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 夕食時の黒猫亭は、いつもより一段と明るかった。

 照明のオイルランプが揺れ、木の卓と壁に温かな色を落とす。入口近くの席では、旅装の貴族風の女性たちが、控えめに声を弾ませながらスープを味わっている。ここ数日で一気に増えた層だ。


 ──この街で髪が綺麗になる噂。

 その火種がどこからか街中に広がり、女性客が増えたのは確かだった。

 黒猫亭が清潔で、マリサとベルドの料理がおいしく、女性でも入りやすい雰囲気であったことも後押ししているのだろう。

 宿の紹介や、「黒猫亭には特別髪の綺麗な娘がいる」という噂が影響しているのかもしれない。


 そんな賑わう店内に、青司たちの一行──総勢十人が姿を現した。


 扉が開くと、暖かい湯気と食欲をそそる香りが一気に押し寄せた。

 ベルドがカウンター越しに振り返り、目を丸くする。


「おお、セイジじゃねえか! ゼリーの出来を確かめに来たのかと思ったら……ずいぶん大所帯だな」


 セイジは苦笑しながら肩をすくめた。


「ちょっと事情がありましてね。ベルドさん、席、空いてますか?」


「任せな。奥の大きいテーブル、片付けてやるから、少し待っててくれ。……ってティオも一緒なのか?」


 手際よく布巾でテーブルを拭きながら、ベルドは青司に目を向け、軽く片眉を上げる。

 テーブルの用意をすると、ティオの頭をくしゃくしゃと撫で「セイジのとこだったのか。良いところに決まったな。椅子を運ぶの手伝え」と声をかけていた。「人使い荒いな、今日はこれでも客だぜ?」と言いながらも手伝い始めるティオ。


 マリサが厨房の暖簾から顔を出し、驚いたように笑った。


「まあ、ずいぶん華やかな集まりね。リオナ、セイジさんが来てくれたわよ」


 既に店で働いていたリオナは、慌てて髪を押さえつつ駆け寄ってくる。


「セ、セイジ!? えっと、エリンさんとミレーネさん、他にも、こんなにたくさんで……!?」


「リオナを紹介しておきたくて、みんなをここに連れて来たんだ」


 青司が笑うと、「そうなの?」とリオナは頬を緩め、どこか誇らしげに客席を見渡した。

 そのさりげない表情に、近くの女性客がちらりとこちらを覗いてくる。

 綺麗な髪の猫人族の娘の噂は、客たちの間でも静かに広がっているのだろう。


 ベルドが「ほらよ」と大きな丸テーブルを整え、椅子を人数分運んでくれる。

 十人も座れば、さすがに圧巻だ。ざわついていた店内は、一瞬だけ青司一行に注目が集まる。


 「それじゃあ──今日の歓迎会、始めましょうか」


 青司の言葉に、皆がそれぞれ小さく息をつきながら姿勢を整えた。店内の喧騒は賑やかなままなのに、丸テーブルの周りだけはどこか温かな静けさが生まれる。


 そこへ、ちょうどよいタイミングで料理が運ばれてきた。


 焼きたてのパン、香草の香りが立つスープ、肉と野菜の煮込み──

 マリサとベルドの手料理の温かな匂いが、緊張していた新メンバーたちの表情を徐々にほぐしていく。


「それじゃあ……まずは、リオナを改めて紹介しますね」

 青司の紹介を受け、リオナは胸の前でそっと手を重ね、少し照れたように耳を伏せながら一歩前に出た。

 視線の端には、どこか品のある美しい衣装の女性──リディアとソフィアの姿が映る。

 (……セイジの仕事仲間、だよね。うん、それだけ……それだけのはず)

 胸の奥がわずかにざわついたが、リオナはそれを押し込むように笑みを作った。


「リオナです。セイジの……友達です。これから、皆さんと仲良くなれたら嬉しいです」


 はにかむような笑顔は、ふんわりと柔らかい温かさを帯びていた。


 その瞬間──

 ギルドで何度か見かけたことがあるはずの双子のルーカスとレオナルドは、思わず目を丸くして固まった。


 ぽっ、と頬が赤く染まる。


 (ギルドで見るときより……近い……)

 (や、やっぱりかわ……っ!!)


