだけじゃない。クラスのみんなも、彼の言うことを周知の事実のように驚きもなく受け入れていた。

「何で…?」

誰に聞くわけでもなく、わたしの気持ちが言葉として漏れてしまう。

そのつぶやきが発せられたその時、屋上に新たに人が入っていた。

「やあ、ここにいたんだね。」

「早川君…。」

わたしに疑問を抱かせる原因となった当の早川君だった。

自分でも多少顔がこわばっているのを感じるわたしに対し、彼はいつもと変わらぬ様子でこちらに近づく。

「探したよ。西野さん。」

何の陰りもない顔で話す早川君。

一方で、わたしは普段どおりに言葉がでない。

「君が今日失くしたお金のことでちょっと話があってね。」

「そのことなんだけど…」

「今日はみんなの鞄の中をチェックさせてもらったけど、明日みんなの机の中をもう一度チェックしたいと思ってね。」

わたしの言葉を最後まで聞かない上に、彼はとんでもないことを言い出す。

「そんなことまで出来ないよ。」

「しかし、やっぱり失くしちゃじゃ済まないからさ。」

西野君の提案を即座に拒否したわたしだったが、彼は否が応でもチェックをしたいようだった。

「仕方ないじゃないか。」

「……。」

わたしとしては何としても拒否したかった。

先ほどの鞄の中のチェックを行った時の辛さは、もう二度と味わいたくはない。

だけど、元の原因が自分にあることを考えると…拒絶する言葉をこれ以上、口から出せなかった。

「じゃあ、明日昼休みに‐‐‐」

わたしの了承を得た…と思ったのだろう。早川君は話を進めようとする。

だがその時、思わぬ方向から助け舟が入った。

「西野さんは、嫌だ…って言っているのよ。やめるべきでしょ。」

それまでわたしたちのやり取りを横で冷ややかに眺めていた平河内さんが、早川君の言葉を遮るように言った。

わたしにとってそれは救いの一言だった。

だが、同時に彼女のその喧嘩腰とも取れる言いようは同時にも不安にもさせた。

早川君は一瞬驚いたが、すぐにいつも通りの表情で返した。

「君は…平河内さんだっけ? 転校したばっかりで事情がよく分かってないと思うんだけどさ…。」

口調こそ平静のものだったが、彼が平河内さんの言葉を不快に感じたことは、さすがのわたしにも分かった。

「申し訳ないけど、ちょっと口を挟まないでくれないかい?」

緊迫した空気…というほどではないが、和やかとは程遠い場の中、平河内さんは早川君の言葉に表情一つ変えず、そして口調を荒げることもなかった。。

「事情は分かっているわ。嫌がる西野さんに机の中のチェックを強要しているんでしょ。」

「そんなわけないじゃないか。」

「そうとしか見えなかったけどね。」

淡々としながらも、彼女の口調には早川君やわたしに余計なことを言わせないような迫力のようなものがあった。

「それに〝口を挟むな〟とか言ったけど…今日の持ち物チェック、私だって受けたのよ。それだけでは〝口を挟む〟権利を有さないのかしら。」

「それは…。」

 言葉に詰まる早川君。

わたしはというと…2人のやり取りに参加することなどとってもじゃないけど無理で、ただ黙って見ていることしか出来なかった。

「そもそも、大事なお金がないんでしょ。何で先生方に知らせないの?」

「そんなことしちゃったら西野さんがかわいそうじゃないか。そこまでする金額じゃないんだから…。」

「そこまでする金額じゃない…か。」

平河内さんは薄く笑った。

わたしは、その笑みに何か悪意のようなものが含まれているように感じた。



結局、早川君は机の中のチェックを断念し、この場を去ってくれた。

付き合いがさほど深くない平河内さんからの援護は、正直意外だった。わたしにとっては非常にありがたいことだったが、平河内さんは確実に彼に悪感情を抱かれただろう。

それを考えると嬉しさよりも、すまないという感情の方が先に立つ。

「ごめんなさい。」

早川君が去った後、まず一番に謝った。

「ありがとう」と言うべきか迷ったが、わたしの感情としてはまず謝罪の方が先だった。

「ん? ああ、別にいいの。良くあることだから。」

