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 開店前のホヅミ商会リオネ店舗は、まだシャッターが半分ほど下りたまま、朝の涼しさを溜め込んでいた。

 事務所の奥では、帳簿を広げながら、数人の商会員が自然と集まっている。


「昨日さ」

 ティオが、声をひそめるでもなく、少し楽しそうに言った。

「納涼祭の川沿いで、セイジさんとリオナさん、並んで灯り流してたよな」


「見た見た」

 ルーカスが頷く。

「距離、近かったよな。肩、触れるか触れないかくらい」


「触れてたんじゃない?」

 レオナルドが肩をすくめる。

「ゼリーもさ、ひとつを分け合って食べてたって……でしょ、アイリさん」


 事務机の端で、アイリがくすっと笑った。

「もう、可愛くてね。

 女の勘だけど――あれ、完全に“二人の世界”だったわよ」


「わかる。冒険者でも仲間内でそんな雰囲気になるのと同じ感じだったわね」

 隣のエルミナも、湯気の立つ茶を持ったまま頷く。

「周り、ちゃんと見えてるのに、見えてないやつ」


 その言葉に、数人が小さく笑った。


 少し離れた場所で、エリンが書類をまとめながら、穏やかに口を挟む。

「でも、いい雰囲気でしたよ。

 無理してない感じで……ちゃんと、休んでるってわかる。職場の上司だって言ったら、

 “ああいう休み方ができる人は、長く持つ”って言ってたわ」


 その横では、ミレーネが荷の確認をしながら、静かに相槌を打っている。

 安定した二人の空気が、話題をからかいに寄せすぎない。


「リオナさん、今日は黒猫亭の手伝いだって」

 誰かが言った。

「だから、今朝はいないんだろ」


「なるほどなぁ」

 ティオがにやりとする。

「じゃあ、セイジさん一人で来るわけか」


 そのとき――


 カラン、と控えめな鈴の音。


 事務所の扉が開き、青司が入ってきた。


「おはよう」


 一瞬、空気が止まる。


 誰かが咳払いをし、誰かが視線を逸らし、

 そして、なぜか数人が、同時に妙に優しい顔になる。


「……?」

 青司は眉をひそめた。

「なにかあった?」


「いえ、別に」

 アイリが、何でもないふうを装って笑う。

「祭り、楽しかったみたいで」


「……まあね」

 青司は曖昧に頷き、上着を掛ける。

「街も落ち着いてきたし、今日は整える日だな」


 その言葉に、エルミナが小さく呟く。

「ほんと、変わったわよね。空気」


 青司は聞こえなかったふりをして、机に向かう。


 背中を向けたまま、商会員たちは視線を交わし、

 言葉にしない笑みを浮かべた。


 ――仲がいい、というのは。

 もう、誰の目にも明らかだった。


 本人だけが、少しだけ、気づいていない。


 それが、今のホヅミ商会の朝だった。


 *


「おはよう」


 青司が店に入ってきた。


 一瞬だけ、空気が止まり、

 次の瞬間、何事もなかったかのように、作業の音が戻る。


「おはようございます」

「おはよう、セイジさん」


 揃いすぎた返事と、妙に早い視線の逸らし方に、

 青司は何となく察してしまう。


(……何か、話してたな)


