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side彩夏
ようやく部屋に通された。彩夏の第一感想はそれだった。
今まで二年間、何度訪ねても留守だった。いや、きっと居留守を使っていたのだろう。
はじめ沙良がいなくなったと聞いた時は千秋の所為かと考えた。しかし、千秋は行方不明になっていたのだ。だとしたら、駆け落ちか?いや、千秋のことだ。そんな事は出来ない。念の為、沙良の家にも出向いてみた。だが、誰もいない。昔に一度だけ訪ねたことがあるが、その時のぬくもりなど淡い幻想のようだった。
そこでようやく一つの可能性に思い当たった。拓海だ。沙良の周りにいて、こんな事が出来る人物は拓海の他にありえない。当然、沙良に一方的に恋情を抱いている他人の可能性もあるのだが、拓海がやったという方がしっくりときた。
以来、拓海の家に足繁く通ってきた。成果は零だったが。
そんな矢先、拓海がインターホンに初めて出て、そのまま暫く放置された後、入ってきていいとだけ来た。
リビングに通された彩夏は、拓海から少しだけ話をされた。聞くに連れ、やっぱり自身の予想が間違っていなかったことを確信した。
それから、拓海に対して恐怖を覚えた。拓海はこのやり方が沙良を傷つけていることに気がついていない。それか、気がついていても自分の中で誤魔化している。だから、こんなにも人道的ではない事を喋るのだろう。
だが、彩夏には此処で反抗や反論することは出来なかった。悶々とした気持ちのまま、沙良のいる部屋へと通された。
「僕は、部屋の外にいるからね」
拓海があっさりと部屋を出ていったことに、彩夏の親友はひどく驚いた様子を見せていた。きっと、今まではずっと一緒にいられたのだろう。そう考えると、親友が不憫で不憫で仕方がなかった。
だが、その彩夏も沙良のことを余計傷つける可能性を孕んでいた。彩夏は親友を傷つけたくない。だから、そんなことにはなりませんようにと祈る他なかった。
彩夏にとって沙良は少し特別だ。
女社会というものは常にカースト制に縛られ、陰鬱でドロドロとした空間が広がっている。少なくとも、彩夏の認識ではそうだった。彼女たちは仲良しでグループを作り、他のグループのメンバーの悪口を言い合う。ときには、自分たちのグループの一人をハブったりするのだから、もう救いようがない。
そんな奴らとつるむことは損失しか生まない。そう思っていた彩夏は、当然周囲から浮いていた。
高校生の時もそうだった。だが、そこで沙良に出会った。沙良は、彩夏から見ると嫌いなタイプだった。
グループに所属しているくせに、他グループにも話しかける。彩夏のような一匹狼にさえ何度も話し掛けてきた。聞くところによると中学校では不良の更生をやっていたと言うではないか。
カースト上位のくせに、誰にでも分け隔てがないなんて、まさしく偽善を体現したように感じられた。
そう、当時、彩夏は心底ひん曲がっていた。今の自分からしたら、最早黒歴史だ。逆に、どうしたら此処まで性根がひん曲がれたのか謎ですらある。
そんな腐った性根を治してくれたのが沙良だった。沙良は、偽善でもなんでもなく、本当に心から優しい人間だった。彩夏がどれだけ突き放しても、笑って許してくれた。
そこから彩夏も少しずつ変わり始めた。沙良の話に耳を傾け、時折自分の話もした。
そうして、意外に沙良とは気があったのだ。好きな漫画や、小説家。その他諸々まるで、示し合わせかのように一緒だった。
ときには、一緒に声優のライブを見に行ったりもした。彩夏にとって沙良が特別であるように沙良にとっても彩夏が特別であればいいと思う。そうであれば、それほどまでに幸せなことはないだろう。
高校生三年生では、最後の年ということも兼ねて、頻繁に遊びに行った。といっても、受験もあったし、結局そんなに行くことも出来なかったが。
よく行ったのはレストランやカフェだった。沙良には受験勉強出来るからだと銘打っていたが、その実、ただ単に食事がしたかっただけである。
もしかしたら沙良は気がついていたかもしれないが。
「昔は、よく遊びに行ったよねー」
「確かに!一緒にペアルックとかもしたよね!」
他愛もない話を沙良とする。そんな空間が壊されたのはすべて拓海の所為だから恨んでいた。だが、恨んだとて敵う相手でもない。それが今、もしかしたら裏をかけるかもしれないのだ。
ただ、沙良があの一言さえ発さないでいてくれれば……。
「ところでさ、彩夏ちゃん。お願いがあるの」
お願い?まさか……。違う。沙良はそんなに安直な子じゃない。
「私を此処から出して欲しいの」
違う。そうじゃない。そんな事をいわないで。そんな事を言ってしまっては、私は断る他ないじゃないか。
「ごめん……うちには……」
あぁ、知っている。こういってしまえば、取り返しがつかないと。こういってしまえば、沙良が絶対に食い下がることを。彩夏は、知っている。
「ねぇお願い。このままだと私、おかしくなっちゃいそうなの。どんどんどんどん毒されて、私が私じゃなくなっちゃう。彩夏ちゃんしか……頼れないの……お願い。助けて……?」
沙良は本当は意地が悪い子なんじゃないだろうか。彩夏がこうすれば断れないと知っていて、この頼み方をしている。
彩夏ちゃんしか。そんな言い方をされると断れないのだ。彩夏を必要とされている気がして。
「分かったよ……。うちに出来ることはする」
だから、彩夏はそれに従う他なかったのだ。髪にさしていたヘアピンを取り外して、足枷の南京錠部分に差し込む。
習ったとおりにカチャカチャと弄くってやれば、カチャリと足枷は外れた。同じように手錠も外す。
あぁ、本当にどうしよう。此処から先は後戻り出来ない。
彩夏が嫌われても良い。だけど、どうか、勘違いしないで欲しい。決して沙良のことは嫌いじゃない。大好きだ。
今まで過ごした時間が全部嘘だったなんて思わないで欲しい。
大好きだから。親友だからこうするしかなかったんだ。
「ありがとう。彩夏ちゃん……」
ねぇ、そんな事言わないで。
「ううん。当然だよ。親友なんだから。とりあえず、一ノ瀬がいないか先に見てくるね」
あぁ、信じたその眼差しで見ないで。
「大丈夫。誰もいないよ。玄関は直ぐだし、もう出てきて大丈夫。なるべく足音は立てないでね」
本当、ごめんね。助けられなくてゴメンね。
「分かった。彩夏ちゃん、本当にありがとうね。今行くよ」
ねぇお願い。こっちに、こないで。




