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翌日、青司はリオナと共にマルコットの工房を訪れた。

 扉を開けると、熱と香草の混じった独特の匂いが鼻をくすぐる。大きな鍋が据えられた炉は赤々と燃え、棚には乾かされた薬草や瓶詰めがずらりと並んでいた。


「よし……まずは昨日の配合どおりに試してみよう」

 マルコットは布を頭に巻き、真剣な面持ちで材料を秤にかける。脇では見習いの若者が緊張気味に手を動かしていたが、草を刻む手元が乱れて粉が散った。

「そこは落ち着け。刃は滑らせるんだ」

 短く叱りながらも、マルコットは手を取り、滑らかな動きを見せてやる。


 青司はその様子を横で眺めながら、ふと口を開いた。

「煮込みの火力は少し弱めたほうがいいかもしれません。泡が荒すぎると香草の成分が飛びやすいですから」

「……ほう、そうか」

 マルコットはうなずき、火加減を調整しながら魔力をこめる。すると、鍋の表面の泡が静かにまとまり、透明感のある液体が見え始めた。


 やがて木杓子で掬い上げられた液体は、わずかに光を透かすように澄んでいた。

「……これなら、悪くない仕上がりだ」

マルコットの口元がゆるみ、見習いも安堵の息をつく。


青司は出来上がった小瓶を受け取り、光に透かしてみた。

「……きれいですね。ただ、もう少し魔力を込めることはできませんか」


 マルコットは苦笑し、肩をすくめる。

「錬金術師が注ぎ込める魔力は、だいたいこれが限界だ。もっと濃く扱える者は錬金術師じゃなく、魔術師として国に仕えているさ」


 そう言いながらも、彼はふと青司をじっと見やった。

「……いや、むしろお前さんの方が異常なんだ。錬金術師の身で、魔力量が桁違いに大きすぎじゃないか?だから、俺たちの作ったものが物足りなく感じるんだろう」


 マルコットにとっては十分合格点の仕上がりだった。


 だが、今度はリオナが布切れを手に取り、液に浸して軽く擦ってみた。

「……そうね……でも……」

 汚れは確かに落ちる。布を押し付けると、微かに温かみが手のひらに伝わり、柔らかい光沢が布に反射する。香草の香りとともに、液の軽い粘りとさらりとした感触が指先に感じられた。


 しかし、青司の作る洗剤に比べると、落ち方がわずかに鈍く、透明感も一段下がるのが手に伝わる。


リオナは眉をひそめ、小さく首を傾げた。

「……やっぱり、セイジの作るのとは少し違うみたい……でも、これでも十分使える感じよ」


 青司は彼女の手元を見つめ、頷く。

「うん、十分に商品として通用すると思います。街の人たちは、これで困らないでしょう」


 マルコットが頷く。

「そうだろう?これは、これで十分に商品として通用する品質だろ?街の人たちは、これで困らないはずだぞ。むしろ喜ばれると思うが」


 リオナが布を擦った指先を見つめ、小さく呟いた。


「……でも、セイジが作ったのは、――特別、なんだと思う」

 ふと顔を上げた彼女の目は、驚きと尊敬で光っていた。


「……買いかぶりすぎだって」

 セイジは苦笑して肩をすくめ、視線を逸らした。


「確かにな」

 マルコットが口元を緩める。

「俺もそう感じるぞ。錬金術師の域を超えてる。お前さんの魔力量の大きさは、もう別格だ」


 青司は返す言葉を探しながらも、心の中では否定しきれなかった。



*******



 とりあえずの製品化を見届けた青司は、商業ギルドへの納品をマルコットに任せることにして、今日こそは森の家へと帰ることにした。

 工房の戸口まで見送りに出たマルコットが、ふと立ち止まり、振り返って声をかける。

「それからな」

マルコは軽く顎をしゃくり、真っ直ぐセイジを見据えた。

「セイジ。これからは、俺のことは“マルコ”と呼んでくれ」

「……マルコ、さん?」

不意の言葉に青司は少し戸惑いながら返した。


 マルコは小さく笑い、腕を組む。

「そうだ。俺のことをそう呼ぶのは、特別に認めた相手だけだ。お前はもう一緒に商売する仲間だ――まあ、気楽に頼むぜ」


 青司は驚き、やがて穏やかな笑みを浮かべた。

「……ありがとうございます。なら、マルコさん。今後も良い取引を重ねていければ」


 マルコは口元を緩め、大きくうなずいた。

「もちろんだ。新しい工夫や面白い案が浮かんだら、すぐに知らせる。――今度は俺がお前を稼がせてやるからな」


 青司は少し目を丸くしてから、苦笑をこぼした。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると、心強いです」


