男爵令嬢と元子爵令嬢、辺境騎士団へ入隊する。
「お嬢! 見えてきたよ!」
「叫ばなくても聞こえるよ」
馬車の窓から身を乗り出して叫ぶアニーに、リーゼは呆れたように笑った。
辺境騎士団団長に就いたイリヤからの勧誘に応じ、リーゼはカレンデュラ領へとやって来たのだ。
馬車はチェストベリー男爵家と付き合いの深い大商会が用意してくれたものだ。
これを機にカレンデュラ領との取り引きを狙う大商会の馬車が後ろに続いている。
「でも、意外だったなぁ」
そう言いながらアニーは、窓から顔を引っ込めて座り直した。
アニーは大商会の下働きだったものを、数年前リーゼが自分の侍女にと引き抜いたのだった。
チェストベリー男爵家の侍従に求められる資質は一つだけ。
戦場において、主に置いていかれないだけの戦闘能力を持っているという事だ。
純粋な戦闘能力では及ばないが、素早さだけならアニーはリーゼを上回っている。
主従にしては気安すぎるのは、名を伏せて市井で冒険者として活動する時のリーゼの相棒としての役割も担っているためだ。
「意外って、何が?」
「いや、婚約がなくなったのをいい事に、お嬢は冒険者稼業に専念するんだろって、みんな言っていたからさ」
アニーが言う皆の中には、使用人だけではなくリーゼの両親や兄妹達も含まれている。
「まぁ、でも、騎士ってのも格好いいよね」
そう言ってアニーは笑った。
紅玉のように赤く硬質的な瞳を持つアニーはおそらく西方の少数民族の出身だと思われるが、幼い頃に両親を亡くしたらしく本人にも分からないそうだ。
「アニー、そろそろ着くよ」
リーゼが言うと、アニーは居住まいを正した。
「かしこまりました、お嬢様」
リーゼは窓の外へ視線を向けた。
「カレンデュラ辺境騎士団か」
「よく来てくれた」
執務室でリーゼを出迎えてくれたイリヤは、ドレスではなく濃紺の騎士服を身に纏っていた。
「お誘いいただき、光栄です」
対するリーゼもドレスではなく、質はいいが冒険者としても活動しやすい衣服を身に着けている。
「先に言っておくが、我が騎士団は実力主義だ。能力があるものは貴賤、性別を問わず入隊を許可する」
イリヤはリーゼの背後に控えるアニーに目を向けた。
「では、私と共に彼女も入隊するという事でよいでしょうか」
「ああ、よろしく頼む」
主従共々騎士団に所属する事が決まったようだ。
「とはいえ、多少の配慮は存在する」
そう言ってイリヤは小さく笑んでみせた。
「貴族の子女には最初から騎士爵が与えられる。いずれ領主である兄から正式に受勲されるだろう」
それと、もう一つ。
そう言って、液体の入った半透明の小瓶を机の上に置いた。
「これもだ」
視線で問いかけるリーゼに、イリヤは自らの首に銀の鎖で下げた同じような小瓶を見せた。
「私も持っている。薬師達は眠るように、と言っていたが、さて、どうだろうな」
誰も飲んでみせたものはいないからな、と少し遠くを見ながらイリヤが言う。
ああ、そういう事か。
リーゼは小瓶の意味を理解した。
万が一のために持たされるそれは、敵に蹂躙される前に自ら、という慈悲だ。
受け取った小瓶はひどく小さく、心許なかった。
「まぁ、私には必要ないですね」
そう言ったリーゼに、イリヤが片眉を上げた。
「……終わらせる方法なんて、いくらでもありますよ」
「……」
リーゼの返答に、イリヤは一瞬虚を突かれたようだった。
小さく息を吐く。
「さすがだな」
その呟きにどこか焦燥めいた響きを感じ、リーゼは首を傾げた。
「先の戦での働きは実に見事だったと聞いている」
「……なんの事でしょう?」
リーゼは笑ってみせた。
戦に参加したのはあくまでも一介の冒険者に過ぎず、決してリーゼ=チェストベリー男爵令嬢ではない。
「……すまない。そうだったな」
イリヤは素直に自分の非を認め謝意を示した。
「私も一応は参戦した事にはなっているのだが」
どこか独白めいた様子でイリヤは話し出した。
「私は本陣にいただけだ。敵と相対した事すらない」
イリヤが両の拳を握りしめる。
「兄があのような事になったというのに……」
カレンデュラ辺境伯であるイリヤの兄は、一時は生命すら危ぶまれる状態だったと聞いている。
足が不自由になったそうだが、それでも恵まれている方だ。
戦場は、地獄だ。
回復が間に合わず、痛みにのたうち回りながら死んでいった兵士や冒険者達をリーゼは大勢見た。
辺境伯であるイリヤの兄には薬師や術師が付きっきりで回復させただろう。
……甘いな。
心の中でリーゼが呟く。
小瓶を渡されるのが貴族の子女のみ、という事の意味にもイリヤは気づかない。
そうでないもの達は先程リーゼが口にしたように自ら終わらせる方法を選ぶか、敵に蹂躙されるがままになるか。
身分の違いが生命の重さの違いになっている事にイリヤは気がついていない。
もっとも、貴族でありながらリーゼのような考えを持つものの方が稀なのだが。
聞いている話では戦闘能力も指揮官としての能力も、騎士団長としてイリヤは申し分ないという事だった。
リーゼの見る限り、問題点は経験が少ないというより皆無だという事だ。
