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ミレットが奥へ案内されていくのと入れ替わるように、外から複数の馬車が到着する音が重なって響いた。
「次のお客様です!」
扉番を務めるティオの声が張りのある音色で店内に響き、商会員たちは一斉に持ち場へと動き出す。
最初に入ってきたのは、リルトの宿組合長。年季の入った上質な外套を脱ぎながら、柔らかな笑顔を見せる初老の男だ。
「これは……想像以上ですな。まるで王都の高級店のようだ」
「こちらへご案内します。宿向けの業務用シリーズもご用意しております」
案内役のソフィアが歩幅を合わせながら、丁寧に説明を重ねていく。宿に特化した大容量セットやアメニティ用の小瓶が並ぶ棚を指し示すと、組合長の目が驚きと期待で輝いた。
続いて宿の店長たちが次々と入店する。ソフィアとリディアに案内されて進むたびに香りが変わる通路、ボトルの試験展示、客層別の推薦リスト――目に映るすべてに感嘆の声が上がった。
「うちなら、この癒し系の香りのミルク石鹸が良さそうだ」
「いや、旅人向けにはこっちの疲労回復の効果が強い方が――」
店長同士がその場で話し込み、商品を手に取りながら熱量高く意見を交わし始める。ルーカスとレオナルドは笑顔を絶やさず、それぞれの用途に合わせた使い方や価格を丁寧に説明していった。
ほどなくして、今度は理容組合長、そして理容室の店長たちが到着した。
革靴の音が店内に続き、鋭い視線が並ぶ棚を一つひとつ確かめていく。
「これが噂のハーブシャンプーか」
「はい、香りは柔らかかなっていますが、頭皮への刺激が程よいように調整されています」
ルーカスが澱みなく客の質問に応じる。
「染め薬の色味が増えたのですか?」
「はい。理容室様向けに色味を増やしております。仕上がりの色味はこちらのカードで確認できます」
青司が直接対応に出ると、理容師達の表情が一段と真剣なものに変わった。成分の解説、使用量の目安、色の定着時間――専門的な会話が矢継ぎ早に飛び交い、青司の説明の一言ごとに納得の頷きが連動する。
「これは……使えば確実に客が増えるやつだな」
「まだ他の理容室には流れていないのか?」
「こちらの染め薬はリルトの街の理容室の皆様だけです。街の外への販売は……もう少し先になります」
レオナルドが理容室の店長へ丁寧に応える。
その一言に、周囲の空気が変わった。
理容室の店長たちの目が、一斉にぎらりと光を宿す。
「つまり、今のうちに扱えるようにしておけば……」
「染め薬目当ての客を取り込める可能性がある、ってわけね?」
理容師たちの読みは早い。互いに視線を交わし始めたその瞬間、クライヴが一歩前に出た。
「そこで、もしよろしければ――宿屋さんと理容室さんに、協力をお願いしたいんです」
店長たちの視線が集まる。
「皆様のお店をご利用いただいたお客様に、この店へ足を運んでもらえる《紹介チケット》をお渡しいただけませんか?」
「チケット……?」
「紹介ってことかい?」
「ええ。街に来られる貴族のお客様が、この店だけで完結してしまうことを防ぐためです。せっかく来ていただいたのなら、リルトの街全体を楽しんでもらいたい。皆様のお店をご利用くださったお客様に、この店を紹介していただく――そういったチケットです。
もちろん、飲食店の皆様や、他の商店の皆様にも同じ提案をするつもりです」
クライヴは言い切った。その声音には押しつけがましさは微塵もなく、街の商売を“独り占めする”のではなく“皆で盛り上げる”という誠意が満ちていた。
商人たちはしばし黙り、互いに視線を交わした。
その中で、宿屋組合長と理容組合長だけは――一瞬だけ、クライヴと視線を合わせる。
すでに事前に話を受けていた、というわずかな気配。
「……ああ、そういうことだな」と互いに察したように、小さく頷き合った。
そして次の瞬間、宿屋組合長が口を開く。
「いいじゃないか。街全体で稼げるなら、それに越したことはない」
続いて理容組合長が笑みを浮かべる。
「うちも協力しよう。リルトの店が繁盛すれば、また街にお客様が戻ってくる」
組合長二人が賛意を示したことで、他の店長たちの迷いは一気に霧散する。
