咎なき刃に、咎を刻む
※本作には、死、暴力、復讐、精神的に不安定な描写を含みます。
15歳以上推奨。
だが、その名を知ることはない。
九頭 鴉丸は完全無欠の男であった。
それは、誰が言うまでもなく、覆せない事実である。
刀を振るえば、敵の影も形も残らず。敵は、声を上げる暇もなく、その生命を終わらせていた。
命じられれば闇夜を駆け、夜明けには全てを終わらせて帰ってくる。
男の腕に、傷はなかった。彼の足に、泥はつかなかった。男の服に、血が付着したことはなかった。
そう、男に傷を残せた者はこの数十年間、一人もいやしなかった。
男が刀を振るえば、人が赤く染まり、叫ぶ暇も、斬られたという事実を知ることさえ無く物言わない肉塊へと代わる。
ただ、屍の上に鴉丸だけが静かに立っていた。
男の瞳には、憂いがなければ関心もない。ただの肉塊へと成り下がった者共に人目もくれずに闇夜に紛れて行く。
命じられれば、どんな事でも完璧に遂行する。
任務中の私語は慎み、仲間にすら目もくれずに一人で完遂して行く。
それ故に男は一目を置かれ、そしてこう呼ばれた。
___『無傷の鴉』
またの名を『鴉影』
男の冷淡さなるや、仲間ですら男に畏怖の念を抱く。「血の涙もない男」、「冷酷非情の十全の男」と揶揄されることもしばしばあった。
仲間にすら、恐れを抱かれる男は、性格にも難アリであった。
まず前提として、男は人にかける情すら持ち合わせて居なかった。はっきり言おう。男は仲間にすら冷酷無情であった。
「完全無欠であるが故の弊害なのだろう。」としか思えぬ程、男は人間というカテゴリーの生物に、否。万物そのものに興味関心が一切なかった。
最早、男にとって生物とは「その辺に落ちている石ころ同列同然なのだろう。」と思わざる得なかった。
男は人間としても欠落がある。誰もがそう認識して、誰もがそう思っていた。
どんなに過酷な任務であろうと、「了」と告げ、すぐさま任務へと足を運ぶ。
その姿は、一種の機械のようであった。
『機械的な人間』それが、九頭 鴉丸という人間である。
彼にとって感情とは、刃にこびりつく脂のようなもので、拭えば済むものだった。
▶▷▶▷
だが、ある日。
一通の命令書が、男の無音を打ち破った。
【東雲の里に潜む、一人の剣士。即刻、処理せよ。】
特別な書き方ではなかった。
いつも通り、印も、筆跡も、淡々としたものだった。
それ故に、男は頷いた。
▶▷▶▷
その夜、男は森を越えた。
霧の深い山道を抜け、指定された場所へと到着する。
そこには、待っていたかのように、一人の侍がいた。
背を伸ばし、顎を引き、ただ一人、静かに立っていた。
「……」
言葉はなかった。合図もいらなかった。
二人は同時に動き出した。
一合目。刃は触れ合わず、静かな息遣いだけが戦場に響く。
二合目。鋭い一閃が交わされ、火花が飛んだ。
鋼と鋼が交錯するたび、空気が軋んだ。
男はすぐに気づく。
(これはいつもと違う)
人としての感情の欠落のある男でさえ、戦慄を覚えてしまうほど、相手の剣は、異様に鋭く、澄んでいた。
ただの力ではない。計算でも、技術でもない。ましてや、妖術などという馬鹿馬鹿しいものでもない。
____『研ぎ澄まされた意志』
そのことを理解した瞬間、男の視界が少しだけ揺れた。
それが、男の人生で初めての「動揺」だった。
五合、十合、二十。
動きが交錯し、景色がぶれる。
初めての感情に戸惑う暇すら与えられず、次々と己を打ち倒さんとばかりの鋭い剣が男に降り注ぐ。
そして
_____裂けた。
腹に、何かが走った。鋭く、深く。
喉が熱くなり、呼吸が浅くなる。
全身の神経が、耳の奥で軋むように響いた。
男の脚が、一歩、崩れた。
それは、敗北の兆しだった。
視界が暗くなっていく。
冷たい地面が肌に触れる感覚。
息を吸おうと、はくはくと口が動く。