先ほどの早川君のやり取りどころか、わたしの謝罪の言葉さえも気にする風もなく、こともなく彼女は答えた。

「そんなことより、西野さん…アンタ、もしかしたらハメられているかもしれないわね。」

「え、ハメられてるって…?」

わたしは冗談なのかと彼女を見返した。

別段厳しい表情をしているわけでもない。平時と変わらない様子の彼女だが、それだけに冗談やからかい半分で言っているわけでもないことも同時に感じた。

「私が誰かに騙されているってこと?」

平河内さんは頷いた。

「西野さんは一度お金を失くしたと思い込んだらしいけど、そんな経験をした人は必要以上に用心深くなって、普通はそのお金を落としたり、どこかに置き忘れたりるすことはまずない。」

用意していたように、流れるように彼女は言葉を続けた。

「落としたり、置き忘れたりしなければ、誰かがお金を盗んだと考えるのが妥当だけど…。」

「盗んだなんて…。」

言葉に出してみるとさすがに抵抗がある。

不本意ながらとは言え、鞄の中のチェックをやった後にこんな風に思うのは勝手かもしれないけど、さすがに同じクラスメイトが盗んだとは考えたくない。

もっとも、平河内さんは転校してきたばかりなので、そういったクラスメイトに対する仲間意識がまだ薄いのかもしれないが…。

そんなわたしの思いなど、彼女は気にする風もなかった。

「でも、バレればクラスから総スカンを食らうようなお金にわざわざ手を出すようなバカな人間はそうそういないし、高校の文化祭のクラスの積み立て金程度の金に手を出すほど貧乏な人がこのクラスにいるとは思えないわ。」

「それは…確かに。」

うちの高校は〝お嬢様・お坊ちゃま高校〟などではないが、特に荒れた学校でもない。

たかだか一万五千円程度を、騒ぎになるのが分かっていて盗む人がいるとは思えない。

「自然に消えるわけもないし、西野さんが落としたわけでもない。だから盗まれたことには違いない、でも、犯人はただ単にお金が欲しかった、ということじゃない……というのがわたしの見立て。」

ふぅと彼女は一息ついた。

反論することも、同意することも出来なかった。

〝犯人〟と言われても、わたしにはどうにもピンとこないのだ。

「そういう話は、わたしだけじゃちょっと…。早川君に相談してみようか?」

彼に相談するとまた何を言い出されるか分かったものではない。自分で言っておきながら実はあまり気が乗らないのだけど、今回の件で一番熱心に動いていただけに話の持って行き先としては彼が最適にも思えた。

だが…

「だめよ。」

平河内さんは断言した。

「今日の一件、仕組んだのはおそらく彼よ。」

「そんな…まさか。」

思いもよらぬ言葉だった。

「今回の一件、そもそもすぐにクラス全員の持ち物検査なんてする必要はなかったと思わない? 西野さんの勘違いで紛失騒ぎがあったのなら、二度目もそうではないか確認してからでも遅くないし、普通ならそうするわ。」

それに…と平河内さんは続ける。

「わざわざ西野さんがお金を失くした事をわざわざ公言する必要もなかったし。」

「で、でも、その検査では、早川君の持ち物からはお金なんて出てこなかったし…。」

「そりゃ自分で調べているんだから、出てくるわけないでしょう。どうとでも隠しようがあるんだから。」

わたしの反論を、彼女はあっさりといなした。

「それにもう一つ、早川君とは直接関係ないけど、気になることがあるわ。」

「気になることって…?」

自分にとって好ましくないことだと承知の上で、わたしは聞いた。

「西野さんが一度お金を失くしたと思い込んだこと、結構クラス間に広まっているわよ。」

「そんな……。」

あの時のことは、秘密…とまでは行かないが、ほとんど人にはしゃべっていない。

思い出しだけで赤面してしまう失敗談を言いふらすほど、わたしは物好きではない。

「もちろん、その話が周囲にまったく漏れないわけじゃないでしょうが…特に面白みのない出来事なのに広まり方がちょっと異常よ。なにしろ転校してきたばかりで、ろくに友人もいないわたしだって知っているぐらいだし。」