貴賤も性別も問わない辺境騎士団において、イリヤのその経験の少なさがどう出るか。
賭けだな、これは。
リーゼは心の中でひっそりと笑った。
今後、イリヤがどうなるか。
リーゼとアニーの人生をそこに賭けるだけの価値はあるか。
さぁ、楽しもうか。
リーゼがカレンデュラ辺境騎士団に入隊して幾日かが過ぎた。
その間、騎士団長であるイリヤが自ら勧誘したとされるリーゼに対して実力を確かめたい、と勝負を挑んできた団員達を叩きのめしたり、アニーと共に街を散策したり、と日々を楽しんでいた。
そんなある日、リーゼはイリヤの待つ執務室へと呼び出された。
そこにいたのは予想外の人物であった。
ふわふわのピンクブロンドの髪。
あの婚約破棄騒動の原因となった子爵令嬢である。
いや、確か貴族籍を剥奪されたという話だったから、元子爵令嬢という事になるか。
リーゼは窺うようにちらりとイリヤを見た。
イリヤはどこか楽しそうな様子だ。
「紹介するまでもないだろうが、一応リーゼには個別に会わせておこうと思ってな。エルナだ」
「はぁ……」
それ以外に出る言葉はない。
エルナは質素なブラウスとスカートといういで立ちだった。
リーゼとイリヤを睨み付けるように見ながらエルナは叫んだ。
「覚悟は出来てるわよ! さぁ、八つ裂きにするなり串刺しにするなり、好きにしなさいよ!」
さぁ! と両手を広げて床に寝転がったエルナにリーゼは呆気にとられた。
耐えきれなくなったのか、イリヤはくっくっと小さく笑い出した。
「エルナ、立ってくれないか。掃除はさせているが、さすがに床に寝転がるのは想定していない」
「床を血で汚したくないってことね! だったら外よ! さっさと済ませてよね!」
がばっと立ち上がったエルナに、リーゼは思わず「ちょっと待って」と声をかけた。
「少し落ち着きなさいよ」
「はぁ!? どこの世の中に、殺されるかそれ以上の目にあわされるってのに落ち着ける人間がいるのよ!」
いや、本当に落ち着け。
ため息をつくリーゼと、いまだ笑いを抑えきれていないイリヤの目が合った。
「私もリーゼも、君をそのような目に合わせる気はない」
「……」
不信、を絵に描いたような表情でエルナはリーゼ達の顔を見た。
「何故なら、あの婚約破棄騒動について、私達に特に思うところはないからだ」
そうだろう、とイリヤはリーゼを見た。
それに対し、リーゼは小さく頷いてみせた。
「……どういうこと?」
エルナは首を傾げた。
「君を害するつもりなら、あの騒ぎになる前にそうしていた。人ひとり消すなど造作もないからな」
国の要である辺境騎士団を率いるカレンデュラ辺境伯爵家と、国一番の大商会と深い繋がりを持ち、冒険者としても活動しているチェストベリー男爵家には、人知れず誰かを葬る方法はいくらでもあったのだ。
ならば、何故そうしなかったのか。
エルナの存在が都合が良かったからだ。
あまり好ましくない婚約の、相手方の瑕疵による解消を実行するために。
「私は騎士団を継ぐという名目もあったが、君のおかげで思った以上に速やかに話が決まった」
リーゼの方も似たようなものだった。
当の本人であるマルヴィンだけは理解出来ていないようだったが。
目を丸くしていたエルナだったが、やがて憤慨したように叫んだ。
「ひどい! 私のこと利用したんだ! だから貴族って嫌なんだ!」
エルナは妾腹の娘で母親は平民だという話だった。
のちに聞いた話だが、エルナは父親であるリンデン子爵に「罰の代わりに下女として使って下さい」とイリヤに差し出されたのだそうだ。
本来ならどのような目に合わされても仕方がない相手に、おそらくは贄として。
あわよくば自分達も甘い汁を吸おうとしていただろうに。
「さて、本題に入ろう」
イリヤの声にエルナは顔を上げた。
「君には辺境騎士団に入隊してもらう」
「は?」
エルナがぽかんとした様子で口を開けた。
だろうな、とリーゼは頷いた。
あの婚約破棄騒動の前にエルナの事は調べてある。
回復や補助の魔法に秀で、また護身術にも長けている。
平民出身で人目を惹く容姿を持つエルナが自らの身を守るために、護身術は必須だった事だろう。
高位貴族の男性の中には、自分より身分の低い女性には何をしてもかまわないと思っているものも多い。
元王太子やリーゼの婚約者であったマルヴィンにも、そのような傾向はあった。
エルナはそれをのらりくらりと躱し続けていたようだった。
おそらく、その辺りの事も買われているのだろう。
騎士団に必要な能力は戦闘能力だけではない。
「……それって、つまり最前線に放り込んでやるから、そこで野垂れ死ね、って意味?」
イリヤはとうとう堪えきれなくなったようで、声を上げて笑った。
「……」
困惑している様子のエルナに、リーゼは声をかけた。
「あんたなら、例え最前線に放り込まれても野垂れ死んだりしないだろう、と見込まれているんだよ」
そうでしょう、とリーゼはイリヤを見た。
イリヤは頷くと、腑に落ちない表情を浮かべているエルナに向かって笑ってみせた。
「カレンデュラ辺境騎士団へ、ようこそ」




