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 重厚な扉が、音もなく開かれた。


 レオンに促され、一歩、青司が足を踏み入れる。

 レオンは一歩下がり、扉の脇に控える。

 その位置からでも、室内全体に目を配っているのが分かった。


 応接室は、想像していたよりも広かった。

 だが、華美ではない。


 天井は高く、梁は太く、石壁は丁寧に磨かれている。

 壁際には、騎士団の紋章を織り込んだ濃色のタペストリーが掛けられ、過去の戦歴を誇示する絵画や武具の展示は、意図的に置かれていなかった。


 中央には、長方形の重厚な卓。

 だが玉座のような席はなく、どの椅子も等しい高さと造りをしている。


 ――対等に話すための部屋。


 そう言われているようだった。


 卓の脇、壁際には二人の人影があった。


 一人は簡素な軍装に身を包んだ若い士官で、記録係だろうか、手元の書板に静かに視線を落としている。

 もう一人は、装備を抑えた護衛だろう。背を壁につけ、室内全体を緩やかに見渡していた。


 どちらも、口を挟む気配はない。

 ただそこにいるだけで、この場が私的な面談ではないことを示している。


 窓は高い位置にあり、外光は柔らかく拡散して室内を満たしている。

 影は少なく、どこにも隠れる場所がない。


(……軍の応接室、というより)


 青司は、無意識に周囲を見回す。


(“仕事の話”をするための部屋だな)


