表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/55

18

 商業ギルドを出て合流した二人は、リオナの提案で市場へ向かった。


 午前のリルトは活気にあふれている。石畳の大通りには荷馬車がゆっくりと行き交い、商人たちの呼び声や子どもたちの笑い声が混ざり合って広がっていた。屋台には色とりどりの果物や野菜が山のように積まれ、焼きたてのパンの香ばしい匂いが通りを漂っている。


「ほら、今日は干し肉を少し多めに買っておきましょ。保存も利くし、森に行く時に持って行けるから」

「おっけー、干し肉ね。……はい、お代はこちらで」


 リオナが指示を出すたびに、青司は財布を取り出して支払いを済ませる。リオナは慣れた様子で品定めをし、季節の野菜や果物、保存のきく豆や穀物を次々と選んでいった。彼女の横顔は真剣そのもので、青司はどこか楽しげにその姿を眺めながら、荷車に戦利品を積み込んでいく。


「次は魚よ。今のうちに買っておかないと、いいのがなくなっちゃう」

「魚か。……ほんとだ、もう人だかりできてるな」

「急がないと、骨ばっかりの残り物になるのよ」


 半ば引っ張られるように魚屋へ連れていかれる青司。リオナは素早く新鮮な川魚を見極め、青司は慌てて代金を支払い、笑顔の店主から包みを受け取った。


 買い込んだ品は荷車の荷台に積まれていく。新しく譲り受けた荷車は思った以上に頼もしく、どんどん荷物が増えていってもまだ余裕があった。


「うん、やっぱり荷車があると全然違うわね。これなら一週間分まとめて買っても楽だわ」

「だな。腕がちぎれそうにならなくて助かるよ」

「ふふっ、そんなに弱音吐かなくてもいいのに」

「いやいや、あの量を全部抱えて歩くのは、さすがにきついって!」


 そんな軽口を交わしながら、二人は市場をひととおり巡り終えた。荷台には肉、魚、野菜、果物、穀物、調味料と、まるで山のように食材が積み重なっている。道ゆく人々がちらちらと荷車を振り返るほどだったが、二人にとっては新しい日常の始まりのように思えた。


  やがて人混みを抜け、大通りの角を曲がったところで、木製の看板を掲げた古着屋が目に入った。表には仕立て直したワンピースやコートが吊るされていて、淡い色合いの布地が風に揺れている。


「ん? ここか……」

 青司が足を止め、看板を見上げる。


 リオナは思わず首をかしげた。古着屋なんて、青司が用を思いつく場所だろうか。彼の服は森で動きやすいように整えられていて、今のところ不足もなさそうに見える。


 けれど、ふと胸の奥に小さな記憶がよみがえる。

(……そういえば。森の家で、『洋服棚を大きく作り過ぎたから服を買わなきゃな』って、言ってたっけ)


 その言葉に結びつくように、「服を掛ける棚」を作ってくれたことまで思い出す。無骨そうに見えて、案外細やかな気遣いをする人だ――そんな実感と一緒に、頬がわずかに熱を帯びる。もしかして……と考えると、胸の奥がほんのりざわついた。


「……ここで、服を探すの?」

 なるべく平静を装って問いかけると、青司はあくまで自然な調子で頷いた。


「うん? リオナに合う服がないかなって思って」


「……えっ……わ、私に?」

 耳がぴくりと立ち、尻尾が思わず揺れる。思いがけない言葉に、心臓が跳ねた。


 声に出してから、リオナは自分の勘違いに気づく。青司の言葉の意味は、もっとずっと素直で、当たり前のことのはずなのに――胸の奥が甘く騒いで仕方がない。


「……覚えててくれたの?」

 思わず口から漏れた声は、自分でも驚くほど小さく、甘えるように震えていた。

 頬がじんわり熱を帯び、耳はぴんと立ちながらも、視線は合わせられずに石畳の隅へと逃げてしまう。

 それでも尻尾だけは小さく揺れていて、胸の奥に広がる嬉しさを隠しきれなかった。


「だってこの前、棚に服を掛けてみたけど……スペースがけっこう余ってただろ? だから、次に街に来たら何か見てみようって言ってたじゃん」

 青司は少年っぽく照れたように頭をかき、笑った。


「な、なによそれ……」

 リオナは目をそらしながら口を尖らせる。だが、その仕草は怒っているというより、むしろ嬉しさを隠そうとしているようにしか見えなかった。


「……どんな服が似合うか、気になるんだよな」

「っ……!」

 その何気ない一言に、リオナの頬は一気に赤く染まる。


 女の子らしい羞恥と、心の奥で小さく灯る喜び。その両方を抱えながら、リオナは古着屋の入り口へと小さな足取りで歩いていった。


 背後で「よし、いいのが見つかるといいな」と呟く青司の声が聞こえ、リオナの胸の奥はくすぐったく熱くなっていた。



**************



 古着屋の扉をくぐると、外の喧騒とは別世界のように、落ち着いた木の匂いと布の香りが漂っていた。壁際の棚にはきれいに畳まれた衣類が並び、中央の木製ハンガーには色とりどりのワンピースや上着がかけられている。


