76
重厚な扉が、音もなく開かれた。
レオンに促され、一歩、青司が足を踏み入れる。
レオンは一歩下がり、扉の脇に控える。
その位置からでも、室内全体に目を配っているのが分かった。
応接室は、想像していたよりも広かった。
だが、華美ではない。
天井は高く、梁は太く、石壁は丁寧に磨かれている。
壁際には、騎士団の紋章を織り込んだ濃色のタペストリーが掛けられ、過去の戦歴を誇示する絵画や武具の展示は、意図的に置かれていなかった。
中央には、長方形の重厚な卓。
だが玉座のような席はなく、どの椅子も等しい高さと造りをしている。
――対等に話すための部屋。
そう言われているようだった。
卓の脇、壁際には二人の人影があった。
一人は簡素な軍装に身を包んだ若い士官で、記録係だろうか、手元の書板に静かに視線を落としている。
もう一人は、装備を抑えた護衛だろう。背を壁につけ、室内全体を緩やかに見渡していた。
どちらも、口を挟む気配はない。
ただそこにいるだけで、この場が私的な面談ではないことを示している。
窓は高い位置にあり、外光は柔らかく拡散して室内を満たしている。
影は少なく、どこにも隠れる場所がない。
(……軍の応接室、というより)
青司は、無意識に周囲を見回す。
(“仕事の話”をするための部屋だな)
すでに一人、卓の向こう側に人影があった。
椅子に深く腰掛けているが、背筋は伸び、無駄な力は感じられない。
白髪交じりの金髪を後ろへ撫でつけ、口元には髭を整えている。
軍服は上質だが、装飾は最小限。
肩章と胸元の徽章だけが、彼の地位を静かに示していた。
年齢は、五十代半ばか。
だが、老いよりも先に感じるのは――“現役”の気配だった。
その男が、青司を見た。
値踏みするような視線ではない。
かといって、歓迎の笑みでもない。
ただ、まっすぐに。
「――ホヅミ商会会長、セイジ殿」
低く、よく通る声だった。
響きに無駄がなく、感情を抑えた調子。
「王国軍第三騎士団団長」
男は、静かに名乗る。
「オズワルド・フォン・シュタインベルクだ」
青司は、一拍置いてから、深くなりすぎない礼を取った。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「よい」
短く答え、オズワルドは視線をわずかに動かす。
レオンは無言のまま姿勢を正し、扉脇に控え続けた。
「遠路、よく来てくれた」
オズワルドは、卓の上に組んだ指をほどきながら続ける。
「もっとも――話を聞く前に、礼を言うのは筋ではないかもしれんな」
青司は、言葉を挟まず、黙って待った。
団長は、わずかに口角を上げる。
「すでに我々は、“成果”を受け取っている」
「リルトの街から上がってきた報告は、どれも実に興味深い」
その一言で、青司の中の空気が変わった。
これは、紹介ではない。
説明の場でもない。
――検討の段階だ。
「そこでだ、セイジ殿」
オズワルドは、卓を指で軽く叩く。
「今日は、商人としての言葉ではなく」
視線が、真正面から重なる。
「“作った者”としての話を聞かせてほしい」
「まあ、まずは座ってからにしようか」
部屋は静まり返っている。
だが、その沈黙は重苦しいものではなかった。
逃げ場のない問いでありながら、同時に――誠実な招きでもある。
青司は、ゆっくりと息を吸った。
ここから先は、
売る話ではない。
守る話だ。
そのことを、応接室も、この団長も、はっきりと示していた。
「向かいに座ってくれ」
促され、青司は椅子に腰を下ろした。
その動きに合わせるように、壁際に控えていた士官が静かに動く。
音を立てぬまま卓の上に茶が置かれ、湯気が細く立ち上った。
香りは穏やかで、強すぎない。
「――真夏の暑さだ」
団長が、視線を青司に戻す。
「その中で着る装備を作った者の話を、聞かせてほしい」
青司は、ひとつ息を整えた。
「はい。私は森で暮らしています」
「狩りをして生きている者と一緒にです。
夏場は……どうしても、消耗が激しくて」
言葉を選びながら、続ける。
「汗を吸って、すぐに乾く肌着があれば、
少しは楽になるのではないかと思いました」
視線を落とし、肩をすくめるように。
「最初は、ただの試作です。
使ってみて、悪くなかった。それだけです」
一拍置いてから、付け加える。
「日焼け止めも、同じです。
商会で話題になっていまして……必要だと思ったので」
