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  朝の宿の食堂は、パンの焼ける香ばしい匂いと、スープの湯気が静かに漂っていた。

 青司とリオナは向かい合って席に着き、まだ少し眠たげな顔で食事をとっていた。


「昨日は……にぎやかだったわね」

 リオナが、スプーンでスープをゆっくり混ぜながら言う。


「ほんとにな。あんなにいじられるとは思わなかったよ。女性陣は美容トークが盛り上がってたし」

 青司が苦笑する。


 その言葉に合わせて、リオナの耳がぴくぴく動き、頬が淡く染まる。


「……女の子ですから。ああいう話は楽しかったですけど、ちょっと……恥ずかしかったです」


 ふわっと笑う表情には、昨日の余韻がまだ残っていた。

 青司はその笑顔に少し安心しつつ、パンをちぎってスープに浸す。


「今日もギルドに顔出すんだろ?」

「でも、私が行っても……できることはないんじゃないかしら。だって、私は狩人よ?」


 言いながらも、どこか居場所を気にするような声音だった。


「そんなことないさ。いてくれるだけで助かるよ」


 青司の言葉が綴られるのとほぼ同時に、窓から朝日が差し込み、

 彼のコンディショナーで整えられたリオナの髪が、そっと光を返した。



 ギルドの玄関をくぐった瞬間、朝の光が差し込むロビーに、明るい声が弾んだ。


「おはようございます、セイジさん!」

「リオナさんも一緒なんですね!」


 ティオ、ルーカス、レオナルドの三人がそろっていて、出勤してきたギルド職員たちの間からひょいっと顔を出した。


「……あれ? 一緒に出勤?」

「まさか“同じ宿から”?」


 にやにやと近づく三人に、青司は額を押さえる。


「いや友達だからな。朝メシが同じだっただけだっての」

「ええ〜? 毎日同じ食堂って、それもう仲良しじゃないですか」


 双子が左右からのぞき込み、ティオは堪えきれず笑っている。

 一方のリオナは──


 耳が真っ赤。


「ち、違います……! その……宿が、便利なので……」


 その必死さが逆に三人を大いに刺激したらしい。


「ほら見ろセイジさん、昨日よりリオナさん、反応かわいくなってますよ!」

「朝から平和ですね〜」


「ほら、事務所に行くぞ! 仕事、仕事!」

 青司が逃げるように歩きだし、三人は肩を揺らして笑いながらついていった。




 部屋へ入ると、すでにクライヴが書類の束を抱えて待っていた。

机の上には図面らしき紙が広げられ、朝から動いていたことが一目でわかる。


「来たか。セイジさん、リオナさん。ちょうどよかったです」


 軽くあいさつを交わすと、クライヴは書類を整えながら本題へ入った。


「店舗の件ですが──今日から内装と外装の工事に入ってもらうことになっています。

 棚の設置は四日後、看板は六日後に掛けられる予定です。考えていたよりずいぶんと早いでしょう」


「早い……!」

 リオナの耳がぱっと立ち、目が輝く。


「領主家から大工組合に直々の指示が入っているんです。

 内装も外装も、とびきり豪華になりますよ」


「すごいですね……いよいよ本当に形になるんだ」

 青司の胸にじんわりと熱が灯る。しかし同時に、工事の大規模さに不安もほんの少し。


「予算、大丈夫なんですか? 思っていたより……」


 クライヴはふっと口元だけで笑い、人差し指を唇に当てた。


「領主家から『資金は用立てるから、入浴グッズを先に購入させてほしい』と。

 どうやら──夫人とお嬢様からフィオレル様に、相当な突き上げが入ったようでしてね」


 声を落として続ける。


「ですので、領主家への入浴グッズの納品は、セイジさんにお願いしますよ」


 クライヴはそこで声を落とした。


「それと……昨日の“美容談議”に出ていた例のボディーバターとバスソルト。まだ商品化していませんよね。ミレーネと一緒に、工房を探さないといけません」


 青司とリオナは顔を見合わせる。


 そのタイミングでノックが響いた。


「失礼します!」


 勢いよく扉が開き、ソフィア、リディア、エリン、ミレーネの四人がずらりと顔を覗かせた。


「リオナちゃん、昨日のボディケアの話、もっと聞きたくて!」

「昨日少し分けてもらったサファニア草の香りのボディーバター、あれ本当に良かったのよ!」