 だが、深くは聞かない。

 いつものように作業台に鞄を置き、帳面を確認しようとした、その時――


「おっと、揃ってるな」


 遅れて、クライヴが入ってきた。

 手には、いつもより分厚い書類の束。


「まず、連絡事項だ」

 クライヴは青司の方を一度見てから、続ける。

「品切れ中の商品、職人工房に追加の打診をかけたいと思う。

 ミレーネ、悪いが取りまとめをお願いしていいか」


「わかったわ。工房側、当たってみる」


「それから」

 クライヴは視線を巡らせた。

「ルーカス、レオナルド、ティオ。研修で工房に行ったことがあるな。

 今日はそっちの手伝いに回ってもらおうと思う。

 向こうも立て込んでるはずだ。少しでも早く、納品にこぎつけたい」


 三人は顔を見合わせてから、すぐに頷いた。


「了解です」

「任せてください」


「クレスさんは残っているメンバーで、

 店舗の掃除と配置換えをお願いします。

 品切れ中ですし、日頃手の行き届かないところをやりましょう」


「了解。売り場、少し夏向けに変えます」

 指示が一段落したところで、クライヴは青司の方を見た。


「それと、商会長。セイジさんに一件」


 自然と、室内の空気が引き締まる。


「商業ギルド経由で連絡が来ています。

 領主家が、例の肌着の件で一度話をしたいそうです。

 昼前に、ギルドへ来てほしいとのことでした」


 青司は、わずかに目を瞬いた。


「……もう、そこまで?」


「ええ」

 クライヴは頷いた。

「服飾ギルドも交える方向のようです。

 まだ正式決定ではありませんが、まずは方向性の確認かと」


 青司は、小さく息を吐いた。

 頭の中に浮かぶのは、商会員たちの声と、街の人々の実感。


「……わかった。行くしかない」


「お願いします」

 クライヴは、ほんの少しだけ笑った。

「商会としての話ですので、同席させていただきますね」


 そのやり取りを、周囲は黙って聞いていた。

 誰も茶化さない。

 ただ、次の段階が来たことを、静かに受け止めている。


 やがて、それぞれが持ち場へ散っていく。


 工房へ向かう者。

 店を整える者。

 帳簿に向かう者。


 開店準備の始まった店舗は、再び規則正しい音に満ち始めた。


 青司は一人、少しだけ立ち止まる。


(……祭りは終わった。でも)


 街の夏は続いている。

 そして、自分たちの仕事もまた、次の形へ進もうとしていた。



**************



 商業ギルドの応接室は、昼前の光を高窓から取り込んで、静かな明るさに満ちていた。

 長机を囲む席に、領主フィオレル子爵、商業ギルド長ラシェル子爵、服飾ギルド長オルヴェイン男爵が並び、その向かいに青司とクライヴが腰を下ろしている。


 形式ばった場ではあるが、空気は硬すぎない。

 それでも、全員が「ただの挨拶では終わらない」と分かっていた。


 最初に口を開いたのは、フィオレルだった。


 「では改めて。皆に集まってもらったのは他でもない、

私が後見しているホヅミ商会の件だ。

商会長のセイジ、

例の肌着について、君の言葉で説明してもらえるか」

 促され、青司は小さく息を整える。


「はい。

 こちらが、現在扱っている試作の肌着です」


 鞄から取り出したのは、一見するとごく普通の薄手の布地だった。

 色も派手ではなく、触れば軽い。


「……見た目は、普通の夏用肌着ね。生地は麻かしら」


「はい。見た目は、普通です」

青司はそう答え、言葉を足さずに机の上に布を広げた。


「特徴は、吸水性と乾きの早さです。

 言葉で説明するより、見ていただいた方が早いかと」


 そう言って、用意していた小さな水差しを手に取る。


 オルヴェインが眉を動かした。

「ここで、ですか」


「はい。問題ありません」


 青司は布の中央に、ためらいなく水を注いだ。


 しゅ、と音もなく、水が布に染み込む。

 その場にいた全員が、自然と身を乗り出した。


 水は広がらず、溜まらず、布の中へ消えていく。


「……吸うのは、確かだな」


 オルヴェインが低く呟く。


 だが、驚きはそこでは終わらなかった。


 青司はそのまま布の端を持ち上げ、軽く振る。


 数秒。


 ラシェルが、はっとして言葉を漏らした。

「……もう、湿り気がほとんどない?」


 フィオレルも、指先で布に触れる。

「冷えも残っていない……」


 乾いていた。

 完全とは言わないが、明らかに“濡れた布”の感触ではない。


 室内に、短い沈黙が落ちる。


 その沈黙を破ったのは、服飾ギルド長オルヴェインだった。


「……これは」

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

「夏場の下着としては、かなり異質だ。生地を絹にすれば、御令嬢や御夫人方が放っておかないでしょうね」


 ラシェルが頷く。

「汗を吸って、すぐ乾く。

 洗濯回数も減るでしょうし、衛生面でも評価が高いはずです。事務仕事をしている者にも喜ばれますね」


 フィオレルは布から視線を離し、青司を見た。


「私はこの肌着を、まずは街の衛兵隊と清掃員に支給することを考えている」


「……そんな大事に、なるとは思っていませんでした」


「それほどの物だと、私は思っているが」

 フィオレルは頷く。

「彼らは炎天下で動く者たちだ。

 その者たちの負担を軽くできるなら、

 まずは街として、試してみる価値はある」


 それを聞いた瞬間、ラシェルとオルヴェインが視線を交わした。


「……数量が、かなりの規模になりますね」

 ラシェルが静かに言う。


「……これは、素材の安定供給と縫製体制の整備が必要になりますよ。

この性能であれば、肌着だけでなく、タイツや手袋、靴下――帽子の内側や靴の中敷にも応用できそうです」

 オルヴェインも即座に続けた。

「……これは、もはや試作品の域では済みませんよ」


 クライヴが、青司の横で口を開く。

「現時点では、少量生産ですし、

 これから、職人工房との連携を詰めていく段階です」


「衛兵隊と清掃員それぞれに、

一人二着ずつに、予備を含めて用意してもらいたい」


「それは、ぜひうちが直接、その肌着の生産を請け負いたいですが、いかがでしょうか」

 フィオレルの言葉が終わる前にオルヴェインが入ってきた。


「その、生地の提供はうちに噛ませていただきたいわね。

それと、その加工は、麻の生地でなければ性能は出ないのかしら?