「平河内さんも…知ってたの?」

「ええ、結構前からね。」

わたしの失敗談がクラス中で周知の事実になっていることはショックだった。

平河内さんはわたしに言い聞かすように持論を語った。

「…つまりね。わたしには今日の一件は、偶然とかではなく、〝誰かの意図〟…まあ〝悪意〟と言い換えてもいいけど、そんなものが働いているように思えるの。」

「もしそれが本当だとしても、早川君がお金を取っただなんて…。」

待ってましたとばかりに、平河内さんはニヤリと笑った。

「〝そこまでする金額じゃない〟…彼はさっきそう言ったわ。」

「え?」

「先生に報告しなくてもいいのか?…と私が聞いた時、彼は当たり前のようにそう答えたわよね?」

「え、ええ。それが何か…?」

彼女の言わんとしていることがいまひとつ分からない。

「クラスのみんなが、何でしぶしぶながら鞄の中のチェックを了承したと思う?」

「そ、それは…早川君に言われたから。」

「そうじゃないわ。」

首を横に振る平河内さん。

「1万五千円ではなく、8万円という大金がなくなったと思ったからよ。そりゃそうよね。内情知らない人間に〝文化祭の積立金がなくなった〟なんて言ったら、普通は、最終的な集金額8万円がなくなったと思うでしょうよ。」

「そりゃそうだろうけど…。」

1万五千円も十分大金だが、高校生が工面できない金額ではない。わたしだって何とかできそうな金額だ。

だが8万円の工面するとなるとバイトなどが限られた高校生では相当な時間と労力を要するだろう。

言われてみれば、みんなが(しぶしぶながら)協力してくれたことは、なるほど、と理解できる。

「さて、ここで質問。ではその大金8万円は、なくなっても先生方に報告するほどの金額じゃないかしら?」

「あ…!」

さすがに理解し、思わず声を上げるわたしを、平河内さんはさも楽しそうに眺めた。

「〝そこまでする金額じゃない〟……つまり、早川君は積み立て金の金額が8万円ではなく1万五千円だと知っているのよ。」

そこまで教えられれば、鈍いわたしにだって分かる。

積見立て金が現在1万五千円だってことは誰にも教えていない。その金額がわかるのは、わたしと、平河内さんと、今手元にその金を持っている人だけなのだ。

「早川君…なんだ。」

「物的証拠はまだ何一つないけどね。」

しばしの間、わたしも平河内さんも黙ってしまった。

わたしは彼女から告げられたこと、教えられたことを一つ一つ頭の中で反芻していた。

「…もし、本当に早川君が私を罠にはめようとしているとして……どうしてそんなことをするの?」

「…身に覚えはないの?」

わたしは自身の記憶をさかのぼった。

だが、早川君とはそれほど親しくしていたというわけでもない。特に恨まれるよう出来事も覚えがなかった。

「ちょっと思い当たらない…。」

「こればっかりは私にも分からないわ。当人に聞いてみることが一番なんだけど…。」

腕組みをして、彼女はうーん、と唸った。

「まあ、クラス委員の早川君に比べて、なんだかんだで西野さんの方がクラスのみんなから信頼されているようだから、それが理由かもね…。」

よく人から頼まれごとはされていたが、〝信頼されている〟などという自覚はこれまでまったくなかった。

むしろ、頼まれたら断れない性格を〝駄目だなぁ〟とばかり思っていたのだけど…。

「もしかして、わたし、早川君から嫉妬されているってこと?」

「…案外、物事をズバッと言うのね。」

わたしの言葉に、平河内さんは一瞬あっけに取られた後、おかしそう笑った。

(笑わせるつもりで言ったわけじゃないんだけど…。)

