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 服飾ギルドの工房は、街の外れに近い一角にあった。

 石造りの建物の奥から、一定のリズムで木槌と機織りの音が響いてくる。


 扉をくぐった瞬間、青司はわずかに息を止めた。


 繊維と、アイロンと、ハサミの匂い。

 布を裁つ音、ミシンの音。

 色とりどりの糸と、積み上げられた布。


 人の手で、何かを「形にしている」場所特有の空気だ。


「――こちらよ」


 先に立っていた女性が、振り返りもせずに声をかける。

 背筋の伸びた立ち姿。結い上げた淡い色の髪。

 作業着は簡素だが、どこか無駄がない。


 セリーナ。

 服飾ギルド直轄工房の責任者だ。

 年の頃は二十代後半。身分は平民だが、服飾ギルドで叩き上げてきた職人で、腕と実績でこの立場に立っている。


 作業台の前で足を止めると、彼女はようやく青司の方を見た。


「それが例の肌着かしら?」


「はい」


 青司は包みを解き、折り畳んだ肌着を机の上に広げた。

 見た目は、どこにでもある夏用の下着。

 派手さはない。


 セリーナは無言で指先を伸ばし、生地をつまみ上げた。

 引っ張り、緩め、光に透かす。


「……麻ね」


「はい。もともと、普段使っていた麻の肌着です」


 彼女は何も言わず、次に小さな水差しを取った。


 ためらいもなく、布の中央に水を落とす。


 水は、じわりと広がり――

 すぐに、生地の内側へと消えていった。


「……ふうん」


 そのまま数息。

布の表面は、すでにほとんど乾いている。


「水分を吸うのが、ずいぶん早いのね。

それでいて、重くならない」


セリーナは布を置き、今度は青司を見る。


「加工は?」


「森で採れる、食用にも薬用にもならない草と樹皮を使っています」

青司は少し言葉を選びながら続けた。

「その成分を抽出すると、繊維に作用して、水分の吸収が格段に良くなる。

しかも、乾きも早い。

その抽出液に、肌着を浸して定着させています」


「後処理、というわけね」


 彼女は腕を組み、少しだけ考える。


「……なるほど。

 縫い上がった後の肌着に、定着させているのね」


 その言葉に、青司は一瞬だけ目を瞬いた。


「はい。

 生地や糸の段階では触っていません。

 完成した肌着を、その抽出液に浸して、効果を持たせています」


「だから――」


 セリーナは、机の端に置かれた肌着へと視線を落とす。


「肌着自体には、何の問題も出ていない。

 いつも通りに作ったものに、あとから抽出液を定着させた――

 ……まるで魔法みたいだけれど」


 それは確認だった。

 そして同時に、次の問いへの助走でもある。


 彼女は、近くに置かれた糸束へと視線を移した。


「でも」


 指先で、麻糸を軽く弾く。


「この性能。

 完成してから与えるには、少しもったいないわ」


「……と、言いますと?」


 セリーナは、糸を一本取り上げた。


「手袋、靴下、タイツ。

 帽子の内側。靴の中敷」


 淡々と、だが確信をもって言葉を並べる。


「形にしてから加工するから、どれも“後処理”になる。

 でも――」


 糸をそっと指で張る。


「最初から、この性質を持った糸で作れたら、

 設計そのものが変えられるわ」


 青司は、思わず息を呑んだ。


「糸の……段階から、ですか」


「ええ。完成品にしてからだと、どうしても

 生地が重なるところが出てしまうでしょう」


 セリーナは、ゆっくりと頷いた。


「布は、糸の集合体よ。

 糸が吸わなければ、布にも限界がある」


 少しだけ口角が上がる。


「逆に言えば――

 糸で性能を作れれば、用途はいくらでも広がるでしょ」


 工房の奥で、織り機の音が続いている。

 規則正しく、黙々と。


「今は、肌着でいいわ。

 試験導入も、それで十分」


 だが、と付け加える。


「この先を考えるなら、

 “糸からできないか”を、避けては通れないわよ」


 セリーナは、まっすぐに青司を見た。


「あなたが持ち込んだのは、肌着じゃない。

 考え方よ」


 一瞬、工房の音が遠くなる。


 青司は、ゆっくりと頷いた。


「……正直に言うと、

 そこまでは、まだ考えきれていませんでした」


