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 西日が斜めに差し込み、机の上に金色の線を引いていた。

 一階の店は夕方の客が途切れ、棚を整える音だけが微かに響く。


 二階の執務室では、青司とクレスが帳簿と在庫表を突き合わせていた。

 秋冬商品の動きや仕入れ表に印をつける時間帯だ。


「……化粧水はこの調子なら追加かな」

「そうですね。美容系と化粧系は冬婚で伸びそうですよね。備品も念のため増やしておきましょう」


 リオナは湯を沸かし、静かに三人分のカップを並べた。

 こういう時間は静かで、少しだけ家に似ている。


 青司が帳簿を閉じて椅子を引いた、その時だった。


 ――コン、コン。


 扉を叩く音。


「失礼します……」


 入ってきたクライヴは、珍しく表情に余裕がなかった。

 片手には封蝋で固められた厚い手紙が二通。


 夕陽の中で、その封は妙に重たく見えた。

 そして珍しく、笑わなかった。


 青司が眉を上げる。

「……それは、なんです?」


 クライヴは無言のまま、机の上に置いた。


 ひとつは赤い封蝋に貴族家の紋章。

 もうひとつは上質な白い便箋――端に「D」の押印。


 クレスは反射的にそれを見るなり、短い息を飲んだ。

「……ダラス様か」


 クライヴは肩をすとんと落とした。

「読みましたよ。読んだので言わせて頂きますけど……無理じゃないでしょうか?」


 青司は椅子に座り直し、静かに言う。

「説明してくれないと」


 クライヴはまず白い便箋を指で押した。


「王都服飾ギルド長のダラス様から。“その後の身嗜み指導が功を奏しているようで安心した。ルンドヴァル伯が開催する冬の狩猟会があるから、ご挨拶に出てこないか”って」


 青司が瞬きを一つした。


「狩猟会……?」


 クレスが低く言う。


「北部の社交場ですね。服飾ギルド長がこういう紹介状を出す時点で、もう正式扱いです」


 クライヴは次に赤い封を押し出した。


「で、ルンドヴァル伯爵夫人からの招待状。ダラス様の紹介状と同封で届います。しかも、フィオレル様経由ですよ」


 クレスは封の紋章をじっと見た。


「……これは断れません。というか、断る選択肢が送られてきてない。日時も場所も指定されています」


 青司は半分呆れる。


「それ、いつの話なんだ?」


「三週間後。冬の入りを告げる狩猟会。開催地は伯爵領の外苑」


 青司は喉の奥で小さく呻く。


「……本気じゃん」


 クライヴは額に手を当てた。


「いや、だから言ってるでしょう……? 無理なんだですよ、これ……!

 身分的にも、経験的にも、商会的にも、色々と!」


 そこでクレスが淡々と切り返す。


「違う。これは“商会宛”だ」


 クライヴは目を瞬かせた。


「……え?」


「個人じゃない。“ホヅミ商会代表として来い”って話です」


 クライヴは手紙をもう一度見た。

 宛名には確かに――


 “ホヅミ商会殿”


 とある。


 青司は顎に手を当てた。


「……ってことは、うちの誰かが行く必要があるってことか」


「商談になる。社交も入る。ダラス様と伯爵夫人って時点で、繋がりを作れって遠回しに言ってるようなものだ」


 クライヴが両手を上げる。


「で? 誰が? 私? いや私でもいいですけど!

 でも私、まだ言葉遣いも身嗜みもダラス様の矯正中ですよ!?

 歩き方にまで口出されてますよ!?

