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 第三騎士団庁舎の石段を下りた瞬間、クライヴは外套を翻し、迷いなく歩き出した。


 王都の午後は、まだ人の流れが多い。

 商人の呼び声、馬車の軋む音、遠くで鳴る鐘。

 だが彼の耳には、それらは背景音に過ぎなかった。


 ――予想以上に、話が早い。


 庁舎を出てから、頭の中で先ほどのやり取りを反芻する。

 即断は避ける。

 比較試験。

 素材選定は慎重に。


 だがそれは裏を返せば、「本気で導入を考えている」ということだ。


 クライヴは歩調を早め、人混みの隙間を縫う。

 ここで手配が遅れれば、次の流れに乗れない。

 セイジの立場も、工房側の信用も、すべてに影響が出る。


 ――間に合え。


 フィオレル卿の邸宅は、王都の中でも比較的静かな区画にある。

 門が見えたとき、クライヴはようやく一息だけ吐いた。


 だが、立ち止まらない。


 門衛に名を告げる声は簡潔に。

 取次を待つ間も、頭の中では次の段取りを組み立てていた。


 リルト。

 商業ギルド。

 服飾ギルド工房。

 セリーナ。


 すでに昨夜のうちに、商会で使っている伝書鷹を通じて、ラシェルには話を入れてある。


 フィオレル卿が噛んでいる以上、連絡が滞るはずはない。


 問題は――どこまで具体的に動いてもらえるか。


「……第三騎士団が、本気だ」


 小さく呟き、クライヴは背筋を正す。


 これは根回しではない。

 ただの予防線でもない。


 次の一手を、確実に現実へ落とし込むための動きだ。


 午後の陽が、邸の石壁に淡く反射する。

 王都は、何事もない顔で今日を続けている。


 その裏で、静かに歯車が回り始めていることを知る者は、まだ少ない。


 クライヴは呼び出しを告げられ、邸の奥へと足を踏み入れた。

 時間は、無駄にできなかった。



 応接間は、外の喧騒から切り離されたように静かだった。


 フィオレル子爵は、クライヴの報告を最後まで黙って聞き、やがて小さく頷いた。


「第三騎士団か……」

 指先で机を軽く叩きながら、静かに言う。

「街道補修の件もあったからな。

あの流れなら、軍が装備に目を向けるのは時間の問題だと思っていた」


 クライヴは一歩、姿勢を正す。


「恐れ入ります」


 子爵は顔を上げ、淡々と続けた。


「私からラシェル経由でセリーナには、すでに伝えてある。もちろん、服飾ギルド長のオルヴェインにもだが」

「彼女には素材配分を変えた試作を、いくつか用意しておくようにな」


 その言葉に、クライヴの表情がわずかに引き締まる。


「君たちがリルトを発った翌日――つまり今日だ」

「試作を持って、王都へ向かっているはずだ」


 子爵は、断定するように言った。


「早くて今晩。状況が良ければ、明朝には着くだろう」

「軍との話し合いが“検討”の段階に入ったなら、

工房の人間が顔を出すのは、まあ自然な流れだろう」


 視線が、クライヴに向けられる。


「君たちは、余計なことをしていない」

「むしろ、よく判断した」


 短い沈黙。


 クライヴは、深く一礼した。


「ありがとうございます。第三騎士団は、比較試験を前提に動く構えです」

「素材選定は慎重に進めたい、と」


「それでいい」

 フィオレル子爵は即答した。

「急がず、だが遅れない。それが一番だ」


 話は、それ以上広がらなかった。

 だが、必要な情報はすべて揃っていた。


 クライヴは再び頭を下げ、応接間を後にする。


 ――これで、歯車は揃った。


 あとは、現場と工房と軍が、同じテーブルにつくかどうか。

 それだけだ。





 フィオレル邸を出たクライヴは、外套の前を留め直すと、そのまま石畳を早足で進んだ。


 王都の通りは、夕刻に向かって人の流れが増えつつある。

 だが、今はそれを眺めている余裕はない。


(――よし。順番は崩れていない)


