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 リルトに戻ったのは、昼を少し回った頃だった。


 街の空気は、王都よりも柔らかい。

 石畳の色も、人の歩調も、どこか落ち着いている。


「……戻ったな」


 青司が、荷を背負い直しながら呟く。


 リオナも、小さく頷いた。


「うん。やっぱり、ここは違う」


 王城で感じていた張り詰めた視線はない。

 だが、忙しさは確実に増している。


 財務局との準備。

 商会としての段取り。

 そして――


「……そういえば」


 リオナが、歩きながら言った。


「エリンたち、どうなってるんだろ」


 その言葉に、青司は一瞬だけ目を瞬かせた。


「ああ。確か……もう日取りは近いって話だったな」


 だが、詳しい進捗は聞いていない。


 だからこそ――


 教会の前で、二人は足を止めた。


 


 扉は、半分だけ開いている。


 中から、低く落ち着いた声が聞こえた。


「――では、ここで一礼を」


 神官の声だ。


 続いて、衣擦れの音。


 青司とリオナは、顔を見合わせた。


「……やってるな」


「予行、かな」


 そっと扉の隙間から中を覗く。


 


 教会の中は、静かだった。


 祭壇の前に立つのは、エリンとロウル。


 豪奢ではないが、整えられた衣装。

 特にエリンのドレスは、白を基調としながらも控えめで、彼女らしい。


 裾が、少しだけ長い。


 エリンはその端を、無意識に整えながら立っていた。


 ロウルは、背筋を伸ばしすぎている。

 緊張しているのが、一目で分かる。


 神官は、淡々と進めていた。


「視線は、互いに」

「誓いの言葉は、この位置で」


 形式的な確認。

 だが、それがかえって現実味を帯びさせる。


 青司は、思わず息を吐いた。


「……もう、ほとんど出来上がってるな」


 リオナは、目を丸くしている。


「え、こんなに……?」


 その声に気づいたのか、エリンが振り返った。


 一瞬、驚いたように目を見開き――

 次の瞬間、ぱっと表情が明るくなる。


「青司さん! リオナ!」


 ロウルも振り向き、少し慌てて頭を下げた。


「お、お帰りなさい!」


 神官は、二人を一瞥してから、穏やかに言った。


「知人かな。では、少し休憩にしましょう」


 


 エリンが、ドレスの裾を持ち上げながら近づいてくる。


「いつ戻るのかな、って思ってたんです」


「……準備、随分進んだな」


 青司の言葉に、エリンは少し照れたように笑った。


「はい。日取りも、決まりました」


「式はこの教会で。披露宴は――」


 そこで、ロウルが言葉を継いだ。


「フィオレル様の別邸を、お借りできることになりまして」


 青司とリオナは、同時に瞬いた。


「……そこまで? って、それ、俺たちが借りてる別邸か?」


「はい」


 ロウルは、少しだけ肩をすくめる。


「お二人の部屋には立ち入らない形で、広間だけをお借りする予定です。

 それで……大丈夫でしょうか」


 青司は一瞬考えるようにしてから、すぐに首を振った。


「もちろんだよ。俺たちの家じゃないんだから」


 その言葉に、ロウルの表情が、はっきりと緩んだ。


「ドレスも、会場も……?」


 リオナが思わず聞き返すと、エリンは小さく、でも確かな頷きを返した。


「花も、料理の内容も決まりました」

「披露宴の引出物も……あとは最終確認だけです」


 それはもう、「準備中」ではない。


 式の直前だ。


 青司は、思わず笑った。


「……早いな」


「早いですよね」


 エリンは、少しだけ視線を落とした。


「でも、皆が動いてくれて……気がついたら、ここまで来てました」


 ロウルが、隣で小さく頷く。


「俺たち、何も分かってなかったんですけど……」


 青司は、二人を見て、静かに言った。


「それでいいんじゃないか?