「だったら、うちも……」「協力させてもらおうか」「紹介チケット、面白いじゃないか」
視線が期待と商機の色に変わり、空気が一段熱を帯び始めた。
街に来る客がホヅミ商会“だけ”に集中するのではなく――
ホヅミ商会が“きっかけ”となって街全体が潤うようにする策。
その意図は、しっかり伝わっていた。
店内を見渡すと、商会員たちが息の合った連携で客をそれぞれの棚へ誘導し、会話し、試供品を提供し、注文を書き留めている。
視線、手の動き、立ち位置――その全てが「成功させる」という意思で見事に揃っていた。
緊張の開店からわずか数十分。
リオネの店舗内はすでに、熱気と期待に満ちた活況の中心に立っていた。
扉が静かに開き、落ち着いた足取りで商業ギルド長ラシェル子爵と副長ガラントが店内に姿を現した。
「ようこそ、お越しくださいました。お運びいただきありがとうございます。ラシェル様、ガラント副長」
クライヴは自然に背筋を伸ばし、丁寧に一礼した。ミレーネとエリンもやわらかな笑みをたたえつつ頭を下げる。
三人にとって、この二人は元上司であり、信頼を置いた師であり――街の商業を支える柱でもある。
とりわけクライヴにとって、ガラントは今もなお「仕事の基礎を叩き込んでくれた師匠」そのものだった。
ガラントはクライヴに視線を向け、わずかに口元を緩めた。
「クライヴ。……抜かりなく任を果たしているようだな」
「はい。ラシェル様と――師匠に教えていただいたおかげです」
交わした言葉は短い。だがそこには、積み重ねてきた年月と互いの信頼が確かに宿っていた。
ラシェル子爵は優雅な仕草で店内の棚を眺め、並ぶ瓶を一つひとつ確かめるように視線を滑らせた。そして、青司へと振り返る。
「セイジさん。あなたの活躍は、毎日のように耳に届いているわ。……思っていた通りね。街の“文化”を形づくる商会に成長してくれて、誇らしいわ。そしてもちろん、私自身もあなたの作る品を愛用しているの」
青司は軽く頭を下げ、言葉を慎重に選ぶように応じた。
「ありがとうございます。皆様のお力添えで――ようやく、この形に辿り着けました」
ラシェルは棚に並ぶ瓶のひとつを手に取り、蓋をそっと捻って開けた。ふわりと立ち上がった香りに目を見張り、思わず口元が綻ぶ。
「……これは、初めてみる香りね。爽やかさの中に、ほんのり甘さがある……?」
青司が頷く。
「新たに職人の方と共同開発した《ハーブソルト》です。肉にも魚にも使える万能タイプでして」
そこで後を引き継ぐように、緊張の面持ちのリディアが一歩前へ。
「ほ、他にも新作がございます。ボディーバターとバススクラブ、バスソルトはそれぞれ香りを数種類ずつ……。肌荒れ用軟膏、冷え対策軟膏、疲労回復には薬草茶とバームの二種をご用意しております」
言葉の勢いに息が上ずりそうになったリディアの横で、レオナルドが自然に会話へ滑り込む。
「バススクラブは、粉砂糖みたいに細かい塩粒をベースにして、肌を傷めずに角質を落とせるよう調整しています。保湿オイルを少し多めに配合しているので、洗い流した後はすべすべというより“しっとり”に寄せています。香りの種類は、森、柑橘、花の三系統です」
ラシェルは再び瓶を見つめ、うっとりしたように肩の力を抜いた。
「香りだけで、身体の疲れがほどけそう……。これは女性だけじゃなくて、働く男性にも人気が出るはずね」
ラシェルは棚の前で、少女のように胸を躍らせながら次々と商品を手に取っていった。
「この香りは絶対に夫婦で使いたいわ。あら、この軟膏も気になるの……いっそ全部買ってしまいたいくらいね」
その横でガラントが苦笑する。
「妻よ、控えめにしろと言っても無理な相談か」
「当然でしょう? こんなもの、出会ったら最後よ」
そうしてラシェルが購入希望を吟味している最中――
店の外で、誰かが息をのむような囁きを漏らした。
「……領主家だ」
空気がすっと張り詰め、扉が開く。
最前に立つのは領主フィオレ・アルベリオ。以前、青司と面談した人物だ。
その後ろには、衛兵隊長、その妻と令嬢、さらに清掃局長夫妻。
豪奢な衣服の一団が店内へ足を踏み入れると、空気はさらに澄んだ緊張に変わった。
だが次の瞬間、令嬢たちの視線は一斉に棚へ吸い寄せられた。
「お母様、この香りすごいわ……!」
