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牲愛  作者: 久慈柚奈


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1/12

かつて太陽は、こんなに偉大な価値ある大義を照らしたことはなかった。


それは一日、一年、いや一時代の問題ではない。子供は事実上この争いに巻き込まれている。そして現在のやり方いかんによっては未来の果てまで、なんらかの影響を受けることだろう。

『コモン・センス』













私が初めて犯されたのは、七歳の時だった。

「……ただいま……」

 アパートの玄関を入ると、西日に母の姿が影になって浮かびあがっていた。姿見に向き合う横顔は、出勤前の最終チェックに余念がない。体の線を強調するような丈の短いドレスに、両耳に揺れる大ぶりのイヤリングをつけ、仕上げに真っ赤な口紅を引く。その光景は破りがたい神聖なものに見えた。

 私は縮こまったままの喉から声を絞りだした。

「お母さん。さっき、知らない男の人が……」

思わずその先を口ごもる。私はあれを何と言ったら良いのかまだ知らなかった。私は学校から帰っているだけだった。

 道の向こう側から金髪の男が歩いてきた。

 夕日に金色がきらめいている。ぼんやり「綺麗だな」と思った。

 光に見とれていたせいで、ほかのことに気づくのが少し遅れた。

 彼は黒い大きなリュックを背負っていて、その大股の歩みはまっすぐ私に向かっていたのだ。

「――それで? その男がなんだって?」

 母は話の先を急かす。仕上がりが気に入らなかったのだろうか、髪を結い直している。私にとってはそのやり直しがチャンスだった。焦る。早く、早く伝えなければ。こんなに聞いてもらえることは珍しいのだから。今のうちに。

「それで……それで……」

 間近で聞こえる荒い呼吸音。私の両足はいつの間にか地面をはなれて、薄暗い場所に連れて行かれていた。

 それで。それで。あれは一体、なんだったのだろう。

 私にはあれを説明する言葉がまだない。とにかく私は触られ、押し付けられ、汚された。

「愛シテル。愛シテル……」

 ぎこちないイントネーションで繰り返されたささやきだけが、こびりついたように耳に残っている。


 気がついたら私は公衆トイレの前に立っていた。背後には終わったばかりの暗闇が口を開けていた。

 男はどこにもいなかった。


「ふうん」

 母の目は鏡に釘付けられたまま、結い上がった髪をいろんな角度から検分している。

「良かったじゃん。それって需要があるってことだよ」

「え」

「ナポリタン作ってあるから。じゃ」

 支度を終えた母が、狭い廊下を玄関へ向けて進んでくる。私が立ち塞がっている方へ。いつもの癖で、私は脇へよけてしまう。異常が起きた後なのに。まるでいつもと変わらないように。

 玄関のドアが開いて閉まる。高らかなヒールの音とともに母は仕事に出かけていってしまった。

 廊下に立ち尽くす。崩れ落ちるように座りこんだ。

「需要」がある……。

 あれは、良いことだったのだろうか。

 良いことなら、もっと楽しいと感じるはずではないのか。それとも楽しいと思えなかった私が悪いのだろうか。……そうなのかもしれない。

 汚された。ついさっき自分で思い浮かべた言葉を考える。汚れたなら、お風呂に入らなきゃ。

 頭をよぎった考えを、私はすぐに打ち消した。だって私の体はどこもきたなくないのだから。

 その汚れはもうしみついてしまって、どれほどこすってもきっと完全に取り去ることはできない。

 あの瞬間、何かを持っていかれた気がする。目には見えないけれど、確かに私が持っていたはずのもの。損なわれた衝撃と喪失が永遠に続くもの。

 唐突に私は悟る。

 私は損なわれるために生まれてきたのだ。


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