 俺もよくわかってないけど、そういうものなのかもしれないな」


 リオナも、そっと微笑む。


「準備が整ってるのは、祝われてるってことです」


 エリンの目が、少し潤んだ。


 


 神官が、再び声をかける。


「では、続きを」


「はい!」


 エリンは返事をしてから、青司とリオナに振り向いた。


「……式も披露宴も、来てくださいね」


「もちろんだ」


 青司は即答した。


「ところで、日取りはいつなんです?まさか今日じゃないだろ?」


 冗談めかして言うと、ロウルが苦笑する。


「……さすがに今日じゃないですよ。四日後です」


「冬婚式の日なんです。クライヴさんも間に合うと良いんですけど」


「そっか、北方から帰ってないんだな」


 二人は、教会を後にした。


 扉を閉めると、外の光が少し眩しく、リオナは思わず目を細めた。


 


「……」


 しばらく、無言で歩く。


 先に口を開いたのは、リオナだった。


「びっくりした」


「ああ」


「いつの間に、あんなところまで」


 青司は、空を見上げる。


「俺たちが王都で、あれこれやってる間に」

「ちゃんと、時間は進んでたな」


 リオナは、少しだけ笑った。


「……良かった」


「何がだ?」


「守るものが、ちゃんと“形”になってる」


 青司は、その言葉を噛みしめる。


 兵が死なない装備。

 冬を越える準備。

 そして、結婚式。


「……ああ」


 それだけ答えた。


 


 やることは山ほどある。


 だが、この街には、ちゃんと“先”がある。


  二人は、並んで歩き出した。





 ホヅミ商会の建物が見えた瞬間、リオナが小さく息を吐いた。


「……戻ってきた」


 それは安堵というより、切り替えの合図だった。


 王都の緊張。

 教会で見た、人生の節目。

 それらを胸の奥に仕舞い、二人は扉を押す。


 


 一階店舗〈リオネ〉は、相変わらずだった。


 昼下がりの時間帯。

 客は途切れず、棚の前には人が集まり、商会員が忙しなく動いている。


「いらっしゃ――」


 声をかけかけたルーカスが、青司の顔を見て、目を見開いた。


「あっ……! お帰りなさい!」


 その声に反応するように、あちこちから視線が集まる。


「戻られたんですか!?」

「王都はどうでした?」

「無事で何よりです!」


 口々に飛ぶ声。


 リオナは、思わず小さく笑った。


「ただいま」


 それだけで、場の空気が一段和らぐ。


 


 棚の整理をしていたティオが、近づいてくる。


「第三騎士団への納品……うまくいきましたか?」


 その問いは、軽いようでいて、真剣だった。


 青司は一瞬だけ言葉を選び、それから頷く。


「今のところは、な」


「今のところ?」


「使われ始めたところだ。評価は、これからだよ」


 だが、それで十分だった。


 商会員たちは顔を見合わせ、安堵したように頷く。


「良かった……」

「評判、すぐ広まりますよ」


 誰かが言ったその一言に、青司は苦笑した。


「広まりすぎると、困ることもあるけどな」


 だが、それは否定ではなかった。


 

「じゃあ、俺たちは上に行くよ」


「はい! 後で報告、聞かせてください!」


 その時、青司は背負っていた荷の一つを、ひょいと持ち替えた。


「そうだ。ティオ、馬車から荷物を受け取っておいてもらっていいかな」


「わかりました」

 ほどなく、店舗の外に停めていた馬車から、

 布で包まれた大きめの塊がいくつか運び込まれた。


 解けた端から覗いたのは、鈍く光る灰褐色の素材だった。


「……これ、まさか」

 ティオが息を呑む。


「第三騎士団からの礼だよ。グリフィンの素材」

「薬の件でな」


 一瞬、店内の空気が止まった。


「本物……?」

「グリフィンって、あの……?」


「今は奥に。扱いは後で決める」


 青司はそれだけ言い、包みから視線を外した。


「詳細は、後で話す」


 それで十分だった。


 一階を任せ、二人は階段を上がる。


 


 二階事務所は――静かだった。


 いや、正確には「音が整理されている」。


 紙をめくる音。

 ペンが走る音。

 短い指示の声。


 その中心に、ミレーネがいた。


 


