第一章/2
第一章/2
そんな形でスタートを切った中学三年生活は一カ月を過ぎ、ゴールデンウィークも明けて、現在は五月中旬。
学級委員になったことで集会の際の整列や点呼、ホームルームの進行、その他プリントの運搬などの雑用を任されるようになり、面倒といえば面倒だが、学校生活そのものは二年の頃とくらべておおむね変化はなかった。
もちろん中学三年生であるからには高校受験が控えているわけで、真面目な生徒はすでにそういう空気をまといはじめているものの、大方の生徒はまだ遊びたい盛りというやつである。
俺がどちらに属するかといえば、いうまでもなく後者で、小次郎とともに何をするでもなく遊ぶことを中心として過ごしていた。
そんな五月の十七日。木曜日だった。
その日も特に変哲のない一日を送って、放課後は小次郎とどこか遊びにでも行こうかと考えていたのだが、弥子のある提案で変更を余儀なくされた。
「カズくん、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな」
帰りのショートホームルームが終わり、鞄を肩にかけて、小次郎の方へとむかおうとしたところだった。
「ん? どうかしたのか」
足を止め、弥子の方へ向き直る。
弥子はなにかの表のようなものが書かれたプリントを手にしていた。
「あのね、姫宮さんって知ってる? 姫宮未恋さん。うちのクラスの女の子なんだけど」
ひめみや、みれん。聞き覚えのない名前だった。
M中学の生徒は近い地域のふたつの小学校の生徒の合流なので、二年間を過ごした現在ではだいたいの生徒の名前くらいは知っている。しかし、裏を返せば全員を知っているというわけではない。それでもクラスメイトの名前くらいは覚えたつもりだったのだが……。
そのことを正直にいうと、
「まあしかたないよ。これ、見て」
手にしたプリントをこちらの方へと差し出した。
受け取って見てみると、なるほど、それはクラス名簿のコピーのようだ。三年三組の生徒の名前が出席番号順に並んでいる。
「えっとね……この子」
名簿の真ん中あたりを指さす。
そこには姫宮未恋という名前がたしかに書いてある。
「武山先生から聞いたんだけど、この子ね、昨年度の三学期あたりから教室に来てないみたいなの。三年生にあがってからも、一度も来てないみたい」
そういえば新学期早々、ひとりぶん席が空いていたことを思い出した。
あのときはタイミング悪く風邪でもひいたのだろうというくらいにしか思っていなかったのだが、いわれてみればそこが空席なのはいつものことだった。自分の席から離れていることもあってあまり気に留めていなかったのだが。
「いわゆるヒキコモリってやつか? ずっと家にとじこもってるみたいな」
「ううん、カズくんが思ってるのとはちょっと違うかなあ。来てないっていうのは『教室に』であって『学校に』ではないから」
訂正を受け、俺はしばし考える。
「えーっと、つまり……学校には来ているけど、教室には来ないで、べつのとこにいる、ってことか」
「そうなの。カズくんさ、保健室登校って知ってる? 何かしらの理由があって学校へ来たくないんだけど、でもそこを我慢してなんとか学校へは来たものの、やっぱり教室へ顔を出すのはつらい……そういう子がとりあえず保健室に顔を出して、学校にちょっとずつ慣れていこうよ、みたいな」
モンタージュ画像の自動生成機みたいに表情をころころ変えながら、弥子はそう説明した。
「いじめを受けてた子とか、人と接するのが苦手な子に多いみたい」
「うーん」
俺は腕を組み、首を傾げながら黙考したあと、
「要するに、甘えてるやつってことだろ」
思ったことをそのままいってみた。
「俺だってべつに好きこのんで学校に来ているわけじゃないさ。まあ友だちなんかと会うのは楽しいけど、学校に行きたくねーなぁ面倒くせーなぁと思うときは普通にある。問題はそこで本当に怠けて楽なほうに逃げちまうか、仕方ないと割り切って義務をまっとうするかだ。俺だって、許されるなら数学の授業のときは保健室で休んでいたいよ」
「もー、カズくん冷たいよー」