茶化された感じで多少ムッする。

さすがにすぐに気づき、平河内さんは慌てて謝った。

「ごめんね。西野さんにしてみれば笑ってなんかいられないよね。」

「べつにいいけど…。」

本気で怒ったわけじゃない。でも確かに彼女の言ったとおり、事件の発端が〝嫉妬〟なら笑い事ではないのだ。

「でも、私を困らせるだけのために、みんなのお金を盗むなんて…。」

「盗むつもりはない…と思うわ。」

これまでと違って、平河内さんの言葉の歯切れは悪かった。

「あんまり憶測でものを言うのは好きじゃないんだけど、もし早川君の目的が私の読みどおりだったら…お金は西野さんのもとに返ってくる…と思う。」

「お金、返ってくるんだ…。」

「ええ、本当の窃盗事件に発展したら大事になるし、その分、西野さん自身の責任はそれほど追及できなくなるでしょうからね。」

「お金が返ってくるんだったら、わたしはそれだけで…。」

その言葉だけでわたしは安堵できた。

それなら待っているだけで一件落着だし、わざわざ犯人探しなどやらなくて済む。

だが、〝お金が返ってくる〟と言った当の平河内さんの表情は決して明るくはなかった。

「でも西野さん、お金が返って来たとしても、あなたは大きな代償を払うことになるわよ。」

「え…?」

彼女はわたしの顔を正面から見据えた。

「分からない?」

「……。」

平河内さんは予言するようにわたしに言った。

「クラスのみんなからの信用よ。」

彼女は立ち上がり、こちらを振り返る。

「…ねえ、西野さん。この一件、わたしに任せてもらえないかしら?」

「任せるって…平河内さん元々関係ないのになんで…。」

「細かいことは気にしない。面倒事が私の商売…てね。全部が全部あなたの望みどおり…というわけには行かないけど、まあ、悪いようにはしないから。」

彼女がわたしのことを思ってそう言ってくれているのは、何となくだが分かった。

だが、なぜ彼女がそうまでしてわたしのために動いてくれるのかは分からなかった。



その夜、平河内柚理は〝生徒会長室〟に忍び込んでいた。

クラス委員長で、さらには生徒会長でもある早川が普段、学校でここを個室のように使っている場所だった。

普通の学校なら、〝生徒会室〟などはあるが、〝生徒会長室〟などはない。

どうやら早川の両親は絵に描いたような学校の権力者で、それを笠に着た早川が空き部屋に机等を持ち込んで強引に認めさせた部屋らしい。

(やれやれ…憎まれる〝下地〟はあったのね。)

それらのことを西野から聞いた平河内は、彼女が早川から悪意を持たれる要素が十分であることを理解した。

人間というのは、自分より格下だと思っている者に、たとえある一面でも凌駕されているのを認めたない、認めたくない。

両親は学園の権力者、自身はクラス委員で、生徒会長。そんな彼がクラス内だけだとしても、自分より人望がある西野由梨絵に対してどう思っているか想像するに難くない。

それを〝つまらない下卑た感情〟と切り捨てるのは簡単だが、どんな下種な人間でも、どんな人格者でもそういった感情は大なり小なり持っている。人の行動を推し測る時には重要な要素にはちがいなかった。

「ここが、生徒会室…いや、生徒会長室…か。」

平河内は部屋に入り、一人つぶやいた。

ここに彼女が来た理由はもちろん、西野のために早川を調べるためだった。

本来なら、平河内が西野のために動く必要も、義理もない。現在でも、彼女自身そこまで深く関わるつもりは毛頭ない。

だが、話を聞いてしまった以上、興味を持ってしまった以上、彼女はそれほど大ごとにならない程度で動いてやろうと思っていた。

そして、手短なところで彼女の行動が、早川が学校内でよくいる場所……すなわち生徒会長室の調査だった。

生徒会長室と銘打たれたその部屋には鍵がかかっていたが、さすがに特別なものではなくほかの特別教室と同一のもので、西野に頼んで事前に手に入れていた鍵であっさり入ることができた。