「この納期、工房側に再確認を。素材は揃ってるって言ってたわね」

「クレスさん、宿の方には“来週後半以降”で納品されるように指示をお願い。美容室へは、時間帯を二案出して」

「この帳簿、前月分と突き合わせて。ギルド経験者の方に一度見てもらって」


 迷いのない指示。


 机の上には書類が積まれ、壁際には整理された箱。

 だが、混乱はない。


 采配が行き届いている。


 


 青司は、思わず感心したように息を吐いた。


「……相変わらず忙しそうですね」


 その声に、ミレーネが顔を上げた。


 一瞬、驚き。

 次の瞬間、ぱっと表情が明るくなる。


「お帰りなさい!」


 椅子を引く音。


「無事で何よりです。王都、どうでした?」


「色々あったよ」


「でしょうね」


 即答だった。


 


 リオナが、事務所の様子を見回す。


「……全部、回ってる」


「回さないと、止まりますから。

セイジさんとクライヴの穴を埋めるのは……正直、キツイですって」

 ミレーネは肩をすくめた。


「工房も、宿も、美容室も、“今”が大事な時期ですから。

 財務局の話が出てる以上、帳簿も曖昧にはできません。

 ここで一度でも躓いたら、信用は取り戻せませんから」


 その言葉に、青司は頷く。


「……財務局への説明、やっぱり本腰だな」


「もちろんですよ」


 ミレーネの表情が、少し引き締まる。


「“良いものを作っている”だけでは足りません。

 “継続できる”と示さないと」


 数字。

 供給。

 体制。


 全てが揃って、ようやく土俵に立てる。


 


「それと――」

 ミレーネは、ふと表情を緩めた。

「エリンの結婚式もうすぐですよ」


「ちょうど、式の予行をやってたのを見てきたんだ」


「ええ。ドレスも会場も、確定したって。

 緊張してたけど、すごく綺麗だった」

 リオナが、少し驚いたように言う。


「本当に、日に日に可愛くなってて。

 商会に入れてもらう時、リオナちゃんに言ってたものね。

 冬に結婚するって。

 早いですね……」

 ミレーネは、そう言って微笑んだ。


「商会としても、顔を出さないわけにはいきませんね」


 青司は笑いながら頷いた。

「ですね。その日は店舗も休みにしましょう。クレスさん、案内を出しておいてください」


 少し間を置いて、ミレーネが言葉を継いだ。


「……問題は、クライヴです」


 その名に、青司は頷いた。


「北部だ。天候次第だな。式には間に合ってほしいな」


 それは、商会としてではなく、

 一人の知人としての言葉だった。


 ミレーネも、小さく息を吐く。


「ええ……本当に」


 そして、一拍。


 彼女は帳簿に視線を落とし、きっちりと閉じた。


「――仕事の話に戻しますね」


 声の調子が、切り替わる。


「戻り次第、北部素材の整理と、財務局向けの資料を一気に詰めたいところです」


「待つしかないな」


「ええ。でも」


 ミレーネは顔を上げた。


「戻ってきたら、一気に動けます」


 それは、確信だった。

 


 窓の外では、リルトの街が静かに息づいている。


 王都ほど派手ではない。

 だが、確実に前へ進む街。


 


「……忙しくなるな」


 青司が言うと、ミレーネは即座に返した。


「もう、忙しいです」


 それでも、笑っている。


 


 守るものが増えた。

 背負う責任も増えた。


 だが――


 この商会は、確かに動いている。


 人の手で。

 人の判断で。


 


 クライヴが戻れば、歯車はさらに噛み合う。


 エリンの結婚式が終われば、また一つ、未来が増える。


 


 青司は、事務所を見渡し、静かに言った。


「……行こうか」


 リオナは頷く。


「うん。次の準備を」


 


