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 王城西棟、財務局長執務室。


 天井は高く、装飾は最小限。

 壁一面の書棚と、広い執務机。

 数字と制度のために整えられた空間だった。


 扉がノックされる。


「――入れ」


 レオンハルト・ヴァルクス侯爵は、書類から目を離さずに言った。


 重い扉が開き、足音がひとつ。


 その瞬間、室内の空気がわずかに変わる。


「第三騎士団長、オズワルドだ」


 名乗りは簡潔。

 軍人らしい、余計のない声。


 レオンハルトはようやく顔を上げた。


 数秒。

 互いに言葉はない。


 若い頃の面影は、どちらにも残っていない。

 だが、視線の鋭さだけは、確かに覚えがあった。


「……久しいな」


 先に口を開いたのは、レオンハルトだった。


「お前が避けているだけだ」


 オズワルドはそう返し、椅子を勧められる前に立ったまま続ける。


「話は単純だ。装備の件で来た」


「聞いている」


 レオンハルトは手元の書類を一枚閉じた。


「第三騎士団への試験導入。

 第一、第二、さらに中央軍にも同様の話で動いているそうだな」


「動いている、ではない。動かした」


 言い切りだった。


「現場で使える。

 ――使えない装備に、金を払う気はない」


 一拍。


「だが、あれは使える」


 レオンハルトは椅子に深く腰掛け、指を組んだ。


「予算には限りがある」


 即座の返答だった。


「今年度は特にだ。

 軍装備だけで国家は回らん」


「分かっている」


 オズワルドは一歩、机に近づく。


「だから言っている。

 “装備”に金をつけろ、と」


「言葉遊びはよせ」


 レオンハルトの声が、わずかに硬くなる。


「予算は数字だ。

 感覚では動かせん」


「兵は数字で生きていない」


 低い声だった。


 だが、強くはない。

 むしろ、抑えている。


「汗で冷え、皮膚がやられ、動きが止まる。

 戦場では――それが死に直結だ」


 沈黙。


 レオンハルトは視線を逸らし、窓の外を見る。


「……お前は、いつもそうだ」

 かつて同じ教室で、同じ地図を覗いていた頃と変わらず。


「変わらなかっただけだ」


「だから――」


 言いかけて、言葉を切る。


 しばらく、暖炉の薪がはぜる音だけが響いた。


 やがて、レオンハルトが言う。


「全面採用はできない」


「承知している」


「試験導入以上の予算措置も、今は難しい」


「それも、分かっている。試用の話しは流したが第一、第二は王城勤めだ。最後でかまわんだろう。だが、第三と中央軍は即時動く部隊だ」


 オズワルドは、机の上に小さな包みを置いた。


「確かめる日程を取れ」


 包みの中身は、折り畳まれた肌着だった。


「机上で議論するな。

 物を見ろ。触れろ。使わせろ」


 レオンハルトは、しばらくそれを見つめてから言った。


「……機会くらいは、用意しよう」


 それが、限界だった。


「財務局として、取り扱い商会の話しを聞く名目で立ち会う。

 それ以上は約束できん」


「それでいい」


 即答だった。


「判断は、見てからすればいい」


 オズワルドは踵を返す。


 扉に手をかけたところで、ふと足を止めた。


「――レオンハルト」


 名を呼ぶのは、久しぶりだった。


「この装備は……

 あの冬を、越えられる」


 一瞬、言葉が詰まる。


「俺は、そう思っている」


 返事はなかった。


 扉が閉まる。


 残された執務室で、レオンハルトはゆっくりと包みを開いた。


 布は薄い。

 だが、軽く、しなやかだ。


 指先で触れながら、独り言のように呟く。


「……あの冬を、越えられるか」


 答えは、まだ出ない。


 だが――

 確かめるだけの理由は、十分すぎるほど、ここにあった。





 王城東棟、軍務会議室。


 楕円形の重厚な机。壁には王国旗と軍旗。

 高窓から外光は差すが、空気はどこか閉ざされていた。


 席に着くのは四人。


 第一騎士団長。

 第二騎士団長。

 第三騎士団長、オズワルド。

 王都中央軍将軍。


 端には書記官二名。

 だが――主役は、この四人だ。 

 誰一人として、格が下ではない。


 最初の沈黙は、意図されたものだった。


 誰も口を開かない。

 誰が先に動くか。

 誰が“必要としている側”か。


 数十秒。


 最初に沈黙を破ったのは、第一騎士団長だった。


 白を基調とした制服。

 王城近衛らしい、隙のない佇まい。


「第三騎士団において、新たな鎧下装備が導入されていると聞いております」


 視線が、オズワルドへ向く。


「肌着を含めた軽装備一式。統一規格。

 ……自然発生にしては、ずいぶん揃った話ですな」


 言葉は丁寧。

 だが、牽制は明確だった。


「王城内において、装備の不均衡は士気に影響します」


 ――なぜ第三だけなのか。


 第二騎士団長が、現実的な口調で続ける。


