プロローグ
腕時計の針は午前2時44分を指していた。
男はそれを確認すると腕を下ろし、ゆっくりと口から煙草の煙を吐く。煙は白い線を描いて男の周囲を漂ったあと、海風に掻き消されるようにして空気中へと溶けていった。直上に輝く満月が深夜のコンテナヤードと海面を照らしている。夜の闇に覆われた街はとても静かで、僅かな車のエンジン音と波のさざめきだけが聞こえていた。
静けさを切り裂くように破裂音が響く。冷たい空気を振動させたそれは、明らかに銃が発砲された音だった。銃声は立て続けに複数回鳴ったが、すぐに聞こえなくなった。
「クソ…」
男はそう呟くと手に持っていた煙草を地面へと落とし、眉間に皺を寄せながら無線機を口元に当てた。
「こちら西沢。四班。状況を報告しろ」
彼は耳を傾けるが、無線機はテールノイズを吐いただけでそれ以上の音を出さない。
「こちら西沢。四班。誰でもいい、応答しろ。」
再度の問いかけに対し、無線機からはただ沈黙が返ってくる。返答が無いことを確認した男は舌打ちをして無線機をホルダーに戻すと、もう片方の手に握っていた拳銃を構えた。
鋭い眼光でコンテナの先の暗黒を睨みつけ、並び立つコンテナ群の中へと入っていく。闇の中に広がる赤や青に彩られた金属の壁と真っ黒なアスファルトの道路。深夜のコンテナヤードはまるで金属とアスファルトで出来た巨大な迷路のようだ。その中を、男は慎重に進んでいく。
程なくして彼は路上に散らばる空薬莢を発見した。彼は立ち止まり、ライトを点灯してその周囲を見渡す。数メートル先のコンテナの側面を照らすと、そこには黒い液体がべったりと付着している。彼は銃口を向けながらそのコンテナに接近する。彼の点灯したライトに照らされ、液体がぬらぬらと鈍い光を発する。すぐに彼はそれが大量の血液であることを理解した。どうやら路面にも血液が広がっている。彼はライトで照らしながら路面に続く血液を辿る。
「オイオイ……」
血液の先、積み重ねられたコンテナの陰を照らすとそこにはスーツ姿の男女の死体が何体か折り重なっていた。各々の死体はかろうじて人型を保っているものの、その四肢は不可解に折れ曲がり、顔面は陥没しているか渦を巻くように歪曲している。明らかに、普通の人間にできる殺し方では無い。
「あら?」
男の背後から声がする。彼は即座に振り向き、声の主に拳銃を向けた。
銃口の先には、満月を背にした少女がいた。少女は空中に浮遊し、男の方を見下ろしている。ライトで照らされた彼女の顔とドレスは大量の血液で赤黒く染まっていた。男は引き金に指を掛け、鋭い眼差しで彼女を睨みつける。一方の少女はただ静かに男の方を見ている。
「あの男……白魔術師だ。、」
少女の肩に乗っている奇妙な存在が言う。ネコを模したぬいぐるみにしか見えないそれは、外見に反していかにも生物らしく尻尾をくねらせている。爪も無いであろう前足で肩につかまりながら、男の方を樹脂のボタンでできた目で眺めている。
「分かってるって。さっきの連中の仲間でしょ。」
少女はぬいぐるみにそう言うと、ふわりと地面に降り立った。ぬいぐるみの顎を撫でながら、彼女は小さく溜息をつく。
「何もせずに立ち去るのなら、危害は───」
彼女の言葉を遮るように、男の拳銃が火を噴く。弾丸の火薬が周囲の大気を震わせ、銃口から9発の弾丸が立て続けに発射される。だが、少女はぴくりとも動かずその場に立っているというのに弾丸は当たらない。弾丸は彼女の周囲1m程度の領域に侵入すると同時に不可解な軌道を描いて彼女を避け、周囲のコンテナとアスファルトに着弾した。男はそれを確認すると少女の方を睨みつけたまま空になった弾倉を捨て、新しい弾倉と取り替えた。
少女は地面に着弾した銃弾を一瞥した後に男の方をちらりと見て、再び小さな溜息をついた。
「そっか。」
少女が男の方に手を向ける。
「じゃあ、"退治"するしかないね。」
彼女が手を男の方へと伸ばす。そして同時に、手の内が発光する。光は強さを増しながら棒状の形を取り、やがてそこから装飾の施されたステッキが現れた。デフォルメされた羽のような装飾にピンク色のリボンが結ばれている。ステッキに埋め込まれた巨大な宝石は彼女の全身の血のように深い赤色をしており、月光を浴びて不気味な光を放っている。
相対する男は引き金に力を込め、唸るように言った。
「……化け物め……」
血と硝煙の臭いが漂う海辺の夜空に、再び乾いた発砲音が響いた。