 シャツのアイロンとか、ネクタイの色合わせまで本当に細かいですよ!?」


 青司とクレスが同時に瞬きした。


「アイロンって……」


「色まで……?」


 クライヴは沈痛な顔で言う。


「いや、貴族の前に出るってそういうことなんですって……ほんとに……」


 しばらく沈黙が落ちた。


 そこでクライヴが息を吐いて、ほんの少し声を落とした。


「……セイジさん。商会が王都に出るなら、ここ絶対避けて通れないんですよ。

 でも私一人じゃ判断できない。

 だから相談したかった」


 青司は静かに頷いた。


「わかった。検討はする」


 そこでクライヴはさらに追い打ちのように言う。


「……あともう一個あります」


「まだあるのか」


「第三騎士団の件。肌着と装備、工房が仕上げてきています。来週末までに納品予定なんです」


 クレスが帳簿の束をめくり、確認する。


「間違いないですね。第三騎士団は既に代金の前金を入れている。納品遅延は絶対にまずい」


 青司は頭を抱えた。


「狩猟会三週間後、納品は来週……」


 クライヴは頭をガシガシかく。


「第三騎士団には誰が行きます……狩猟会に参加するなら私は無理ですね……?」


 クレスは腕を組んで考えたあと、淡々と結論を言った。


「第三騎士団へは、セイジさんしかいませんね」

 青司は「え?」という顔で固まる。


 そこへクレスが、当たり前のように続けた。

「リオナさんも同行してください」


「えっ!?」と驚いて声が重なる。


 青司は椅子を少し引き、目を丸くした。

「俺とリオナが?」


 リオナも尻尾を逆立てんばかりに驚いた。

「わ、わたしっ!?な、なんでわたし!?」


 クレスは指先で机を軽く叩く。


「以前の報告では、オズワルド団長はリオナさんのことを気にかけておられたと。……礼儀のある方ですし、無茶振りはされないでしょう。むしろ団長の方が礼を尽くしてくると思います。」


 リオナは一瞬固まり、頬に赤みをさした。


「そ、そんなこと……ありました……かね……?」


(確かに気にしてくれる言葉はあった、と青司は心の中で思う)


そして青司の胸に、別種の焦りがかすめる。


(……副隊長のレオンさんも、礼儀正しくて印象が良かったし……いや、そういう問題じゃない)


 クライヴが小さく笑った。


「貴族相手より騎士団の方がセイジさん向きかもしれませんよ。

 向こうは実用主義だから、理屈の方が強い」


 青司はしばらく考え込んでから、静かに頷いた。

「……わかった。第三騎士団は俺が行くよ」


 クライヴは頭を軽く押さえながら言った。

「すいません……本当に助かります……。私は……どうにかダラス様と伯爵夫人の方を何とかしますので。

 一応、王都に出る前にフィオレル様のところに報告をしてください」



 クレスは納得したように頷く。

「役割が分かれたなら動けますね。私は店舗の方を切り盛りしますから」


 そして紙を閉じながら言った。


「商会は忙しさの形が変わってきたな」


 青司は窓の外に目をやる。

 晩秋の風が街路の葉を揺らしていた。


(森に籠もって薬草煮てた頃と……ずいぶん違う)


 そんな感慨が胸をよぎる。


 クライヴは封筒を握り直し、ゆっくり息を吐いた。


「……よし。狩猟会の準備、始めないと……ここが境目ですからね。やるしかありません」


 その声には、緊張と、ほんの少しの誇りが混じっていた。




 晩秋の風は冷たく、落ち葉を踏む音がよく響いた。

 リルト領主邸に向かう時は、いつも少しだけ胃が固くなる。

 貴族の屋敷は広いし静かで、商会とはまるで別の空気があるからだ。


 門番に呼び止められ、用件を告げる。

 すぐに通されたあたり、どうやら連絡は早く回っているらしい。


 案内の騎士に従って歩く廊下は磨かれていて、足音が控えめに響いた。

 青司は心の中で小さく息を吐いた。


(王城ほどじゃないが……リルトでもやっぱり緊張するな)


 執務室の前でノックがされ、扉が開かれた。


「失礼します」


「――セイジ殿か。掛けなさい」

 フィオレル子爵は相変わらず穏やかな声だった。

 だが机の上には軍務用の書状が二、三枚積まれている。

 領主というより、軍の指揮官の顔をしていた。


「突然の訪問、失礼します。第三騎士団向けの肌着と装備の納品準備が整いましたので、その報告に来ました」

 青司が本題を告げると、フィオレルは軽く目を細めた。


「――そうか。第三騎士団からもせっつかれていたところだ。渡りに船だよ」

 そう言って椅子に背を預けると、フィオレルは少しだけ口元を歪めて付け足した。


「実のところな、オズワルド侯爵から強く言われたのだ。“肌着は軍が優先だ。寒さが深まれば命に関わる”とな」


 青司は思わず姿勢を正した。


(……そういう扱いか。生活用品じゃなくて装備の一部ってわけだ)


