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 指名された騎士たちが、広場の一角へ分かれていく。


 一方は、通常装備のまま。

 汗取りの下着も、特別な工夫もない。

 いつもの訓練と同じ支度だ。


 もう一方は、布で覆われた荷の前に集まった。


 控えの兵が布を外すと、中には整然と畳まれた装備一式が現れる。

 帽子の内張り、手袋の内側、ズボン下、靴下、そして中敷。


 どれも見た目は地味だった。

 色も装飾もなく、ぱっと見では価値が分からない。


「……これか」

「思ったより、普通だな」


 騎士の一人が、麻と綿の混紡の肌着を手に取る。

 指でつまみ、軽く引く。


「シャリっとしてる」

「風が抜けそうだな」


 別の騎士は、綿のものを広げた。


「こっちは軽いな」

「……ああ、汗を吸っても、戻りが早そうだ」


 別の騎士は、絹と綿の混紡を手に取った。


「なめらかだが、腰がある感じだな」

「肌に張りつかなそうだ」


 最後に、絹糸のものを手に取った騎士が、わずかに眉を上げる。


「……なんだ、これ」

「冷たい」

「いや、冷たいっていうより……すべる」


 肌に当てると、布は抵抗なく沿った。

 貼りつく感触がない。

 だが、雑に扱う気にはなれなかった。


「鎧の下に着るのに、音がしないな」

「擦れないのは助かる」


 騎士たちは言葉少なに、だが真剣に装備を身につけていく。

 誰一人、ふざける様子はなかった。


 その少し離れた場所で、

 数名の騎士が、互いに顔を見合わせていた。


 鎧の下に着ているのは、見慣れた支給品ではない。

 色味も、縫いも、わずかに違う。


「……俺は、これで参加していいんだな」

「構わんと言われてたはずだ」


 私費で購入した肌着を、すでに身につけている者たちだった。


 彼らは新しい装備には手を伸ばさない。

 ただ、いつもより一度だけ、胸元や腰のあたりを確かめる。


「正直な話――」

 低く、ぼそりと声が落ちる。

「今日は、脱ぎたくなかったんだがな」


 誰も笑わなかった。

 それが、すでに“使用感の証言”になっていた。


 一方――


 装備を着用しない側は、すでに陽射しの下に立っている。


 鎧を着る前から、額に汗が浮いていた。

 肩を回し、首元を緩める者もいる。


「今日は、きつくなりそうだな」

「まあ、いつも通りだ」


 軽口を叩きながらも、視線は自然と装備組の方へ向いていた。


 準備が整うにつれ、

 両者の立ち姿に、わずかな違いが生まれていく。


 装備を着けた者たちは、無駄な動きが少ない。

 呼吸が、まだ落ち着いている。


 青司は、その様子を入口脇から静かに見ていた。



 訓練所に、短い静寂が落ちた。


 レオンが前に出る。

 その動きだけで、場の空気が引き締まった。


「配置につけ」


 号令は低く、無駄がない。

 だが、よく通る。


 指名された騎士たちが、二列に分かれて並ぶ。

 装備を着用した者たち。

 通常装備のままの者たち。

 人数は同数。


 体格も、年齢も、大きな差はない。

 ――条件は、ほぼ揃えられていた。


 レオンは一人ひとりを見渡し、淡々と告げる。


「距離は七キロ」

「前半は抑えろ。無理に飛ばすな」

「競争ではない。乱れたら意味がない」


 視線が鋭くなる。


「途中で異変を感じたら、即座に申告しろ」

「倒れるまで走る訓練ではない」


 誰も、軽口を叩かない。

 それだけで、この試験が“本気”であることが伝わる。


 高台から、オズワルド侯爵が静かに見下ろしている。

 腕は組んだまま。

 言葉はない。


 レオンは一歩下がり、腕を上げた。


「――走れ」


 合図と同時に、騎士たちは一斉に踏み出した。


 鎧の継ぎ目が鳴る音。

 革靴が地面を叩く乾いた響き。

 呼吸音が、まだ揃っている。


 走り出しは、ほとんど差がない。


 装備を着けた者も、着けていない者も、

 同じ速度で、同じリズムで前へ進む。