 リオナは迫る熱量に思わず一歩下がるが、耳がぴくりと揺れ、頬はどこか嬉しそうにゆるむ。


「えっと……あれはまだ販売用には作ってなかったはずだけど……セイジに聞いてみないと……」


 その瞬間、ソフィアとリディアが両側からリオナの腕をがしっと取った。


「じゃあ販売品の発注先、今日相談しませんか?」

「シャンプーの工房はもうあるのよね? 他のも作れるのかしら?」


 リオナは青司へ視線を向け、小さな声で助けを求める。


「セ、セイジ……」

 助けを求めるようなその視線に、青司は苦笑しつつ肩をすくめた。


「ええと……みんなそんなに興味あるなら、ちゃんと話した方が早いんじゃない?

 ボディーバターもバスソルトも、まだ正式な工房を決めてないし……発注先を今日決めるのは、まあ、できなくはないけど」


「決めましょう!」

「今日やりましょう!」


 即答で重なる声に、青司が思わず目を瞬く。


 その瞬間──

クライヴが書類を抱えたまま軽く咳払いをして割って入った。


「お、お嬢さん方、少々お待ちを。順番があります、順番が」


 クライヴは胸元の書類を抱え直し、ぱん、と軽く揃えると、一気に場を仕切りにかかった。


「さて、闇雲に話してもまとまりませんからね──議題を整理しましょう」


彼は指を三本立て、手際よく読み上げる。


「一、各自に依頼してある研修計画の確認。 

 二、“未商品化”のものの仕様を仮決定する。

 三、発注先候補のリストアップ。


 以上を、本日の議題とします!」


「わぁ、本格的に会議だ……!」

 ソフィアが目を輝かせて身を乗り出す。


「資料いる? 書くよ?」

 ルーカスはもうメモ帳を開き、ペンを走らせる準備万端。


「研修って……どういうやつだ?」

 レオナルドが怪訝そうに眉をひそめる。


「ね、リオナちゃん。香りの案とかある?」

 リディアは腕を組みながら、今にもディスカッションに入りそうな勢いで乗り出してきた。


 部屋の空気は、一気に“女子の美容討論会”から“商談会議の様相”へと切り替わる。


 青司はその勢いに軽く息を漏らし、苦笑いをこぼした。


「じゃあ、まずはボディーバターの発注先について整理をしましょうよ。昨日、私たちが少しずつもらった香り、ぜんぶ違っていたじゃない? ねえ、リオナさん」


 リディアの言葉を受け、リオナは一瞬だけ青司に視線を送り、

騒がれるのを気にするようにそっと声を落として身を乗り出した。

耳がぴくりと揺れる。


「ええ……ラベンダー、サファニア草、ローズヒップ……それから、ミントも、少しだけ作ってもらっているの」


「香りは重要よね。特に領主家へ納品するものなら、強すぎず上品なのが理想ね」

 ソフィアがうなずき、手元のメモに走らせながら続けた。

「それぞれ香りごとの使用感や肌触りも確認したいわ。リオナさんが使った感想、教えて」


 リオナは少し考え、落ち着いた声で答えた。


「ラベンダーは香りがやや強めですけど、肌に伸ばすとすっと馴染みます。サファニア草は香り控えめで、柔らかく滑らか。ローズヒップは油分が多めで、しっかり保湿できます」


「なるほどね。じゃあ、バスソルトの方は?」

 ミレーネが手元の資料をめくりながら問いかける。


「ローズやハーブ系も試しました。溶ける早さや香りの持続時間も、ひと通り確認しているわ」

 エリンがすかさず補足する。

「塩分濃度も、体に刺激が出ないよう調整されていたもの。香りも残るし、とても良かったわよ。さすがセイジさんね」


「ちょっと待ってくれ」とクライヴが慌てて書類をかき集め、話の流れを強引に戻すように口を挟む。

「落ち着いてくれ──まず、研修の予定を伝えてからだ」


青司とリオナが顔を見合わせる。


クライヴがペン先で書類を軽く叩きながら告げる。


「ルーカス、レオナルド、ティオはそれぞれの職人の元で商品知識を学んできてほしい。

 ティオは洗剤職人マルコット工房、レオナルドはシャンプー職人ドナート工房、そしてルーカスは石鹸職人ロディン工房だ」


三人が緊張した面持ちでうなずく。


「ソフィアとリディアはそれぞれ《白銀亭》とミレットの美容室で、接客と客層について学んでもらう。各工房・店舗にはすでに協力依頼済みだ。新しい商品ができても、お客様に説明できなければ意味がないからな。しっかり学んできてくれ」