 ――素材が変わると、コストも流通も変わるわ」」

 ラシェルが少し考えながら青司に視線をむける。


「……そういうわけではないのですが。

まずは、普段使っていた麻布で試してみただけでして」


 ラシェルは、指先で机を軽く叩きながら、青司ではなくオルヴェインの方を見た。

 その視線は柔らかいが、逃がさない。


「麻だけでなく、綿や絹での加工も、段階的に試していただきたいところね。

 御令嬢や御夫人には、やはり柔らかさが重視されますし、

 綿であれば量産にも向く。

 麻と綿の混紡であれば、価格帯も調整しやすいでしょう」


 そこで一度、言葉を切る。


「生地の手配については――

商業ギルド側で責任を持って整えさせていただきたいと思いますわ」


 それは提案という形をした、静かな主張だった。


 オルヴェインは、すぐには答えなかった。

 布を指でつまみ、目を細める。


「……生地と糸の確保は、我ら服飾ギルドの本分だ。

品質と安定供給、その両立は簡単ではない」


 だが、そこで否定はしない。


「もっとも」

 彼は視線を上げ、ラシェルを見る。

「完成品を“どこへ、いくらで、どれだけ流すか”――

そこは確かに、商業ギルドの領分だろう」


 互いに、一歩だけ踏み込む。


「今回は」

 オルヴェインは、ゆっくりと言葉を選んだ。

「我々が生地や糸の手配と生産を請け負い、

 商業ギルドが流通と販売先の調整を担う。

 利益配分については――試験導入の結果を見て、改めて詰める。

 それでどうだろう」


 ラシェルは、すぐには頷かなかった。

 一瞬だけ、計算するような沈黙。


「……ええ」

 やがて、微笑みを浮かべる。

「まずは実績、ということですね。

 その方が、お互いに話が早いでしょう」


 言葉は柔らかい。

 だが、どちらも“主導権は渡していない”。


 生産と流通の役割分担が、ひとまずの形を見せたところで、


 そこで、青司の横にいたクライヴが、一歩だけ前に出た。


「――お待ちください」


 声は穏やかだったが、場の空気がわずかに引き締まる。


「前提の確認をさせてください。

 この肌着の加工と仕様についての権利は、ホヅミ商会が保持しています」


 ラシェルとオルヴェインが、同時にクライヴを見る。


「もちろん、

 生地や縫製、流通については、

 それぞれギルドのお力をお借りしたいと考えています。

 ただ――」


 一拍置き、続けた。


「条件や配分については、

 商会長であるセイジさんの意向も含めて、

 正式に詰めさせていただければと」


「そうね。

 あまりに興味深い話で、少し前のめりになっていたわ」


「同感だ。

 まずは、当事者であるホヅミ商会の考えを聞こう」


 青司は一度、ゆっくりと息を整えた。


 そして、場の空気を確かめるように、静かに口を開く。


「ひとつ……お願いがあります」


 ラシェルとオルヴェイン、そしてフィオレルの視線が集まる。


「まずは衛兵隊と清掃員への支給が優先なのは、よく分かっています。

 街の仕事を支える人たちですから」


 そこで言葉を切り、続けた。


「ただ――

 できるなら、少し先の話で構いません。

 この肌着が、街の人たちにも届く道を、最初から残していただけないでしょうか」


 室内に、短い沈黙が落ちる。


 ラシェルは、青司をまっすぐに見たまま、すぐには答えなかった。

 商人の顔だ。


「……もちろん、考えていないわけではありませんわ」

 やがて、穏やかに口を開く。

「ただ、新商品です。

 生産量も品質も、まずは安定させる必要がありますし、

 価格帯の調整も簡単ではありません」


 オルヴェインも、低く頷いた。


「試験導入で問題が出れば、信用にも関わる。

 市民向けに広げるのは、どうしても後になる」


 どちらも、否定ではなかった。

 ただ、現実の話だった。


 青司は、それを受け止めてから、静かに頷く。


「……はい。承知しています。

 無理に急ぐつもりはありません」


 それでも、と続ける。


「夏が来るたび、

 仕事じゃなくても、つらそうにしている人を見てきました。

 それが少しでも楽になるなら――

 いずれ、きっと必要になると思います」


 フィオレルは、そのやり取りを黙って聞いていたが、

 やがて小さく笑みを浮かべた。


「ふむ……」

「まずは街を支える者たちから。

 だが、その先に“街そのもの”を見ている、というわけだな」


 ラシェルが、肩をすくめるように微笑む。


「……ええ。

 そういう話をされると、後回しにする理由も、少し弱くなってしまいますわね」


 オルヴェインも、短く息を吐いた。


「市民向けは、第二段階。

 その後に貴族向けという流れだな。

 その前提で、設計だけは視野に入れておこう」


「ありがとうございます」

 青司は、深く頭を下げた。


 それは契約でも、約束でもない。

 だが、確かに――道は残った。


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