 前半一キロ。


 まだ、誰も苦しくはない。

 表情にも余裕がある。


「……思ったより、軽いな」

 装備組の一人が、息を整えたまま呟く。


「いつもと変わらん」

 通常装備の騎士が応じる。


 会話が成立する。

 それ自体が、まだ余力がある証だった。


 二キロ地点。


 太陽が、じわじわと効き始める。

 鎧の内側に、熱がこもり始める感覚。


 通常装備の列では、首元に手をやる者が出始めた。

 鎧の縁を指で引き、空気を入れようとする。


 一方、装備組は――

 動きが揃っている。


 呼吸は深く、一定。

 帽子の内側に仕込まれた布が、汗を吸っているのか、

 額を拭う仕草が、まだ見られない。


「……悪くない」

 麻混の肌着を着た騎士が、小さく言った。

「風が抜ける」


 隣を走る絹混の騎士が、頷くだけで応じる。

 口数は少ないが、表情は落ち着いている。


 三キロ手前。


 差は、まだ決定的ではない。

 だが――


 通常装備の列では、

 呼吸音が、わずかに荒れ始めていた。


 汗が、首筋から鎧の内側へ流れ落ちる。

 それを気にする仕草が、増えていく。


 一方で、装備組は、

 まだ“走り”に意識を集中できている。


 足運びは変わらない。

 視線も、前を向いたままだ。


 高台から、それを見ていたオズワルド侯爵は、

 まだ何も言わない。


 だが――

 視線が、確実に装備組へと寄っていた。


 前半は、まだ序盤。


 しかし、この時点で、

 誰の目にも、違いの芽ははっきりと映り始めていた。


 四キロ地点を越えたあたりから、空気が変わった。


 それは、誰かが倒れたからではない。

 声が上がったわけでもない。


 ――“維持できている者”と、“削られている者”が、はっきり分かれ始めた。


 通常装備の列では、呼吸が乱れている。

 鎧の下に溜まった熱が、逃げ場を失っているのが見て取れた。


「……っ」

 一人が、短く息を吐く。

 言葉にならない。


 汗が目に入り、瞬きが増える。

 無意識に肩が上がり、走りの姿勢が崩れ始める。


 五キロ。


 脚が重くなっているのは、全員同じだ。

 だが――違いは、回復の早さだった。


 通常装備の騎士は、一度呼吸が乱れると、立て直すのに時間がかかる。

 汗で貼りついた下着が、肌にまとわりつき、動きを阻害する。


「……くそ」

 誰かが、小さく悪態をついた。


 一方、装備組は――


 苦しさはある。

 表情も、余裕とは言えない。


 だが、走りが崩れない。


 麻混の肌着を着た騎士は、呼吸を深く保ったまま脚を運ぶ。

 絹混の騎士は、汗をかいているはずなのに、鎧の内側を気にする仕草がない。


「……まだ、いけるな」

 短い言葉が、自然に出る。


 私物で肌着だけを着用している騎士も、同じ列にいた。

 装備一式ではない。

 帽子も、手袋も、通常のままだ。


 それでも――

 首元と背中だけは、明らかに楽そうだった。


「……あいつら、ズボンの下にもこれを履いてんのかよ。涼しい顔しやがって」

 息を切らしながら、ぼそりと漏らす。


 六キロ。


 通常装備の列で、ついに一人が速度を落とした。

 完全に止まるほどではない。

 だが、隊列から、半歩遅れる。


 すぐに、隣の騎士が声をかける。


「無理するな、合わせろ」


「……分かってる」


 声は返るが、明らかに苦しい。


 装備組は、まだ隊列を保っている。

 呼吸は荒いが、意識は前に向いたままだ。


 青司は、入口脇からその光景を見ていた。


(……走力じゃない)


 そう、はっきり分かる。

 強い者が勝っているのではない。

 若い者が残っているわけでもない。


 ――“削られ方”が、違う。


 七キロ地点が、見え始めた。


 その時だった。


 高台から、低く、よく通る声が落ちてくる。


「――止めろ」


 一言。

 だが、迷いはなかった。


 レオンが即座に反応する。


「全員、減速! 歩行に移れ!