 互いの反応に気づいた双子は、同時に咳払いをして誤魔化すと、慌て気味に「よろしくお願いします!」と声を揃える。


 ティオもまた、鍋つかみを持ったまま来たみたいにぎこちない姿勢で、「よ、よろしく……」と俯き、耳まで真っ赤になっていた。


 リディアとソフィアは、その様子に微笑みながらリオナへ向き直り、しとやかに会釈した。


「リディアと申します! よろしくお願いいたしますわ!」

 名乗った瞬間、リディアの瞳がぱあっと輝く。


「ソフィアです! ねえリオナさん、さっきから思ってたんですけど……」

「とても魅力的な方なのですね!」

「髪も肌もすっごく綺麗……!」


 二人は同時に身を乗り出してきて、リオナは思わず耳をぴょこんと揺らした。


「え、あ、あの……?」


「どうやったらそんな艶が出るんですの?」

「夕方まで乱れないって、絶対コツがありますわよね?」

「ねえ、毎日何してるの? どんな櫛使ってる? 洗い方は?」


 質問の嵐に、ソフィアは楽しそうに手をぱたぱたさせ、

 リディアも「わたくし絶対真似しますわ!」と前のめり。

 二人とも年頃の少女らしい高揚でいっぱいで、好奇心がその場を一気に明るくした。


 褒められ、囲まれ、リオナは頬をほんのり赤く染める。


「あ、えっと……セイジさんがくれたコンディショナーで洗って、櫛で、毎朝ちゃんと……」


 自分が答えるたびに、

 「きゃー!」「すごい!」「わたしも欲しい!」

と、二人はまるで友達同士のおしゃべりのように盛り上がる。


 その賑やかさに少し飲まれながらも、

 リオナは胸の奥に、くすぐったいような誇らしい気持ちを抱いた。


 そして、そっと青司の横顔を見る。


 青司は、楽しそうな彼女たちのやり取りを、

 いつも通りの穏やかな目で眺めているだけなのに──

 それだけで胸の奥が、あたたかく、そして少し落ち着かなくなる。


「ぼくらはルーカスとレオナルド! ギルドで見習いやってました!」


「ティオです。……よろしくお願いします」


 自己紹介の輪が自然に広がり、リオナは新しい名前を繰り返しながら、少し緊張を解くように微笑んでいく。

 気づけばテーブルの空気は柔らかく、互いに質問し合ったり、料理を取り分けたりと、ぎこちなさが薄らいでいた。


 その和やかさの中で、ただ一ヶ所だけやけににぎやかな塊があった。


「で、リオナさん! その櫛、セイジさんからってどういうことですの?」

「えっ、特別に作ってもらったの? コンディショナーも? え、毎朝つけてもらってるとか──?」


「ち、違うよ!? つけてもらってないわよっ!」

 リオナがぶんぶん手を振ると、ソフィアとリディアはさらに目を輝かせる。


「じゃあ誰につけてもらってるの?」

「セイジさんが調合したんでしょう? そういうの、すごく気になりますわ!」


 あれよあれよという間に、美容質問ラッシュが一気にリオナへ押し寄せ、

 その流れでいつの間にか──青司との関係についての質問まで飛んでくる。


「その櫛って、セイジさんからって聞きましたけど……どうしてですの?」

「えっ、特別に作ってもらったの? 仲良しなんですね?」

「毎朝一緒に過ごす時間があるとか……?」


「ち、違うよっ! そんなのじゃないよ!」

 リオナは耳をぴょこんと揺らし、必死に否定するものの、

 少女たちの好奇心は完全にスイッチが入っていた。


 その様子をエリンとミレーネは頬に手を添えて目を細め、

 青司はというと──何か言う隙も見つからず、水差しを持ったまま微妙に固まっていた。


 「にぎやかだな……」

 双子は圧倒されてほぼ口を開けたまま、

 ティオは「女の子ってすげぇ……」とぼそりと呟く。


 その様子をエリンとミレーネは、頬に手を添えて目を細める。


「若いっていいわねぇ」

「ね。なんというか、微笑ましくて」


 当の青司は──困ったような、どこか照れたような笑みを浮かべている。


「ええと……あの二人、元気ですね」


「元気どころじゃないでしょ、セイジさん、話題にされてますよ。セイジさんの恋人なんでしょ?」

 ルーカスがこそこそ囁き、レオナルドが「ルーカスからも逃げる?」と悪戯っぽく笑う。


 青司は咳払いひとつして、そっと話題の矛先を変えるように双子たちへ向き直った。


「こ、こ恋人なんかじゃないって。俺には高嶺の花過ぎるだろ。それより、ここの肉の煮込みがすごくおいしいんだ。ギルドの昼食とは違って、香草の使い方が──」


「セイジさん、今すごく必死ですよね」面白がってティオが茶化すと

「商会長が美人のリオナさんと付き合ってたって不思議じゃないのに」とルーカスが肩をすくめ、

「うん、いつもギルドに2人で来てるんだから、みんなそう思ってるのに。あえて逃げなくてよくないですか?」とレオナルドが淡々ととどめを刺す。


 「もうそのくらいで勘弁してくれよ」と青司はめげない。

ぐいっと皿を押し出し、少年たちに説明しながら、まるで “あの美容トークは聞こえなかったことにしよう” と言わんばかりだ。


 ──そんな賑やかな時間の中、店の扉がまた開く。


 軽く外気が入り、周囲の客が一瞬だけ視線を向ける。

 豪快な歩幅で入ってきたのは、クライヴだった。


「遅れてすまん! ラシェル様と内装の打ち合わせしてたら、思ったより長引いちまってな!」


 ベルドが「あぁ、こっちだ!」と大声で手を振り、クライヴは青司たちのテーブルに歩み寄る。


「クライヴさん、ちょうど今みんなで自己紹介してたところですよ」


 席を一つ詰めて青司が笑うと、クライヴは肩の埃を払いつつ、にっと豪胆な笑みを浮かべた。


「ほう、これだけの人数になると壮観だな。……俺の自己紹介は終わってるよな。これから、よろしく頼む!」


 双子は目を輝かせ、ティオは驚いたように背を伸ばし、ソフィアとリディアは貴族らしく穏やかに会釈した。


 ──その様子を見ていた周囲の客から、ひそひそと控えめな声が漏れる。


「あれが噂の……」「一緒にいる娘が例の……」

「でもあんなに大勢……何をしている一行なのかしら」


 興味津々の視線は向けられるものの、貴族風の女性客たちは、失礼にならない距離を保って食事に戻っていった。視線の熱はあるが、節度もある──そんな雰囲気が黒猫亭の落ち着きを守っている。


