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 重厚な扉が閉じる音が、低く、はっきりと応接室に響いた。


 一瞬で、空気が変わる。


 石造りの壁に囲まれた室内は、外の王都の賑わいが嘘のように静かだった。窓は高く、差し込む光は柔らかいが、どこか選別されたもののように感じられる。磨かれた長机と、背の高い椅子。壁際には第三騎士団の紋章が掲げられていた。


 青司は、無意識に背筋を伸ばしていた。


 隣に座るリオナも、同じように静かに姿勢を正している。街を歩いていたときの柔らかさは、そのまま胸の奥に仕舞われ、今は外に出てこない。


 正面には、団長オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵。

 その左右に、レオンと第三騎士団の幹部と思しき騎士たちが並んでいる。


 クライヴは、商会員として青司に同行し、半歩後ろに控えていた。


「本日は……どうやら休暇中のようだったみたいだな。わざわざ時間を取らせて悪かった。

 誰か、この方に紅茶と菓子を用意して差し上げなさい」

 ちらと青司の隣りに座るリオナに目を向けた団長が口を開く。

 声は穏やかだが、場を預かる者の重さが滲んでいた。

 団長の言葉が終わるや否や、控えの騎士が静かに一礼し、部屋を後にした。

 扉が閉まると、応接室には再び、張り詰めた静けさが戻る。


「さて、本題だが――昨日の実地確認を踏まえ、第三騎士団としては、一度正式に協議の場を設けたいという結論に至った」


 青司は、静かに頷いた。


 昨日の光景が、脳裏をよぎる。

 汗に濡れた騎士たちの装備。

 走り終えたあと、確かめるように袖口を引き、驚いた表情を浮かべていた顔。


「結論から言えば――」

 団長は一度、幹部たちへ視線を巡らせてから続ける。

「我々は、セイジさんの装備――吸湿速乾性を持つ下着および軽装備を、段階的に実運用へ組み込みたいと考えている」


 応接室に、わずかな緊張が走った。


 青司は、驚きに目を見開きそうになるのを、なんとか堪えた。

 代わりに、ゆっくりと息を吸う。


「……ありがとうございます」


 声は落ち着いていたが、胸の奥では確かな熱が生まれている。


「昨日の段階で、現場の反応は非常に良好でした」

 別の幹部が続ける。

「特に巡回、戦闘、夜警など、長時間に及ぶ任務において、兵の負担軽減および行動持続性の向上が見込まれます」


「兵の疲労が抑えられるという点で、戦闘継続能力への寄与は明らかです」

 別の幹部が腕を組み、低く言った。

「結果として、部隊全体の行動精度も安定すると考えます」


「数字や報告書も重要だが」

 レオンが静かに言葉を重ねる。

「今回は、“実際に着た者の声”が揃っている。それが大きい」


 クライヴが、一歩前に出る。


「王都にいらっしゃる間に話を詰めたい、というのもそのためですね」

 視線を青司に向けて、穏やかに補足する。

「書簡でやり取りするより、誤解が少ない」


 青司は、ゆっくりと頷いた。


「量産体制、耐久試験、季節ごとの仕様変更――」

 レオンは机の上の資料に手を置く。

「詰めるべき点は多い。ただ、それを含めても、前向きに進めたい案件です」


 その言葉に、青司ははっきりと理解する。


 これはもう、「提案」ではない。

 運用を前提とした相談だ。


 ふと、横を見る。


 リオナは、何も言わず、ただ静かに話を聞いていた。

 けれど、その横顔には、昨夜と今朝の柔らかさとは別の――誇らしさのようなものが、ほんのわずかに滲んでいる。


 青司は、もう一度、正面を見据えた。


「……分かりました」

 小さく、しかし確かに。

「できる限り、協力させてください」


 応接室の空気が、ほんの少しだけ緩む。


 張り詰めた中に、前へ進むための現実的な熱が加わった。


 王都での時間は、まだ終わらない。

 だが今この場所で、青司が作ってきたものは、確かに“仕事”として動き始めていた。


「では、少し現実的な話をさせてください」


 クライヴが一歩前に出る。


「昨日、試していただいた装備は、

 綿麻の混紡、純綿、絹綿の混紡、そして絹――

 大きく分けて、この四種類だったかと思います」


 一度、団長と幹部たちを見渡してから、続けた。


「運用を前提に考えた場合、

 素材としては、どれが最も適しているとお考えでしょうか」


 団長の左右に並ぶ幹部たちが、互いに目を交わす。やがて一人の中堅騎士が口を開いた。


「理想を言えば、やはり肌触りが良く、吸湿性も高い絹か絹混紡でしょう」

「しかし、絹は調達量が限られる。耐久性や洗濯回数も考えると、混紡系が現実的だ」


 団長が青司に視線を送る。

「セイジさん、技術的に見て、現場での運用にはどれが適しているだろうか?」


 青司は資料に目を落とし、リルトでの衛兵隊運用を思い返す。


「リルトの衛兵隊では、純綿でも多少の寄れは出るものの、運用上の問題は出ていないと聞いています。ただ、軍での利用がそれ以上に過酷になるのであれば……」

 青司は一度、言葉を切り、資料に視線を落とした。

「絹を入れると、快適さは増しますが、素材が寄れやすくなり、取り扱いには注意が必要です。麻を混ぜれば寄れは抑えられますが、シャリ感が出て、肌が敏感な者には刺激になる可能性があります」


