27
side沙良
残酷描写あり
彩夏にいわれるがまま、ドアの外へと一歩を踏み出した。足枷が無くなって、手錠も無くなって。なんだか違和感がある。
だけど、これが普通なのだ。これから先は、ずっとこうして平穏に生きていける。もう、何も気負うことなどないのだ。
そう思うと、心がすっと楽になった。だから、だから想像なんてしていなかったのだ。
彩夏が外で捕まっていたなんて。
「……彩夏ちゃんっ!」
彩夏に向けて伸ばした手は、無理やり遮られた。
「余計なことしないで。したら、古谷さんが死んじゃうよ?」
拓海だった。掴まれた腕がキリキリと痛む。そのうち本当に骨が折れてしまいそうだった。
「なっ……んでっ!彩夏ちゃん!」
拓海なんかよりも彩夏から話を聞きたかった。
彩夏ちゃん。どうして裏切ったの?どうして、どうして?
信じてたのに。信じて、いたのに。
「沙良ちゃん……ごめんね。ごめんね」
彩夏はずっと泣きじゃくっている。その姿を見たら、沙良の中に溜まっていたどす黒い感情は、どんどんと無くなっていった。
そうだ。彩夏が裏切るわけがない。あんなに一緒にいてくれたんだ。それに、裏切ったにしては、拓海が彩夏のことを捕まえているのも可笑しい。
「沙良。古谷さんはね。自分で望んでこうしたんだよ。古谷さん自身の意志で沙良を裏切ったんだ」
「証拠もあるんだよ?」
『……分かった。沙良ちゃんが逃げようとしたら、うちが、沙良ちゃんを助けるふりをする。それで、一ノ瀬に引き渡す……』
「ほらね?」
確かに録音は彩夏の声だった。だけど、違う。彩夏は絶対にそんな事しない。
「嘘だ!彩夏ちゃんはそんな事しない!」
「沙良……ちゃん……こんなことした、うちのこと信じてくれるの……?」
泣き腫らした顔で沙良を見つめる彩夏に、胸がぎゅっと掴まれたような錯覚を覚えた。
「当然でしょ!?一ノ瀬くんなんかよりも、彩夏ちゃんを信じるに決まってるじゃん!」
沙良のその一言に心が揺さぶられたのだろうか。
「……!沙良ちゃん……!そうだよ、ホントは、うち、一ノ瀬に脅さ……」
それ以降、彩夏は喋ることはなかった。否、喋ることが出来なかった。
「ねぇ古谷さん。契約外だよ」
拓海が喉元にナイフを突き刺したからだ。まだ温かい彩夏の鮮血が、沙良の身体を染める。
「彩夏……ちゃん……」
最早、悲鳴すらあげることは出来なかった。ただただ、涙がポロポロと溢れ出た。それ以外、何も出来なかった。
「沙良。沙良が全部悪いんだよ?沙良が逃げたいなんていわなかったら古谷さんは苦しまなかった。死ななかった。沙良が逃げたいって言ったからこうなったんだよ?」
そうかもしれない。沙良がわがままを言わずに、大人しくしていれば彩夏は死ななかった。そもそも彩夏に相対だなんていわなければよかったのだ。全部、全部沙良の所為だ。沙良の所為で、彩夏は死んだ。今思い返して見れば、皆そうだ。
千秋も、圭吾も、全部全部沙良の......そうだ。そうに違いない。
だったら沙良はどうすれば良いのだろう。どうすれば、彼らに手向け出来る?分からない。分からない。ただ、もうこれ以上沙良の所為で誰かが死ぬのは見たくなかった。
「あぁ、沙良。泣いてるの?いいね。その顔もすっごく可愛いよ。でも、僕以外のために涙なんて流さなくていいのに……」
そういうところも好きだけど。そう言って、拓海は恍惚とした表情を浮かべた。
人形のように整った仮面に、真っ赤な鮮血が滴っていて、人間離れしていた。人が死んだのに。親友が死んだのに。不意に赤と白のコントラストが綺麗だと思ってしまった沙良は、とっくの昔に毒されていたのかもしれない。
「あ、そうだ。今更だけどさ、プレゼントあげるよ」
そう言いながら拓海が引っ張ってきたものは二つの死体だった。
一つは真奈。もう一つは遥斗だった。
よく見慣れた顔。毎日のように見ていた二人が……。
「母さんに、父さん……?二人とも、もう死んでたの……?」
あぁだのに。何故に涙が出ない。泣き腫らした所為か、涙は枯れ果てていた。否、それ以前に、何も感じなくなってしまっていた。
短期間に死者を見すぎた所為だろうか。人の死に対する恐怖が麻痺してしまったようだった。それが、ひどく嫌だった。他人の死に何も感じないような、そんな化け物になどなりたくない。
「あれ?もうちょっと怯えるかと思ったんだけど……全然そんな事ないみたいだ。ちょっとは僕のこと受け入れてくれたってことかな?」
拓海も気づいている。いや、沙良自身も理解していない感情の動きさえ、拓海なら分かっているのだろう。
「でもさぁ。やっぱり、逃げようとしたのは許せないんだよ。それに、拓海じゃなくて一ノ瀬くん。って呼んだ。罰が、必要だよね?」
声のトーンはひどく沈んでいるのに、顔だけが笑顔だった。血濡れた顔で笑顔なのは恐怖でしかなかった。何よりも、目が昏く澱んでいる。拓海が此処まで澱んだ目をしたのは初めてのことだった。
逃げ出したい。逃げ出したいけど、逃げ出せない。
腰が抜けたんじゃない。殺されるかもしれないと怯えているんじゃない。
沙良が逃げたことによって、沙良の周りにまで被害が及ぶのが嫌なのだ。
「わ、わかりました、から……。大人しくしますから、もう、誰も殺さないで……」
震える声を絞り出すのが精一杯だった。それでも、拓海は気に食わないらしい。沙良が自分以外の他人を気にかけているのが気に食わないのだろう。なんて自分勝手なのだろうか。
「……可愛い沙良の頼みだし?ほんっとうに沙良が僕に従順になってくれるのならいいよ」
「……わかりました。もう、二度と逃げ出そうなんてしません。他の誰にも会いません。言う事全部守ります。だから……だから……」
「じゃあさ。それを証明してね?」
必死で頼み込む沙良に落とされた声を理解するのには数秒かかった。意味を正しく理解出来たのは、その後の拓海の行動の所為だ。
両親を。時間が経ちすぎて腐敗しているその体を、散々に甚振り始めた。最早、その肉は誰だったのかすら分からなかった。
「え……?」
「ねぇ沙良。僕の言うことが聞けるんだったらさ。同じこと、アレにしもしてよ。そしたら信用してあげる」
そう言って、拓海は倒れている彩夏を指し示した。あぁ、なんでかな。彩夏はまだ体温があった。だが、此処で断ったらもっと色んな人が死んでしまう。そんなのは嫌だ。だから。
沙良は、何度も嘔吐しながら、世界一の親友を、見るも無惨にした。
ごめんね。本当にごめんね。
そう謝りながら。