滑稽な姿であろう。仲間がここに居たのであれば、一生の笑い者にされるに違いがない。
ああ、初めての無様。
ああ、初めての、傷。
遠のく意識の中で、鴉丸はただ一つ、思考を走らせた。
(……ああ、この屈辱。必ずや。)
そう呟くように思いながら、
彼は、意識の底へと沈んでいった。
▶▷▶▷
目が覚めると、真っ白な天井が目に入った。
(医務室……)
男は、自分が仕える城の一室で目を覚ました。
障子越しの朝の光が、僅かに床を照らしている。
呼吸が、浅い。まるで、
(これから物言わぬ屍になってしまうのではないか。)
という不安に駆られてしまうほどに。
大きく、息を吸う。空気が入ってくる前に胸が焼けるような痛みが襲ってきた。
声を立てまいとしても押え切れない声が両手の下から咽むせび出た。
体を起こそうと、動く。が、腹部に鈍い痛みが走り、悲鳴が出そうになる。咄嗟に唇を噛み、悲鳴を殺した。
じんわりと、口の中に嫌なくらいに鉄の味が広がる。
手を、足を、体を動かそうとする度に己から痛みを堪える声が漏れた。
やがて、己の体に見慣れぬ白い物が巻かれていることに気がついた。
(包帯……。)
それを認識した途端、言いようの無い感情が湧き上がってきた。
喉を突き破らんとする咆哮が、静かであった部屋に劈くように響いた。
この咆哮は誰のモノなのかはわからなかったが、己の喉が燃えるように熱くなっていた事だけ覚えている。
腹に巻かれた包帯は、じんわりと、されど深く濡れていた。
その湿り気は、痛みを呼び覚ますようだった。
男はしばし、壊れた人形のように動かなかった。否、動けなかった。
──敗北した。
それは疑いようのない事実だった。
だが、不思議と痛みと共に、熱があった。
頭の奥、胸の奥、喉の奥。言葉にできぬ感情が、燻り続けていた。
その正体を、男は
___鴉丸は、知らない。
何故なら、鴉丸は完全無欠だからだ。完璧でなければ、いけなかった。
理解できないからこそ、確かめずにはいられなかった。
知らないからこそ、この乾きを教えた剣士に会わねばならなかった。
傷の疼きを無視して、男は静かに立ち上がった。枕元に置かれていた、己の相棒が目に入る。
「……三日、三日だ。」
ぽつりと呟き、身支度を整える。
引き出しに積もりに積もった有給表のうち、何枚か適当に引っ張り出すと、スルスルと手馴れた手つきで書いていく。
そして、休暇事由欄に『私的理由。任務に支障なし』と書き、筆を置いた。
命令もなければ、報告も必要ない。これは仕事ではない。
だが___それでも、行かねばならぬ。
燃えるような眼差しで、男は刀を手に取った。
そして、そのまま……再び、あの侍の元へ向かった。
▶▷▶▷
日は暮れ、そして昇った。
その繰り返しすら、男には関係がなかった。
男は、鴉丸の足は、迷いなくある一点へと向かっていた。何かに導かれていると言ってもいい程、その足は真っ直ぐに向かっていた。
___あの日、敗北を刻まれた断崖に
風が吹けば、未だにあの時の血の匂いが漂ってくる気すらする。
冷たい金属の匂いが、互いに互いの命を刈り取らんとするあの音が耳に染み付いている。それは、きっと二度と消えずに己を蝕み続ける耳鳴りなのだろう。
己の中に焼きついた、その男の姿と共に。
___果たして、彼の侍はそこに居た。
そこに、あの侍は立っていた。男のその忘れられぬ無機質な瞳が己を映した。
己に敗北を教えた男を前にしたと言うのに、心は不思議なほど凪いでいた。
男は、ただ立っていた。まるで、「遅かったな」とでも言うように。
そんな男を目の前にした鴉丸は、まるで蛇に睨まれた蛙のように動くことができなかった。
____名も知らぬ宿敵。
鴉丸はまだ、そいつの名前すら知らぬ。だが、それで良かった。
呼ぶための名ではない。刻むための存在だ。
