5.踊ろう
遠目からでも見間違いはしない。あれはギャミ。さらに成長している。
「あのバカ野郎が」
あいつの、ほぼ全裸の格好は絶対にまずい。すっかり破れてしまったTシャツが、ボロ布状態になって彼女の身に張り付いている。
また胸がでかくなっていていい感じに……だめだ、今、もろに見えているふくよかな二つの山を凝視している場合じゃない。彼女が得体のしれない凶暴女でも、仮の保護者としては、あの姿はがまんできないレベル。見てしまった以上、放置できない。
俺は警察へ行くのを後にし、くたびれた身体を無理やり動かしてギャミの元へ走った。
屋上から道路を見おろしていたギャミは、走って帰ってくる俺に気が付き、長い両手を振り回して飛び跳ねている。
こらっ、こっちを見て手を振るな。恥ずかしいだろう。俺が仲間だと誤解させるような動きをするな。でも、もはや、どう見ても、仲間にしか見えないかもしれないけど。
急ぎ、アパートの屋上へ駆け上がる。天井が低く感じ、何度も頭を打ちそうになる。エレベーターはないので、弱った身体でも階段を上るしかない。
屋上への出入り扉は大きな穴が開いており、歯型がついていた。
肩で息をしつつ、襲われないよう身構えながらギャミに近づく。今度は簡単に好きにはさせない。
「そんなところで何をしているんだよ。恥ずかしいからやめろ」
「ピ、ピ、ピピピイ」
(どこへ行っちゃったかと思った。心配したんだよ)
「なっ……」
ギャミが笑顔を見せてくれた時、日本語でそう言われた気になってしまった。
「ピッピピ」
(一緒にここで踊ろうよ)
彼女が長い両手を広げる。
「へ?」
気のせいじゃない。俺はギャミの言葉を理解している!
それに、俺も身長が彼女と変わらず……三メートルぐらいの巨人に。ああ、完全に見た目は同族。
「ピ、ピピヨ。ピイピイピヨヨヨ?」
(さあ、踊るの。協力してくれるんだよね?)
「踊って、協力?」
ギャミは、腰を振ったおかしな踊りを始めた。
両手をめちゃくちゃに振り回しながら、腰をくねらせ、その場でくるくる回ったら、空に向かって両手を突き出し、眼球も上に向けて「ピイ」と鳴く。同じパターンが繰り返される。
それがあまりにもこっけいで、俺は、恐怖も、怒りも、疲れすら忘れて、噴き出していた。
「そんなみっともない踊り、できるかよ。しかもその格好だし。頼むから胸を隠してくれ。俺の部屋へ戻ろう」
「ピピ……(ギャミ言葉、以下略)」
(どうして隠さなきゃいけないの?)
こいつ、ピイピイ語で返してきても、俺の言葉を理解しているじゃないか。
「(あなたがあたしを選んだのだから踊ってね)」
真黒のうるんだ瞳が、強く訴える。
俺は空気を大きく飲み込んだ。
ちくしょう! なんでそんなに愛らしい顔で俺を見つめるんだ。鱗付きの頬をした、モヒカン手長巨人変態凶暴女のくせに。
「俺は、たまたまおまえを助けただけで、おまえを選んだってこととは違うんだよ。とにかく胸を隠せ」
「(あたしの相手はあなたに決まったの。踊って増やすんだよ。あたしはね、世界を変えるために来たんだから)」
俺の話を全然聞いてない。
「何を意味不明なことを言っているんだ。とにかく恥ずかしいんだよ、おまえのその格好。俺も恥ずかしいけど」
人のことは言えない。それでも、恥じらいを知らない女には、いかに俺たちが変なのかを辛抱強く諭すしかない。
「(それとも、もう一回……する?)」
「よしてくれ……」
つい、弱い声になり、説得するどころか、赤面して下を向いてしまった。
そのとたん――
彼女の長い手が伸び、俺は抱きつかれていた。
「(もうどこにも行かないでね。お願い、一緒に踊って)」
「グエッ、ギャミ……苦しいって。手を……弱めろ」
「(踊るって言ってよ)」
お願い、お願い、とギャミにギュウギュウ抱きしめられ、俺の戦闘気力はどんどん弱められていく。
なんで俺が踊らなければならないんだ。
もうだめだ、死ぬっ! 空気っ!