「士気だけではない。装備は評価指標だ。格差が見えれば、不満は必ず生まれる」


 机上の書類を指で叩く。


「補給、洗濯、保管、更新周期……継続費が読めない装備は、こちらとしては扱いづらい」


 数字の論理。


 まだ誰も、「欲しい」とは言っていない。


 中央軍団長は、腕を組んだまま黙っている。

 戦場を知る者の沈黙。


 オズワルドも、動かない。

 視線は机の中央。


 その沈黙自体が、圧だった。


 第一騎士団長が言葉を重ねる。


「王城近衛と警護部隊が従来装備のまま、第三だけが新体系というのは構造上の歪みです」


「装備の統一は、王城の威信にも関わる」


 第二騎士団長が頷く。


「王城警護は人目に晒される」

「見た目の変化は、余計な憶測を呼びます」


 “伝統”と“安定”。その言葉が空気を支配した瞬間――


 中央軍団長が、低く口を開いた。


「……で、その装備は」


 一拍。


「実戦で、どうだ」


 空気が変わる。


「噂ではない。実用性の話だ。

 長距離行軍、発汗時の体温管理、損耗率。

 数字はあるのか」


 沈黙。


 全員の視線が、オズワルドに集まる。


 それでも彼は、すぐには口を開かない。


 代わりに、第二騎士団長が言った。


「盗賊討伐や街道警護では有効かもしれん。

 だが王城内では、そこまでの機動性は不要だ」


 ――第三は特殊だ、という含み。


 その時、オズワルドが初めて顔を上げた。


「第三は特殊だ」

 相手の言葉を、そのまま受け取る。

「即応戦闘部隊だ」


 静かな声。


「汗冷え、疲労、皮膚障害、動作鈍化。

 それで騎士は死ぬ」


 それ以上は言わない。


 要求もしない。

 優先順位も口にしない。


 だが――


 役割分担が、すべてを語っていた。

 •第一:象徴部隊

 •第二:警護部隊

 •第三:即応戦闘部隊

 •中央軍:戦争部隊


 最初に命を賭けるのは、誰か。


 中央軍団長が、静かに頷く。

「……物を見たい」


 突破口だった。


「机上協議では意味がない。

 試験使用、運用、整備、補給。

 全部含めてだ」


 第二騎士団長が言う。


「財務局が、例の商会から装備についての確認を行う、という話は聞いている」


 オズワルドは否定しない。


 第一騎士団長が、わずかに息を吐いた。


「つまり――実証段階に入っている、と」


 中央軍団長が答える。


「そうなるな」


 均衡は崩れた。


 誰も「優先」とは言っていない。

 だが、流れは決まった。


 オズワルドが、最後に言う。


「兵が死なない装備が、装備だ」


 それだけ。


 結論は出ない。

 だが――盤面は動いた。


 返す言葉はなかった。

 誰かが椅子を引き、会議は終わった。


 この日以降、

 装備は「物資」ではなく、

 軍制案件となる。


 そして、

 ホヅミ商会の名は、

 “商会”ではなく、

 供給源として記録される。




 その日、宿の一階は昼下がりの静けさに包まれていた。


 王都に来てから数日。

 青司とリオナは、外出の合間に簡単な作業をするため、窓際の卓を借りていた。


 布の上に、小さな木箱。

 中には、いくつかの瓶と、薄く折りたたまれた紙。


 ――その時だった。


 入口の扉が静かに開き、女が一人、宿の中を見渡した。


 落ち着いた色合いの外套。

 派手さはないが、仕立ての良さは一目で分かる。

 所作に無駄がなく、視線は鋭すぎず、しかし迷いもない。


 宿の主人に短く名乗り、視線が青司とリオナに向いた。


「……ホヅミ商会の方で、お間違いありませんか」


 声は柔らかいが、はっきりとしている。


 青司は立ち上がり、軽く頭を下げた。


「はい。私が青司、こちらがリオナです」


 女は一歩近づき、礼儀正しく会釈した。


「ロマーヌ公爵夫人より、お言葉を預かって参りました」


 その名に、リオナの肩が、ほんのわずかに跳ねた。


 ――やはり、来た。


 女は続ける。


「先日の王都での出来事、その後の王城でのお働きについて、夫人の耳にも入っております」


 視線が、穏やかに二人を見た。


「“嬉しい知らせだった”と申しておりましたわ」


 青司は、一瞬言葉を探した。


「……それは、恐れ入ります」


「特に、実用品を“必要なものとして”届けた点を、高く評価されていました」


 それは、社交辞令ではない。

 伝言を伝える役に徹した、淡々とした口調だったからこそ、重みがあった。


 リオナが、小さく息を吸う。


「……あの、夫人は……お元気でしょうか」


 女は、わずかに微笑んだ。


「ええ。あの日お会いしたことを、よく覚えていらっしゃいます」


 その言葉に、リオナの胸の奥で、何かがほどけた。


 少し驚いて。

 少し、期待していた。


 青司は、卓の上の木箱に目を落とす。


 そして、決めたように箱を手に取った。


「……もし、差し支えなければ」


 女の視線が、箱に移る。


「こちらを、お渡しいただけますか」