「これ、髪の毛がふわっとなるって本当かしら」
上品さを保ったまま、しかし抑え切れない興奮がにじみ出ている。
そこでクライヴがそっと前に出て、落ち着いた声で告げた。
「恐れ入ります。本日はプレオープンにつき、お一人につき一種類二点までとさせていただいております。後日の販売もございますので、どうかご安心ください」
その言い方は柔らかく、しかし品格があり、貴族たちも素直に頷いた。
気遣いと統率を両立させた“商会支配人”の顔だった。
領主は青司の前へ進み、ためらいなく手を差し出す。
「セイジ殿、見事な仕上がりだ。――アルベリオ領としても誇りに思う。ここまでよくやってくれた」
青司が深く頭を下げると、領主は周囲には届かぬ声量で続けた。
「貴族間での贈答品や儀礼の折にも、ここの品を活かしていきたい。商品目録はあるだろうか?」
「はい、ご用意しております。御用のある折には何なりとお申し付けください」
青司から封筒を受け取った領主は、満足げに頷いた。
高い評価と信頼を言葉にせずとも示すように、封筒をそっと懐に収める。
「それから……聞いたぞ。君とリオナ嬢は街へ来る度に宿に滞在していると。
貴族との交渉の場も増えるだろう。よければ、街外れの別宅を商会の事務所兼滞在所として使うといい。鍵を手配させている」
あまりにも突然の申し出に、青司もクライヴも息を呑んだ。
だが領主は、二人の驚きを予測していたような表情でさらに続ける。
「リルトは、商会・職人・貴族・他国を結ぶ交易の拠点としてますます栄えるであろう。――その中核にはホヅミ商会が必要だ。君たちが動きやすい環境を整えるのは、領として当然のことだと思ってな」
一拍置いて、言葉に重石を乗せるように言い切った。
「ホヅミ商会の貴族後見人に、私がなるのはどうだろうか。……もちろん、強制ではない。だが考えてみてくれないか……急ぎではない。だが、私はこの街の名物が生まれていく瞬間を共に見たいのだ」
威圧ではない。
ただ未来を共に見据えようとする者の声音だった。
それでも――店内の温度は確かに変わった。
静寂は一瞬ではなく、波紋のように広がる。
視線が集まり、息を呑む気配が交錯する。
周囲の重鎮たち――ギルド長ラシェル、ガラント副長、宿・理容の各組合長までもが誇らしげに頷いた。
青司は深く礼を取った。
「……身に余るお言葉です。しかし、それに値する商会でなければなりません。商会員達と検討して、お返事させて頂きます」
領主は満足げに笑みを浮かべ、最後に念を押すように言う。
「明日からしばらくは混雑は避けられまい。店の前に衛兵隊を常駐させる。安心して客を迎えるといい」
その一言で、店内の空気は歓声に変わるわけではないが、確かな震えを生んだ。
この店は――街が守るべき“場所”として、認められたのだ。
香り、熱気、人々の息遣い。
開店前の店とは思えぬ熱を帯びた空間の中心で、青司は静かに息を吸った。
「重ね重ねお気遣いいただき、ありがとうございます」
青司の声には、心からの感謝と決意が込められていた。
領主はラシェル子爵や各組合長と談笑を続けながら、夫人や令嬢たちの買い物の手配を終えていく。棚の品を手に取り、香りを確かめる夫人に、令嬢が目を輝かせて商品を眺める。
青司やクライヴ、ミレーネ、エリンは背筋を伸ばして応対しつつも、内心では初めての緊張の連続を一息つく瞬間を待っていた。
やがて、衛兵隊長夫妻と清掃局長親子も領主に従い、店の出口へ向かう。
「君たちの店が街に根付くのを、我々も楽しみにしている」
清掃局長は親子の手を引きつつ微笑み、青司に向かって一言添える。
「セイジ殿、この店は我々も守るべき場所だ。安心して営業してくれ」
衛兵隊長は短く声をかけ、軽く会釈する。
青司は深く頭を下げ、静かに礼を返す。
「ありがとうございます。皆様の支えがあってこそです」
青司が一行を送り出すと、店内の緊張の糸は、初めてすっと緩んだ。
一斉に、どっと息が漏れる。商会員たちの肩の力が抜け、張り詰めていた空気がやわらかくほどけていく。
香りと熱気、まだ残る緊張の余韻の中で、笑顔と安堵が店内を満たしていった。
「ふぅ……やっと一息つけますね」
ソフィアが小さく息をつき、棚に手を添える。