 青司たちのテーブルでは、料理と談笑が続いていた。

 リオナがソフィアとリディアに、入浴グッズの説明をし、双子はティオにギルドの失敗談を語って笑わせ、クライヴは青司とエリン、ミレーネに店内装の進捗を軽く話す。


 そして青司は、そんな皆の輪を見渡して、どこか胸が温かくなるのを感じていた。


 



 黒猫亭の丸テーブルでは、料理を囲みながら談笑が続いていた。

 ソフィアとリディアはリオナに美容質問を浴びせ、青司は双子やティオに話題の矛先を必死に変えようとし、エリンとミレーネはその様子を楽しげに眺めている。


 そんな賑やかな空気の中──

 厨房の方から、ことり、と小さな器の触れ合う音が響いた。


「……お待たせしましたよ」


 暖簾を押し分けて現れたベルドとマリサが、木盆を抱えて歩み寄ってきた。

 盆の上には、色の違うゼリーが三種づつ並んでいる。


「ベルドさん、それ……!」


「へへっ。あんたに教わった“ゼリー”ってやつの試作だ。

 マリサの指揮のもと、リオナもずいぶん頑張ってくれたぜ」


 ベルドがにやりと笑って言うと、

 リオナは胸を張り、耳をぴょこっと誇らしげに揺らした。


「うん! お姉ちゃんの教え方がすごく上手で……わたしもちゃんと作り方、覚えたのよ」


 ベルドが盆をテーブル中央へ置いた瞬間、

 近くの席の女性客たちが「ゼリー?」「ってなんですの……」と興味深そうに視線を寄越す。


 テーブルを見ると──

 ひとつは、光を受けてぷるんと揺れる、透明感のある綺麗なゼリー。

 ひとつは、スプーンを押し返すほど弾力があり、ころんとした小粒の“半ばグミのような”仕上がり。

 そして最後は、柔らかさが勝ちすぎて皿の中で形が半分ほど崩れ、ゆるりと広がった、とろとろのもの。


「それじゃあ──みんなで味見しようか」

 小さな器に三種ずつ行き渡ったのを確認した青司がそう声をかけると、テーブルの空気がぱっと明るくなった。


「わあ、きれい……!」

「ぷるぷるしてる……!」

「これが、あの……噂の……!」


 ソフィアとリディアは勢いよく身を乗り出し、双子は目を輝かせ、ティオはスプーンを持ったまま固まっている。


 青司はまず、一番きれいに固まったゼリーをすくって口に含んだ。


「……うん。思っていたのにかなり近いです。上出来ですよ」


 その言葉に、マリサはほっと胸をなで下ろし、リオナはぱっと花が咲くような笑顔を浮かべた。

「やったぁ……!」


 エリンとミレーネもスプーンを伸ばし、「おいしい」「食感が面白いわね」と微笑む。


 続いて、弾力の強い小粒のゼリーへ。


 ルーカスが指でつまむと──


「うわっ、これ! グニグニしてるぞ!」

「ほんとだ……でも、うまっ!」とレオナルドが目を丸くし、

 二人は次の一粒を巡って、早くも小競り合いを始める。


 ベルドも腕を組みながらうなずく。


「これはこれで“おやつ”って感じで良いな。屋台でも売れそうじゃないか」


 最後に、とろとろの柔らかい器。

 ティオがすくうと、ゆらりと揺れてスプーンから落ちそうになる。


「……飲み物みたいだな、これ」


 リオナが不安げに青司を見るが、青司は優しく笑う。


「失敗じゃありませんよ。温かい果実ソースをかけて“デザートスープ”にもできます。十分使えます」


 マリサとベルドは目を見開き、次の瞬間、ぱっと顔を見合わせた。


「なるほど、スープ仕立てもアリなのね!」

「これは新メニューになるかもしれん!」


 その声に周囲の客たちがまたざわ……と沸く。


「やっぱり料理の試作?」「黒猫亭、最近本当に面白いわね」


 視線がやや集まる中、青司たちのテーブルはますます賑やかに、温かく盛り上がっていく。


 ソフィアとリディアは「わたしこのぷるぷるが好きですわ!」と盛り上がり、

 双子は「小粒の方もう一口!」と騒ぎ、

 ティオは「……全部うまい」と小声で呟き、

 リオナは「成功しててよかった……!」と胸を押さえて安堵していた。


 青司はその輪を見渡し、思わず微笑む。


 ──この夜が、新しい仲間たちの最初の“食卓の思い出”になる。


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