「《白銀亭》って、街で一番の宿じゃないですか!?」

ルーカスが思わず声を上げる。


「今は貴族客がひっきりなしに泊まりに来て、予約が全然取れないって聞いてますけど……」

レオナルドが目を丸くしてソフィアを見る。


エリンは小さく肩をすくめた。

「それだけ今回の研修は“本気”ってことよ」


ソフィアは少し頬を強張らせつつも、小さく拳を握った。


青司は頷き、手元のメモにさらさらと数行を書き足す。


「じゃあ──研修に行ってもらう前に、少し安心してもらおうか。

 ボディーバターとバスソルトの話は、実は少し前からクライヴたちと相談していたんだ」


室内の視線が一斉に青司へ向く。


「それで、クライヴとミレーネに、発注先になり得る工房を二つずつ見つけてもらっている。

 ……そうだったよね?」


クライヴは胸元の書類をとんとんと揃え、すぐに応じた。


「ええ。候補工房の設備・衛生・生産量の確認も済んでいます。

 どちらも品質は問題なし。今日はその“どれを本命にするか”を決めるところまで持っていきたいですね」


その言葉に、リオナの耳がぴくりと揺れた。


クライヴは手元の資料をめくり、数枚をテーブルに広げた。


「では──まずは発注候補の工房を紹介します。

 どちらも、セイジさんの商品を作るには十分な技術を持っていると思います」


リオナを含め、皆が身を乗り出す。


ミレーネが説明を引き取る。


「まず一つ目はセレスティア工房よ。

 香油づくりに特化した工房で、香草や花のエキスの抽出技術がとても丁寧。

 香りの“質”ならこの街で右に出るところはないわ」


「香りの良いボディーバターが出てきそう……」

ソフィアが夢見るように呟いた。

「ふわっと広がる上品な香り、絶対人気になるわね」


「サファニア草の香りを扱った経験もあるようです」

クライヴが書類を指で叩く。

「貴族向けの香水も過去にいくつか手がけてますね」


リオナの耳が興味深そうにふわりと揺れた。


「もう一つはルーメン工房です」

クライヴが別の紙を広げる。


「こちらはローズヒップやミント系の薬草や香草を専門に扱う工房です。飲用ではなく、成分抽出と加工が本業でしてね。香りは控えめですが、肌に有効な成分の“抽出”がとても正確なんです」