「それでいいわ」


 セリーナは即座に言った。


「考えるのは、これから。

 作れるかどうかは――」


 糸を机に置く。


「私たちが試す」


 その言葉には、迷いがなかった。


 工房の空気が、わずかに変わる。

 これはもう、見学ではない。


 次の段階に、足を踏み入れた音だった。




 作業台の上には、麻糸と綿糸、それぞれを同じ条件で抽出液に浸した試験片が並んでいた。


 綿糸は、ゆっくりと色を変え、液を含んでいく。

 一方で、麻糸は――

表面が濡れるだけで、液は繊維の奥へと入り込もうとしなかった。


 セリーナは、しばらく無言でそれを見比べていた。


「……やっぱり、入らないわね」


 指先で麻糸をつまみ、軽く引き延ばす。

 糸は張りを保ったまま、変化がない。


「服飾ギルドにも、錬金術が使える者はいるわ」

 彼女は淡々と言った。

「染色や防虫、撥水処理くらいなら、問題なくやってくれている」


 そこで、視線を青司に向ける。


「でも――この“吸って、すぐ乾く”加工は、別格よ」


 青司は、答えずに糸を見ていた。


「同じ抽出液。

 同じ浸し方。

 なのに、素材でここまで差が出る」


 セリーナは腕を組む。


「いえ……正確には」

 少し言葉を選ぶ。

「加工方法が、私たちの想定と違う」


 青司は、そこで小さく息を吐いた。


「……自分の場合は」

 ぽつりと、言う。

「完成した肌着を、抽出液に浸していました」


「それは聞いたわ」


「その時……」

 青司は、少し困ったように眉を寄せた。

「染み込みが遅いと感じたら、無意識に、魔力を流していたと思います」


 セリーナの目が、わずかに見開かれる。


「流す、というより……」


「押していた、に近いですかね」


 一瞬、工房が静まった。


 セリーナは、ゆっくりと納得するように頷く。


「……それなら、説明がつくわ」


 彼女は、麻糸を机に置いた。


「麻は硬い。繊維が密で、液を中まで引き込む力が弱い」

「でも、外から“力”をかけられれば、入る」


 視線が、青司に向く。


「あなたの魔力で」


 青司は、言葉を返さなかった。

 否定できなかったからだ。


「服飾ギルドの錬金術師たちじゃ、同じことはできないみたいね」

 セリーナははっきり言った。

「どうやら魔力量が違うもの。技術じゃ埋まらない差よ」


 綿糸を指で転がす。


「でも、綿ならどうかしら」

「繊維そのものが柔らかく、空気を含む。

 液を“吸う”余地がある」


 そこで、ふっと口角を上げた。


「つまり――

 量産を考えるなら、魔力に頼りすぎない工程が必要」


 青司は、ゆっくりと頷いた。


 糸を前にしたまま、青司はしばらく黙っていた。


 胸の奥に、覚えのある感覚が広がっていく。


(……また、ここだな)


 洗剤を作ったときも。

 髪を洗う薬液を形にしたときも。

 染め薬や、髪を整える液を考えたときも。


 自分で使う分だけなら、問題はなかった。

 効果も出る。手触りも良い。使った人の反応も悪くない。


 だが――


(量産、となると)


 必ず、同じところで詰まる。


 抽出はできる。

 配合も分かっている。

 手順も説明できる。


 それでも、職人の手に渡った途端、

 同じ効果が、同じ品質で出なくなる。


 理由は、頭では分かっていた。


(……魔力量だ)


 自分が無意識に流しているもの。

 強め、整え、押し込んでいるもの。


 それを前提にした加工は、

 自分一人で完結するうちは成立する。


 だが、街に広げようとした瞬間、

 途端に“再現性”が消える。


(だから、いつも――)


 量産の話になると、最後は、

 「できる人が限られる」

 「職人の勘に頼るしかない」

 という結論に落ち着いてしまう。


 セリーナの声が、思考を引き戻した。


「魔力を使う人を増やすんじゃない」

「魔力を“持つ素材”を使うの」


 その言葉が、すとんと落ちた。


(……ああ)


 同じ壁を、何度も見てきたからこそ。

 今度は、越え方が、はっきり見えた。


 自分の魔力を再現するのではない。

 自分が“無意識にやっていること”を、

 素材と工程に分解する。


 それができれば――


(ようやく、街の技術になる)


