第九章/3
第九章/3
火災の翌日だったが学校へは登校するようにという連絡網が入っていた。授業は行わず、ホームルームで今後についての連絡や注意喚起などを行い、午前中で終了する予定なのだそうだ。
俺はいつもより早めの時間に起きて学校へとむかっていた。早めといってもふだんの起床が遅いので、ちらほらと登校中の生徒を見かけるくらいの時間だが。
外は曇り空で、出がけに見た天気予報によると雨は降らないものの、一日どんよりした天気になるだろうとのことだった。
心なしか、じめっとした空気を感じながら、俺はすこし早足で通学路を進んでいく。
いくつか、気になることがあった。
ひとつは、旧校舎の火事によって姫宮さんのいつも通っていた第一音楽室も焼けてしまったわけだが、彼女は今日も学校へくるのだろうか、ということ。
さらにその場合、どこへ行くのだろうか、ということ。
他にも気になることはあったのだが、まずはそれを確かめたくて、いつもより早く学校へ行くことにしたのだ。
学校へ到着する。
校門を過ぎ、遠目に旧校舎を見ると、建物の半分くらいが真っ黒く焼けてしまっていて、昨日の火事が現実だったのだということを思い知らされる。
校舎内に入って真っ先にむかったのは保健室だった。
姫宮さんにとって、いままでずっと顔を出していなかった教室にいきなり来るというのは難しいことだろう。ならば、そもそも姫宮さんは一種の保健室登校という名目で第一音楽室へ行っていたわけだから、学校へ来るとすれば、むかうのは保健室ではないだろうかと考えたのだ。
その予想は当を得ていたようで、保健室のドアを開けると中には姫宮さんがいた。
昨日のようにベッドで横になるのではなく、保健室に入ってすぐのところにある長椅子に腰をおろしていた。
保健の先生は席を外しているのか、姫宮さんひとり。
彼女はずっと下を向いたままで、俺が来たことには気づいていない――というより誰が来たかということそのものに興味がなさそうだった。
「よ。おはよう」
声をかける。場所が場所なのでヘッドホンはつけていない(横に置いた鞄の中にしまってあるのだろう)から、ちゃんときこえているはずだ。
俺の呼び掛けにワンテンポ遅れて、姫宮さんは顔をあげた。
「あ……」
ぼうっとした表情のまま、力なく、
「おはよう、ございます」
丁寧に頭をさげる。
だが、すぐに下を向いて心をとざしたように黙りこくってしまう。
俺は姫宮さんの方まで歩いていって、
「今日、来たんだな、学校。その……昨日はあんなことあったし、もしかしたら学校そのものに来なくなっちゃうんじゃないか……なんて心配してたんだ」
と、ふたたび話しかける。
姫宮さんは消え入りそうなくらいに弱々しい声で、
「確認しておこうと思って」
「確認?」
オウム返しに尋ね返すと、姫宮さんは一瞬顔をあげて俺の方をみて、またすぐに目を伏せる。
「……わたしの、天秤を支えていたものがまだ残っているか、どうか……です」
天秤……というのは、以前に姫宮さんが話していた苦しさと楽しさのバランスの話に出した天秤のことだろうか。
それが残っているかどうか――?
意図をくみ取りきれず、しかし、しつこく尋ね続けても姫宮さんの様子を見る限りあまり芳しい結果は得られないだろうと思い、俺は追求するのをやめた。
かわりにべつの質問をする。
「あのさ。今日はどうするんだ? ……もしよければさ、ためしに教室に来てみないか? 今日は午前中にホームルームをちょっとやって終わりみたいだし」
駄目元できいてみるが、姫宮さんは力なく首を左右に振った。
「もう、最後ですから」
小さなつぶやき。耳を澄まさないときこえないぐらいの声量だった。
「おい。最後って……どういう……」
学校へ来るのは最後という意味なのか――。それとも――。
姫宮さんがゆっくりと顔をあげた。
俺のことを見つめるその瞳はびっくりするほど薄弱で、無理矢理にほほ笑んだその顔は泣いているようにしか見えなかった。
そのとき朝のショートホームルーム開始の予鈴が鳴った。
ほぼ同じタイミングで保健の先生が戻ってくる。ドアを開けて俺の姿を見つけるなり、パンパンと両手を叩きながら、
「ほらほら、もう時間よー。遅刻しないように急ぎなさーい」
とはやし立てる。
急かされた俺は最後に慌てて、
「またあとで来るから」
そう言い残して保健室を出た。
姫宮さんの返事はきけなかったけど。