 蓋を開けると、丁寧に収められた瓶が並ぶ。

 淡い色合いの粉、柔らかな赤みの膏、細い筆。


 リオナが、箱の横に紙を添えた。


「使い方を書いてあります。肌に合わなければ、すぐに止めてくださいって……」


 女は紙を受け取り、目を走らせる。


 成分。

 使う順番。

 量の目安。

 注意点。


 余計な言葉はない。

 必要なことだけが、分かりやすく書かれている。


「……これは」


 女は、思わず口にした。


「確かに、丁寧ですね」


 それだけだったが、十分だった。


「夫人に、確かにお届けします」


 そう言って、女は箱を大切そうに抱え、もう一度、二人に礼をした。


「また、何かございましたら、改めてご連絡があるかと」


 それだけを残し、女は宿を後にした。


 扉が閉まり、足音が遠ざかる。


 静寂。


 青司は、ふっと息を吐いた。


「……会えるかも、って思ってたんだな」


 リオナは、一瞬だけ視線を逸らし、そして小さく頷いた。


「……少しだけ」


 それ以上は言わなかった。


 だが、二人の間に残ったのは、確かな手応えだった。


 まだ、会ってはいない。

 まだ、呼ばれてもいない。


 けれど――


  見られている。

 試されている。

 そして、次は、きっと向こうから来る。


 その予感だけが、静かに、確かに、胸の奥に灯っていた。


 青司は、木箱を閉じ、紐を掛け直す。


「……王都は、ここまでだな」


 リオナは頷いた。


「リルトに戻らないと。財務局との準備、始めないとでしょ」


 期待は、胸にしまう。

 今は、やるべきことがある。


 二人は視線を合わせ、短く息を整えた。


 次に王都へ来る時は――

 “呼ばれて”来ることになるかもしれない。


 そう思いながら、帰路の算段を始めた。





 北部伯爵領を発ったのは、夜明け前だった。


 空は低く、雲は重い。

 雪は降っていない――だが、風が嫌な匂いを運んでくる。


「……来るな」


 クライヴは、馬車の窓から空を見上げ、小さく呟いた。


 街道は整備されている。

 だが、北部の冬は、整備など意に介さない。


 昼過ぎ、宿場町に辿り着く頃には、雪が舞い始めていた。


 最初は、ただの粉雪だった。


 それが、風を伴った途端、世界を変える。


 白い幕が、視界を奪う。

 馬が足を止め、御者が手綱を締める。


「旦那、これ以上は危ないです」


 御者の声は、吹雪に削られていた。


 宿場町の門前で、馬車は止まった。


 ――ほどなく、吹雪は本格的なものに変わった。


 雪は横殴り。

 道は消え、屋根と地面の境すら曖昧になる。


「今夜は、動けんな」


 クライヴは即断した。


 こういう時に、無理をしても良いことはない。


 宿は満室に近かったが、事情が事情だ。

 馬車ごと納屋に入れ、部屋を一つ確保する。


 夜。


 窓の外では、風が唸り続けている。


 暖炉の火を見つめながら、クライヴは指を組んだ。


(……リルトは、雪は少ないはずだが)


 街道が止まれば、物流も止まる。

 だが、今回の土産は――止めたくない。


 机の横には、木箱がいくつも積まれている。


 北部産の保存肉。

 香りの強い干し果実。

 寒冷地で育った山羊と羊の毛。それで作られた、あたたかな布。


 どれも、実用を見据えた品ばかりだった。


 木箱の隅に、甘い菓子を包んだ紙袋がある。


 息子に、帰ったら渡すと約束したものだ。


 それもまた、彼にとっては大切な「土産」だった。


 翌朝。


 風は弱まり、雪は止んでいた。


 宿場町の人足たちが、街道の雪を掻き分けている。


「馬車は……行けそうだな」


 御者が頷く。


「昼まで待てば、問題ありません」


 クライヴはそれを了承し、再び荷を確認した。


 土産は、単なる好意ではない。


 人と人を繋ぐ、潤滑油だ。

 だが――青司に関しては、少し違う。


(あの男は、物の価値より、使い道を見る)


 ならば。


 北部で見つけた素材や品は、きっと役に立つ。


 昼。


 馬車は、ゆっくりと宿場町を離れた。


 雪解け水でぬかるむ道。

 だが、進める。


 クライヴは、馬車の中で帳面を開いた。


 帰還後の段取り。

 商会への報告。

 財務局との動き。


 その合間に、ふと、思う。


(……土産、多すぎたか?)


 だが、減らす気はない。


 リルトは、これから忙しくなる。


 青司も、リオナも、休む暇はないだろう。


 なら――


「持っていけるものは、持っていく」


 それが、クライヴのやり方だった。


 馬車は南へ。


 白の世界を抜け、

 やがて、土の色が戻る。


 リルトは、もう遠くない。


 吹雪に足止めされた時間も、無駄ではなかった。


 北部の冬と、

 それを越えるための“現実”を、

 丸ごと積み込んで――


 クライヴは、街道を進んでいた。


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