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side沙良
R15あり
窓がないので、正しい時間は分からないが、大体夜も更けている頃、沙良は倒されていた。
……怖い。
その恐怖は、今までの本能的な恐怖とは違った種類のものだった。
手錠を外された状態の手をはっきりと視認するのは初めてだ。前に外された時は、解放感と、脱出出来るだろうかというドキドキ感に襲われ、はっきりと見ることが出来なかった。結局、それは徒労に終わったのだが。
だから、今、自分の手首を見てひどく驚いている。痛みなど感じなかったのに、赤くなっていた。
手錠を外されて尚、手錠をされているような錯覚に襲われた。
あの時も、沙良は囚えられたままだったのだ。それなのに、逃げ出そうだなんて不可能にもほどがある。
ひどく泣きたくなった。だが、沙良の思考を溶かすかのように拓海が口付けをおとす。
最初は丁寧に。徐々に荒々しく。
普段、冷静で理知的な拓海らしくない接吻だった。いや、うちに秘めた激情はこれだけ荒々しいものなのかもしれない。
息が、苦しい。
実際には十数秒なのだろうが、数分は経ったように感じられる。呼吸の仕方を忘れてしまったようだった。
本当に酸欠で死んでしまう。そう思ったと同時に口が離れた。唾液が糸を引いている。
「……ゲホッゲホッ」
過呼吸になりながら酸素を思い切り吸い込む。しかし、呼吸が落ち着く前に再び口を塞がれてしまった。
沙良はこんなにも苦しいのに、拓海は余裕そうなのに腹が立つ。何故沙良がこんなにも苦しくならねばならないのだろう。
だというのに。
酸素を取り入れようと本能的に開けた口に入ってくる舌に。口内を縦横無尽に蹂躙される感覚に僅かな悦楽が見出されてきてしまった。
身体が変になりそうだ。体の奥からジンジンと痺れるような感覚。今までこんな事、感じたことなどなかったのに。
こういったことは、本の中だけだと思っていた。実際は痛いだの何だのと見聞きしていたものだし。
だが、内情はぜんぜん違うじゃないか。こんなにも、こんなにも気持ちがいいなんて聞いていない。
「っん……」
自分から出したとは信じたくないほどの甘ったるい声が口から漏れる。嫌だ。もう、死んでしまいたい。好きでもないのに。憎んでいるのに。何故、こんなやつに感じてしまうのだろうか。
千秋とすら、したことがなかったのに。
「……ねぇ、沙良。僕以外のこと、考えちゃ駄目だよ?」
沙良の思考を呼んだかのように拓海が言う。その声は何かを堪えているようで、あぁ、この人も私で感じているんだ。と思った。
一度そう思うと、今までよりも感度が良くなってしまう。
もっと。
もっと。
気がつけば、拓海から接吻をしているのか、沙良から接吻をしているのか分からなくなってしまった。
髪が乱れ、服もはだけてしまった。だが、そんなことはどうでもいい。今はただ、与えられる快感に何も考えず、ただ酔いしれていたかった。
拓海の髪も少しだけ乱れている。少しだけだということに無性に腹が立って、拓海の頭をワチャワチャと撫でる。
「沙良……?どうしたの……?」
沙良は卑しい人間だ。最低な人間だ。千秋のことが好きなはずなのに、拓海に身を委ねてしまっている。拓海の掠れた声をかっこいいと思ってしまっている。
「なんでも……」
それだけ返すのが精一杯だった。これ以上喋ってしまえば、沙良の浅ましさに皆軽蔑してしまう。周りから誰もいなくなるだなんて、そんなのは嫌だ。
「ねぇ沙良、そろそろ次に行くよ?」
言うやいなや、拓海の指が服の中に入る。地肌を直接触れられる感覚に、鳥肌が立つ。
「っ……やだ!それ、きもちわるい……」
先程までの余韻の所為で舌っ足らずな喋り方になってしまう。だが、その声も、すべて接吻に塞がれてしまう。塞がれてしまえば、覚えてしまった快楽が再び火を付けるだけだった。
先程までの忌避感が嘘のように気持ちよく感じてしまう。
その後は……よく覚えていない。
何度も何度も啼かされて、途中で意識を失ってしまった。
はっきりと覚えているのは、色気に塗れた拓海の顔だけ。情欲を宿したその瞳は、妖しげで、沙良しか見ていなかった。
もう一度見てみたいと願ってしまったほどには。
不覚にもそんな事を思ってしまった罰だろうか。朝起きたときには、拓海がいなかった。
ベッドには沙良自身のぬくもりしか無い。手錠も、足枷も外されていた。置き手紙すら、ない。
逃げようと思えば、今なら逃げられる。だが、どうしてもそんな気にはならなかった。
そして、そんな自分をひどく嫌悪した。何故、逃げ出したくないのかなんて沙良自身も分からない。
とりあえず、部屋からは出てみようと、ベッドから立ち上がる。瞬間、鈍痛が走った。
昨日の名残だろうか。腰が傷んで、まともに歩けたものじゃない。こんな時、拓海がいてくれたのなら、支えてくれたのだろうか。
服は新しいものに取り替えられていたから、きっと意識を失った後に拓海が着せてくれたのだろう。
だが、これだけはいただけない。太腿にどろりとなにかが流れる感触がする。流石にこれはやりすぎだ。
沙良はそこまでの事をしただろうか。もしかしたら、これには理由なんてなかったのではないのではないか。ただ、拓海が沙良のことを抱きたくて、それを強行するための手段でしかなかったのではないか。
沙良がそんな結論に落ち着くのは、当然と言えば当然のことなのかもしれない。沙良にとって、その方が躾なんかよりもよっぽど納得がいった。
(臆病な人)
そう思ったのは許して欲しい。壁に手をつきながら沙良は、ゆっくりとドアの前へと到着した。
念の為に、ドアの外の音を聞こうと耳を押し付ける。
静寂だった。本当に、物音一つ聞こえない。
拓海はどこへ行ってしまったのだろうか。あんなにも憎かったはずなのに、拓海がいないというだけで不安にかられてしょうがなかった。