部屋はもともと教育指導室か資料室か何かだったんだろう。外からの光で鉄製の無骨な本棚が右手にあり、長机といすが数個おいてあったのは分かった。

下校時間からそれなりに時が経っているので、早川がここに戻ってくることはまずない。柚理は電気をつけた。

机の上には食べかけのスナック菓子、週刊雑誌、そして携帯ゲーム、MP3プレイヤーなどが机の上に乱雑に放置されており、本棚にはなにも入れられていない。とても何か仕事をやっていたというような部屋にはみえない。

(やれやれ…予想はしていたものの…。)

必要もないのにわざわざ〝生徒会長室〟なんて部屋を作っていることを知ったときから、この部屋が溜まり場になっていることは分かりきっていた

あきれながらも、平河内は自分が行うべきことを思い出した。ここにきたのは、べつに早川の品位を調べることではない。西野から盗んだであろう文化祭のお金だ。

「さてと…。」

早川が持っている…と確信に近い思いを抱いている彼女だったが、さすがにこの部屋においてあるとは限らない。

(ここになければ…しかたがないけど早川君の出方を見るしかないか…。)

なかば期待をせずに調べていた彼女だったが、幸か不幸か、予想に反して本棚の引き出し2つほど引き開けた時に、男性には似つかわしくないそれらしい黄色い巾着袋に遭遇した。

その巾着袋は西野が説明したとおりのもで、袋の中の金額もほぼ一致しており、紛れもまく、彼女がなくした(と思い込んでいる)文化祭のお金でだった。

「無用心にもほどがあるわね。」

いともあっさり見つけてしまった平河内は、さすがにあきれた。

(これでお金持ち出したのが、早川だと確定していたわけだけど…。)

もう一度手に持っている巾着袋を見た。

(このお金、すぐに西野さんに届けてもいい。でも…。)

見つけたはいいが、彼女としても扱いはすぐに決めることはできなかった。

このまま西野に届ければ、彼女は安心するだろう。

でも、結局〝2回もお金をなくした無駄に騒ぎ立てた〟…とクラスの中で彼女の信用の失墜してしまうだろう。

それこそが早川の狙いだと踏んでいる平河内にとっては、意地悪いようだが、素直にお金を西野に返すことなどできなかった。

(やっぱり、このお金が早川によって一時持ち去られていたことを、公衆の面前で証明するしかないか。)

西野の相談に乗ってやった時から…、この早川の私室ともいえる生徒会長室に足を踏み入れた時から…、この結論しかないことを平河内はうすうす感じていた。

そして彼女は、自身に〝それ〟ができるという自信もあった。

「ククッ…。」

早川と自身の〝対決〟を思い浮かべ、彼女は不謹慎ながらもどうにも高揚感を抑えられなかった。

(獲物狩るハンターはこんな気分なのかしら?)

そんなことを考えながら、彼女は早川を追い詰めるため、巾着袋にあること行い、その袋をもと置かれていた引き出しに戻した。



わたしがあの巾着袋を見つけたのは、鞄のチェックをしてから3日後のことだった。

「あ!…。」

移動教室から帰ってきた時、それは机の中にごく当たり前のように置かれていた。

お金は戻ってくる…そう平河内さんから聞かされていたものの、やはり実際戻ってきているのを見て驚きは隠せなかった。

わたしの声は決して大きくはなかったが、周囲の幾人かわたしのほうを向いた。

「どうしたんだい? 西野さん。」

声に振り返った者を代表するように、早川君がわたしに声をかけた。

「いえ、あの…なんでもないです。」

「いきなり変な声を上げて、何でもなくはないでだろう。」

いかにも優しげな表情を見せながらも、彼は詰問の手を緩めない。

「困っていることがあったら、何でも言ってくれていいんだよ。ボクは委員長なんだし。」

「………。」

(どうしよう…?)