名は出さない。
誰のために作ったのかも、言わない。
だが、それで十分だった。
「――最初は、肌着だけでした」
青司は、淡々と続ける。
「森で使うために作ったものでしたから。
身内なので、商会員にも配りはしましたが」
青司は、そこで一度言葉を区切る。
「それに気づいた領主様から、
街の衛兵隊や清掃員に、
炎天下で動く装備として使えないか、と話がありました」
視線は団長から逸らさない。
「個人で対応できる話ではありませんでしたので、
服飾ギルドと、商業ギルドに協力をすでに領主様がして下さっていました」
そこで、ようやく一拍置く。
「帽子の内側、手袋の内側。
ズボン下、靴下、靴の中敷。
現場での運用を見据え、服飾ギルドの提案で同素材を各部位に展開しています」
団長の反応を待ってから、付け加える。
「なお、リオネの店舗では――
一般流通としては、肌着のみを扱っています。
市民向けには綿と麻の糸、
衛兵隊と清掃員向けには綿糸、
懐にゆとりのある方向けには絹と綿の混紡、
貴族向けには絹糸で作ったものを用意しています」
オズワルド侯爵は、ふっと息をついた。
「――いや、実はな」
視線を上げ、青司を見る。
「団員の数名が、リルトで私費購入している。
例の“肌着”だ」
青司は、わずかに目を瞬いた。
「任務外だ。命令でもない」
団長は続ける。
「だが、現場というのはそういうものだ。
暑さに耐える術があれば、誰よりも先に試す」
一拍、置く。
「使用感については、すでに報告を受けている。
……だからこそ、今日ここに君を呼んだ」
青司は、控えていた荷の一つを示した。
「……もし、差し支えなければ。
実物をご覧いただければと思い、持参いたしました。
各糸ごとに、三組ずつの装備一式です」
わずかに間を置く。
「売るためのものではありません。
判断のための材料として――御笑納いただければと」
オズワルド侯爵は、荷へと視線を落とした。
「……なるほど」
低く息をつく。
「では、この量は――そのためか」
声に、咎める色はない。
むしろ、納得と理解が滲んでいた。
応接室に、短い沈黙が落ちた。
青司の言葉を受けて、オズワルド侯爵は、すぐには口を開かなかった。
卓の上に置いた手を組み直し、視線を一度だけ、天井の高みへ向ける。
考えている――というより、整理している。
そう感じさせる間だった。
やがて、団長はゆっくりと息を吐く。
「……机上で語るには、もう十分だな」
その声音には、結論が含まれていた。
オズワルド侯爵は、椅子の背にわずかにもたれ、青司へ視線を戻す。
「我々は、装備を“理屈”ではなく、“現場”で評価させてもらっている」
「暑さも、重さも、集中力の低下も――数字では測れん」
一拍、置く。
「だから、我々の判断のために――君の作った装備を、試させてもらってもよいだろうか」
短く、だが明確だった。
そのまま、団長は視線を横へ流す。
「レオン」
「はっ」
控えていた副隊長が、即座に一歩前へ出る。
「訓練所を空けろ。通常訓練は中断」
「任意参加で構わん。だが――」
団長の声が、わずかに低くなる。
「装備を着用した者と、着用しない者」
「同条件で動かす」
「自前で肌着だけ用意した者も参加させておけ」
レオンは、すでに内容を理解していた。
その視線は、次の段取りへと向いている。
「持久走でよろしいでしょうか」
「それがいい」
オズワルドは頷く。
「模擬戦では、技量差が出る。今回は“身体への負担”を見る」
視線が、青司に向く。
「真夏の陽射しも、条件の一つだ」
「こちらで用意する暑さではない。今日の天候を使う」
青司は、無言で頷いた。
口を挟む余地はないし、必要もなかった。
団長は、さらに続ける。
「距離と時間は、レオンに一任する」
「倒れる者が出る前に止めろ。無理はさせるな」
「了解しました」
レオンは、即答する。
オズワルド侯爵は、再び青司へ向き直った。
「セイジ殿」
声音は、先ほどよりもわずかに柔らいでいた。
「君の話が、どこまで現場に耐えるか――」
「それは、騎士たちの身体が教えてくれる」
それは、疑いではない。
むしろ、最も公平な評価方法だった。
「異論はあるか」
「……ありません」
青司は、静かに答えた。
「試していただけるのなら、それ以上の判断材料はありません」
オズワルド侯爵は、満足そうに口角を上げる。
