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 店の鍵を閉めたあと、青司とリオナはクライヴとクレスに見送られ、静かな石畳の道を並んで歩いた。

 戦い抜いたような一日だった疲労が、足取りの重さとして、しかしどこか心地よく残っている。


「……やっと終わったわね」

 リオナの声は安堵と疲労がまじり、どこか眠たげだった。


「ああ。でも、よくやったよな。あんなにお客さんが入るなんて思ってなかったから驚いたよ」

 青司が笑うと、リオナも小さく微笑む。


 その瞬間――石畳を踏む蹄の音が、二人の背後から静かに近づいた。

 振り向くと、黒馬に牽かれた立派な馬車が停まる。


「セイジ様、リオナ様。お迎えにあがりました。フィオレル家の従者ビリーと申します」


 御者席から降りてきた従者が深々と礼をする。

 扉の内側には、フィオレル家の紋章が刻まれたクッションとランタンの柔らかな灯り。


 リオナは思わず一歩後ずさった。


「お、迎え……? わ、私たちの……?」

 声がしぼむ。

 誰かに“必要とされる形”で扱われることに慣れていない者の戸惑いが、隠さず滲み出ていた。


「フィオレル様より。『今夜より、書庫として使用していた別宅を滞在先として使っていただきたい』とのご命です。

 現在は使用しておられませんので、どうか気兼ねなく、と」


 言葉の端々には――“厚意なのだから遠慮をしなくていい”という、さりげない配慮が滲んでいた。


「お二人の安全を案じてのことでもあります。どうか、受け入れていただけますように」


丁寧な口調なのに、断るという選択肢が最初から含まれていない。

 それが領主の意志の強さを、言外に伝えていた。


 青司の胸が強く打った。

 それは厚意ではなく、信頼の宣言であり――同時に期待でもある。


「……行くしかなさそうね、セイジ」


 リオナが袖をそっとつまんだ。

 怯えではなく、勇気をもらう仕草だった。


 青司は静かに頷く。


「ああ、そうみたいだね」


 馬車に乗り込むと、外の冷たい空気が遮断され、淡いランタンの光がゆるやかに揺れる。


扉を閉める直前、従者が深く一礼し、低く、しかし柔らかな声で告げた。


「道中は、どうか安心してお過ごしください。外の警備はすべて、こちらでお預かりいたします」


言葉の端に、護衛としての揺るぎない自負と、主人より託された信頼の重みが滲む。

だがそれ以上に、馬車内が二人にとって安らげる空間であるよう願う配慮があった。


従者は青司とリオナを残して扉をそっと閉め、気配を消すようにして御者席へ向かう。


 やがて、蹄の音が静かに響きはじめ、馬車は石畳の上をゆっくりと転がり出した。

 会話は少なく、沈黙が何度も訪れる。

 けれどそれは気まずいものではなく、長い一日の戦いを終えた心が静かに落ち着いていく時間だった。


「……ねえ、セイジ」


 ぽつりとリオナが口を開く。

灯りの揺れが、揺れたまま言葉を待つ。


「今日さ……狩りより大変だったね」


「そうか? 慣れないことしてもらったからな」


 声は軽い調子なのに、そこに確かな労いがあった。

リオナはそれに気づいたように、小さく笑う。


「うん。だけど……なんかね、嬉しかった。

 みんなが、仲間なんだって思えて」


 言葉の最後のほうは少し照れくさそうで、でも隠しもしない。

青司も、その素直さに釣られるように表情を緩める。


「……ああ。俺も、そう思ったよ」


 馬車は大通りを離れ、街のざわめきが遠のいていく。

静かな並木道へと入ると、外気の冷たさではなく、座席に残るぬくもりの方が意識に残った。




 やがて、柔らかな灯りに照らされた屋敷が見えてきた。

 豪華ではなく、端正で落ち着いた佇まい。

 フィオレル家の“気品”が、外観からも伝わってくる。


 玄関前にはすでに数名のメイドが並び、丁寧に頭を下げた。


「青司様、リオナ様。ようこそお越しくださいました」


 その言い方は客でも使用人でもなく――

“ここを使うのは当然”と受け入れる、家族に近い距離の言葉。


 馬車を降りた二人の荷物は丁寧に受け取られ、手を煩わせる隙もない。


「こちらは、お二人がお使いになられる本日のお部屋です」


 扉が開くと、温かな空気と淡い香木の香りが迎え入れた。

 決して贅沢すぎないが、心を休めるための配慮が全て整っている。


 「この別宅は現在、フィオレル家では使用しておりません。

 どうか気兼ねなく……お二人の家のようにお過ごしくださいませ」


 そう告げたあと、言葉を少し柔らかくして続ける。


「お仕事でお疲れでしょう。

 夕食の支度も整えておりますので、よろしければすぐにでもお召し上がりいただけます。

 無理にかしこまらず、どうぞ寛いでくださいませ」

 その一言に、リオナの肩がふっとゆるんだ。

 青司の胸にも、息が深く落ちていく感覚があった。


 メイドたちは二人に先立ち、柔らかな足音で回廊を進む。

 廊下には控えめな花のアレンジメントと、夜を邪魔しない淡いランタンの灯り。

 屋敷というより、落ち着いた隠れ家のような空気だった。


「こちらがセイジ様のお部屋でございます。そしてお隣がリオナ様の……」


 扉が静かに開かれる。


 セイジの部屋は、木目を生かした温かみのある空間だった。

 壁一面の大きな本棚、柔らかなグレーの絨毯、必要以上に主張しない装飾。

 窓のそばには、読書用のランプと背もたれの深い椅子。

 ――“書庫として使っていた”という言葉の意味が自然と伝わってくる。


 奥には洗面所、浴室、そしてトイレまで揃っていた。

 宿に泊まり慣れていた青司には、ひとつの部屋に生活のすべてが整っていることが少し信じがたく思えた。


「寝具は新しくご用意いたしました。

 お休み前に入浴なさりたい場合は、こちらをお使いくださいませ」


 丁寧すぎない案内が逆に心をほどく。


 リオナの部屋もまた、彼女に寄り添うように静かで柔らかかった。

 淡い緑のカーテン、猫人族の嗜好に合わせてなのか低めのテーブル、

 ベッドのそばには手触りの良い毛布がそっと置かれている。


「……すごいね、セイジ……」


 声が震えているのに、怯えではなく感動がにじむ。

 青司は照れくささに頬をかいた。


「なんか、住めって言われてるみたいだな……」


 メイドは微笑を浮かべたまま、その言葉を肯定も否定もしない。

 ただ、安心していいのだと静かに伝えるようだった。


 二人はそれぞれの部屋で身支度を整えた。

 湯の温かさに今日の疲れがゆっくり溶けていく。

 鏡に映る顔には、戦い抜いた一日分の誇りと安堵があった。


 

◆ ◆ ◆


 

 再びメイドに案内され、二人はダイニングへ。

 大きすぎないテーブルと、温かな灯り。

 広さはあるのに、静けさは家庭めいていた。


「おふたりが落ち着いてお食事できるよう、こちらの方式をご提案いたします」


 メイドが軽く会釈をしながら、テーブルクロスを整える。


「食事中に何度もお伺いしてお邪魔いたしませんよう、一度にすべての料理をお並べいたします。

 ごゆっくりと、好きな順に召し上がってくださいませ。

 おかわりや追加が必要な際は、呼び鈴をお使いになればすぐに駆けつけます」


 その言い方には――

 “世話ではなく、寛ぎを提供したい”