「……来たか。」
侍が言った。
声が、刃だった。沈んで、鋭く、冷たい。何も感じられぬ声だった。待ち望んだという訳でも、己が来たことに歓喜した訳でもない。本当に、なんの感情も抱かれていなかった。
____己はあれほどまでに、渇望していたというのに。
「私はお前に、何かを教えられた気がしていた。」
鴉丸は胸に手を置き、そのまま手先を滑らせ、男に切られた部分に触れた。
微かな痛みを感じた。さっきまでは、悶えてしまうほどの激痛だったと言うのに、今は不思議と痛みをあまり感じなかった。
「……だが、それが何かはわからなかった。」
鴉丸が、低く呟く。
「……知りたくなった。この名を。だから、私は来た。」
二人の間に、言葉はそれ以上必要なかった。
刹那──刀が閃いた。
風が、止まった。もう、耳鳴りはしなかった。
▷▶▷▶
刀と刀が、凄まじい勢いでぶつかり合う。
鴉丸の体は未だ癒え切っていない。腹部の傷が開き、裂け、血が包帯に滲む。
熱い。熱い、熱い。
燃えるような熱さだった。まるで今、火の中にいて為す術なく焼かれているようであった。
だが、それすらも彼は熱として受け入れた。
互いの打ち合いはまるで、感情の応酬だった。相反する感情が己の中で業火となって燃えていた。
「お前を理解したい」「理解したくない」
「お前を倒したい」「倒したくない」
「お前を超えたい」「越えさせてくれるな」
「お前を刻みたい」
___俺を刻め。俺を見ろ!!
打ち合うたびに、火花が舞った。
夜の森を、白銀の閃光が染めていく。
朝も昼も夜も関係なしに、刀を打ち合った。
太陽が沈み、月が昇る。また太陽が昇り、月が沈んだ。
時間の感覚はとうの昔になくなった。今はただ、己を燃やさんと激しく燃え行く感情の赴くままに刀を振るう。
チリチリと目が脳が、体が焼ける。
今や、「無傷の鴉」と呼ばれた男の姿はなかった。
最早、どちらの血なのかすらわからぬ程、激しく混じりあっていた。固くなった泥が服に付着している。髪は乱れ、時に男にバッサリと切り落とされた。数刻前に降った雨のせいで体が重く感じられる。
それでも、腕が砕け、足が鈍り、呼吸が濁ったとしても、止まらなかった。いや、止まれなかった。
裂けてしまうのではないかというほど、上がっていく己の口角。
男の三日月のように歪んだその唇が、まるで絵巻物を見ているみたいに思えた。
ああ、この楽しさが心地よい。ずっとこのまま二人きりで遊びたい。
このまま、溶け合ってしまえればいいのに。
正しく、今この瞬間、二人だけの世界になったようだった。
互いに無言のまま、呼吸すら切れ切れのまま、それでも刀を振るい続けた。
もはや殺すための戦いではない。
それは「確かめるための戦い」だった。
▶▷▶▷
最後の夜が明けようとしていた。
体力など、とうに尽きていた。互いに満身創痍だ。
意識すら、点と線の間を彷徨っていた。激しく耳に残る耳鳴りが、異様に頭の中にガンガン響いていた。
それでも___鴉丸は立っていた。
侍もまた、折れそうな体を支え、刃を構えていた。
「……お前の名を、まだ聞いていない。」
体に熱がまだ灯っている。脳が、視界が激しくブレ、確かに燃えている。酷い高揚の中、鴉丸は言う。
侍は目を伏せ、静かに答えた。
「……言うな。お前がそれを口にしたら、俺はもう宿敵ではいられないだろう。」
そうか。ああ、そうなのだろう。ならば、名は要らぬ。
この刃が、この魂が、互いを語ればいい。
最後の一撃が、交わされた。
___そして。
静寂の中、風が吹いた。
片膝をつき、鴉丸は赤にまみれていた。
だが、その眼は、燃えていた。
「……まだ、生きている。」
口元に、笑みとも呻きともつかぬものが浮かぶ。乾いた笑いが、歓喜と共にせり上がってくる。