平河内さんから彼が〝犯人〟だと教えられて以降、なるべく距離は置いてはいる。

平河内さんの言っていることが正しければ、目の前の彼こそがわたしを貶めるためにこのお金を持ち去った張本人なのだ。

とはいうものの、やはりこれといった明らかな証拠がない以上、わたしとしても過度な警戒もできない。

平河内さんの話を聞いた時は、確かに彼が犯人に違いないと思った。だが、あれから3日経ち、一方で早川君がそんなことをしたとは考えたくはないという思いもわたしの中で強くなっていた。

その迷いを知ってか知らずか、早川君は引き下がろうとはしなかった。

 「もしかして、ボクが信用できない?」

 「いえ、そんなことは……。」

 「じゃあ、何があったか話してくれないか?」

 言葉に詰まるわたし。

屋上の時と同じように、助け舟が入った。

「西野さん。例のお金、見つかったんじゃないの?」

遅れて移動教室から戻ってきた平河内さんだった。

「でも…。」

「大丈夫。見せてクラス委員長を安心させてあげたら?」

「う、うん。」

彼女が何を考えているのか分からなかったが、わたしはは言われたとおり巾着袋を早川に見せた。

「これは…?」

「この中に文化祭のお金が入っているんです。先ほどわたしの机の中に…。」

「へえ、みつかったのかぁ~。」

巾着袋とわたしを交互に見て、早川は大げさに言った。

「やっぱり、失くしたなんて君の勘違いだったんだよ。」

「そんな…そんなはずない!」

「でも実際、君の机の中から出てきたわけだしね。」

早川の言っていることはもっともなことなのかもしれない。だが、彼がわたしの主張をまったく取り合おうとしないことがどうにも悔しかった。

「まあ、お金も見つかって、これで一安心なんだけどさ…。」

早川君は人差し指を額に付けて苦い表情を作った。

「西野さん、今回に騒ぎを起こしたのは2回目だよね。申し訳ないけど、君にもうお金の管理は任せられないよ。ね」

「そんな…。一回目は確かにわたしの勘違いだったけど……今回はちゃんと気をつけていたんです。」

その言葉に、早川君は薄笑いを浮かべながらも困ったようなそぶりを見せた。

「そんなことを言っても、失くしたって騒ぎたてたのは事実でしょ。」

「騒ぎたてたって…2回目のあれは||。」

〝あなたが勝手にやったこと〟と言いかけたところで、わたしは平河内さんにポンと肩を叩かれた。

「平河内さん…。」

彼女は何も言わずうなずく。

それを見て、由梨絵はそれが〝後は自分に任せるように〟という合図だと察した。

入れ替わるように、彼女は口を開いた。

「横から申し訳ないけど、早川君。1回目はともかく2回目の文化祭のお金の紛失騒ぎは西野さんの勘違いなんかじゃないわ。」

「何を言ってるんだい?」

早川君は平河内さんを小ばかにしたように見た。

「一度なくなったお金が再び見つかった…。これが勘違いじゃなくて何だというんだい?」

「誰か盗んだのよ。一時的に。」

事も無げにそっけなく彼女は返した。

だが、もちろんそんな言葉に彼は納得するはずもなかった。

「一時的に? 一時的に盗んで、持ち主に返すのかい?そんな話あるわけないじゃないか。」

「まあ、普通考えたらそうよね。でも今回はそうなのよ。」

「バカな! じゃあお金を盗んだという誰かさんは、一体何のためにそんなことをしたというんだい?」

 語勢を強める早川君。だが、平河内さんは軽く受け流した。

「目的は、西野さんの信用の失墜。もしかしたら文化祭のお金の管理を、彼女から取り上げるってのもあるのかもしれないわね。」

あきれたように早川君は言った。

「そんなことをして、誰が得するというんだ?」

「得する人間は、ちゃんといるわ。」

平河内さんはニヤリと笑った。

子供のような無邪気さと残酷さ…わたしはその笑みにそのようなものを感じ、思わずゾッとしてしまう。

「あなたよ、早川君。」

ハッキリとした口調で、彼女は早川君やわたしにだけでなく、クラスの全員にも伝わるように告げた。

「バカなことを! 平河内君、言っていいことと悪いことがあるぞ。」

一瞬の間を置いて、早川君ははき捨てるように答えた。

「バカなことなんかじゃない。わたしも、そして西野さんもそう思っているわよ。」

(ええっ!?)