 頭の中で、情報を一つずつ並べ直す。

 第三騎士団の判断。

 比較試験という方針。

 セリーナの到着見込み。


 どれも噛み合っている。

 遅すぎず、早すぎず――今が一番、動かしやすい。


 騎士団庁舎の門が見えたところで、クライヴは一度だけ息を整えた。

 走ってきたわけではないが、思考の回転が身体より先に疲労を呼んでいる。


 門衛に名を告げると、すぐに中へ通された。


 廊下を進む途中、すれ違う騎士たちの視線が一瞬だけこちらに向く。

 昼の会合の余韻が、まだ庁舎全体に残っているのだろう。


 案内されたのは、応接室ではなく、少し簡素な詰所だった。

 書類の束、壁に掛けられた配置図、控えめな油灯の明かり。


 そこに、レオンがいた。


 机に手をつき、資料を確認していたレオンは、クライヴの姿を見ると顔を上げる。


「来ると思っていた」

 その一言だけで、状況を察している声音だった。


「はい。走り回らせて頂いております」

 クライヴは一歩前に出て、簡潔に告げる。

「工房の代表――セリーナは、順調なら明朝、遅くとも午前中には王都に入ります」


 レオンの眉が、わずかに動いた。


「早いな」


「ええ。比較試験という方針が出た時点で、動いていました」

「こちらには、明日の午後に訪問する段取りで進めて構わないでしょうか」


 レオンは、ほんの一瞬だけ視線を落とし、考える。

 それから、小さく頷いた。


「……ちょうどいい」

「団長にも、そう伝えよう」


 それだけで、十分だった。


 余計な確認はない。

 疑念もない。

 すでに“前提”として、話が共有されている。


 クライヴは内心で、わずかに息をついた。


(――ここまでは、問題なし)


 レオンが資料をまとめながら、淡々と続ける。


「明日は、現場側の担当も数名呼ぶ」

「比較試験なら、主観だけで終わらせるわけにはいかん」


「承知しています」

 クライヴは即答した。

「工房側も、条件を揃えるつもりです」


 短い沈黙。

 しかし、それは詰まった沈黙ではなく、次の段取りを互いに確認するための間だった。


「……忙しくなるな」

 レオンが、わずかに口元を緩める。


「ええ」

 クライヴも、ほんの少しだけ笑った。

「ですが――悪い忙しさではありません」


 レオンはそれを否定しなかった。


 クライヴは一礼し、詰所を後にする。


 廊下に出た瞬間、張り詰めていた思考が、少しだけ緩んだ。


(これで、明日の舞台は整った)


 あとは、実物を並べ、同じ条件で比べるだけだ。


 工房。

 現場。

 騎士団。


 三つが、同じ卓につく。


 そのために、今日一日、走り回った価値はあった。


 クライヴは足を止めず、庁舎の出口へと向かう。

 次に戻るべき場所は、もう決まっていた。


 ――野バラ亭だ。


 青司とリオナに、余計な不安を持たせる必要はない。

 だが、明日が“本番”になることだけは、伝えておくべきだろう。


 王都の夕暮れが、庁舎の窓から差し込んでいた。

 その光を横目に、クライヴは静かに歩き続けた。



 野バラ亭の階段を上がりながら、クライヴは一度だけ呼吸を整えた。

 外套の裾を払う仕草は自然なものだが、足取りにはわずかな疲労が残っている。


 扉の前で、控えめにノック。


 返事を待つあいだ、頭の中では確認が終わっていた。

 第三騎士団。

 フィオレル邸。

 工房代表セリーナの到着時刻。

 すべて、予定通りだ。


 扉が開く。


 立っていたのは青司だった。

 昼に別れてから、そう時間は経っていない。だが、室内の空気は少しだけ違って見えた。


「……戻りました」


 そう告げながら、部屋の奥へ視線を流す。

 窓際に、リオナの姿があった。夕暮れの光を受けて、静かに外を見ている。


 クライヴは、それ以上見ない。


「工房の代表――セリーナですが」

 必要なことだけを、簡潔に告げる。

「順調なら、今夜遅くか、遅くとも明日の朝には王都に入ります」

「第三騎士団からは、無理をさせないようにとのことでした。明日の午後、訪問する段取りです」


 青司が頷くのを見て、胸の内で一つ区切りをつける。


 この場に、余計な言葉はいらない。


 視線の端で、青司とリオナの距離感が、自然なまま保たれているのがわかった。

 寄り添いすぎず、離れすぎず。

 だが、昼に見た並びとは、どこか違う。


 ――変わったな。


 そう思ったが、口にはしない。

 必要がない。今はまだ。


「私はこの後、少し部屋で休みます」

 クライヴは淡々と続けた。

「何かあれば、気にせず来てください」


「助かります」

 青司の声は、落ち着いている。


 それで十分だった。


 クライヴは一礼し、踵を返す。

 扉を閉める直前、ふと背後の気配が和らいでいることに気づいたが、振り返らない。


 今はまだ、歯車を回す役目を果たすだけでいい。


 階段を下りながら、クライヴは次の動きを頭の中で整理する。

 明日の午後。

 工房、騎士団、そして――現場。


 すべてが、同じ卓につくまで、もう少しだ。




**************




 第三騎士団庁舎は、王都の中でもひときわ堅牢な建物だった。

 淡色の石で組まれた正面階段は広く、昼なお影を落としている。


 昨日も、ここへは来ている。

 それでも、馬車を降りて改めて見上げると、やはり視線を引き上げられた。


 青司は石畳に足を下ろし、ひと息ついてから庁舎を見た。


「……ここが、第三騎士団の庁舎、か」


 初めて見たときほどではない。

 だが、武装した門衛や、出入りする騎士たちの動きは、やはり街の商会とは空気が違う。


「お二人とも、こちらです」


 先に馬車を降りていたクライヴが、迷いなく階段へ向かう。

 その背中に続きながら、青司は隣を歩くリオナをちらりと見た。


 リオナは、昨日と変わらない様子だった。

 背筋を伸ばし、視線を落としすぎず、かといって周囲を見回すこともない。

 森にいた頃と同じ、静かな歩き方。


 だが――。


(……浮いてない、な)