酸素を……くれ。
「ギャ……ミ……やめ……」
キツイ抱擁が突然解かれた。
ふう。
やっと空気が吸える。
「(ね?)」
手を弛めたそこで、ニコッ、と笑うか。くそっ、やっぱりギャミは小悪魔。かわいすぎるかも。変なやつだと思っていたのに、成長したら、頬の鱗すらチャームポイントに見えてきた。
「(ねえ、踊ろうよぅ)」
「……わかった。踊ればいいんだろう。だけど、俺を襲うなよ」
彼女は、またにっこりと笑う。
負けた。俺は完全に。
ようし、ギャミがそこまで望むのなら、踊ってやろうじゃないか。どうせ、俺もすでに「変な人」だ。人が俺を見て逃げ出すほどに人間離れしてしまっていることは自覚済み。
開き直った俺は、ボロになったTシャツの一部でギャミの胸を隠してやり、並んで立つと、ギャミのまねをして腰をくねらせた。
踊っているうちに、心の抵抗はなくなり、疲れていたはずなのに、全身にエネルギーが満ち溢れて来た。
なんだ、これ。どんどん元気が出てくる。しかも楽しい。ちょっと恥ずかしいけど、悪くないなあ、こういうのって。襲われた時は、人生終わったと思ったけど、まだ終わっていない。
こうして何も考えず、「変な女」とバカをやっているのも結構楽しい。もう会社へなんか行かないぞ。あんな会社、つぶれちまえ。俺が会社へ乗り込んで、手当たり次第に商品を食ってやるのもいいな。
ふと見れば、アパートの付近には人だかりができ、俺たちは大勢から見られていた。
パトカーのサイレンの音がどんどん近づいて来る。
誰かが通報してくれたらしい。ギャミを通報――って俺も通報対象か。俺も身体が巨大化したせいで、服は破れかぶれ。しかも、ギャミに噛まれて血だらけで、かなりやばい。
ほどなくアパート前の駐車場に、パトカーが入ってきた。
屋上にいる俺たちは、階段を封鎖されれば逃げ道はない状況なのに、何もかもがおもしろく感じる。これは、怪獣映画に出てくる怪獣役を自分がやっているようなもの。きっと俺は、自分の身の変化と、目の前で起こっていることを、現実として認識することを拒んでいる。
こんなこと、絶対に現実であるはずがない。これは夢に違いない。そう、楽しい夢だ。
「そこの二人、踊りをやめなさい!」
警官のたちの警告を無視し、俺は、ひたすらギャミと踊り続けた。最初は一台しかいなかったパトカーは、続々と応援が到着。警官は、何人も屋上の入り口まで来ていて、俺たちに文句を言っている。
あまりにもうるさいので、ちょっと脅かしてやろうと、屋上のフェンスを引きちぎって食べてみせてやった。そして、真直ぐ立ったままでも足首がつかめるほど長くなった両手を、みせびらかすように振り回し威嚇してやる。見物人のどよめきが心地いい。
「危険だ。付近の住民をすみやかに避難させろ!」
警官の誘導で、アパート周辺の人々が逃げて行く。我先に逃げる人々。それも楽しい怪獣映画のお約束。
かわいい彼女と屋上に追い詰められた俺。迫りくる警察。この状況、萌えるぜ。夢なら精一杯楽しもう。
警察を無視し、ギャミと楽しく腰振りクネクネ踊りを続けていると、急に吐きそうになってきた。身体がブルブル震え、俺のドレッドヘア風たてがみが逆立つのを感じ……
……と思ったら、バシュ! と音がして、残り少なくなっていた髪が抜け、四方八方へ飛んで行ってしまった。
「おお?」
そのとたんに吐き気は吹っ飛び、気分爽快に戻った。なにやら、長い便秘時代が終わったような。
さらば、俺の髪たち。さらばモヒカン。ついに俺は丸ハゲ。
俺の髪が飛んでしまったことに気がついたギャミは、ひときわ高い声を上げ、長い両手を激しく振りまわして喜びを示してくれた。
勢いよく飛び立った、毛糸のように太くなった髪たちには、ギャミと同じような顔と長い手が付いていたのはわかった。俺とギャミの子どもが、今、俺の頭から巣立って行ったのだ。
俺は父親になった……みたいだ。無自覚だけれど。
いや、産んだのなら、俺は母親だよな?
ぶっ……なんて変な夢。ありえない。
「ピイピ」
さきほどから、ギャミがしきりに上を指差す。
見上げれば、はるか上空、夏の雲の間に、きらりと光る、銀色の飛行物体が見えた。それは徐々に近づき、やがてはっきりと形までわかる大きさになった。動きが不規則で、凧でも飛行機でもない。
円盤……だ。いわゆるUFOかと思えるが、今は、そんな物が飛んでいても俺は驚きはしない。自分の姿がすでに宇宙人的だから。
「あれはおまえの仲間か?」
ギャミは首をかしげる。赤ん坊だったから、そんなこと知るわけないか。だが、この状況なら、仲間と見る方が自然だ。
「……ってことは、おまえはかぐや姫かよ。お迎えが来たんだな?」
こんな変なかぐや姫なんか、絶対にいてほしくないけど。
「(かぐや姫って何?)」
「迎えが来たら、育ての親を捨てて、実家に帰っちまった悪いやつのこと。おまえもそうか?」
ギャミはきょとんとした顔になり、一瞬だけ踊りをやめたが、またすぐに円盤を見上げて踊りだした。
「踊っている場合じゃあ――うあっ!」
ギャミと手が触れ合ったら、静電気に痛めつけられた。ギャミのたてがみが逆立って放電している。
何をしている、と聞こうと思う間もなく、繁殖成功、と聞き捨てならぬ言葉が耳に入った。
「おまえさ、繁殖って、もう少し言い方があるだろう」
ギャミは、歯を見せてほがらかに笑う。
いよいよかぐや姫のお帰りかと思ったのに、円盤は、なぜかギャミを連れ帰ることなく、そのうちに去って行ってしまった。俺はほっとしたような気にもなったが、これからも続くであろう混乱を忘れたくて、もうひと踊り楽しもうと思い、両手をあげてピイと言った時。
足元で爆発音がして、俺の意識は途切れた。