侍は、鴉丸の与えた一撃により致命傷を負い、その勢いのまま数メートル吹き飛び、ドンと大きな衝撃と共に木に背を打ち付けて、血を吐いた。
静寂に包まれた森の中で、侍の咳き込む音が響いていた。
己の荒い息遣いが、より大きく聞こえてくる。
侍は、確かにまだ生きていた。ようく耳を済まさなければ聞こえないほど、微かな呼吸音をしっかりと耳に焼きつけるように拾っていた。
互いに、殺さなかったのだ。
その意味を、今の鴉丸なら、ほんの少しだけ、理解できた気がした。
▶▶▶▶
その男は、誰にも傷を付けられたことがなかった。
どんな者でも、擦り傷ひとつ与える前に、男に狩られていた。
無傷無敗の歴史を積み上げて、早数十年。
だが、ある日。
ある侍に出会った。
それは予定外だった。誤算だった。
侍は、想像よりもずっと強かった。
男は、初めて深手を負った。
追い詰められ、必死に呼吸を求めるように口を開く。
だが酸素は、敗北の味しかしなかった。
意識が落ちる──
そして、目覚めたのは己の城。
そう、男は生まれて初めて、屈辱を味わったのだ。
▶▶▶▶
鴉丸はゆっくりとした足取りで侍に近づく。
侍は既に虫の息だ。放っておいても、そのうち死ぬだろう。
▷▷▷▶
その日を境に、男は消えない傷を負っていた。
チリチリと脳が焼ける。視界が焼ける。心が、焼かれていく。
ああ、ああ……!
生まれて初めて芽生えた、この得体の知れない感情。
その名も知らぬまま、男はただ──あの侍に、勝たねばならぬと知った。
▶▶▶▶
侍の、微かな呼吸が、段々弱くなっていくのを感じる。
ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ。死ぬな、死ぬな。勝手に死ぬな。死んでくれるな。
まだ私はお前の名すら知らぬというのに。死ぬのか。
▷▷▶▶
そして男は、再びあの侍の元へ向かった。
侍は、そこにいた。
まるで待っていたかのように。
刀を静かに構え、静寂の中で風を切る。
合図などない。
二人は同時に動いた。
再び、命を賭した剣戟が始まった。
▶▶▶▶
とうの昔に枯れたと思っていた熱いものがたったひとつだけ、頬を伝って地に落ちた。
▷▶▶▶
三日三晩、斬り合い続けた。
疲労など、とうに超えていた。
体が動いているのは本能ではなく、執念。否、渇き。
やがて、終焉が訪れる。
男の一撃が、侍に致命の一打を刻んだ。
侍は木に背を打ちつけられ、膝を折る。
その男は歩いた。
ゆっくりと、静かに。侍の前に立つ。
▶▶▶▶
そして、私は、刀を大きく振りかぶった。
侍は最後に、ゆるりと口角を歪めて言った。
「……あっぱれ。」
その刹那、私の頬に焼かれてしまいそうなほど熱いそれが掛かった。
▶▶▶▶
まだ興奮が冷めぬまま、鴉丸は侍の首を斬り落とした。なんの意味もない行動だった。だが、そうせねばならぬと思った。
侍の首は呆気なく地に落ち、ゴロゴロと音を立て転がった。
そんな生首を鴉丸は呆然と見つめていた。
一体どれほど時間が経ったのだろうか。気がつけば辺りは柔らかな朝日が差し込み、この悲惨な戦場を優しく包み込んでいた。
ひゅっと息を飲む。この男が、この侍がこんな場所に居ていいはずが無い。こんな穢れた大地に残してはおけぬ。
漠然とそう思い、懐から風呂敷を取り出し、地面に転がるあの侍の残滓に近づく。
____なんとも、晴れやかな顔であった。
憎たらしいほど、満足気な顔をしたソレを風呂敷に包む。
それを胸に抱き、己の仕える城の方へと足を向けた。
▶▶▶▶
とある城に仕える忍者の会話。
他愛の無い会話が、鍛錬場から聞こえてくる。
今は休憩中なのだろう。
そんな中で、とある二人の忍者の話が聞こえてきて、思わず足を止めた。
「九頭さんって何時も風呂敷を手に持っているよな〜」
「確かに。いつの間にか持っていたよな」
そんな二人の忍者に近づき声をかける男が一人。名を、田中と言う。