ぶすっと頬をふくらまして、弥子はじと目をこちらへ向けた。
「カズくんは鈍感でぶっきらぼうだから、繊細な子の気持ちがわからないんだよー。きっと、複雑な思いとか、悩みを抱えているんだよ。わかる? 繊細さ、だよ。せ・ん・さ・い・さ」
今度は指をピンと立てて、最後の五文字に合わせて、はたきで棚のほこりを落とすみたいに指を振りながら、こちらの顔を覗きこんできた。
気押されながらも俺は反論を試みる。
「なんだよ、まるで弥子には繊細なやつの気持ちがわかるみたいな言い草だな」
「そりゃあ、多感なお年頃だもの。とても繊細に……は! カズくん、思いついたよ!」
「……思いついてしまったか」
たいてい弥子が「思いついた!」と宣言した場合、例の寒い親父ギャグが飛んでくるのが通例なのだが念のため、ちゃんときいてみることにする。
「……いってみろ」
「繊細な、心のキャッチは任せんさい!」
なぜか、宙に舞う花びらを抱きとめようとする乙女みたいに両手を広げる身振りつきだった。
「…………」
室内なのに寒風が吹いた。花びらも散っていったことだろう。
「お前ふざけてんだろ! 繊細と任せんさいのダジャレなだけじゃなく、さり気なく五七五調なのが余計に腹立つ! 俺はもう帰るぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよー! 思いついちゃったんだもんー! 言いたくなっちゃったのー!」
教室を出ようとする俺の腕にしがみついて、必死に抗議する弥子だった。
俺はしぶしぶ立ち止まり、
「それで、俺に頼みってのはなんなんだ?」
姫宮未恋という女子生徒がクラスメイトにいて、その子が長いこと教室へ顔を出していないということはわかった。して、そのことが弥子の頼みにどう関係するのだろうか。
「うんとね、あたしたち中学三年生でしょ? 今年が中学生活最後の一年になるわけじゃない? だから、みんなで一緒に最後の中学生活を過ごしていきたいって思うの。
ちょっとおせっかいかもしれないけど、せっかく学級委員になったんだし、クラスをよくしたいっていうか、なんていうか……」
弥子にしては珍しい、少し弱気な顔をしていた。弥子としても、じぶんの良かれと思ってやっていることが出過ぎた行動になっていないかどうか、探りさぐりでの提案なのだろう。
「なるほど。それで俺たち学級委員コンビでその姫宮さんとやらが教室へ来られるように説得しようってわけか」
俺個人の考えとしては、他人の事情にあまり口を出すものでもないし、厄介事に首をつっこむようで気乗りはしないのだが、俺が反対したところで弥子はひとりでいくだろう。
幼馴染として、クラスを良くしようと奮起している弥子の頼みを面倒だからという理由で断るのも気が引ける。
「わかった。それじゃ、とりあえずその姫宮さんに会って、話を聞いてみよう。強引に教室へ引っ張ってきても何の解決にもならない。どうして教室へ来たがらないのか事情を聞いて、それが俺たちにも解決可能かどうか、口を出していい事情なのかどうかを見極めよう」
相手がどんな理由で教室へ来るのを拒んでいるのかは重要だ。
解決する糸口になるという意味でもそうだが、俺だって世話焼き者なわけではない。深刻な理由があって教室へ来ないならともかく、ただ億劫だから、みたいなしょうもない理由なら願い下げだ。
「うん! 了解です! さっすがカズくん。頼りになるなぁ。頼もしいし、信頼できる!」
わざとらしく褒め言葉を並べて(しかもどれも意味が同じだ)弥子は教室を出た。俺もあとをついていく。
すると、弥子は保健室とはまったく逆の方向へと廊下を進みはじめた。
「あれ、保健室にいくんじゃないのか?」
ほえ? っと虚をつかれたような顔をしたあと、
「あ。ごめん、説明不足だったね」
弥子は立ち止まる。
「姫宮未恋さんは、旧校舎の第一音楽室に保健室登校しているの」
「は?」
音楽室なのか保健室なのか、昇っていると思ったらいつの間にか下りになっている階段のだまし絵くらいややこしい言い回しだ。まあ、いいたいことはわかるが。
「つまり、第一音楽室にひきこもってるってことか」
「うん、そういうこと!」