「現時点では、絹綿混紡が長時間任務において最もバランスの取れた選択だと考えています。

ただし、絹と麻の混紡という案も理論上は考えられます。

その可否については、服飾ギルドの工房に確認する必要がありますが」


「一点、よろしいでしょうか」

 レオンが静かに口を開いた。

「仮に絹綿混紡を先に試用した場合、後から麻を含む装備へ移行する際、

兵の受け止め方に影響が出る可能性があります」


「兵は正直です。肌触りの差は、想像以上に強く印象に残ります」

 別の幹部が続けた。

「試験の順序そのものが、評価に影響する恐れがあります」


 応接室に、短い沈黙が落ちた。


 団長オズワルドは、机の上に組んだ指のまま、ゆっくりと視線を巡らせる。

 幹部たちの表情は様々だが、いずれも先ほどの議論を咀嚼している顔だった。


「……なるほど」


 低く呟くように言ってから、団長は青司を見る。


「快適さを取るか、耐久と調達性を取るか。その二択に単純化するには、まだ早いということだな」


 青司は静かに頷いた。


「はい。順序次第で評価が変わる可能性がある、というご指摘はもっともかと思います」


 団長は一度、小さく息を吐く。


「であれば――」


 その視線が、再び幹部たちへ向けられた。


 昨日の実地確認。

 現場から上がってきた率直な感触。

 そして今、ここで交わされた現実的な懸念。


 団長はそれらを一度、頭の中で並べ替えるように、短く息を整えた。


「……昨日の試用は、有意義だった」

 低く、はっきりと言う。

「少なくとも、現場で使える可能性があることは確認できた」


 そう前置きしてから、続けた。


「だが、今行なわれているのは“導入を前提とした検討”だ」

「感触ではなく、比較と記録で判断する段階に入る」


 団長は机に軽く指を置く。


「であれば――」

「次の試験は、最初から比較を前提とした形で行うのが妥当だろう」


 幹部たちが静かに頷く。


「絹綿混紡と、絹麻混紡。条件を揃え、同時に評価する」

「順序による印象の差は、可能な限り排除したい」


 視線が、青司へと向けられる。


「セイジさんの助言も踏まえた判断だ」

「我々が決める。そのための材料を、きちんと揃えよう」


 その一言で、場の空気が定まった。


 即断ではない。

 だが、明確な方向性だった。


 幹部の一人が、ゆっくりと頷く。

「兵の主観に引きずられない評価になりますな」


「理に適っています」

 レオンもまた、腕を組んだまま静かに頷いた。


 団長は、紅茶に手を伸ばすリオナに一瞬だけ視線を向けた。

「……今日は、付き合わせてしまったな」


 リオナは小さく首を振った。


 それだけ言って、青司の後ろに立つクライヴへと視線を移す。


「……準備は、どの程度まで進んでいる?」


 クライヴは一瞬だけ姿勢を正し、落ち着いた声で答えた。

「服飾ギルド側には、すでに連絡を入れています」

「リルトはフィオレル卿の治める街ですので、商業ギルドを通じて話は早かったです」


 青司が、思わず小さく目を瞬く。


(……そこまで)