 以前、姉のマリサと一緒に来たときは――まさに「着せ替え人形」にされたようなものだった。女将と二人がかりで次々と服を押しつけられ、気づけば鏡の前に立たされていて、気恥ずかしさで逃げ出したくなったほどだ。


 けれど今日は違う。隣には青司がいて、選ぶのも着るのも、自分の意思で決められる。胸の奥で小さな緊張が波立ちながらも、リオナの指先は自然とハンガーへ伸びていた。


「えっと……こっちのは、ちょっと丈が長いかな」

 濃紺のスカートを手に取り、そっと腰に当ててみる。布地は落ち着いているけれど、裾の刺繍が大人っぽくて、どこか背伸びをしているように見える。

「……悪くないけど、森だと引っかかっちゃうかもな」

 青司が口にした感想に、リオナはくすっと笑う。彼の視線は値段でも派手さでもなく、実用性と自分の生活をちゃんと考えてくれている。それが、なんだか嬉しかった。


 次に目を留めたのは、柔らかい生成り色のブラウスだった。袖口に小さなレースがあしらわれていて、飾り気は少ないのにどこか女の子らしい。胸の奥がちくりと甘くなる。

「……こういうの、似合うと思う?」

 控えめに問いかけると、青司は少し驚いたように目を瞬かせ、それから笑みを浮かべた。

「うん。リオナっぽいと思う。優しい感じで」

「……っ」

 頬が一気に熱くなり、思わず布地をぎゅっと握る。嬉しいくせに素直に言えず、リオナは小さくうつむいた。


 その後も、緑のスカートや淡い灰色のコートを手に取っては合わせてみる。派手すぎず、でもほんの少し可愛さを意識したものばかりを選んでしまうのは、自分でも気づいていた。

 青司が「それいいな」と言ってくれるたびに、耳の先が熱を帯び、尻尾が小さく揺れるのを止められない。


 やがて、試着室から出てきたリオナの姿に、青司の視線がふと止まった。

 生成りのブラウスに、深緑のスカートを合わせた、シンプルながら柔らかい組み合わせ。森の緑や光の中にいても自然に馴染みそうで、なおかつ彼女の女の子らしさを引き立てていた。


「……どう?」

 リオナは勇気を振り絞って問いかける。声は少し震えていて、期待と不安が入り混じっている。


 青司は一瞬言葉に詰まり、それからぽつりと漏らした。

「……すごく、似合ってる」


 その言葉に、リオナの心臓は大きく跳ねた。

「~~っ……! そ、そう? なら……これ、にしようかな」

 頬を真っ赤にしながらも、自然と笑みがこぼれる。前回のように振り回されて選ばされたのではない。自分で選び、青司に見てもらって決めたのだ。その事実が何よりも嬉しかった。


ーーーーーー


 生成りのブラウスと深緑のスカートを選んだリオナは、ほっとしたように鏡の前から下がった。けれど隣の青司は、まだじっと彼女の姿を見ている。


「……すごく似合ってるよ」

 先ほどの言葉をもう一度、照れくさそうに繰り返した。


「~~っ……っ、あ、ありがとう……」

 リオナは思わずスカートの裾をつまみ、俯いた。胸の奥で、嬉しさと恥ずかしさがせめぎ合う。


 だが青司はそこで満足しなかった。少し首をかしげ、隣の棚を眺めながら口を開く。

「なあ……せっかく棚も余ってるし、もう一着くらいどうだ?」


「えっ……でも……」

 リオナは思わず言い淀む。贅沢すぎるんじゃないか、という遠慮が先に立つ。けれど青司は、少年ぽく笑って肩をすくめた。

「どうせなら、普段着と部屋着と、森用の服もあった方が便利だろ? 洗濯の替えも必要だしさ」


 そのもっともらしい理由に、リオナの胸の奥がまた熱くなる。

(……便利とか実用とか言ってるけど……私に似合うのを見たいだけなんじゃ……)

 そんな考えがよぎると、頬がかぁっと熱くなった。


 そこへ女将がにこやかに近寄ってきた。

「まあまあ、仲のいいお二人さんね。じゃあ、部屋でくつろぐ時に良さそうなのも見ていきなさいな」

 そう言って取り出してきたのは、柔らかい淡桃色のワンピースだった。生地は薄手で動きやすそうだが、胸元や袖口にはさりげなく小花模様の刺繍が施されている。


「こ、これ……」

 リオナは思わず声を詰まらせた。あまりに可愛らしくて、普段の自分には似合わない気がした。けれど、女将がにこにこと背中を押すように差し出すので、断れない。


「ちょっと羽織ってみなさいな。ほら、せっかく彼氏さんもいるんだし」

「か、彼氏さんって……!」

 リオナの顔がみるみる真っ赤になる。ちらりと青司を見上げると、彼も頬を掻きながら「着てみればいいじゃないか?」と笑っていた。


 仕方なく袖を通したリオナだったが――鏡に映った自分の姿に、胸の奥がくすぐったくなる。ふわりと広がる裾、やわらかい色合い。どこか少女らしい、けれど落ち着いた優しさもあって……。