「よし」
その一言で、この場の結論は決まった。
「では、訓練所へ向かおう」
会談は、交渉では終わらなかった。
――実地検証という、騎士団らしい答えに辿り着いたのだった。
◆
騎士団の訓練所は、王城の一角にありながら、周囲よりわずかに開けた場所にあった。
高い石塀に囲まれた広場。
地面は踏み固められ、走り込みと模擬戦を想定した造りになっている。
武具棚や給水用の樽が、必要最小限に配置され、飾り気はない。
実用一点。
それが、この場所の性格を物語っていた。
青司は、入口脇で足を止めた。
真夏の陽射しが、容赦なく照りつけている。
石畳から立ち上る熱が、空気をわずかに揺らしていた。
(……暑いな)
思わず、そう思う。
だが、騎士団にとっては、これが日常なのだろう。
戦場に、日陰は選べない。
数歩先、高台に設けられた簡素な見台に、すでに一人の男がいた。
オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵。
第三騎士団団長。
軍服姿で腕を組み、訓練所全体を見下ろしている。
誰かと話すでもなく、ただ、黙って。
その姿は、待っているというより――
確認しに来たという印象だった。
青司の横で、レオンが足を止める。
「ここでお待ちください」
声は低く、事務的だ。
「団長は、すでに訓練の許可を出されています」
青司は、軽く頷いた。
「分かりました」
言葉はそれだけで足りた。
控えの兵が、青司の持参した荷を訓練所の端へと運んでいく。
布で覆われたそれは、武具とも補給品ともつかない。
まだ、誰の注意も引いていない。
だが――
遠くで、金属の擦れる音がした。
鎧を脱ぐ音。
水桶を置く音。
誰かが、訓練所へ近づいてくる気配。
規則正しい足音が、一つ、また一つと重なっていく。
青司は、無意識に背筋を伸ばした。
訓練所に、いつもと違うざわめきが広がっていた。
石敷きの広場に集まる騎士たちは、まだ整列していない。
鎧を外した者、軽装のまま腕を組む者、給水桶の位置を確かめている者。
視線は、中央に置かれた数組の装備へ、そして――その脇に立つ青司へと、自然に引き寄せられていた。
「なあ、あれが例の……」
「リルトで売ってるっていう、肌着か」
「私費で買った奴がいるって話、本当だったんだな」
ひそひそとした声が、波のように広がる。
嘲笑はない。
だが、全幅の信頼もまだない。
好奇と、半信半疑。
それが、この場を満たしている感情だった。
青司は、視線を向けられていることを感じながらも、前に出ることはなかった。
商人として立つ場ではない。
説明を求められてもいない。
――今日は、見られる側だ。
やがて、短く鋭い声が訓練所に響いた。
「集合!」
副隊長レオンの号令だった。
ざわめきは、一瞬で切り取られる。
騎士たちは反射的に動き、自然な隊列を作っていく。
その動きに無駄はなく、統率の取れた集団であることが、何も語らずとも伝わってきた。
レオンは一歩前に出て、全体を見渡す。
「本日の訓練は、比較試験だ」
簡潔な声だった。
「戦闘ではない。危険な負荷もかけない」
数名の騎士が、ほっと息をつく。
「だが、条件は揃える」
レオンは続ける。
「装備を着用する者と、しない者は指名する。
例の肌着を自前で持っている者は、着用した上で参加だ」
視線が、再び装備に集まった。
布地は目立たない。
派手な色も、誇示する印もない。
だが、訓練所という場所に置かれると、不思議と存在感を持っていた。
「見学は自由だ」
レオンは、言い切る。
「参加を希望する者がいても、今回は受け付けない。次はある」
その一言で、場の温度が上がった。
――次がある。
それはつまり、今日の結果次第では、
この装備が“第三騎士団のものになる可能性”を示している。
騎士たちの視線が、自然と高台へ向かう。
そこには、オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵がいた。
腕を組み、何も言わず、ただ訓練所全体を見渡している。
表情は読めない。
だが、その沈黙が、何よりの許可だった。
青司は、静かに息を吸った。
売るための場ではない。
説明する場ですらない。
だが――
これから起きることは、
確実に「広まる」。
そう、はっきりと分かる空気が、そこにあった。