「皆、よくやったわ。本当に……」
ミレーネはほころんだ笑みを見せ、疲れの色が浮かぶクライヴに目配せする。
「ここまで、全員でやりきったのね」
エリンは商品棚を見渡し、胸に手を当てて深呼吸する。
「展示も、ご案内も……完璧だったと思います」
青司は商会員一人ひとりの顔を見て、穏やかに頷く。
「みんな、ありがとう。本当に頼もしかった」
その瞬間――
扉の鈴が軽やかに鳴く。
視線を向けると、まだ滞在している宿の店長たち、理容室の店長たち、組合関係者が、香りのコーナーへ向かい試供品を手に取っていた。
プレオープンはまだ続いている。
むしろ――領主家が退店し、客も商会員も肩の力が抜けたことで、会話は一層弾み始めていた。
「バススクラブの香りを比べられるのかい?」
「このボディーバター、季節ごとに提案できそうだな」
商会員たちも再び動き出す。
リディアが笑顔で試供セットを案内し、ルーカスとレオナルドは使用方法の説明、ティオは在庫を確認して補充に走る。
青司とリオナは目を合わせ、ほんの一瞬だけ笑い合う。
――ここからが本番だ。
青司は静かに息を吸い、店の中心に立ち、客たちの方へ歩き出す。
この空間――リオネが、街の人々に愛される場所になる未来を、確かな手応えとともに感じながら。
領主家一行が店を後にし、扉のベルが静かに揺れて音を立てた瞬間、張り詰めていた空気がふっと解けた。
だが、その緩みは嵐の前触れでもあった。
「えっと……! じゃあ私たちも買っていいのよね!?」
「さっきから狙ってたんだよ、この染め薬!」
「一人二点にしたって早い者勝ちよ! ほら、どいてどいて!」
それまで気を遣って様子を伺っていた客たちが、一気に陳列棚へとなだれ込む。次々に品物を手に取り、値札を確かめ、会計カウンターへ押し寄せた。
「エリンちゃん、お願い!」
「は、はいっ! ただいま精算いたします!」
会計担当のエリンはレジ台の前で大忙し。両手の羽ペンが止まらず、受け取った硬貨を盆に仕分け、名前と購入品の記録簿を書き込み、包装まで同時進行。額には薄く汗が浮かぶ。
「エリン、この会計こっちで引き取る!」
「そっちは俺がまとめて聞く、順番に並んでくれ!」
すぐさまルーカスとレオナルドが肩を並べてサポートに入った。金種の確認、釣り銭の受け渡し、客の名前の復唱とチェック。まるで狩猟の連携のように無駄のない動きでエリンの負担を切り分けていく。
「列を二手に分けます! 入浴グッズをご購入の方はこちらへ!」
「その他、軟膏や回復薬、ハーブソルトなどの方はこちらです! はい、順番にお願いします!」
客が詰まらないよう、ソフィアとリディアが店内の通路を使って丁寧に誘導する。柔らかな声と落ち着いた所作で、客の足と視線を自然に誘導していくと、混雑していたはずの売り場が驚くほど整然と動き始めた。
「ティオくん! スクラブのSサイズ、棚に追加お願い!」
「うん、持ってくるね!」
ティオはぱたぱたと奥へ走り、抱えきれないほどの補充用の瓶を両腕に抱えて戻ってくる。小さな体で何度も往復しながら、品薄になりかけた棚を支え続けた。
その間、青司、リオナ、クライヴの三人は来客対応に集中する。
「こちらは肩と腰のどちらにも使えます。香りが気になる方は別の配合も」
「お肌が弱い方でしたら、このシリーズが刺激が少ないですよ」
「お買い物に迷われたら、症状を伺って最適なものをご案内します」
三人は声を掛け合い、客の相談と案内を次々と繰り返しながらも笑顔を絶やさない。
やがて、喧騒の中にも落ち着きが戻り、扉のベルがまた軽やかに鳴った。
「本当にいいお店だね、また来るよ!」
「宣伝しておくからね~!」
「次は家族も連れて来る!」
喜びと期待の言葉が残り、客たちは一人また一人と退店していった。
最後の客が手を振りながら外へ出ていき、扉が静かに閉まる。
その瞬間、店内から同時に大きな息が漏れた。
「……終わった、んだよね?」
エリンがへたりと腰を下ろす。
「終わったよ。みんな、お疲れさま」
青司が笑い、仲間たちを見回す。
店はようやく静けさを取り戻した。だが、棚には確かに空きが増え、レジ台には商いの成果が積み上がっている。
――ホヅミ商会のプレオープン初日は、こうして成功の手応えを刻んでいった。




