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side拓海
沙良が熱を出した。風を引いたのだろうか。それとも知恵熱?寝込んでしまって話を聞けないので詳しいことは定かではない。
病院に連れて行こうかとも思ったが、沙良は行方不明者となっている。それもこれもすべて彩夏の所為だ。家族さえ消しておけば大丈夫かと思ったのだが、どうやら友人も消しておくべきだったらしい。今更同仕様もないことではあるし、一度に消しすぎるのも怪しいから問題なのだが。
兎にも角にも、無駄なことを考えるよりも今は沙良だ。ずっと熱にうなされている。このままでは沙良がしんどいだろう。
そう思って、氷枕と、冷えピタを用意する。念の為と、ポカリスエットと、軽いゼリー持って、部屋に戻った。
「……ぁ……」
何かを呟いている。先程まで意識がなかったから、少しだけ快方に向かっているということだろう。何を言っているのだろうかと、近づいて耳を寄せた。
「ぁき……ちあき……くるしぃよ……ちあき……」
手を握りしめる力ぐっと強くなった。手から血が滲んだ。もうどうでもよかった。何故?どうして?こんなにも尽くしてきたのに。こんなにも愛したのに。何故?何故そこで千秋の名が出るんだ。最近は、千秋のことなど口にすることも無くなっていたのに。ちゃんと、ちゃんと理想の沙良に近づいていたのに……。
本当は今直ぐにでも問い詰めたかった。無理矢理にでも叩き起こして、どんな手段を使ってでも、嫌われてでも、どういうことなのか問いただしたかった。
だが……沙良は熱なのだ。しんどいのだ。そんなこと、出来る訳が無いではないか。もしも体調が悪化したら?そう考えると、怖くて体に触れることすら叶わなかった。
とりあえず、録音だ。体調不良のときほど本音が出るときはない。結局沙良は、何年経っても、千秋が好きなのだ。あぁ、もしも記憶を消すことが出来たのなら。今までの記憶を全部消してしまいたい。新しく、拓海一人だけで沙良の記憶を埋め尽くしてしまいたい。そう願わずにはいられなかった。
沙良にとって、拓海は憎悪の対象で、それ以上でも以下でもないのだ。だが、だとしたらどうすればよかったのだ。沙良には千秋がいて、千秋には沙良がいて。拓海の入る余地などどこにもないじゃないか。沙良だって、拓海のことなどどうでも良かった。それは、沙良の無関心さが物語っていたではないか。
本当は知っている。沙良の居場所はたくさんあるということくらい。千秋の隣も、真奈や遥斗、圭吾の隣も。全部全部、沙良の正しい居場所だった。異端は、拓海だ。拓海の隣では、沙良は沙良ではいられない。拓海の側は、沙良の居場所ではないのだ。
しかし、今更そんな事はどうにも出来ない。拓海は沙良が好きで仕方ないのだ。一度手に入れたものを手放せるほど甘くもない。
そうだ。認めよう。これは自己満足だと。やり方を間違っていると。だったらそれでいい。手に入らないならいっそ壊してしまえば良い。
世間はきっと言うだろう。拓海のこれは愛なんかじゃないと。執着と所有の果だと。だが拓海は思うのだ。愛なんて所詮はそういうものだと。
執着して、手札を使って所有して、依存させることが愛だと。
どんな手を使ってでも手に入れるのが愛だと。
世間の人間だって同じことをしているのではないだろうか。その人と付き合いたい、結婚してたいと執着して、そのために好きになってもらって。好きになってもらうことと、依存してもらうことに一体何の違いがあるのだろう。度合いが違うだけではないか。
あぁ、人とは結局こんなものなのだ。だったら、今更取り繕うのはやめよう。嫌われたって良いじゃないか。
無関心なんかよりもよっぽど。
愛と憎しみは紙一重という。もういい。優しくしても無意味だった。沙良の心には残らなかった。だから。だから嫌われようじゃないか。もう優しくするのは止めだ。もともと拓海の性にもあっていないのだ。
だけど、暫くの間。今だけは、優しくしてもいいだろうか。許されるだろうか。
自分でも、誰に許しを請うているのか分からなくなって思わず自嘲してしまった。拓海自身のことだ。拓海が決める他、ないではないか。
沙良の体調が戻ったら、この録音を聞かせてやろう。そして、詰って、貶して、貶めよう。
それまでは、今まで通りの優しい拓海を演じよう。いや、演じるというのは間違いかもしれない。優しい拓海だって、拓海の一部なのだから。
きっと、拓海の手を繋ぎ止めているのも、千秋だと思い込んでいるからだ。そうだ、あの時だって、きっとそうだったに違いない。
ひどく自分本意な解釈だ。それに、自分にとっては不幸でしかない。そのくせ、もういない千秋に勝手な嫉妬心を燃やすのだから、自分という人間がよく分からなくなった。
考えても仕方のないことだ。
そう頭を振って、沙良の看病に集中した。
冷えピタを貼って、氷枕を下にしいて上げる。手近なハンカチで汗を書いているから拭って、蒸れるだろうから、服も着替えさせた。
沙良にはぼんやりとしか映っていないのだろう。それでいて、熱で働かない頭は、拓海のことを千秋だと思い込んでいるのだろう。
今、この瞬間は千秋の名前を呼ばれたくない。その一心で、掠れた声で名前を呼ぼうとする口を無理やり押さえつけた。
息苦しそうに藻掻く沙良に申し訳無さが先立った。だが、そんなものに左右されていてはこれから先しんどくなるだろう。だから、そんな気持ちはなかったことにした。何も思わないだけ。感情を抱かないだけ。いつもやってきたことだ。出来ないわけがない。
出来ないわけない、はずだったのだ。
それなのに、どうしてこんなにも胸が締め付けられるような錯覚を覚えるのだろうか。何故、沙良の涙一滴に胸を動かされるのだろうか。
どこまでいっても、やっぱり沙良だけは特別だ。せっかくの決意も水に流れそうだと、呆れ返ってしまった。
何もかも眼の前で塵のように散っていく。あぁ、自分は結局なにがしたかったのか。言い訳がましく「沙良のため」と並び立て、それが嘘だという現実からは目を逸らし続けた。目を合わせて、認めた頃には手遅れになって。
何のために沙良を閉じ込めたのだろう。守るためだなんて言って。
何のために千秋を殺させたのだろう。沙良の居場所を決めつけて。
何のために家族を全員殺したのだろう。沙良の邪魔になると言い切って。
何のため。あぁ、本当に何のためだったのだろう。すべて、無意義で無意味じゃないか。拓海がやってきた何もかもは無価値だった。そこには、何も伴いやしなかったのだ。
今、過去に戻れたのなら。今、この手を離せたのなら。
そうすれば、これ以上苦しむことなどないのに。それすら拓海には出来ない。掴んだ仮初がどれだけ苦しくても、ないときのほうが苦しかった。見向きもされず、心にすら残っていないのほうがよっぽど苦しかった。
やっと見てくれた幸せを手放すことなんて、出来るわけがなかった。
頬が冷たくなっていた。自分自身も気づかぬうちに泣いていたらしい。なんで泣いているのか。拓海には分からなかった。自分のことですら、分からない。
拓海にとって、それを埋める手立ては沙良しかなかった。沙良がいれば、それだけでいい。他に何もいらない。沙良さえ、愛して、側にいてくれるのなら。
風邪なら感染りますようにと願いながら、拓海は沙良を抱きしめた。