「なるほど、肌ケア重視って感じね」

リディアが腕を組んで頷く。


「ええ。領主家が購入するとしても、どちらも候補になりえます」

クライヴは資料を切り替える。


「バスソルトについては、ソルティ工房が第一候補です。

 岩塩の精製技術が高く、粒の大きさや溶け具合を細かく調整できます」


エリンが補足する。

「入浴剤として使ったときの“香りの持ち”がとても良いってことですしたよね、セイジさん」


「そう、あの岩塩は扱いやすそうですね」

青司が頷くのを見て、レオナルドがメモを取る。



「もう一つは バル工房 。もともと、湯に香料を入れて楽しむ文化を広めた工房でな」

クライヴの声がわずかに弾む。


「香料を湯に溶かすと、香りが段階的に変化する“移ろい香”を作っている。

 価格は少し高めだが、貴族向けの需要は強い。ただ……最近は売り上げが伸び悩んでいるらしい」


「段階的に香りが……それ、楽しそうなのに」

ソフィアがぱっと目を輝かせる。


リオナは思わず青司の袖をそっと引いた。

「……セイジ、バル工房の入浴剤、ちょっと気になるかも」


青司は苦笑しつつ小さく頷く。

「俺も気になるよ」


クライヴは場を見回し、軽く咳払いした。


「というわけで──本命候補は ボディーバター2つ、バスソルト2つ 。

 この中から、今後付き合っていく“第一の工房” を決めたいと思っている」


ルーカスが手を挙げる。

「ってことは、今日で方向性が決まるってことですか?」


「ああ。そのつもりだ」

クライヴが強く頷く。


 少し間を置いて、視線を紙に落とす。

「……なあ、クライヴ。工房のどちらか一つづつに絞るんじゃなくて――全部と提携することはできないかな」


室内の空気がわずかに揺れた。


「ぜ、全部!?」

レオナルドが思わず声を裏返す。


ソフィアも身を乗り出す。

「四つともって、できるんですか?」


エリンは腕を組み、冷静に状況を測るように言葉を継ぐ。

「メリットは大きいわ。商品ラインも強くできるし、顧客層も広げられる。でも……各工房同士の“競合”問題は必ず出るわね」


クライヴは目を閉じて数秒考え、ゆっくり口を開いた。


「四工房全部と提携──無理ではないとは思う。

 だが、ただ“お願いします”では飲んでもらえないんじゃないか。

 四つが競うんじゃなく、四つだからこそ成り立つ形を提示しないと……納得は得られないのではないかと」


エリンが小さく息をのむ。

「つまり、“棲み分け”を先に示せってことね?」


クライヴは頷き、青司へ視線を送った。

「セイジさん、あなたがどう考え職人にどう伝えるかが鍵になります。

 それを筋が通る形で示せれば、四工房はきっと動く」


青司は静かに息を吸い、視線を前に向けた。


「棲み分け……」

青司が繰り返すと、ミレーネが補足する。


「例えば、用途・季節・客層・香りの方向性をそれぞれ別軸にするの。

 似た商品にしないことで、工房同士が戦わなくて済むようにする」


ソフィアが息を呑む。

「それなら……四つの工房が、喧嘩せずに並べられるってこと?」


「ええ。並べるだけじゃないわ。“選べる楽しさ”になる」

ミレーネが微笑む。


レオナルドがゆっくりと頷いた。

「価格帯も分ければ……貴族、裕福層、一般層まで全部拾えますね」


そして、クライヴが青司を見た。

「セイジさん――その提案で、工房の職人たちを納得させられるかだな」


青司は笑った。

「もちろんと言いたいけど、たぶんかな」


沈黙のあと、室内に柔らかな空気が生まれる。


ソフィアがぽつりと漏らした。

「……なんか、本当に大きな商会みたいになってきたね」