「あれ、お前ら知らないの?」
「え、田中なんか知ってるの?」
「あれは九頭さんの大切な物が包まれているんだよ」
「「大切な……物?」」
二人の忍者は顔を見合せ、鴉丸を思い浮かべた。
時に、何かが入った風呂敷を武器代わりにして。
時に、何かが入った風呂敷を投げて蹴って遊んで。
時に、何かが入った風呂敷を愛でて。
「「たい…………せつ……???」」
嘘だろう、と言わんばかりの顔を浮かべる二人の忍者。
そんな二人の姿に田中と名乗る忍者は思わず吹き出し、けらけらと笑いながら言う。
「まぁ、いつもの九頭さん見てたらそう思うかも知れないけど……あの風呂敷に他の人が触ってるの見たことある?」
「え……あ、ないかも。」
「確かに、見たことない。」
はっとしたような顔をした忍者の二人は田中の方を見た。田中は若干遠い目をして続きを話す。
「最近、あの問題児の新人見ないだろ?彼、九頭さんの風呂敷に触れたらしくてさ。」
確かに、最近あの不真面目な新人を見ていない。正直なところ、あの新人には頭を悩ませていたので会わないことは大変嬉しかったのだが……なるほど。忍者たちは馬鹿では無いので田中が言わんとすることを嫌でも理解できた。つまりは、そういうことなのだ。
触らぬ神に祟りなし。触ったら最後、どうなるのか誰も分からぬのだから。
「……ま、風呂敷に何が入ってるかなんて、俺も知らないけどな」
と、田中は笑った。
けれどその笑みは、どこか引き攣っていて。
忍者たちはそれ以上何も言えず、ただ、静かに頷いた。
それからしばらくの間、誰も風呂敷の話を口にすることはなかった。
▶▶▶▶
あの風呂敷は、鴉丸の膝の上にいつもある。
手放さず、離さず、だが──扱いは随分と雑だった。
時に武器として扱い、時に投げ、時に蹴り……言い出したらキリがないほど、扱いはぞんざいであった。
しかし、決して誰にも触れさせなかった。
例え上司であろうが、殿様であろうが、見せぬ触らせぬを貫いていた。
そう、あの完全無欠で冷酷無情であった鴉丸が。
「本当は人形なのではないか」と忍者たちの間で噂になるほど人の心がなく、喜怒哀楽も情も全て捨てたあの男が。たった一つの物に執着を見せたのだ。
もうこれには城はひっくり返るほどの衝撃を受け、何故か宴が始まるほどであった。(当の本人も、始めた殿様でさえ困惑していた)
とは言え、無傷無敗であった男が任務で傷を負い、尚且つ任務を失敗した時も城がひっくり返るのではないかというほどてんやわんやだった。
そして傷の癒えぬまま三日も休暇を取ったかと思えば、帰ってきた姿は血塗れの満身創痍。手には血が滴り落ちている風呂敷……これには城中の忍者たちは戦慄したのであった。
今や、あの風呂敷が鴉丸の膝の上にあるのが当たり前の日常風景となりつつある。
誰も中身を知らぬ、その風呂敷が気になるというものは少なくは無い。
彼の弱みなのではないか?と考えた者も多く、またその風呂敷に触れた怖いもの知らずは数知れず。だが、誰一人として帰って来なかった。
お察しである。
当たらぬ蜂には刺されぬ。この言葉を胸に忍者たちは今日も任務をこなしている。
__ただ。
ただ、その風呂敷を見つめる鴉丸の目が異様に優しいのは。その風呂敷越しにソレに触れるあの手つきは。時々風呂敷に耳を当てて、何かを確認するような仕草をとるのは。ただ、時々顔を歪めて、まるで迷子の子供のような顔でソレを抱いている姿は。
きっと大切なこの世で最も大切な物なのだろう。と思わざるを得なかった。
▶▷▶▷
九頭 鴉丸。冷酷無情で完全無欠な男。
どんな任務でも完璧に遂行し、無傷無敗なことから『無傷の鴉』、または『鴉影』と呼ばれている。
___その心には、一つの空洞が刻まれていた。
名も知らぬ侍が、深く斬り込んだ、死ぬまで癒えることの無い傷である。