 王都で試され、

 現場で磨かれ、

 人に支えられながら――


 ホヅミ商会は、次の段階へ進もうとしていた。





 結婚式の前日。


 二階事務所の灯りは、夜更けまで消えなかった。


 机の上には、帳簿と走り書きの紙束。

 数値は整理され、線は引かれ、余白には判断の痕跡が残っている。


「……この線で行きましょう」


 ミレーネが、最後の一枚を指で押さえた。


「財務局向けは、素材供給と加工体制を主軸に。

 数字は守りに入りますが、継続性は示せます」


「十分だな」

 青司は頷いた。

「クレスさんにも、同じ認識で伝えてある」


 クレスは、机の端で静かにメモを閉じる。


「当日は、仕事の話は最小限に。

 戻り次第、すぐ動けるよう準備だけ整えておきます」


 誰も、無理だとは言わなかった。


 足りないものが、ひとつあると分かっているからだ。


 北部。

 天候。

 そして――クライヴ。


「……待つしかないな」

 青司が言う。


「ええ」

 ミレーネは、迷いなく答えた。


 待つ時間もまた、準備の一部だった。



(結婚式当日)


 当日の朝。


 街は、いつもより少しだけ早く目を覚ました。


 石畳の上を行き交う足音。

 花を抱えた人々。

 焼き菓子の甘い匂い。


 商会の前を通り過ぎる人たちの服装が、どこか晴れやかだ。


「……今日は、いい日だね」


 リオナが、空を見上げて言った。


 冬の気配はあるが、雲は薄く、陽射しは柔らかい。


「だな」

 青司も同じ方向を見る。

「エリンらしい」


 


 式は、教会で行われた。


 大きすぎない建物。

 だが、丁寧に手入れされた石壁と、静かな荘厳さがある。


 中へ入ると、すでに人は集まっていた。


 領主フィオレル子爵を始めとする街の顔役。

 工房の職人や宿の関係者。

 商会の面々。

 花婿の同僚である衛兵隊。

 そして、名もない街の人々。


 立場も肩書も違う。

 だが、この場にいる理由だけは、皆同じだった。


 


 やがて、鐘が鳴る。


 扉が開き、エリンが姿を見せた。


 白いドレス。

 少し緊張した面持ち。

 けれど、その表情は確かに幸せそうだった。


「……綺麗だな」

 誰かが、ぽつりと呟く。


 リオナは、思わず息を呑んだ。


「本当に……」


 青司は何も言わず、ただ頷いた。


 


 式は、穏やかに進んでいく。


 誓いの言葉。

 祝福の拍手。

 控えめな笑い声。


 仕事も、立場も、今は関係ない。


 人生の節目が、そこにあった。


 


 式が終わり、外へ出ると、小さなどよめきが起きた。


 教会の前に、一台の馬車が止まっている。


 見慣れた――いや、少し汚れた外装。


「……あれ」


 青司が目を細めた、その時。


「とーちゃんだ!帰ってきた!」

 小さな子どもの声が響いた。

 クライヴは思わず微笑み、駆け寄ってきた子どもを抱きかかえた。


 抱き合う二人の間に、しばしの静けさ。


 次の瞬間、歓声が上がる。


「クライヴさん!」

「間に合ったんですね!」

「北部はどうでした!?」


「後だ、後」

 クライヴは苦笑し、手を上げた。

「今日は、主役がいる」


 そう言って、エリンの方を見る。


「……おめでとう」


 その一言に、エリンは目を潤ませ、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


 


 人の輪が広がる。


 笑い声。

 拍手。

 祝福。


 その少し外側で、青司とミレーネは視線を交わした。


 言葉は、いらなかった。


 ――揃った。


 


 午後。


 温かな祝宴が続く中、クライヴは青司の隣に立った。


「北部素材、確保できた」

「商談も含めてな」


「……上出来だ」


「天候に振り回されたが」

 クライヴは、空を見上げる。

「間に合って良かった」


 それは、式に対してだけではなかった。


 


 ミレーネが、少し離れた場所から近づいてくる。


「戻ったら、すぐ動けます」

 静かな声。

「財務局向けの整理も、素材の扱いも」


 クライヴは、軽く眉を上げた。


「もう、そこまで来てるのか」


「ええ」

 ミレーネは微笑む。

「待っていたのは、あなたです」


 


 祝宴の向こうで、エリンが笑っている。


 新しい人生の始まり。


 そして――


「……次は、商会だな」

 青司が言う。


 クライヴは頷いた。


「そうだな」


 


 人に祝福され、

 人に支えられ、

 人の節目を越えて。


 ホヅミ商会は、静かに、しかし確実に――

 次の段階へと踏み出そうとしていた。


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