 クライヴは淡々と続ける。


「現在、工房の代表の一人が王都へ向かっています」

「素材配分や織りの調整について、現場の要望を直接聞ける人材です。必要になる可能性もあると判断し、昨夜手配しておきました」


 団長の眉が、わずかに上がった。


「到着は?」


「早ければ、本日中。遅くとも明日には」


 応接室の空気が、微かに変わる。

 張り詰めたままではあるが、先ほどまでの探るような緊張とは違う。


 ――話が、前へ進み始めた空気だ。


 団長は小さく頷いた。


「よし。ならばその者が到着次第、具体的な試験計画を詰めよう」

「第三騎士団としては、素材の選定を急ぐつもりはない。ただし、判断に必要な材料は揃えたい」


 視線が、再び青司へ向けられる。


「セイジさん。君には引き続き、技術的な助言を頼みたい」

「決定はこちらで行う。だが、現場と素材を繋ぐ橋渡しは、君にしかできない」


 青司は、静かに背筋を伸ばした。


「……承知しました」


 その一言に、団長は満足げに頷く。


 団長は、リオナの方へ一瞬だけ視線を向ける。

 それから、落ち着いた声で言った。

「君の時間を借りていたことは承知している。すまなかったな」


「……だが、同行については歓迎する」


 リオナは、わずかに首を振った。

 それ以上の言葉を、必要としない仕草だった。


 応接室には、まだ張り詰めた空気が残っている。

 だがその中には、確かに――

 現実として動き始めた計画の重みと、前へ進む手応えがあった。


 王都での時間は、想像以上に忙しくなりそうだった。



 第三騎士団庁舎を出ると、王都の空気は思いのほかやわらかかった。

昼の喧騒がひと息つき、通りには午後特有の落ち着いた流れが戻っている。


 野バラ亭の扉をくぐると、外とは別の静けさがあった。

 木の床の軋む音、奥から漂うハーブの香り。

 宿という場所が持つ、時間を緩める空気だ。


 部屋に入ると、二人はほとんど同時に息を吐いた。


「……思ったより、長かったね」

 声には、わずかな疲れが混じっていた。

 青司が椅子に腰を下ろしながら言うと、リオナも小さく頷いた。


「ええ。でも……ちゃんと話が進んでいたわね。いつも、あんな感じなの?……大変なのね」


 それだけ言って、リオナは窓際へ歩き、カーテンを少しだけ開く。

 午後の光が、部屋の床に細い帯を落とした。


 しばらく、言葉はなかった。

 気まずさではない。

 ただ、張り詰めていたものが、ようやく緩んだあとの静けさだ。


「……ありがとう。……一緒に来てくれて」


 不意に、青司が言った。


 リオナは顔を上げる。

「私、何もできなかったけれど……」


「そんなことないよ」

 青司は即座に首を振った。

「隣にいてくれただけで、助かった」


 それ以上は言わない。

 言わなくても、伝わっていると分かる距離だった。


 そのころ、クライヴの姿は宿にはなかった。


 騎士団庁舎を出たあと、彼は一度だけ二人に言ったのだ。


「少し、走ってきます」

「夕方までには戻りますので」


 それだけで十分だった。

 王都フィオレル邸との連絡。

 工房側との最終確認。

 今は、彼が動く番だということを、青司も理解していた。


 午後は、穏やかに過ぎた。


 簡単な食事をとり、少し休み、言葉少なに過ごす。

 それだけなのに、心身は確かに回復していく。


 やがて、窓の外の光が傾き始めたころ。


 廊下の向こうで、足音が止まる。


 控えめなノック。


 青司が立ち上がり、扉を開けると、そこにクライヴがいた。

 外套を脱ぎかけたまま、少しだけ息が切れている。


「……戻りました」


 短くそう言ってから、視線を上げる。


「工房の代表――セリーナですが」

「順調なら、今夜遅くか、遅くとも明日の朝には王都に入ります」

「第三騎士団からは、ゆっくり息を整えてから来るようにとのことでした。

 明日の午後、訪問する段取りになっています」


 その一言で、空気が変わった。


 休憩の時間は、まだ続いている。

 だが――

 ただ身を休めるだけの時間では、なくなっていた。

 次の段階が、静かに近づいてきている。


 リオナは、窓の外――夕暮れに染まり始めた王都の空を見つめた。


 明日の午後。

 その時間のことが、ふと胸をよぎる。


 今日という一日は、まだ終わらない。

 だが、確かに次の歯車が、音を立てずに噛み合い始めていた。



 夜の王都は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 石畳に落ちる灯りはやわらかく、通りを歩く人影も、どこか急いでいない。

 遠くで扉が閉まる音がして、それきり、街は息を潜めたままだ。


 野バラ亭の窓辺で、リオナはその光景をじっと見つめていた。


 今日一日、何度も耳にした言葉が、胸の奥でゆっくりと沈殿していく。

 試験。判断。明日の午後。

 どれも、自分の手の届かないところで決まっていく言葉ばかりだ。


 ――私は、どうすればいいのだろう。


 そう思ったが、その問いは、声にはならなかった。


 ただ、青司の背中を思い浮かべる。

 あの応接室で、幹部たちの視線を受け止めていた姿。

 静かで、揺るがなくて、それでいて少しだけ無理をしているようにも見えた。


 あそこに立てるのは、彼だけだ。

 それは分かっている。


 けれど――

 だからといって、自分がいなくてもいい、とは思えなかった。


 リオナは、そっと窓枠に指を置く。

 冷えた木の感触が、現実に引き戻すようだった。


「……明日も、忙しくなりそうね」


 独り言のように呟くと、背後から気配が動いた。


「そうだね」


 青司の声は、いつもと変わらない。

 それだけで、胸の奥に溜まっていたものが、少しだけほどける。


 夜はまだ続く。

 明日の午後までは、まだ時間がある。


 リオナは窓の外から視線を外し、ゆっくりと振り返った。

 決めるべきことは、まだ何も決まっていない。


 ただ今は――

 この静かな夜に、隣に立っていればいい。

 そう思えた。


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