第五章/2
第五章/2
実際に姫宮さんと顔を合わせたのは、弥子に事情を報告したさらにその翌日、水曜のことだった。火曜は週に一度の科学部の活動があったため、放課後に時間をつくれなかったのだ。
昼休みに会うだとか、部活が終わってから急いで行くということも可能だったが、土曜になかば拒絶されるような別れ方をされてしまったため、しっかりと話がしたかった。片手間に行くのではなく、まとまった時間が欲しかった。
武山先生から預かった鍵を手に、俺は旧校舎の中をすすむ。
そういえば、ここにひとりでくるのは初めてだ。
旧校舎にくること自体、授業の際、他のクラスとの兼ね合いで新校舎の教室が使えないときに臨時に使用するくらいだったし、その場合は弥子なり小次郎なりといったクラスメイトと来ていた。姫宮さんの件に関わるようになってからも、第一音楽室に行くときは弥子と一緒だった。
俺は階段をのぼる。タン、タン……という上履きの音が無人の校舎内に寂しく響き渡る。
静かなため、外にいる生徒の声や、車、風などの環境音が耳に届いてくる。それらが目立つぶん余計に「ここには何もないのだ」という空虚さを実感させられる。
一段、一段と階段を踏みしめながら、毎朝姫宮さんもこんなふうにして第一音楽室にむかっているのか、と考える。
寂しい。
それが率直な感想だった。ややもすれば不安感だとか寂寥感に襲われて、気が滅入ってしまいそうにもなる。
姫宮さんはどんな気持ちで、日々を送っているのだろうか――。
最上階へ来ると、まっすぐに第一音楽室にむかった。
廊下の電灯はついていないので、窓からさす日差しだけが光源だ。いまは、まださほど気にならないが、それでもほんのり薄暗さを感じる。
第一音楽室に到着するとドアを数回ノックした。反応はない。
ドアについた小窓は、すりガラスになっているため中の様子まではわからない。
無人の可能性も考えられるが、おそらく姫宮さんはヘッドホンをかぶっていてノックに気がついていないのだろう。これまでもそうで、毎回鍵を借りてこちらからあけることにしていた。
解錠するとゆっくりドアをあける。
初めて会ったときと同じように、やはり姫宮さんは第一音楽室の中にいた。
古びたグランドピアノの近くの席に座って、華奢な体躯には不釣り合いなオーバーヘッドタイプのヘッドホンをつけて、本を読んでいた。
かれこれ四日ぶりに会うことになるわけだが、あまり久々に感じないのはこの光景が以前となんら変わりないからなのか、それともずっと姫宮さんのことを考えていたからなのか。
俺が来たことに気がついたようで、はっとした顔をすると姫宮さんは本をとじ、ゆっくりヘッドホンを外して首にさげた。
「よう。ひさしぶりだな」
手を軽く上げ、姫宮さんの近くへ行く。
姫宮さんは様子を窺うように俺の顔をちょっとだけみると、すぐに視線をふせてしまう。申しわけなさそうに、
「……もう、来てくれないと、思っていました」
弱々しくいうと、さらに小さな声で、
「嫌われてしまったと、思っていました」
両手を、両膝の間に滑り込ませるようにして、身を縮こまらせる。
「まだ返事してなかっただろ」
俺は彼女のとなりの席に腰をおろした。
「え……?」
姫宮さんは顔をあげる。
「土曜の最後に話したとき『それでも、友だちでいたいと思いますか』ってさ」
「あ……はい」
ばつが悪そうに頷く。
「あのとき答えられなかったのは姫宮さんのことを嫌いになったからじゃない。俺は姫宮さんにたいしてどうしたいのか、どうなってほしいのか、それがわからなくなったんだ」
姫宮さんは不安げに小首をかしげた。
「初めに姫宮さんに会いに来たときは、友だちの弥子が一緒に来てくれっていうから、その付き添いだった。そこに俺個人の主体性はなかったんだ」
わずかに表情がかげって、姫宮さんはふたたび下をむいてしまう。構わず俺は話を続ける。
「もちろん、姫宮さんが教室に来られればいいとは思っていたけど、それはあくまでも第三者的な、それこそテレビのニュースで恵まれない国の子だとか、事故にあった人をみて気の毒だなと思うような、額面だけのものだった」
「……はい」
「だけどさ、土曜日に偶然会ったとき、あのときに、姫宮さんに教室に来てほしいっていったのは俺の本心だった。この音楽室で何度か話をして、ファミレスで話をして思ったんだ。姫宮さんならきっとクラスのみんなとも仲良く、楽しく生活できる、だからその方が姫宮さんのためになるって」
返事はなかった。姫宮さんはただ黙って俺の話をきいている。
「いつの間にか、姫宮さんの事情とか気持ちとかそっちのけでさ。姫宮さんが教室に来てくれれば、それで全てが解決できると勘違いしてたんだ。だから、友だちでいてくれるかってきかれたとき、俺はじぶんの目的がわからなくなったんだ。俺はなにがしたかったのか、姫宮さんになにをしてやりたかったのかが。――ここ数日の間、それを考えてきたんだ」
「……」
「俺は姫宮さんと、友だちになりたい」
そこで俺は身体ごと姫宮さんの方へ向き直る。
「でも、そのまえに謝らなきゃいけないことがある」
姫宮さんは当惑気味に俺のことを見ている。
「姫宮さんの事情を先生からきいたんだ。火災のこと、ご両親のこと。姫宮さんの知らないところで、嗅ぎまわるようなことをして、ごめん」
俺は深々と頭を下げた。
ずいぶんと長い間、姫宮さんからの返事はなかった。火災の件について俺が知っているということをきかされて戸惑っている部分もあるんじゃないだろうか。
嫌われるにしろ許してもらえるにしろ、はやく姫宮さんからの返事がほしくて、その反動で余計に長く感じたのかもしれない。
「頭を、あげてください」
ふっと、視界に影が落ちた。
すこしだけ顔をあげてみると、俺と同じように姫宮さんは身体ごとこちらを向いていた。俺の目をみると、
「これからも、ここにきてください」
そういった彼女の表情はとてもやわらかで、胃のあたりに漂うもやっとした嫌な感覚だとか、肩の荷がすっと落ちていくような気がした。
姫宮さんは伏し目がちに、
「ただ、この部屋から出るのはすこし待ってほしいです。まだ、きもちの整理がつかなくて。でも……またここに、会いにきてほしいです」
俺は首肯する。
「いいんだ。もう無理に事情をききだすつもりも、教室に連れだすつもりもない。姫宮さんを励ますだとか、そんな偽善めいた理由じゃなく、俺は俺個人の希望として、姫宮さんと友だちになりたいと思ってる」
「はい」
「だから、事情を話したくなったら話せばいいし、助けてほしくなったら助けを求めてくれ」
「……はい。ありがとう、ございます」
そのあと、俺たちは他愛もない話をして放課後をすごした。
借りた本の話だったり、勉強の話だったり、休み時間に教室でクラスメイトとするような、ありふれたものを。




