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side沙良
残酷描写有り
拓海に監禁されてから何日経ったのか分からない。外の世界も見えない状況では何の情報も得られない。
日々することは、一日中ベッタリとくっついてくる拓海と話をするだけ。娯楽も何も無い。拓海の話によると、沙良は学校を退学したことになっているそうだ。どうやってしたのかは定かではないが。
話すうちに知ったのは、何となくそうだろうとは思っていたが、拓海があの一ノ瀬グループの御曹司だったこと。高校からずっと好きだったこと。無理やり沙良と同じ大学に入ったこと。後は、沙良に対する愛がどれほどのものなのか。それだけだった。
この家も、父親から下賜されたものらしく、何でも自由に出来るんだそうだ。お陰で、沙良を監禁しても、誰も此処にはこないらしい。お陰、といよりは所為が正しいか。
それにしても、拓海のような人が、何故自分を好きなのか。沙良には全く理解出来なかった。
けれど、この生活にはだんだんと慣れた。慣れてしまった。適応能力を此処まで恨んだことはないかもしれない。更に嫌なことに、此処の生活はそこそこ快適だった。沙良のことを好きだと豪語している通り、沙良好みの食事に、衣服。お風呂に入る時だって、拓海は浸からないと言っていたのに、湯船を張ってくれ、入浴剤まで用意してくれていた。だから、そんな環境に甘えるようになってしまっていた。
沙良だって、最初はそこまで従順ではなかった。嫌なものは嫌だったし、絶対に甘えてなんてやるものか。とさえ思っていた。だが、日付が経過していくに連れ、精神はドンドンとすり減っていった。生活だけが快適な中、正気を保つには、拓海のこれが愛であると信じるほかなかった。
そうでないと、希望の兆しが一向に見えなかった。愛ならば、そのうち外に出られるかもしれないと、そう思うほうがよっぽど楽だ。
何よりも辛かったのは、沙良が拓海を拒否した日だった。
その日は、拓海がキスを要求してきた日だった。
沙良は千秋とすらキスをしたことがない。千秋がいつも照れてしまうからだった。
「そういうのは、もう少ししてから。な?」
そう言う千秋の顔が本当に申し訳無さそうで、「いいよいいよ」と毎回のように笑って許していた。いつか、唇を重ねるその日を夢見て。
だというのに、大切な夢と希望が詰まっていたファーストキスを。宝物を壊した男に、大事な思い出など差し出したくなかった。だから、「嫌だ」と言った。本当に、そう言っただけ。
拓海は、怒らなかった。ただ黙って、部屋を出ていった。けれど沙良は知っている。拓海が、生活する以外で部屋を出る時は良くないときだと。
食事を作るときや、風呂に入る時は部屋を出るが、それ以外はずっと入り浸っているのだ。そんな彼が、理由もなしに部屋を出るなんて信じられない。
そう思っていると、沙良の予想通り、拓海は爆弾を投下してきた。それも、今までにないほどの大きさを。
部屋に戻ってきた拓海を見た時、沙良は目を疑いたくなった。見知った顔が見えたからだ。それも、あるはずのない位置に。
けれど、何度見直してもそこに顔がある。拓海の手元に、圭吾の顔が。
首より下は切り取られていて、なかった。血は固まっているのか、雫が垂れることはなかった。
死体を見るのはコレで二度目だ。どちらも愛しい人だった。込み上げてきた胃液を必死で飲み下した。拓海はどうせ、嘔吐してもそれすら喜んでしまうだろうから。こんな人道的じゃないやつを喜ばせたくなどなかった。
「けい、ご……」
拓海に対する罵倒を言おうと思った。こんな事をする理由を問いただそうと思った。だが、恐怖で引くついた喉が、辛うじて出したのはそのどれでもない弟の名前だった。
最期の瞬間で時が止まっている圭吾は、恐怖に満ちた表情をしていた。それと同時に薄っすらと滲む怒り。
圭吾は殺された時どんな気持ちだったのだろう。こんな怪物に殺されて。いや、もしかしたら殺したのは由美なのかもしれない。沙良がそう思ったところだった。
「あ!殺したのは僕だよ?証拠の録音も撮ってある。聞くかい?」
沙良の心を読んだかのように、拓海が続けた。
そのまま、青ざめる沙良の返事も待たずに録音を再生する。
『おや、じ……?』
か細い圭吾の声が聞こえた後、小さくシャッター音が聞こえる。その後に、肌が切り裂ける音が聞こえて……拓海の独り言ともにメキッ。ボキッ。グシャッ。と、一般人なら一生無縁であろう音がなる。
やがて、部屋には静寂が走った。沙良はなにか言う気すら起きなかった。
一分。
たった一分の音声だった。それだけで、沙良を壊すには十分だった。
いつもの拓海なら、このあと沙良に壊しに来るだろうに、今だけは何も言わないことが嵐の前の静けさのようで余計、怖かった。
ショックのあまりぼやけた焦点が、再び合う。その時に、真っ先に見えるのが拓海なのがたまらなく口惜しかった。
何も感じていないような、その顔が。
沙良以外には動かない、その顔が。
嫌だった。口惜しかった。それでも、自分でも何故なのか分からないくらい、それにどこか安堵を覚える自分も嫌だった。
せめて、せめて殺したことに快楽でもなんでも感じてくれていたら。そうしたら、素直に恨めるのに。嫌いになれるのに。
何故彼は、何も感じないのだろう。全部、「沙良のため」と銘打つのだろう。そうされると、もう、同仕様もないではないか。
辛くて、何もかもだめになって、頼れるものもない状況を作り出されて。
全部全部、拓海の所為だと分かっているのに、嫌いになりきれないじゃないか。
自分の所為だと感じてしまうじゃないか。
拒絶しても、頼りたく、なってしまうじゃないか。
きっとこの感情すら拓海は織り込み済みなのだろう。だけど、そうと分かっても感情を止めることは出来なかった。
人間なのだ。感情のコントロールなど出来るわけ無いじゃないか。
拓海の手から圭吾が落ちた。グシャリと、嫌な音を立てた。衝撃で一部の肉が抉れてしまった。
その時初めて、部屋に漂う腐敗臭に気がついた。人間というものは、大きすぎるショックを与えられると五感が壊れてしまうらしい。
この臭いは、圭吾の香りだ。死んでしまった圭吾の。
そう思うと、吐き気が強くなってきた。絶対に、絶対に嘔吐なんてしてやらない。
ただ、ひたすらに耐えろ。耐えろ。耐えるんだ。
あぁ、だが、こうなれば、後は真っ逆さまに堕ちる他なかった。だって、家族すら、拓海に取られたのだから。
沙良に出来るのは、ただ、此処にはいない母と父が生きていることを願うだけである。