 という思いがはっきりと滲んでいた。


 音もなくサーブされていく皿。

 湯気を立てるポタージュ、焼き立てのパン、ローストの香ばしい香り、炙ったチーズ、

 季節の根菜のソテー、果実のシロップ煮――どれも優しい色合いで、胃より先に心が満たされる。


 すべてを並べ終えると、メイドたちは深く礼をし、静かに下がった。


「……好きなように食べていいってことだよね」

 リオナが少し目を丸くしながら呟く。


「うん。今日は、ゆっくり味わっていい夜なんだと思う」


 二人しかいないダイニング。

 外の静寂と灯りの温かさが、ゆっくりと身体の奥まで染みていった。



 最初のひと口を飲み込んだあと、静寂は心地よく続いた。

 だが沈黙が途切れたのは、気まずさではなく――誰かを思い出して、自然と笑みがこぼれたからだった。


「……ガラントさん、すごかったね。ずっと戦場の指揮官みたいだった」


 リオナがパンをちぎりながら言う。


「ああ。まさか他の店の接客経験があんなふうに役立つとはな。

 ミレーネのリボン結びも……なんかもう、速すぎて笑ったよ」


「ね。あれ絶対、魔法の領域だよ」


 ふっと二人の肩の力が抜ける。

 疲れているのに温かくて、思い返すほど誇らしくなる一日。


「クライヴさんも、ずっと立ってたのにあんなに元気だったし」

「クレスさん、あんなに落ち着いててすごかった……」

「エリンは途中からテンション上がっちゃってたな」

「そうそう、あれ可愛かった!」


 名前が自然に次々とあがる。

 まるで家族の食卓で、今日あった“うちの子”の活躍を語るかのように。


 青司は気づく。

 話題の中心には「仕事」ではなく、「人」がいる。


「……俺たち、すごい仲間に囲まれてるよな」


 ぽつりと、独り言のように言った。


 リオナはすぐ頷いた。

 そして、そのまま視線を皿から上げず、小さな声で続ける。


「ねえ、セイジ。わたし……今日、ちょっとだけ思ったの」


「うん?」


「ううん……ちょっとじゃなくて、ちゃんと思った」


 一拍置いて、胸の奥からそっと言葉を押し出す。


「“みんなで、お店やってる”って」


 その言葉は、どこかぎこちなくて、けれど真っ直ぐだった。


 青司は少し固まって、それから微笑んだ。


「そりゃそうだよ。俺一人じゃできないさ」

「知ってる。最初から分かってたんだけど……今日みたいな大変な日を一緒に乗り越えたら……なんか、ほんとに、“そうなんだ”って思えた」


 リオナが照れたように肩をすくめた。


「なんだろ……家族、って言ったら変だけど……それに似てるのかなって」


 その言葉は、決して大げさではなかった。

 あのメンバーで立っていたあの店は、まさに家のように温かかったのだ。


 青司はフォークを置き、目を細めた。


「俺もそう思った。

 全員、あの日あの時間のために“そこにいた”。

 あんな一体感……たぶん、一生忘れない」


 リオナは、そっと笑った。

 安心と誇りが混ざり合った、静かな笑み。


 まるで――

 ここは食卓なのに、戦友に労いの言葉をかけているようでもあり、

 家族で「今日も頑張ったね」と語り合っているようでもあった。


「……なあ、リオナ」

「なに?」

「今日、店にいてくれてありがとう」

「なにそれ。わたしの方こそ」


 二人は照れくさくて、同時に視線を外した。

 けれど、隠しきれないあたたかさが空気に満ちていた。


 そのとき、窓の外を風が通り抜ける。

 木々がさわ、と揺れ、別宅の静かな夜を包み込む。


 ここでは、肩書きも仕事も関係ない。

 仲間で、家族で――二人は、ただ「帰ってきた」。


 食事はゆっくり進み、夜は静かに深まっていった。



  ワインが1本の半分ほど減ったころ、空気が少しだけ緩んでいた。