 青司は、ゆっくりと息を吐いた。


「……はい」


 そして、少し迷ってから続ける。


「実は、ホヅミ商会で育てている薬草があります」

「魔力を溜め込む性質を持つもので……今は、魔力回復薬用に栽培しています」


 セリーナの視線が、鋭くなる。


「農家と契約しているんです」

「冬には、ある程度まとまった量が収穫できる見込みで」


「なるほど……」


「回復薬だけじゃなく」

 青司は、静かに言った。

「髪の染め薬や、洗浄用の薬液。

 シャンプーやコンディショナーへの応用も考えています」


 セリーナは、しばらく考え込んだ。


「……その薬草」

「魔力を“溜める”のよね?」


「はい」


 彼女は、ゆっくりと笑った。


「それなら――」

「魔力を“使う人”を工程に組み込むんじゃない」


 糸を、指先で軽く叩く。


「魔力を“持った素材”を、工程に組み込めばいい」


 青司の目が、わずかに開く。


「抽出液に、その薬草を使えば」

「糸や布が、ある程度まで“自分で吸う”ようになるかもしれない」


 セリーナは、即座に言い切った。


「完全再現は無理でも、

 あなたの魔力を前提にしないラインは作れる」


 そして、作業台に両手をついた。


「考えるのは、これから」

「作れるかどうかは――」


 糸を、机に置く。


「私たちが試す」


 その言葉には、迷いがなかった。


 工房の空気が、わずかに変わる。

 これはもう、見学ではない。


 青司の“特別”を、

 街の技術に落とし込む段階に入った音だった。



作業台の上に並べられた試作品を前に、青司とセリーナはしばらく無言で立っていた。


 綿糸で仕立てた肌着。

 見た目は、これまでと変わらない。

 手に取れば、わずかに柔らかく、麻よりも軽い。その分、引っ張れば少しだけ伸び、力を抜くと、ゆっくり元に戻る。


 セリーナは布の端をつまみ、指先で何度か撫でた。


「……吸いは、問題なし」

 淡々と確認するように言う。

「乾きも早い。汗を含んでも、重くならない」


 軽く振ると、布はすぐに空気を含んで形を戻した。


「ただし」

 彼女は、そこで言葉を区切る。

「麻に比べると、どうしても値は張るわね。

 それと――長く使えば、多少はヨレる」


 青司は頷いた。

 どちらも、事前に想定していたことだ。


「元の素材の特性ですね」

「ええ。加工の問題じゃない」


 セリーナは、もう一枚の肌着を持ち上げる。

 こちらは、洗いと乾燥を何度か繰り返したものだ。


「それでも」

 彼女は、はっきりと言った。

「衛兵隊や清掃員の用途なら、十分よ」


 青司は、その言葉を胸の中で反芻した。


 ――十分。


 完璧ではない。

 最初に自分が作った、魔力を押し込んだ肌着には及ばない。


 だが。


この糸は、ギルドの錬金術師だけで仕上げることができていた。

糸の加工さえ済めば、後の工程は単純だ。

あとは、職人の手に委ねられる。


同じ手順を踏めば、同じ性能が出る。

 それだけで、意味があった。


「量産……いけますか」

 青司が、静かに尋ねる。


 セリーナは即答しなかった。

もう一度、布を引き、縫い目を確かめる。

そして、抽出液の定着具合を、指先で静かになぞった。


「……ええ」

やがて、短く頷く。

「この仕様なら、服飾ギルドの工房で回せるわ。

 ギルド内の錬金術師だけで十分。特別な補助はいらない」


 作業台の端に置かれた麻糸に、ちらりと視線をやる。


「麻は、次」

 そう言ってから、微かに笑った。

「欲張ると、全部失うわ」


 青司も、思わず苦笑した。


「まずは、届けることですね」

「そう。必要な人に、必要な時期に」


 決断は、静かだった。

 だが、迷いはなかった。


 数日後。

 服飾ギルドの工房では、綿糸の肌着が一定の速度で仕上がり始めていた。


 綿糸は、抽出液に浸され、ゆっくりと定着させられた。

その後、十分に乾かし、糸としての張りと安定を取り戻してから、次の工程へ回される。


織りの段階では、縦糸と横糸の張りや本数の組み合わせが、何度も試された。

吸いの良さを保ちつつ、肌着としての形を崩さないためだ。


そうして仕上がった生地は、裁断され、縫製へと回されていく。

 

 どの工程も滞りなく流れ、品質のばらつきも少ない。

 職人たちは口々に言った。


「軽いな」

「汗をかいても、張りつかない」

「洗っても、乾きが早い」


 最初のロットが揃ったとき、

 セリーナは帳面を閉じて、青司を見た。


「――仮成功、ね」

 そう言って、肩をすくめる。

「少なくとも、街に出せる水準には達した」


 青司は、完成した肌着を一枚、そっと手に取った。


 完璧ではない。

 だが、これは――自分一人の技ではない。


 工房の音を聞きながら、彼は静かに息を吐いた。


(……まずは、ここまで)


 綿糸の肌着は、街の現場へ向かう。

 麻糸の先にある本当の完成形は、まだ先だ。


 それでも。

 量産という名の一歩は、確かに踏み出された。


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