 マルコは力強くうなずき、差し出した手を青司がしっかりと握り返す。二人の手が固く結ばれたその瞬間、リオナは少し笑みを浮かべて見守っていた。


 横で見守っていたリオナは、二人のやり取りを見て小さく微笑んだ。

「……いい顔してるわね。なんだか、もう長い付き合いをしてるみたいね」


 青司は照れくさそうに頬をかき、マルコも口元をほころばせる。

工房の外へ出た二人の背に、マルコは短く「頼んだぞ」と声をかけて見送った。



**************



 街を出て森道へ差しかかるころ、日は傾き、木々の影が長く伸びていた。

 荷車の上には、今日の取引で得た物資と、マルコから預かった試作品の瓶。

 青司が荷車を引き、リオナはその隣を歩いている。


 風に揺れる髪を押さえながら、リオナがぽつりと口を開いた。

「ねえ、セイジ。……あの“赤い石”のこと、覚えてる?」


 青司は少しだけ顔を向ける。

「……ああ、風呂を作ろうって言ってた時の、あの石だろ?」

「うん。魔力を流すと温かくなるって言ってたやつ。あれ、どうするつもりなの?」


 青司は荷車の取っ手を握り直し、静かに笑った。

「ずっと考えてたよ。せっかくだから――風呂を作ろうと思ってる」

「やっぱりね」

 リオナは目を瞬かせて、ふっと笑った。

「帰ったら、また色々忙しそうね」

「まあね」

 青司は苦笑し、少し遠くを見やった。

「せっかくリオナが見つけてくれたんだ。試さないなんて、もったいないだろ」


 リオナは肩をすくめて、呆れたように息をつく。

「まったく……森に帰ってものんびりできないのね」

「休むさ。――風呂を作りながらな」


 二人は顔を見合わせ、思わず笑った。

 その笑い声が静かな森の奥へ吸い込まれていく。

 木々の隙間から、森の奥にぽつりと見えた屋根が夕陽を受けて光っていた。

もうすぐ帰り着く――そのことが、ふたりの足取りを少し軽くした。



**************



 森の夜は静かだった。

 薪のはぜる音だけが、暗がりの中で小さく弾けている。

 リルトの街で買ってきた食材を片づけ終え、一緒に夕食をとったリオナはもう自分の部屋で休んでいた。

 青司はひとり、炉の前に腰を下ろし、小鍋の中で、泡がゆっくりと弾けては消える。

その音を聞いていると、時間の流れまで穏やかに感じられた。


 揺れる火の光が、机の上の何かをかすかに照らした。――赤い石。


 リオナが森の奥で見つけてきたあの石が、今も机の上で淡く光を返している。

 魔力を流せば、たしかに熱を帯びる。

 風呂を作るにはちょうどいい。

 それだけのはずなのに、なぜか心がざわつく。


 (……風呂、か)


 炎のゆらめきを見つめながら、青司の脳裏に、遠い記憶の断片が浮かんだ。

 冬の夜。

 湯気の立ちこめる風呂場。

 湯の匂い。

 湯船に沈めた肩から、じんわりと力が抜けていく感覚。

 ふと開いた扉の向こうから、「早く出なさいよ」と母の声がした。

 その声が、どうしようもなく懐かしい。


 異世界に来てからというもの、青司はいつも何かを作ってきた。

 薬、家具、洗うためのもの――。

 どれも「生きるため」に必要だった。

 けれど風呂だけは、少し違う。


 (これは……“生きるため”じゃなく、“自分を取り戻すため”か)


 湯に浸かる感覚を思い出すたび、胸の奥に、言葉にならない安心が広がる。

 日本にいた頃、日々の疲れを洗い流してくれたのは、あの時間だった。

 誰に見せるでもない、自分の小さな幸福。


 ――また、あの感覚をこの世界でも作りたい。


 青司は小鍋の湯を見つめ、そっと笑みをこぼした。

 「快適に生きる」ことが、いつの間にか「ここで暮らす理由」になっていた。

 風呂を作りたい。

 石鹸の香りも、湯の肌ざわりも――

そのひとつひとつを、自分の手で作り出したい。

 それが、自分のいる場所を“家”に変えていく気がする。


 火が静かに小さくなる。

 青司は立ち上がり、机の上の赤い石を手に取った。

 掌の中でほんのりとした温もりが広がる。


 ――この温かさが、あの頃の湯気みたいだ。


 静かに息を吐くと、夜の森の空気がひんやりと肌を撫でた。

 明日になったら、風呂を作ってみよう。

 あの石で温めた、湯がたっぷり入った風呂。

 湯気の中で、リオナがどんな顔をするか。

 きっと、驚くだろう。


 青司は微笑み、火を消した。

炉の音が静まる。

暗がりの中で、赤い石が小さく光を宿していた。


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