 慣れない酒のせいで、二人とも頬がほんのり赤い。


「ん~……なんかね、頭がふわふわするの」


 リオナがワイングラスを胸の前で揺らす。

 普段ならすぐ飲むのをやめるところだが、今日は気が緩んでいた。


「飲みすぎじゃない?」

「そうかも。でも、おいしくて……」


 青司も笑いながらグラスを置く。

 彼も決して強くはない——それでも、仲間との成果の余韻に酔って、つい杯を重ねてしまった。


「ねえ、セイジ。今日ね、人がいっぱいで怖かったんだよ」


 唐突に落ちた言葉に青司は姿勢を正す。

 しかしリオナは酔いに任せて、いつもより軽い調子のまま続けた。


「でもみんなの声が聞こえてたら、震えなくなったの。

 なんでかなぁって思ったら……なんか、みんなと一緒に動いてるって感じがして」


 いつもの慎重さも恥じらいもなく、ぽつりぽつりと気持ちを言葉にする。


「役に立てたって思ったの。ちゃんと。

 すごいでしょ、わたし」


 自慢でも謙遜でもない——子どもが褒められたい時の声に近い。

 青司は思わず優しい目になる。


「すごいよ。ほんとに」


 リオナは照れたように笑うでもなく、ただ安心したように息をついた。

 酔いは、本来口にしない言葉を通りやすくする。


「セイジは? 怖かったりしないの?」


「……俺も今日、ちょっとビビってた」


 言った瞬間、青司は「あ」と声を漏らす。

 気づけば本音がすり抜けていた。


「前の世界で……努力しても全部空回って、居場所なくしたことあるからさ。

 また失敗したらって思うと、怖かったんだよ」


 言ってから、手で顔を覆った。


「酔ってるな俺……普段こんなこと言わないのに」


 リオナは机に頬を寄せながら、少しとろんとした目で見つめる。


「セイジの居場所、ここでいいんだよ? …わたしはそう思ってる」


 言った瞬間のリオナの表情は、本人が一番驚いていた。

 思考より先に、胸の奥の気持ちが滑り出たような声。


 青司は返事を失い、短い沈黙が落ちる。

 けれど酒が少しだけ、心に巻きついた鎧をほどいてくれていた。


「……そうなの?」


 問い返す声も、どこか頼るようで、弱かった。


「うん。ぜったい」


 リオナ自身、その強さに気づいた途端、慌てて手を振るように言い足す。


「その! 友達として! ……うん、友達としてだから! ね!」


 耳まで真っ赤。

 本当は余計な説明をしなきゃよかったと、本人が一番分かっている。


 でも——この取り繕い方をするということは、今の二人の距離を壊したくないから。


 だから青司は追及しない。


「……そっか。友達として、な」


 そう言いながらも声はどこか温かい。

 否定せず、受け止めて、そっと胸にしまう言い方。


 酔っているせいで、普段なら飲み込んだ言葉が互いにすり抜けた。

 それでも一線は越えないまま、少しだけ近づいた。


 二人は同時に伸びをし、同時にふらりとバランスを崩して、同時に笑った。


「寝よっか。酔ってるし」


「そ、そうだね。明日も仕事だし」


 少しふらつきながらそれぞれ自分の部屋へ歩く。

 廊下の途中で、酔ったせいか足が止まった。


「セイジ」


「ん?」


 リオナは目を合わせず、壁を見たまま言う。


「今日、楽しかったね」


「うん。楽しかった」


 それで十分だった。

 これ以上踏み込むのは、酔いという魔法に頼りすぎてしまうから。


「おやすみ」

「おやすみ」


 扉が閉まる音が二つ響き、別宅に静けさが戻った。


 ランタンの灯りがゆらゆら揺れて、ワインの残りが赤く光っていた。

 ほんの少しの距離と、ほんの少しの本音。

 それが、今の二人にはちょうどいい。


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