 ここに来ていきなり名前を出され驚き、戸惑ったが、反論などもできるわけもなく、わたしはただ黙って状況を見守るしなかった。

 「そこまでいうからには…。」

 わたしと平河内さんを睨みながらも、早川君は荒げた口調を静めた。

 「人を犯人扱いするからには、もちろん証拠はあるんだろうね?」

 「ええ。あるわ。」

 口調がいつもの平静のものに戻った分、早川君の言葉に威圧感があった。

だが、平河内さんはそれに一歩も臆する様子はなく、むしろ楽しんでいる風にすら見えた。

「これ…」

 彼女は問題の黄色い巾着袋を、彼の目の前に突きつけた。

 「この巾着袋、持ち物チェックをやった時に西野さんが説明したとおりの星柄だし、ほぼ間違いなくお金を入れていた袋なんだけど、1つ〝ない〟ものがあるのよ。」

 「〝ない〟もの?」

 「ここよ。」

 平河内さんは袋の口の部分の紐を、早川君とわたしに見せた。

 「あ…〝わーにゃん〟の人形が……。」

 思わず声を出してしまったわたし。

紐は千切れたようになっており、その先に結び付けてあったはずの人形も、もちろんなくなっていた。

 「3日前、みんなの鞄の中をチェックした時に西野さんが目印として言っていたけど、ここには猫か犬だか分からない最近は流行のキャラクター人形が付けられていたのよね?」

わたしは黙って頷いた。

「その人形おそらく誰かが盗んだときに千切れちゃったと思うんだけど……早川君、これ今どこにあると思う?」

「……さあね。」

 早川君の言葉からは先ほどまであった〝凄み〟がまったく消え去っており、それどころか彼自身それだけ言うのが精一杯といった感じだった。

「私は盗んだ人の鞄か何かの中に、まぎれ込んでいると思うんだけどね~。」

「……。」

冗談めいた軽口で話す平河内さんと対照的に、早川君は黙りきり、顔色も心なしか青ざめていた。

彼の様子を見て、平河内さんは仕切りなおすように口調を冗談めいたものからもとの真剣なものへと戻した。

「早川君。あなたの鞄、ちょっと確かめさせてもらうわよ。」

「………。」

早川君は〝やめろ〟とも〝いい〟とも言わなかった。

平河内さんも彼の返答など待たなかった。

彼女は、わたしとクラス全員に分かるように、早川の鞄の中のもの一つ一つさらけ出していく。

教科書、ノート、筆記用具、雑誌、

…そして、〝わーにゃん〟の人形を彼の鞄から取り出した。



 その日の放課後、わたしたち二人は再び屋上にいた。

 「本当に早川君がお金持って行ったなんてね…。」

 「…だから初めっから言っていたでしょ。」

 今でも信じられない思いのわたしに対し、平河内さんは自慢するわけでもなく言い放った。

 この屋上に行こう言い出したのは彼女だった。

生徒会長室で例の巾着袋を見つけたこと、そしてそれを放置したことなど、そこですべてわたしに報告してくれた。

 わざわざそんな報告はいらないと伝えたのだが、彼女にしてみると

 「調査の依頼主に対しての義務だから。」

 とのことらしい。

 平河内さんに悪いので一応聞くだけは聞いたが、わたしとしてははお金さえ戻ってくれば、そこらへんは実はどうでもよかった。

 「それにしても、〝わーにゃん〟の人形が早川君の鞄の中にあるってよく分かったね。」

 「分かるわけないでしょう、あんなこと。」

 「え、だって…。」

 自信満々に自慢話でもされるものとばかり思っていたが、彼女の答えは意外なものだった。

 「あれはね、生徒会室に忍び込んだ時にあの人形を拝借して、入れたのよ、わたしが。」

 「え、入れたって…?」

 「西野さんが早川君ともめている間にね。彼の鞄の中にちょろっと…ね。」

あっけにとられるわたしに、平河内さんはいかにも意地が悪そうに見えて、それでいて何ともいえない魅力的な笑みを見せた。


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