リオナは青司を見上げ、尻尾を揺らしながら微笑む。

「セイジらしい提案だと思う」


ルーカスが笑い、場の緊張がふっとほどけた。


「なら──明日だな。四工房の主を呼び出して、交渉してみましょう」


クライヴが指を鳴らし、机の上の書類を閉じる。

「商業ギルド第十一商談室は確保しておきますよ。あとは、セイジさんの熱しだいですね。研修組は、こっちは任せて、しっかり学んできてくれ。」


その瞬間、メンバー全員の視線が青司へ集まった。


青司は苦笑しながらも、背もたれから起き上がり、立ち上がる。

「なんとかなるといいな。俺たちの店の商品だ。最高の形で並べたい」



**************



 翌日──ソフィアたちが研修へと出発し、ホヅミ商会の事務所が少し静かになった頃。


 商業ギルドの二階、第十一商談室。

 通常は一対一の取引に用いられる六人掛けの部屋だが、今日は少し多めの顔ぶれが並んでいた。


 青司、クライヴ、ミレーネ。

 そして、セレスティア工房・ルーメン工房・ソルティ工房・バル工房の四工房主。


 重厚な扉が閉ざされると、静寂とわずかな緊張が空間を満たした。


 最初に声を上げたのは、セレスティア工房の工房主リュシアンだった。薄紫の香油を思わせる、上品な香りを纏う長身の男性だ。


「……まず確認したいのだが」

 銀縁の眼鏡越しの視線が青司に向けられる。

「四工房を呼び集めたというのは、下請け費用の削減、つまり互いに競わせる意図だろう?美容だかなんだかで上手くいっているらしいが、我々をあまり軽くみないでほしい」

 場の誰もがまだ口を開いていないうちに、空気そのものを奪うように発言した。


 青司は視線を逸らさず、ゆっくり息を吸った。

「競わせる案がなかったわけじゃありません。ですが──それは短期的な利益でしかない。

 上質な工房同士が削り合う未来は、僕たちの店にとっても、皆さんにとっても損失です」


 すかさずルーメン工房の工房主エメリオも唇を歪ませて乗る。

「方向性の違う工房を一堂に会させるなんて、少し横暴なやり方じゃないでしょうか。「うちは“薬効が出るもの”しか作らない。

 香りで気分が変わる? 流行の言い回しですよ。それで職人同士が並ぶ理由になりますか」


「時間の無駄にはしません。むしろ──単独では届かない層に届く可能性があります」

青司は指を一本立てた。

「薬効を重視する入浴剤は、間違いなく需要があります。ただ……日常生活で『癒やし』を求める人は、薬効と香りの両方を求めるんです」


 ソルティ工房の工房主ダンも腕組みをしたまま低く唸った。

「うちは塩の味を一番に精製してるんだ。枠を超えるような商売なら降りるぞ」


 最後に、インフュミエル工房の若き女主人カリーナが、やや挑発するような笑みを見せる。

「移ろい香を扱う私たちを呼ぶってことは……“話題性担当”に使いたいってこと? それなら、うちが主役じゃなきゃ嫌だわ……けど、面白いじゃない」

ほかの工房主が険しさを滲ませる中で、ただ一人カリーナだけが口元を緩めた。


「棲み分けだの役割分担だの、普通は“失敗を恐れる側”が言うものさ。

 なのに君は“成功を分け合う形”を作ろうとしているのよね。

 ……怖くないのかしら? 全部が上手くいかなかった時の責任」


 一気に張り詰めた空気──

 四工房の視線が、探るように、あるいは敵意すら込めて青司へ向く。


その中で、グラントがゆっくり腕をほどき、低く告げた。


「皆さん、話を聞く前からそんなに威勢よく構えなくてもいいでしょう」


柔らかな言い回しなのに、その声音には

“納得する気がないなら帰ってくれて構わない”

