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第八章/3

第八章/3



 後半の部の一発目は演劇部の発表だった。

 体育館の舞台上には、前半で使われた楽器類が片付けられ、かわりに背景の書き割り、テーブルや椅子などの舞台セットが並んでいる。


 演目はロミオとジュリエット。定番なのだろうが、劇で見るのは初めてだった。


 舞台上ではパーティーに侵入したロミオがジュリエットと出会うシーンが演じられていた。

 ジュリエット役は一年生と思しき生徒が演じていて、これがはじめての人前での発表なのか緊張しているようだった。だが、そのたどたどしさがかえってジュリエットの幼さや純粋無垢さを引き立てているようにも感じられる。


 そしてロミオ役。

 これがなんと弥子だった。


 重要な役を任されていて練習が大変とはきかされていたが、まさか主役(しかも男性役)をやるとは思っていなかったので驚いた。

 しかしこれがどうして、なかなか様になっていて堂々とした立ち居振る舞いも板についている。いつもの能天気な弥子とは別人に見えるくらいだ。


 話は進み、ロミオとジュリエットは恋におち、互いの家同士が対立してしまっているため秘密裏に婚姻するシーンにさしかかる。


 弥子扮するロミオは真剣に愛を語らっているのだが、ふだんの弥子を知っているためどうにも違和感を覚えてしまう。演技自体はとても上手いのだが。

 だがそれはあくまで俺の感想であって、会場のほうは完全に劇に集中、見入っている。


 静かな館内にゆったりと広がり染み渡るような、厳かなBGMが流れる中、ロミオとジュリエットは互いの想いを確認しあう。


 そしてふたりが愛を誓い、口づけをかわそうとして――



 その瞬間だった。



 体育館の外からボウンっという大きな音がきこえた――ような気がした。


 ――え?


 なにかが爆発するような――。


 館内がゆったりとした雰囲気になっていたぶん、余計にその音は目立っていた。

 にわかに他の生徒たちもざわめきたち、中にはきょろきょろと周囲を見回している者もいる。どうかしたのか、そんな声がきこえてくるようだった。


 一瞬そういう演出なのかとも考えたが明らかにシーンとは合っていない音だったし、なにより舞台上の演者たちも、演技を続けるべきか否か、迷っているようだった。


「なんか、いま変な音がしたよな」

 小声で姫宮さんに尋ねると、


「……はい」

 寄る辺なさそうに両手を胸元に持っていく。


「なにかが、爆発するような、音が――」



 そのとき、館内のざわめきを突き破るように非常ベルの音が響き渡った。



 激しく金属を乱打するような、嫌でも焦燥感を扇動する大音響が館内を跋扈する。

 一気に生徒たちのざわめきも二倍、三倍に膨れ上がった。

 それまでは小声で近くのひとに話しかけていたのが、非常ベルの音をきっかけに様相が一変、「なんだなんだ」と喋り出したり、立ち上がる者までいる。


 そして放送が入った。周囲がうるさいしマイク越しなので誰かまではわからないが、この学校の教員の声で、


『旧校舎の第一家庭科室で火災が発生しました。生徒は先生の指示に従って、速やかに校庭へ避難してください。繰り返します。旧校舎の第一家庭科室で――』


 館内はよりいっそう騒然とする。


 先生たちはすでに避難の指示を出しはじめている。

 幸いなことに各クラスごとにまとまって並んでいるので、避難自体はスムーズに進んでいるようだった。


 俺は近くにいた武山先生と顔を合わせた。

「先生……!」


「まずは避難することを優先だ。私はクラスの子たちを先導してくるから、お前たちはここで待っていなさい。そして三組の列が来たら、うしろについて姫宮と一緒にくるんだ」


 険しい顔をした武山先生はそういうと三年三組の列の方へとむかった。


 体育館の出口はすぐ近くにあるから出ようと思えば出られるが、こういった非常事態の場合、勝手な行動はとらない方がいい。他のクラスの生徒たちが順々に出ていっている中に割り込むのも円滑な避難の妨げになってしまう。