 昨日も思ったことだが、改めてそう感じる。

 この場所で場違いなのは、自分の方ではないか。

 そんな錯覚さえ覚える。


 三人が階段を上り切ったところで、庁舎の扉が開いた。


「クライヴ」


 低く、落ち着いた声。


 現れたのは、第三騎士団副官のレオンだった。

 甲冑姿ではないが、立ち姿だけで軍人だと分かる。


「お待ちしていました」


「ありがとうございます。予定通りです」


 簡潔なやり取り。

 青司が口を挟む間もなく、話は進む。


 そのときだった。


 ――廊下の奥、庁舎の内側から、別の一団が姿を見せた。


 数人の従者に囲まれ、ゆっくりと歩いてくる女性。

 年若くはない。だが、立ち居振る舞いに一切の無駄がない。


 レオンが、ぴたりと足を止めた。


 次の瞬間、背筋を伸ばし、深く敬礼する。


「ロマーヌ公爵夫人」


 青司は、反射的に息を呑んだ。


(――公爵?)


 言葉の意味を噛み砕くより先に、空気が変わる。

 庁舎前のざわめきが、一段落ちた。


 ロマーヌ公爵夫人は、軽く顎を引いて応じる。


「ご苦労さま」


 それだけ。

 だが、声には揺るぎがなかった。


 夫人はそのまま通り過ぎ――


 かけて、足を止めた。


「あら」


 その視線が、青司ではなく、リオナに向けられていることに、気づくのが一拍遅れた。


「……まあ」


 一歩、近づく。

 距離は詰めていない。だが、視線が離れない。


「綺麗な髪ね」


 リオナは驚いたように瞬きをしたが、すぐに一礼する。


「恐れ入ります」


 短く、控えめな声。


 ロマーヌ夫人は、今度は肌の色、立ち姿、呼吸の静けさまで見るように、目を細めた。


「どちらの方?」


 問いかけは穏やかだが、拒む余地はない。


 レオンが一歩前に出る。


「リルトのホヅミ商会長、セイジ殿の同行者です」


 その名を聞いた瞬間、夫人の眉がわずかに動いた。


「……ホヅミ商会」


 小さく反芻する。

 青司の胸に付いているギルド員のバッチにちらと視線を向ける。


「最近、よく聞く名前ね」


 視線が、今度は青司に向いた。

 青司は、完全に反応が遅れた。


「え、あ、はい……」


 口が半開きのまま、慌てて頭を下げる。


 ロマーヌ夫人は、それを咎めもしない。


「いいわね」

 再び、リオナを見る。

「少し、私とお話をしてくださらないかしら」


 それは命令ではない。

 だが、断る選択肢は、初めから存在しなかった。


 青司が言葉を探すより早く、夫人は従者に声をかけ、胸元に留めていたブローチを外させた。


 控えめだが上品な細工のブローチだった。


「これをお持ちになって」


 そう言って、夫人は何でもないことのようにブローチを差し出した。

 控えめで上品な細工。だが、胸元から外されたそれは、明らかに特別な品だった。


 青司の手に載せられた瞬間、ひやりとした重みが伝わる。


「お仕事が終わりましたら」

 夫人は、軽く首を傾げる。

「その時に、この子を迎えに来てくださればいいわ」


 まるで、雨宿りの約束でもするかのような口調。


「亡き夫からの、大切な贈り物なの」

 にこやかに、だが一切の説明を足さない。


 一瞬、空気が止まる。


「あら」

 夫人は青司の表情を見て、くすりと笑った。

「そんな顔をなさらないで。返しに来てくださるのでしょう?」


 問いかけの形だが、答えを求めていない。


「――大丈夫」

 そう付け足す。

「失くしたり、忘れたりする方ではないと、分かっていますもの」


 念を押すように言って、夫人はリオナへ視線を戻した。


「では、参りましょうか」


 リオナは、一拍だけ青司を見る。

 何か言いたげで――けれど、言葉はなかった。


 そして、静かに頷いた。


 ロマーヌ公爵夫人に伴われ、庁舎の奥へと歩いていく。


 残された青司は、手の中のブローチを見下ろしたまま、動けずにいた。


「……え?」


 遅れて、声が出る。


 クライヴが横で、小さく息を吐いた。


「……選ばれましたね」


 その言葉の意味を理解するには、まだ時間が必要だった。


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