そんな無言の圧が宿っていた。



 青司は全員の言葉を最後まで遮らずに聞いた。

席を立つことも、表情を歪めることもなく、ただ小さく息を吸う。


「そりゃ怖いですよ、カリーナさん。

 でも――責任は僕が全部引き受けます。

 成功した時は、皆さんと分け合いたい」


そこで一度、視線を全員へ向け直し、はっきりと言った。


「それと、誤解を与える呼び方だったなら……それは僕の落ち度です。すみません」


頭を下げたわけではない。

ただ真正面から認める、それだけの言葉。


その真っ直ぐさに、四工房主の口が同時に止まった。


リュシアンは表情を変えない。

エメリオは鼻で笑いながらも指先が止まる。

ダンは腕組みの力をほんの僅かに緩めた。

カリーナはますます目を輝かせた。


反論の矢は放てるはずなのに、誰も次の言葉を探せない。


「でも、競わせたいのではなく──こんな物を作っていただきたいんです」


 青司は立ち上がり、卓の上に素材を並べて前へ押し出した。

 シアバター、アーモンド油、蜂蜜、香草の抽出液、そして微量の魔力触媒。

 どれも各工房が扱う素材に近く、しかしどれとも決定的に違う。


 右手を軽く掲げると、空中に薄い膜のような結界が展開する。

 ガラスでも水でもない、魔力だけで形作られた透明な容器。


 そこへ素材を一つずつ放り入れる。

 結界面に触れた瞬間、まるで液体に沈んだかのようにゆっくりと沈降していく。


 青司の魔力が結界内部に流れ込む──

 撹拌、圧縮、抽出、融合。

 通常であれば数時間から数日かかる工程を、魔法陣すら描かずに一気に進める。


 蜂蜜色の光が柔らかく螺旋を描き、油分が滑らかに混ざり合い、

 植物エキスが淡い緑の粒子となって散り、結界の中心で凝固してゆく。


 やがて──とろりとした乳白色の固体が掌ほどの塊となって浮かび上がり、卓の上に置かれた。


「ボディーバターです。

 肌に塗れば一日中うるおいが続いて、香りも消えないように処理してあります」


 青司がそう告げると、四人の工房主の目がごく僅かに見開かれた。


 青司は続けて、天日塩、乾燥ラベンダー、柑橘の香油を手に取る。

 再び結界が展開され、先ほどとは違う魔力の流れ ──今度は結晶化の工程。


 塩の粒に香りの素子が宿っていく。

 紫と金の光が混ざり、波紋となって結界内部に広がる。


 結界が静かにほどけた時、それは湯に溶けた瞬間に香りを広げるための“導香層”をまとったバスソルトになっていた。


 ほんのわずか──

 リュシアンの目が細められる。

 エメリオの手が顎へ伸びる。

 ダンの眉が持ち上がる。

 カリーナは堪えきれない笑みを見せた。


「僕一人なら、こういう物は作れます。……でも」


 青司は視線を巡らせる。

 声は大きくないのに、部屋の空気が自然と集まる。


「僕一人じゃ、多くの人に届けられない」


 静かな、しかし揺るぎない言葉。


「薬効を最大にするなら、ルーメン工房の力が必要です。

 香りの持続と調香は、セレスティア工房のノウハウが不可欠です。

 安全性と品質を保った大量生産には、ソルティ工房の技術が最適です。

 そして話題性と季節感を作るのは、インフュミエル工房の得意分野でしょう」


 青司は深く息を吸って締めくくった。


「戦わせたいんじゃありません。

 “誰も追いつけないもの”を、“お客様の一日”に寄り添うための商品皆さんと作りたいんです」


 短く、しかし芯のある声。


「疲れて、癒されたい日。

 華やかに気分を上げたい日。

 気持ちを落ち着けたい日。

 大切な人にプレゼントしたい日」


 四人の視線がわずかに揺れる。


「香りで勝負する日もあれば、肌の調子で選びたい日もある。

 贅沢に気分を変えたい日だってある。

 どの日も“正解”なんです。

 だからこそ、四工房すべてに協力してもらいたい」


 青司は資料を静かに机へ置いた。


「セレスティア工房には“香りの軸”を。

 ルーメン工房には“肌への実感”を。

 ソルティ工房には“浴び心地の満足感”を。

 バル工房には“気分を変える楽しさ”を」


 誰か一つが主人公になるのではなく、

 四つが役割を分かち、互いを引き立て合う形。


「奪い合うのではなく、共に“使う人の時間”を豊かにするために協力をお願いしたいんです」


 沈黙が落ちた。


「僕は“売れる物”じゃなく、“必要とされる物”を作りたい。

 ……そのために、皆さんの力が欲しいんです」


 最初に口を開いたのは、気難しいと思われていたセレスティア工房のリュシアンだった。


「……香りを“主役”に据えるのではなく、“軸”に据える、か。

 香りで商品を導く、そんな考え方は──嫌いではない」


 ルーメン工房のエメリオも腕を組み直す。

「肌実感を長く愛用したくなる使用感ってことですね。……それなら、薬効をお客様に届けられますね」


 ソルティ工房のダンは鼻を鳴らしつつも、わずかに口元をほころばせる。

「塩の良さをよく勉強してんだな。俺たち職人と同じこだわりじゃねぇか」


 そして最後に、バル工房のカリーナが肩をすくめて笑った。

「移ろい香は、誰かの気分転換に寄り添うってこと? ……その役目、嫌いじゃないわ」


 空気が、音を立てて解けたようだった。

 誰からともなく、椅子が背もたれに沈む音がした。

 緊張が抜けた分だけ、人の体は正直だ。


 クライヴがほっと息をつき、口を開く。

「ありがたい……本当にありがとうございます。四工房すべてにご協力いただけるなら、最強の入浴シリーズになります!」


 ミレーネも破顔し、強く頷いた。

「ホヅミ商会は必ず責任を持って販売ルートを確保します。

 四工房それぞれの強みを伝える売り場づくりをします」


 数分前まで緊張と拒絶の空気だった商談室は、

 いつの間にか職人同士の誇りと希望の気配へと変わっていた。


 青司は深く頭を下げる。

「ありがとうございます。――これから、よろしくお願いします。どうぞ、今作ったものをお持ち帰りいただき、試作の参考にしてください」


 四人の工房主が順にうなずき返す。

 その瞬間、第十一商談室は、確かな“新しい商売の始まり”の場となった。


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