 俺は姫宮さんとともに、三組の列が来るのを待つことにした。


「大丈夫か、姫宮さん?」


 姫宮さんの表情はとても青ざめていた。極度の不安に怯えるように、両目をきつくつぶり、身を震わせている。小さく縮こまるように、じぶんの肩を抱いて。


 手にさげていた鞄もその場に落っことしてしまっている。


 ――そうだ。


 いま起きているのは火事なのだ。姫宮さんは以前に、火事で家と両親を失っている。それより詳しい事情までは知らないが、きっとそのことを思い出して恐怖を覚えているのだろう。


「とにかく落ち着いて……っていっても無理かもしれないけど、気をしっかり持って。まずは避難することを考えよう」


 俺は姫宮さんの両肩をつかむように手を置いた。触れた部分を介して、姫宮さんの震えがこちらにも伝わってくる。


 これは訓練じゃない。実際の火災だ。未だに非常ベルがけたたましく鳴り響いていて、生徒たちも騒然としていて、俺だって平静を保てているとは言いがたい。バクバクと心臓が内側から胸を叩いて、冷や汗が背中を湿らせている。姫宮さんが怯えるのもしかたのないことだ。


 間もなくして、武山先生を先頭にして三組の列が来た。


 俺は姫宮さんの鞄を取って肩にかけると、できるだけやさしく彼女の肩を押しながら、三組の列の最後部についていく。


 体育館を出ると、列は一階の渡り廊下から直接、外の校庭へとむかう。もうすでに消防車のものと思しきサイレンの音が響いていた。


 上履きのまま校庭に出て、クラスごとに整列する。俺は姫宮さんと一緒に最後尾に立った。


「うわ……」

 校庭から旧校舎を見るなり、思わず声が漏れた。


 旧校舎一階の一番端。東側の教室――第一家庭科室のあった辺りから巨大な火の手が上がっていた。あまりに激しく燃えているためよくわからないが、壁面は激しく損傷し、当然窓ガラスも割れている。

 囂々と燃える炎が膨らんでは破裂し、黒々とした煙を吐き出して上階を呑みこんでいく。ときおり吹く風を受けてその炎は勢いを増し、縦に縦にと伸びていく。


 校庭内に入っていた数台の消防車が放水を開始した。


 しかしすでに炎の勢いはかなりの強さになっていて、なかなか鎮火の兆しが見えない。鉄筋コンクリート造の新校舎と違って、旧校舎は大部分が木造になっているため火のまわりが早いのかもしれない。


「カズくん!」

 背後から声がかかる。

 弥子がこちらへと駆けてきた。立ち止まると膝に手をついて、息を荒くしている。

 当然ながら演劇のときの衣装を着たまま。発表者として舞台にいた弥子は、演劇部のひとたちと一緒に避難して校庭に出たあと、三組の列にやってきたらしい。


「弥子、大丈夫だったか」


「うん……。とくに問題はなし……。そっちは!」


「俺は大丈夫だ。姫宮さんは――」

 姫宮さんの方をみる。彼女は――


「やめて……。もう、やめて……」


 姫宮さんはその場に膝をついていた。


「お願い……。やめて……。もう、なにも、奪わないで……」


 ぺたんと地面に座りこんで、なにも視界に入れたくないとでもいうように顔を下にむけて、「やめて」と悲痛な声をもらしながら、まるでヘッドホンみたいに両の手で耳をふさぎ、首を激しく振っていた。


「姫宮さん」

 俺も片膝をついて彼女の横に腰をおろす。すこしでも安心させられればと思ってそっと肩に手をおいた。


 だが、姫宮さんが落ち着く様子はなかった。


 ただただ、怯え、震え続けている。


 俺は燃える旧校舎を見た。


 炎は最上階まで達し旧校舎を焼いている。


 姫宮さんのいつも居た、あの第一音楽室もろとも。


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