 息が整った者から、水分をしっかり補給しておけ!」

 号令が飛び、騎士たちは反射的に従う。

 誰も不満を口にしない。

 それだけで、限界に近づいていたことが分かる。


 走りが、歩きに変わる。


 通常装備の騎士の中には、膝に手をつく者がいた。

 額から滴る汗が、石畳に落ちる。


 装備組も息を整えているが、

 倒れ込む者はいない。


 私物の肌着だけを着ていた騎士が、

 首元を緩めながら、短く言った。


「……これ、全部着てたら、もっと違ったな」


 誰も笑わない。

 否定もしない。


 それが、答えだった。


 オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵は、

 高台からゆっくりと腕を解いた。


 視線は、全体を見渡している。


「……十分だ」


 その声には、納得があった。


 数字は、取っていない。

 時間も、比較していない。


 だが――

 誰の目にも、結果は明らかだった。


 これは、偶然ではない。

 気合でもない。


 装備の差だ。


 青司は、静かに息を吐いた。


 売るための場ではない。

 だが――


 守るための装備として、

 確かに、ここに立っていた。


 オズワルド侯爵は、しばし訓練所を見渡したまま、動かなかった。

 そして、ふっと短く息を吐く。


「……戻ろう」


 それだけだった。


 レオンが即座に頷き、号令を飛ばす。


「訓練終了! 装備はそのまま、整列後解散!」


 騎士たちが動き出す中、オズワルド侯爵は青司へ視線を向けた。


「セイジ殿」

 声は低く、しかし先ほどよりも穏やかだ。


「今度は、腰を落ち着けて話そう」


 それは命令ではなく、招きだった。



 応接室に戻った青司は、荷物を片付けながら、再び深く息をついた。外の陽射しと騎士たちの熱気が、まだ体に残っている。


「セイジ殿」

 オズワルド侯爵は、静かに椅子から身を起こす。

「騎士たちを見ておって、明らかになったことがある。君の作った装備は、現場で確かな効果を示していた」


 青司は、言葉少なに頷く。


「……守るべき者たちの安全も考え、運用方針を決めたい」

 侯爵の声は穏やかだが、決意が込められていた。

「ただ、方法や順序は君の意見も聞きたい」


 青司は胸の奥がわずかに温かくなるのを感じた。

ここでも、自分の作ったものが「役に立つ」と認められた気がした。


 そのとき、遅れて入ってきたレオンが静かに口を開いた。


「団長、騎士たちから申し出があります。試した者の何人かが、ぜひ直接、団長に話をしたいと申しております。いかが致しますか」


 オズワルド侯爵は、微かに口角を上げた。

「ふむ、では現場の声も考慮しよう。もうそこに待っているのであろう。入れろ」


 応接室の扉が開き入ってきたのは、さっき訓練で走った騎士たちの数名だった。額にはまだ汗が光っている。制服は整っているが、わずかに乱れた髪が夏の暑さを物語っていた。


「団長、少しお時間をいただけますでしょうか」

 一番前に立った騎士が、汗を拭いながら頭を下げる。


 オズワルド侯爵は、椅子から身を起こして視線を向けた。

「もちろんだ。いつでも話を聞く耳はあるつもりだ」


 息を整えながら、騎士は続ける。

「いつも、ありがとうございます」

「本日の持久走で、装備を着用した者とそうでない者の差を体感しました。正直、これほど違うとは思いませんでした」


 横に並んだ他の騎士も、少し前に踏み出す。

「私もです。体感的には、肩の動きや背中の汗の抜けだけでなく、頭や下半身、手足まで全然違います。着用した者の方が、疲労感が少なく、動きやすいです」


「この装備なら、実戦でも役立つと思います」

 別の騎士が力強く付け加えた。

「ぜひ、第三騎士団全体で運用の検討をお願いします」


 オズワルド侯爵は、視線を高台から下ろし、額に光る汗をぬぐう騎士たちを見渡した。


「ふむ、よく報告してくれた」

 声音は穏やかだが、しっかりとした重みがあった。

「皆が実際に試し、体で感じた差がこうして明確に分かるのは、非常に貴重な意見」


 一拍置き、侯爵は背筋を伸ばす。

「この結果を踏まえ、第三騎士団全体での運用についても前向きに考えよう」