 すでに一人、卓の向こう側に人影があった。


 椅子に深く腰掛けているが、背筋は伸び、無駄な力は感じられない。

 白髪交じりの金髪を後ろへ撫でつけ、口元には髭を整えている。


 軍服は上質だが、装飾は最小限。

 肩章と胸元の徽章だけが、彼の地位を静かに示していた。


 年齢は、五十代半ばか。

 だが、老いよりも先に感じるのは――“現役”の気配だった。


 その男が、青司を見た。


 値踏みするような視線ではない。

 かといって、歓迎の笑みでもない。


 ただ、まっすぐに。


「――ホヅミ商会会長、セイジ殿」


 低く、よく通る声だった。

 響きに無駄がなく、感情を抑えた調子。


「王国軍第三騎士団団長」

 男は、静かに名乗る。

「オズワルド・フォン・シュタインベルクだ」


 青司は、一拍置いてから、深くなりすぎない礼を取った。


「本日は、お時間をいただきありがとうございます」


「よい」

 短く答え、オズワルドは視線をわずかに動かす。

 レオンは無言のまま姿勢を正し、扉脇に控え続けた。


「遠路、よく来てくれた」

 オズワルドは、卓の上に組んだ指をほどきながら続ける。

「もっとも――話を聞く前に、礼を言うのは筋ではないかもしれんな」


 青司は、言葉を挟まず、黙って待った。


 団長は、わずかに口角を上げる。


「すでに我々は、“成果”を受け取っている」

「リルトの街から上がってきた報告は、どれも実に興味深い」


 その一言で、青司の中の空気が変わった。


 これは、紹介ではない。

 説明の場でもない。


 ――検討の段階だ。


「そこでだ、セイジ殿」

 オズワルドは、卓を指で軽く叩く。

「今日は、商人としての言葉ではなく」


 視線が、真正面から重なる。


「“作った者”としての話を聞かせてほしい」

「まあ、まずは座ってからにしようか」


 部屋は静まり返っている。


 だが、その沈黙は重苦しいものではなかった。

 逃げ場のない問いでありながら、同時に――誠実な招きでもある。


 青司は、ゆっくりと息を吸った。


 ここから先は、

 売る話ではない。

 守る話だ。


 そのことを、応接室も、この団長も、はっきりと示していた。


「向かいに座ってくれ」


 促され、青司は椅子に腰を下ろした。


 その動きに合わせるように、壁際に控えていた士官が静かに動く。

 音を立てぬまま卓の上に茶が置かれ、湯気が細く立ち上った。


 香りは穏やかで、強すぎない。


「――真夏の暑さだ」

 団長が、視線を青司に戻す。

「その中で着る装備を作った者の話を、聞かせてほしい」


 青司は、ひとつ息を整えた。


「はい。私は森で暮らしています」

「狩りをして生きている者と一緒にです。

 夏場は……どうしても、消耗が激しくて」


 言葉を選びながら、続ける。


「汗を吸って、すぐに乾く肌着があれば、

 少しは楽になるのではないかと思いました」


 視線を落とし、肩をすくめるように。


「最初は、ただの試作です。

 使ってみて、悪くなかった。それだけです」


 一拍置いてから、付け加える。


「日焼け止めも、同じです。

 商会で話題になっていまして……必要だと思ったので」


 名は出さない。

 誰のために作ったのかも、言わない。


 だが、それで十分だった。


「――最初は、肌着だけでした」


 青司は、淡々と続ける。


「森で使うために作ったものでしたから。

 身内なので、商会員にも配りはしましたが」


 青司は、そこで一度言葉を区切る。


「それに気づいた領主様から、

 街の衛兵隊や清掃員に、

 炎天下で動く装備として使えないか、と話がありました」


 視線は団長から逸らさない。


「個人で対応できる話ではありませんでしたので、

 服飾ギルドと、商業ギルドに協力をすでに領主様がして下さっていました」


 そこで、ようやく一拍置く。


「帽子の内側、手袋の内側。

 ズボン下、靴下、靴の中敷。

 現場での運用を見据え、服飾ギルドの提案で同素材を各部位に展開しています」


 団長の反応を待ってから、付け加える。


「なお、リオネの店舗では――

 一般流通としては、肌着のみを扱っています。


 市民向けには綿と麻の糸、

 衛兵隊と清掃員向けには綿糸、

 懐にゆとりのある方向けには絹と綿の混紡、

 貴族向けには絹糸で作ったものを用意しています」


 オズワルド侯爵は、ふっと息をついた。


「――いや、実はな」

 視線を上げ、青司を見る。


「団員の数名が、リルトで私費購入している。

 例の“肌着”だ」


 青司は、わずかに目を瞬いた。


「任務外だ。命令でもない」

 団長は続ける。

「だが、現場というのはそういうものだ。

 暑さに耐える術があれば、誰よりも先に試す」


 一拍、置く。


「使用感については、すでに報告を受けている。

 ……だからこそ、今日ここに君を呼んだ」


 青司は、控えていた荷の一つを示した。


「……もし、差し支えなければ。

 実物をご覧いただければと思い、持参いたしました。

 各糸ごとに、三組ずつの装備一式です」


 わずかに間を置く。


「売るためのものではありません。

 判断のための材料として――御笑納いただければと」


 オズワルド侯爵は、荷へと視線を落とした。


「……なるほど」

 低く息をつく。

「では、この量は――そのためか」


 声に、咎める色はない。

 むしろ、納得と理解が滲んでいた。



 応接室に、短い沈黙が落ちた。


 青司の言葉を受けて、オズワルド侯爵は、すぐには口を開かなかった。

 卓の上に置いた手を組み直し、視線を一度だけ、天井の高みへ向ける。


 考えている――というより、整理している。

 そう感じさせる間だった。


 やがて、団長はゆっくりと息を吐く。


「……机上で語るには、もう十分だな」


 その声音には、結論が含まれていた。


 オズワルド侯爵は、椅子の背にわずかにもたれ、青司へ視線を戻す。


「我々は、装備を“理屈”ではなく、“現場”で評価させてもらっている」

「暑さも、重さも、集中力の低下も――数字では測れん」


 一拍、置く。


「だから、我々の判断のために――君の作った装備を、試させてもらってもよいだろうか」


 短く、だが明確だった。


