02.湖畔の偶然⋯恋は突然に!
「気分転換に楽しんでくるのよ」
朝から母に背中を押され、サンドイッチとポピアソットを持たされた。
ウキウキ♪しちゃう。
静かな自然の中でのびのびできる!
結婚するなら、田舎の男爵とかがいいかも?
湖面は陽を反射してきらきらと輝き、木陰から吹く風は涼しい。婚約破棄の重苦しさなんて、まるで別世界の出来事のようだった。
(ああ、湖の水面に映った私、まるで映画のヒロイン……次はどんなシーンにしようかしら?)
婚約破棄で張りつめていた気持ちが、思い切り緩んで、シートの上に寝転んだ。
「ん〜幸せっ!」
目を瞑り、右にコロコロ、左にコロコロ⋯
誰も見ていないと思ったら、何だってできるわ!
「お嬢様、お嬢様!」
侍女アメリアの掛け声。
「見られてます。見られてますから、おやめ下さい!」
「こんな所に人が来るわかないじゃない、ふふっ」
すると——
「気持ち良さそうですね。僕も一緒にいいですか?」
「えっ!?」
思わず跳ね起きた私の視線の先、木陰に立っていたのは、つぶらな瞳のゆるふわ男子。
(いつからそこにいたの!?)
「あっ!」
「だから、見られてるって言ったのに……」
アメリアが残念なものをみる目で、私を見つめた。
「……」
驚く間もなく、彼はにこっと笑うと、隣に寝転んできた。肩が触れそうな距離に心臓が早鐘を打つ。隣に寝転ぶ視線が頬を掠め、思わず飛び起きた。
「ひゃ、ひゃああっ!?」
「ふふふっ」
彼が微笑み、出会いを“偶然の二人きり感”に寄せられる。
「ち、近すぎですっ!」
声が裏返り、思わず扇子で顔を隠す。
彼はわざとらしく小首を傾げた。
「え? 近いって、こういうこと?」
人懐っこい笑顔を浮かべながら、さらにゴロンと私に近づく。
「ひゃっ……!?」
思わず後ずさった。
「そ、そういう意味で申したのでは……っ!」
慌てて言い訳する姿に、ゆるふわ男子が楽しそうにクスクス笑う。
「失敗しちゃったみたい。ごめんね」
からかうように首をかしげて、柔らかな声で続ける。
「君って強そうに見えるのに、意外と可愛いんだね」
思わず心臓がドキリと跳ねた。
「えっ、かわいい……って? 私?」
家族以外でそんなこと言われたのは初めてだ。
頭の中が一瞬真っ白になり、頬が熱くなる。
でも、公爵令嬢の笑みを取り戻す。王太子の婚約者として培った鉄壁の能面は、伊達じゃない。
「君の慌てる顔、絵に描いて持って帰りたいくらいだよ」
(も、持って帰りたい?)
思わず、バスケットに小さな私を入れて、彼が楽しげに歩く様子を想像する。
まあ、これくらい喜んでもいいわよね?
王太子に怯えられていた時よりマシよ。
柔らかい笑みと、冗談めかした言葉。でも、耳に残った「可愛い」が頭から離れない。
(一目惚れって、本当にあるのかも?)
「お嬢様ーーっ! しっかりしてください!!」
ぼうっと彼を見つめる私の後ろで、アメリアが必死に腕を引っ張る。
(次に恋をするなら……こんなふうに対等に微笑んでくれる人がいい)
「……」
(また会いたいなんて、贅沢かしら?)と言いたい言葉を飲み込んだ。さすがに公爵令嬢として、出会ったばかりの異性に発するのは憚られた。
「可愛い」の一言くらいでドキドキしてる私、婚約破棄したばかりで、心が弱っているのよね?
(そうよ。弱っているだけ。そうじゃなきゃ、ただの馬鹿みたいじゃない!)
婚約破棄で浮かれていたのに、ただの言い訳だと自分でも分かってる――それでも。
ぎゅっとお腹に力を入れて、緩む気持ちを抑えつけた。
「また会えたらいいね。それじゃ」
(ダメだ……)
私の欲しかった言葉。心臓が高鳴り、期待してしまう。胸の鼓動が爆発寸前!
「はい!」
喜んで元気よく返事をした私に、彼が驚いて目を丸くしたように見えた。次の瞬間、彼はまた小首を傾げてクスクスと笑う。
なんて可愛らしい人なんだろう。自分の目尻がうっとりと下がっていくのを感じた。
「お嬢様、しっかりしてください!
お嬢様ったら、私達ももう帰りますよ!」
気づくと彼の姿は消えていた。アメリアが必死に私の身体を揺らす。
「彼、また……って」
(また会える? 明日? 明後日? 明々後日?)
胸が高鳴って、私の心がふわっと浮いた。