 騎士たちは、わずかに息をつき、互いに目を合わせた。

 現場での実感が、正式な検討の土台となる。


「ただし、即決ではない。必要なのは慎重な評価だ」

 侯爵は視線を青司に向ける。

「セイジ殿の装備が、全員にとって最良の形で運用できるよう、幹部と共に段取りを進める」


 オズワルド侯爵は、椅子にゆったりと腰掛け、深く息を吐いた。


 静かな間が訪れる。


「セイジ殿、正式な運用方針については、後日、私から君に改めて伝えることにしよう」

 団長の声音は落ち着いているが、確かな決意が宿っていた。


「承りました」

 青司は深く息を吸い、肩の力をゆるめた。額に残る汗を軽く拭い、背筋を伸ばす。長く緊張していた体が、ようやく応接室の落ち着いた空気に溶けていくのを感じた。


 応接室の高い天井、磨かれた石壁、柔らかく差し込む光――すべてが、今の満ち足りた空気を包んでいた。


 青司はゆっくりと椅子から立ち上がった。肩の力を抜き、深く息を吸い込む。長く張り詰めていた緊張が、背筋から少しずつ解けていくのを感じた。額の汗を手の甲で軽く拭い、視線を前方に向ける。


「では、行きましょう」


 レオンが静かに先導する。青司はその後ろを歩きながら、足取りを整える。応接室の高い天井、磨かれた石壁、柔らかく差し込む光の余韻がまだ体に残っている。


 廊下を進むたび、静かな城内の空気に吸い込まれるように、青司の呼吸も次第に落ち着いていった。


 扉の前でレオンが軽く手を添え、開かれた先を示す。待合室は応接室ほどの重厚さはないが、清潔に整えられており、控えの騎士や関係者が静かに待機していた。青司は深く息を吸い、肩の力をもう一度調えた。


「こちらでお待ちください。馬車の手配を致します」


 レオンの声は低く、余計な緊張を解くように穏やかだ。青司は小さく頷き、待合室へと一歩足を踏み入れた。


 そこには、すでに見慣れた顔があった。クライヴが、席に腰掛けて待っていた。青司の姿に気づくと、クライヴはすぐに立ち上がり、自然な笑みを浮かべた。


「お帰りなさい、セイジさん。無事に終わったようで何よりです」


 青司も、わずかに肩の力を抜きながら答える。


「はい。思ったよりも、順調でした」


 短い言葉ながらも、その背後には今日の訓練や応接室での緊張が消えきれずに残っている。クライヴはそれを察するように軽く頷き、荷物を置く青司の傍に近づいた。


「馬車もすぐに手配してくれますし、ひとまずこちらで休んでください」


 青司は深く息を吐き、待合室の椅子に腰を下ろした。目を閉じ、肩の力を抜くと、長く張り詰めていた緊張が体から静かに溶けていくのを感じた。


 青司は立ち上がり、手元の荷物を軽く握り直した。


「ところで、お二人は今夜、どちらに泊まられる予定ですか?」

 クライヴは自然な笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。

「私たちは昨夜と同じ宿、野バラ亭に宿泊予定です」


 レオンは短く一礼し、答える。

「分かりました、お気をつけてお帰りください」


 青司は頷き、軽く礼を返す。

「お気遣いありがとうございます。リルトの街でお待ちしております」


「はい。連絡をお待ちください」


 廊下を抜け、城門へ向かう間、青司の呼吸は徐々に落ち着きを取り戻した。外の陽射しや騎士たちの熱気で熱くなった体が、馬車の影を前にして少しずつ和らぐ。


 馬車に乗り込むと、木の香りと革のシートの柔らかさが心地よく、自然と肩の力が抜けていった。窓の外に広がる街並みをぼんやりと眺めながら、今日の訓練や応接室での出来事を思い返す。


 胸の奥に残る熱と、守るべき者たちのために作った自分の装備の手応え――それらがゆっくりと体に馴染むのを感じた。

 そして自然と、リオナの顔が浮かぶ。今日の結果を伝えたら、きっと喜ぶだろう。少しの期待と安堵が、青司の胸を温かく満たした。


 馬車の揺れに身を任せながら、青司は深く息を吐く。外の世界の喧騒や熱気から離れ、ほっと一息つける時間だった。今日のすべての出来事が、少しずつ、静かに彼の中で整理されていく。


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