 軍の冬装備は命に直結する。

たとえ肌着でも、それが性能品なら“軍需”になる。


「第三騎士団は盗賊と魔物、そして街道の治安維持を担う。近衛の第一や王城警備の第二騎士団と違って、外に出て動くことが多いからな」


 フィオレルは指で机を軽く叩きながら続ける。


「オズワルド様は騎士に求める規律は厳しいが、守れる兵の命は優先して采配する。そのあたり、あの御仁らしい」


(……なるほど)


 青司の中で、第三騎士団長の印象が少し変わる。


 そこで青司は、持ってきた小箱を机に置いた。


「その件です。手土産に、傷回復薬を持っていこうと思っています。血の補充まではできませんが、裂傷と打撲の治癒を早めます」


 フィオレルの眉がわずかに上がった。


「……それは軍需品扱いになる可能性があるな」


「え?」


「軍は“命を救う道具”をすぐに編入したがる。特に秋は貴族の狩猟もあって薬の需要が高い。薬は武器にも匹敵するとされる」


 青司は思わず固まった。


(そういう発想……俺にはなかったな)


 薬は薬、くらいにしか考えていなかった。


 フィオレルは指先を組み、少し声を落として言った。


「――そこで提案だ。医療薬品については、フィオレル子爵家医薬部門との共同名義にしないか」


「……共同名義?」


「軍需編入を避けられる。“領地資産”扱いになり、軍は勝手に接収できなくなる」


 青司は言葉を失った。


(そんな防衛ラインがあるのか……)


 フィオレルは淡々と続ける。


「医薬は利権の渦だ。扱いを誤れば、軍か王城か中央ギルドに吸われる。

 だが安心しろ。リルト商業ギルドはホヅミ商会の保証人みたいなものだ。中央や軍が横から手を出しづらい。

さらに、私が後ろに立っているのだ……王城にさえ簡単には口を出させんよ」



 青司の胸に、じんわりと熱いものが乗った。


 自分の商会が小さな頃は、考えもしなかった視点だ。


「……ありがとうございます。本当に助かります」


 フィオレルは笑った。


「君が作るものは命を救う。それゆえに奪われやすい。だから私が壁になる」


 その笑みは、どこか誇らしげでもあった。


 そこでフィオレルが、机の端に置かれた別の書類を指で叩いた。


「そういえば、美容品の件だがな。王城の女官達の窓口が、第三騎士団から私のところに移った」


 青司は目を瞬かせた。


「……女官の、ですか?」


「そうだ。どうやらオズワルド殿は女官達に囲まれて疲弊なさったらしい。あの男は軍人であって商人ではないからな。ただ、肌着は軍が優先と念を押されたけどな」


(ああ……なんか想像つく……)


 青司は曖昧に頷いた。


 フィオレルは愉快そうに肩をすくめた。


「代わりに、こちらに要望と注文と礼状が山のように届いている。仕事が増えたぞ、まったく」


 言葉こそ愚痴だが、顔は笑っていた。


(……多分、ダラスさんとクライヴのあのラインがつながったんだな)


 青司は気付いていた。


 王都服飾ギルド長ダラス

 → 女官

 → 第三騎士団

 → 領主フィオレル


 この線は偶然ではない。


「いいか、セイジ殿。王城に“穏やかに入り込む”には、女官と医療だ。どちらも貴族以上に影響力がある」


 フィオレルは笑みを深め、最後に言った。


「それと狩猟会の招待が来ていたな。あれはダラスの用意した、王都への“別口”だ。

 ――商会はもはや小さな店ではない。自覚して動くといい」


 青司は静かに頷いた。


(……そうか。もうそういう段階なんだな)


 森で薬草を煮ていた頃から、確かに遠くまで来た。


「第三騎士団への納品は問題ない。

 薬は子爵家医薬部門との共同名義とし、領地資産として医薬部門から給付という形にする文書を付けよう」


「ありがとうございます」


「うむ。……それと、女官達の追加分だがな――」


 そこからは見積もりと納期と単価、顧客管理の話になった。


 帰る頃には空は紫に染まっていて、馬車の音がゆっくり遠のいていた。


(狩猟会、第三騎士団、女官、薬、軍需……)


 世界は青司の肩の上に確かに広がり始めている。


 フィオレル邸を振り返りながら、青司は小さく息を吐いた。


(……クライヴの苦労、ちょっとわかった気がするな)

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