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愛の導  作者: 瀬名柊真
十二章 転換点

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side由美

 由美から見て、沙良という人間はどこまで言っても変人だった。

 沙良は由美のような廃退した生活を送っていない。平和に生きて、平和に暮らして。息苦しくなるほどの気苦労など負ったことがないのだろう。

 だから、あんなにも純粋で曇り一つない目が出来る。いうなれば異端だった。

 沙良は知らないのだろう。沙良のように純粋な優しさほど人を壊すということを。

 拓海も千秋も、その一人だったということを。

 千秋を殺した時、直感的に似たものを感じた。

 真に愛する人のためならば穢れすら背負う覚悟。

 真に愛する人のために自分を取り繕うやり方。

 すべてが由美と似ていた。その目さえも。

 沙良は気がついていないのだろう。千秋の目が異常に歪んでいたことに。拓海が怖いというのならば千秋だって同じことだ。

 きっと、千秋は由美と一緒だ。親の愛をまともに受けたことがないのだ。千秋に何があったのかは知らない。だが、あれが愛情を渇望するものであることだけは確かだった。無償の愛がないと思い込んで尚、それを求め続ける幼い子供。そんなふうに映った。

 由美と似ていたからだろうか。沙良に千秋のことを聞いてみた。


「千秋くん?だっけ。あの子、どんな過去があったの?」


 千秋の名を出すと露骨に沙良の顔が歪んだ。それもそうか。拓海のことだから千秋の存在ごと抹消するよう仕向けているのだろう。それこそ、沙良の記憶からも。


「なんで、三条さんにいわなきゃならないんですか……?」


 その姿はさながら小動物のようだ。毛を逆立てて警戒する非力な生き物。


「あたしが知りたいだけ。安心してよ、拓海くんには何も言わないからさ」


 ジャミングの装置も見せてやる、といってもサイズは小さくて、なおかつシャーペンにカモフラージュしているからパッと見は分からないだろう。

 そこまでしてようやく沙良は話し始めた。

 その内容は少しだけ衝撃的で、やはり千秋は由美の仲間だったと確信に至るものだった。

 沙良が言うには、千秋は母子家庭で育っていたらしい。母親は、毎夜毎夜見知らぬ男を連れ込む。部屋が別だったことだけが千秋にとっての救いだった。禄に家事もせず、ご飯は月初めに渡されるお金で賄う。だが、その金額も雀の涙ほどで、生きていくには食事量を減らすしかなかった。

 空腹に耐えられなくなって最初に万引きをしたのは五歳の時。そこで出会った店長は可哀想にと見逃してくれた。しかし、千秋のことを救ってくれることはついぞなかった。

 そんなまともじゃない生活を送ってきた千秋にとって学校は一種、安らぎがあった。何も払わなくても給食という名で豪華な食事が出てくる。勉強が出来る。知識をつけて母親を見返せる。そう思うと俄然やる気が出た。だがそれも中学年までのこと。高学年になると、社会についてはっきりと理解しだす。自分の家が普通ではないことも、給食には費用がかかっていたことも。そして、母親のような人間が俗に言う売春をしているということも。

 軽蔑した。

 せめてそれで稼いだお金を千秋のために使ってくれていたのなら。実際の使い道はギャンブルでしかなかった。

 母親が父親に捨てられたのもギャンブル癖の所為だと聞く。殆ど当たらないのに、増えるかもしれないという期待に縋っては、金を浪費するだけの母親は、日に日にやつれていった。

 そんな生活の中、千秋は中学生になった。そして、その最中にあの男が現れたのだ。男は莫大な金と引き換えに母親と結婚した。いわば、金で母親を買ったというわけだ。

 そのおかげ、というべきか、千秋は高校に通えることとなった。今までずっと諦めていた高校を通わせてくれるというのは有りがい話だった。

 だが、当然甘い話だけではなく、千秋は元夫の子供だからという理由だけで迫害された。家も追い出されたし、食事だって、前よりも少しかさ増しされたお金が渡されるだけ。高校に入ればアルバイトも出来るのにそれすら出来ない。

 新しい父親に対する気持ちは感謝よりも憎悪のほうが大きかった。だから、千秋が捻くれてしまうのも無理はない。

 中学校早々から授業には真面目に参加せず、屋上で一人ヤニを吸う。誰かが自分を見つけて声をかけようものなら問答無用で殴りかかった。そんなだから、一ヶ月も経たぬうちに千秋は周りから敬遠されるようになった。

 そうやって荒くれていた千秋を更生させるように頼まれたのが沙良だった。

 当時沙良は風紀委員に所属していた。風紀委員の仕事には入っていない内容だったが、沙良は快く引き受けた。

 沙良が初めて千秋に声を掛けた時、千秋は沙良を殴った。それでも沙良はめげずに千秋に話し掛け続けた。沙良だって千秋の立場ならきっとそうすると思ったからだ。少しずつ、少しずつ慣れてくれればそれでいいと。そう思っていた。

 そんな沙良の思いが通じたのか、千秋は徐々に沙良と会話を交わしてくれるようになった。千秋に合わせて、時折沙良も授業を休むようになった。そして、そんな時は必ず二人で笑ったのだ。


「俺、この高校に行こうと思うんだ」


 千秋がそういったのは受験の三週間前だった。時間はギリギリだが、ちゃんと高校に通いたいと明言してくれたことに沙良はいたく感動したものだった。

 なにせ、それまでは高校の話を持ち出しても、「父親が世間体を気にするからいかなきゃいけないだけ」と乗り気じゃなさそうだったからだ。そんな千秋が、「この」とまで言ったのだ。ずっと千秋と一緒に居た沙良にとってそれ以上に嬉しいことはなかった。

 当然、今までろくな勉強をしてこなかったのだ。三週間ひたすらに勉強に励んでも尚、受験に合格するのは厳しかった。沙良も出来るだけサポートはしたが、結局千秋が行きたいと言った高校に行くことは出来なかった。唯一合格したのは、名前を書くだけで受かれるといわれるほどの高校。


「いいんだ。今までの報いだしな。それに、大学じゃ可能性あるだろ?」


 それでも千秋は、そう言って明るく笑った。

 卒業式当日。告白したのは沙良だった。高校と中学で離れてしまうことで千秋との縁が切れてしまうことに寂しさを覚えたから。もっと、千秋といっしょに居たいと思ったから。


「東城先輩!私と付き合ってくれませんか?」


 そういった後の静寂は気まずかった。断られたらどうしよう。嫌われちゃうかな。不安がぐるぐると頭を渦巻いた。

 永遠にも感じられた一瞬の後、千秋は少しだけ頬を染めて言った。


「俺も、鈴海が好きだよ」


 かくして二人は付き合ったそうだ。


「へぇ〜。そうだったんだ」


 話し終えた沙良は、ナイーヴな顔をしていた。本当に大切な宝物だからだろう。どうせそのうち”だった”に変わるに違いないが。

 話を聞いて尚、由美は思った。彼女の優しさは此処に似付かわしくない。と。

 千秋には良かったのかもしれない。だが、由美が思うに、拓海には眩しすぎると思うのだ。

 ほんの少しだけ沙良に興味が湧いた。だから、由美は普段なら話さない話をした。自分の過去など話したのは初めてだ。それから、一つだけ提案をした。


「ねぇ、あたしが沙良ちゃんの脱走の手助けしようか?」


 沙良はひどく驚いた顔をした。

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