01.婚約破棄、大成功!?
「やった〜! 自由よ!」
――そう思っていたのは、私だけ?
公爵令嬢パティール・セルディは、王太子との婚約破棄に大歓喜。
けれど、それは一時の妄想にすぎなかった――。
“怯えられた令嬢”が、青い薔薇の夜に気づく。
自由も恋も、すべては罠の上に咲いていたことを。
学園の卒業パーティー。
――今日は、学生生活最後の締めくくり。音楽が流れ、シャンデリアが煌めく。会場のあちこちでは、友人たちの楽しそうな笑い声が響き、華やかなドレスや制服姿の列が揺れている。
この学園は王族や貴族の子女が集う場所で、毎年の卒業パーティーは政略的な意味も兼ねて華やかに行われる。この場での一挙手一投足は、たとえ小さな出来事でも大事件になる。
王太子はいつもより少し凛々しい表情で、私の手を取った。今までのように、おどおどした顔の王太子はどこにもいない。
(……あれ、今日は何か違う?)
数人と順番に踊った後、会場のざわめきの中で、突然名前が呼ばれる。
「パティール・セルディー公爵令嬢!」
背筋を伸ばし、声を震わせずに私の名前を呼ぶその姿に、思わず心の中で小さくガッツポーズ。
(これで婚約破棄されるかも!)とウキウキしていることは内緒だ。
振り向くと、王太子が私を見つめていた。
「僕と……」
(ついに来たわ! でも待って、僕とって何?
まさか、「結婚してください」とか言わないわよね!?)
一瞬、頭の中が空白になる。
期待と不安が入り混じり、心臓が跳ね上がる。
「もう耐えられない……お願いだ、
――僕と婚約破棄してください」
声が震えないように、精一杯力を入れた身体で頭を下げている。
「ぷふっ」
その情けない言い方に、口の端がピクピクして、喉の奥が熱くなる。思わず出た笑いは、何とか咽たフリで誤魔化した。
(表情を変えてはダメ!)
私以外は、驚きで凍りついている。両掌に爪を立て、グッと力を込めて、笑いを堪えた。
(神様、ありがとう!)
「理由をお伺いしても?」
強気な口調で冷たく聞き返す私に、王太子は小さく頷いた。
「だって、君は優秀で……。
もう僕を自由に、解放してほしいんだ……お願い……」
――やった!
一瞬、不安になった分、喜びも大きい。
(でも、油断は禁物よ。最後まで完璧な公爵令嬢を演じなきゃ!)と自分を叱咤する。
「……わかりました。謹んでお受けします」
プルプル震えながら、何とかカーテシーをする。
王太子はほっと息をつき、脱力した。その視線に、私の心は大きく跳ね上がる。
(よく言った。頑張ったわね!)
今だけは、そう言って王太子の頭を撫でてやりたい気分。だって、相手が軟弱だからなんて理由で、王家との婚約を私から破棄するなんてできないもの。
「おい。何を勝手に……!」
来賓の王様が慌てふためき、会場がざわつく。
「どうなるんだ?」
「あんなに優秀なご令嬢を捨てるのか?」
口々に聞こえてくるのは、私を糾弾する声ではなく、単なる混乱。
(これなら私の責任は問われないかしらね?)
「私、これで失礼させていただきますわ」
そう言って、私は扇子で口元を隠し、会場を後にした。もちろん緩んだ口元を隠すためだ。
「やった〜!!」
公爵家の馬車に乗り込んですぐ、抑えていた喜びが爆発。大きく腕を突き上げ、身体を大きく揺らした。
「お、お嬢様!」
「だって、我慢できなかったの」
「ですが、そのようなはしたない態度は……」
「最悪、あの怯えた態度を改めるなら、受け入れる覚悟だったのよ?」
侍女のアメリアが告げるお小言も、今は耳に入らない。だって、やっと自由を手に入れたんですもの。
公爵家に戻ると、叱られるよりも先に泣いて見せた。
「私、あの場では何とか堪えましたけど、気が動転して⋯、ごめんなさい」なんて、しおらしく。
父も母も「よく我慢した」と頭を撫でてくれた。
(ふふっ、完璧ね)
「アメリア、湖に行きたいわ! 気分転換よ。
お父様に、それとなく伝えてちょうだい」
自室に戻ってすぐ、侍女のアメリアにお願いした。アメリアは、嫌な顔をしながらも部屋を出ていき、また戻ってきた。
「許可は取れた?」
「皆さん、お嬢様の手のひらの上ですからね。
あまりに落ち込んでいるので、気分転換に湖にお連れしたいと言ったら、あっさりと」
はしたないけれど、大口を開けて、声を立てて笑った。
「私、舞台女優になれちゃうわね?」
「お嬢様! お願いですから、明日お屋敷を出るまでは、しおらしくしておいて下さいよ?」
今日も明日も楽しみだわ。
どんな服を着よう? 髪型はどうしよう? 湖の風に吹かれながら、私がスケッチブックに絵を描く姿。想像するだけで素敵!
「ああ、自由ってこういうことなのね……!」
この時の私は、完全に浮かれていた。
自由なんて妄想だと知るのは、もう少し先……。