「……へ、変じゃない?」

 そっと問いかけると、青司は一瞬言葉を失い、それから小さく息を吐いた。

「変どころか……なんか、見てると安心する感じだな」


「……っ!」

 その一言に、リオナの心臓は跳ね上がる。部屋着なのに、まるで「一緒に過ごす姿を想像してる」みたいで……胸の奥が甘く締めつけられた。


 さらに女将は、今度は動きやすそうな狩衣風の上着とズボンを持ってきた。渋めの茶色と濃緑の組み合わせだが、腰のベルトや裾のラインにほんの少し装飾が入っていて、無骨さの中に可愛さが光っている。

「森に入るなら、こういうのが便利よ。破けにくいし、重ね着もしやすいから」

「へぇ……いいな」青司が素直に頷く。


 リオナは袖を通してみて、思わずくるりと一回転した。裾がひらりと揺れるたび、尻尾も嬉しげに揺れてしまう。

「……どう?」

 期待半分、不安半分で見上げると、青司は目を細めて笑った。

「うん、すごく似合う。頼りがいありそうなのに……かわいい」


「な……っ」

 リオナは耳まで真っ赤にして固まった。言葉の前半は実用性を褒めているのに、最後のひとことだけ妙に素直で。胸がまた、甘くざわついてしまう。


 結局――生成りのブラウスと緑のスカート、桃色の部屋着ワンピース、そして森用の狩衣風の上下。リオナは気づけば三着を抱えていた。

「そ、そんなにたくさん……」と戸惑う声に、青司は屈託なく笑う。

「まだ棚に余裕あるしな。むしろちょうどいいくらいだ」


 その言葉に、リオナは胸の奥を温かくされながらも、俯いて小さく呟いた。

「……そっか。じゃあ……ちゃんと、大事に着るから」


 尻尾を揺らしながら笑ったその姿に、女将は「ふふっ」と目を細め、青司はどこか誇らしげな顔をしていた。


**************



 昼を少し回った頃、二人は街を後にした。荷車の荷台には、山のような食料と、包み紙に大事そうにくるまれた新しい服。青司が取っ手を握り、荷車の車輪が石畳をごとごとと転がっていく。


 城門を抜けると、街道は穏やかな陽射しに包まれていた。空は高く澄み、秋風が草原を揺らしている。荷車を引く青司の横で、リオナは耳をぴくりと立て、周囲へと鋭く視線を走らせていた。森に近づけば魔物の気配もある。彼女の警戒心は、街の喧騒の中よりむしろ頼もしく感じられた。


「ねえ、重くない?」

 リオナがちらりと横を見る。

「ん? 大丈夫。このくらいなら平気」

 青司の言葉にリオナの尻尾は軽く揺れている。街での買い物の余韻が、まだ胸の奥に残っているようだ。


 森へと続く道に入ったとき、リオナはふと荷車の後ろを振り返った。布に包まれた新しい服が、荷物の隙間から少しだけ覗いている。生成りのブラウス、淡桃色のワンピース、森用の狩衣……思い出すだけで胸が温かくなる。


 そして、何気ないように小さく呟いた。

「……今日買った服を着るの、いつにしようかな……」


 声は風に溶けるようにか細かったが、青司の耳にははっきり届いた。彼は思わず歩調を緩め、横顔を盗み見る。リオナの視線は正面を向いたまま。けれど耳の先は赤く染まり、尻尾がひときわ嬉しそうに揺れている。


「……そうだな。どれから試すか、楽しみだな」

 青司はわざと軽い調子で返す。けれどその頬も、ほんのり赤くなっていた。


「っ……べ、別に楽しみにしてるわけじゃ……」

 リオナは慌てて言いかけ、途中で言葉を飲み込む。代わりに視線を逸らし、小さく唇を噛んだ。

(……だって、青司が喜びそうだって思うと……やっぱり、早く着たくなるじゃない……)


 その胸の内は、誰にも聞こえない。けれどあたたかな木漏れ日が二人を包み込み、森へと続く道を温かく照らしていた。


 ◆


 森の家に戻ったのは、陽がかなり傾いた頃だった。荷車を下ろし、買った食料を台所に並べ終えたとき、青司がふとリオナを振り返った。


「なあ、せっかく服も買ったんだし……今日は着てみないのか?」

 何気なく尋ねるようで、その目はどこか楽しげに輝いている。


「――っ!」

 リオナは一瞬で耳まで真っ赤に染まり、両手で包みの上を押さえた。

「そ、そんな急に……! 今日は疲れたし、また今度にするわ!」


 早口で言い切ると、彼女はぷいと横を向き、尻尾をふわりと揺らす。照れ隠しのその仕草があまりに愛らしく、青司は思わず笑みをこぼした。


「そっか。……じゃあ楽しみにしてるよ」

「~~っ……!」

 リオナは声にならない声を喉で詰まらせ、結局それ以上何も言えなかった。


 その夜、暖炉の炎が揺れる中、部屋の隅に置かれた包みを何度もちらちらと見ては、リオナは胸の奥がくすぐったくなるのを止められなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