 そのまま、団長は視線を横へ流す。


「レオン」


「はっ」


 控えていた副隊長が、即座に一歩前へ出る。


「訓練所を空けろ。通常訓練は中断」

「任意参加で構わん。だが――」


 団長の声が、わずかに低くなる。


「装備を着用した者と、着用しない者」

「同条件で動かす」

「自前で肌着だけ用意した者も参加させておけ」


 レオンは、すでに内容を理解していた。

 その視線は、次の段取りへと向いている。


「持久走でよろしいでしょうか」


「それがいい」

 オズワルドは頷く。

「模擬戦では、技量差が出る。今回は“身体への負担”を見る」


 視線が、青司に向く。


「真夏の陽射しも、条件の一つだ」

「こちらで用意する暑さではない。今日の天候を使う」


 青司は、無言で頷いた。

 口を挟む余地はないし、必要もなかった。


 団長は、さらに続ける。


「距離と時間は、レオンに一任する」

「倒れる者が出る前に止めろ。無理はさせるな」


「了解しました」

 レオンは、即答する。


 オズワルド侯爵は、再び青司へ向き直った。


「セイジ殿」

 声音は、先ほどよりもわずかに柔らいでいた。


「君の話が、どこまで現場に耐えるか――」

「それは、騎士たちの身体が教えてくれる」


 それは、疑いではない。

 むしろ、最も公平な評価方法だった。


「異論はあるか」


「……ありません」

 青司は、静かに答えた。

「試していただけるのなら、それ以上の判断材料はありません」


 オズワルド侯爵は、満足そうに口角を上げる。


「よし」


 その一言で、この場の結論は決まった。


「では、訓練所へ向かおう」


 会談は、交渉では終わらなかった。

 ――実地検証という、騎士団らしい答えに辿り着いたのだった。



 騎士団の訓練所は、王城の一角にありながら、周囲よりわずかに開けた場所にあった。


 高い石塀に囲まれた広場。

 地面は踏み固められ、走り込みと模擬戦を想定した造りになっている。

 武具棚や給水用の樽が、必要最小限に配置され、飾り気はない。


 実用一点。


 それが、この場所の性格を物語っていた。


 青司は、入口脇で足を止めた。


 真夏の陽射しが、容赦なく照りつけている。

 石畳から立ち上る熱が、空気をわずかに揺らしていた。


(……暑いな)


 思わず、そう思う。


 だが、騎士団にとっては、これが日常なのだろう。

 戦場に、日陰は選べない。


 数歩先、高台に設けられた簡素な見台に、すでに一人の男がいた。


 オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵。

 第三騎士団団長。


 軍服姿で腕を組み、訓練所全体を見下ろしている。

 誰かと話すでもなく、ただ、黙って。


 その姿は、待っているというより――

 確認しに来たという印象だった。


 青司の横で、レオンが足を止める。


「ここでお待ちください」

 声は低く、事務的だ。

「団長は、すでに訓練の許可を出されています」


 青司は、軽く頷いた。


「分かりました」


 言葉はそれだけで足りた。


 控えの兵が、青司の持参した荷を訓練所の端へと運んでいく。

 布で覆われたそれは、武具とも補給品ともつかない。


 まだ、誰の注意も引いていない。


 だが――


 遠くで、金属の擦れる音がした。

 鎧を脱ぐ音。

 水桶を置く音。

 誰かが、訓練所へ近づいてくる気配。


 規則正しい足音が、一つ、また一つと重なっていく。


 青司は、無意識に背筋を伸ばした。


 訓練所に、いつもと違うざわめきが広がっていた。


 石敷きの広場に集まる騎士たちは、まだ整列していない。

 鎧を外した者、軽装のまま腕を組む者、給水桶の位置を確かめている者。

 視線は、中央に置かれた数組の装備へ、そして――その脇に立つ青司へと、自然に引き寄せられていた。


「なあ、あれが例の……」

「リルトで売ってるっていう、肌着か」

「私費で買った奴がいるって話、本当だったんだな」


 ひそひそとした声が、波のように広がる。

 嘲笑はない。

 だが、全幅の信頼もまだない。


 好奇と、半信半疑。

 それが、この場を満たしている感情だった。


 青司は、視線を向けられていることを感じながらも、前に出ることはなかった。

 商人として立つ場ではない。

 説明を求められてもいない。


 ――今日は、見られる側だ。


 やがて、短く鋭い声が訓練所に響いた。


「集合!」


 副隊長レオンの号令だった。


 ざわめきは、一瞬で切り取られる。

 騎士たちは反射的に動き、自然な隊列を作っていく。

 その動きに無駄はなく、統率の取れた集団であることが、何も語らずとも伝わってきた。


 レオンは一歩前に出て、全体を見渡す。


「本日の訓練は、比較試験だ」

 簡潔な声だった。

「戦闘ではない。危険な負荷もかけない」


 数名の騎士が、ほっと息をつく。


「だが、条件は揃える」

 レオンは続ける。

「装備を着用する者と、しない者は指名する。

 例の肌着を自前で持っている者は、着用した上で参加だ」

 視線が、再び装備に集まった。


 布地は目立たない。

 派手な色も、誇示する印もない。

 だが、訓練所という場所に置かれると、不思議と存在感を持っていた。


「見学は自由だ」

 レオンは、言い切る。

「参加を希望する者がいても、今回は受け付けない。次はある」


 その一言で、場の温度が上がった。


 ――次がある。


 それはつまり、今日の結果次第では、

 この装備が“第三騎士団のものになる可能性”を示している。


 騎士たちの視線が、自然と高台へ向かう。


 そこには、オズワルド・フォン・シュタインベルク侯爵がいた。

 腕を組み、何も言わず、ただ訓練所全体を見渡している。


 表情は読めない。

 だが、その沈黙が、何よりの許可だった。


 青司は、静かに息を吸った。


 売るための場ではない。

 説明する場ですらない。

 だが――


 これから起きることは、

 確実に「広まる」。


 そう、はっきりと分かる空気が、そこにあった。


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