19
side沙良
沙良は目を覚ました。頭がガンガンと痛み、何がなんだかよく分からない。自分が何をしていたかさえ思い出せない。何も見えない。少しだけ視界に灯りが差し込んでいるから部屋が暗い、というわけではなさそうだ。感触的には布を被せられているような。そんな感覚。
とりあえず、その布らしきものを外そうと手を動かそうとすると、嫌な音がなった。
手が動かない。
嫌な予感がして、沙良は、足も動かしてみた。
足は比較的自由に動いたが、普段よりも重い。それにやっぱり、嫌な音がなる。チャリチャリという鎖のような。
そこでようやく、沙良は思いだした。
(そうだ。私、一ノ瀬くんに襲われて……)
「……っ!千秋!」
冷や汗がどっと噴き出る。千秋は……千秋は本当に死んでしまったのだろうか?トラウマなのか、どうやって千秋が死んだのか思い出せない。だからか、希望はないと分かっていても、ついそんな期待を抱いてしまう。
「起きてそうそう言うのは先輩の名前かぁ。悪い子だなぁ……君は」
耳元で聞きたくなかった声が聞こえた。吐息まで聞こえてきそうで吐き気がした。
どうにか距離を取りたくて方向も分からないのに後ろへ下がる。だが、鎖らしきものが沙良の邪魔をする。結局、まともに逃げ出すことも出来なかった。
「あぁ、そうだ。目隠し、外してほしい?」
「……えぇ」
拓海の提案に素直に頷く。周りが見えないとこれから先の目処も立てようがない。
「じゃあ、僕の名前呼んでよ。出来るでしょ?」
彼は何がしたいのだろうか。沙良には分からない。沙良が拓海だと認識してることを確認したいのだろうか。何にせよ、此処は従順に行くべきだろう。
「……一ノ瀬くん。これでいい?」
これでいい?は余計だったかもしれない。と、言ってから思った。実際、拓海も少し気を悪くしたようだった。
「気に食わないな……分かってる?君は僕のものなんだから反抗しちゃ駄目なんだよ?」
私は誰のものでもないと反論したかった。だが、それをすれば何をされるか分からない。かといって、謝るのは癪だった。
「まぁ、名前は呼んでくれたし、約束は守るよ。ほら、これで見えるでしょ?」
黙っていた沙良に何を思っていたか定かではないが、拓海は目隠しを外してくれた。
いきなり明るくなるため、目が眩むことを危惧していたが、そこは配慮してくれていたらしい。部屋の明かりは弱かった。
沙良はベッドに寝転されていた。状況を確認しようと端に座り直す。
部屋の内装はシンプルで落ち着いていた。だが、どこか見覚えのある雰囲気だった。言うなればまるで沙良の部屋のような、そう。まさしく沙良のことが意識された部屋のようなのだ。
沙良自身の部屋とは違ってぬいぐるみなどはないが、ベッドの様子や、壁紙も沙良が好きな系統だ。
こんなにも可愛らしい雰囲気を壊すように、沙良につけられた手錠と足枷は重い。沙良の力では絶対に外すことは不可能だろう鉄製のそれは、ご丁寧に鍵までつけられていた。
足枷だって、片足だけで構わないだろうに、両足につけられている。鎖の長さは不明だが、端はベッドの足にくくりつけられているらしかった。
「此処は……?」
「あ、此処?僕の家だよ。今日から沙良は此処で過ごすんだよ」
僕の家だと言ってのけたことに驚く。冷静に考えれば当然なのだが、まだ頭が混乱しているらしい。それに、拓海は今「沙良」と呼んだ。それに違和感を覚える。今までは「鈴海さん」だったのに。
今更ながらに拓海が本性を隠して近づいてきたことにゾッとした。千秋はきっと沙良のことを助けようとしてくれたのだ。
彩夏が言っていた喧嘩も、千秋は沙良を守るために。路地裏のときだって、千秋は……。
「ぅ゙っ……おぇぇぇ……」
あの惨状を思いだして嘔吐をしてしまう。駄目だ。あれはどうやったって生き延びれない。
「あぁ……。吐いちゃった。気分でも悪い?空調とか完璧に設定したはずなんだけどなぁ」
拓海が心配そうな声を掛けてくる。下を向いた所為で顔は見えなかったが、それは本当に沙良のことを心配しているらしかった。だが。と沙良は思う。人のことを勝手に閉じ込めておいて何故心配など出来るのだろうと。
そんな沙良の足元の拓海の顔が近づいた。かと思えば、そこに広がる吐瀉物を舐め始めたのだ。
「一ノ瀬くんっ……!なに、してるの……?」
信じられない思いでいっぱいいっぱいだった。気持ち悪い。本当に、気持ち悪い。
「何、って見たら分かるでしょ。このまま捨てるなんてもったいないじゃないか」
当然だというように沙良を見上げる拓海が嫌だ。好きだからの一言で何もかもを壊す拓海が嫌いだ。何を言っても通じない拓海が気持ち悪い。全部全部「愛」で済ませる拓海が……。
「……っお願いだから、眼の前でやらないで」
本当は止めさせたかったけれど、それは無理だろう。そう考えた沙良は、妥協することにした。それならば。と納得したのか、拓海は頷いた。
結局、床に広がる吐瀉物を袋に詰め、拓海は部屋から出ていった。
今が好機とばかりに、沙良は色々と試してみることにした。
まずは鎖の長さ。いくら綺麗になったといえど、吐瀉物があったところは踏みたくないので位置をずらして床に立つ。そのまま少し歩くと、それ以上動かなくなった。ドアとの距離は目分量で十mほど。ベッドとの距離は二mほど。そこそこ広い部屋で嫌になりそうだ。
壁も確認してみるが、当然というべきか窓がない。実際は隠されているだけかもしれないが。それと、壁を見て気がついたことだが、一箇所だけ壁紙が剥がれている。おかげで、この部屋が防音であることに気がつけた。大声で助けを呼ぶことは出来ないわけだ。
近くには棚があって、引き出しには鍵がかかっている。棚の上にはスタンドランプがあった。その他には何もなく、することが無くなってしまった。
その時拓海がドアを開けた。一瞬驚いた顔をした後、普段と寸分違わぬ笑顔を浮かべる。
「あれ?どうしたの?」
「実は、一ノ瀬くんがいなくなったら不安になっちゃって……」
嘘だ。そんな事あるわけない。拓海はそれを読み取ったのだろうか。沙良が言い切る前に口を挟んできた。
「嘘だ。本当は逃げるために部屋を調査してたんだろう?」
「違っ……!なんで信じてくれないの!?」
「だって君、手を組んでる。嘘を付く時はいつもそうじゃないか。それに……」
拓海に言われて目線を落として初めて気がつく。確かに、両手を組んでいた。沙良自身すら知らない沙良のことを知られているのに背筋が寒くなる。
「それに、君は僕のことなんてどうでもいいくせに」
拓海のその声だけがひどく印象的に耳に残った。沙良が知っているどの拓海でもなく、ただただ自信がない。むしろ、自分なんて本当にどうでもいいと信じて疑わないそれが。
一瞬。ほんの一瞬だけ拓海をちゃんと見た気がした。
だが、それも束の間。拓海は直ぐにもとのようになってしまった。
「とにかく、逃げ出そうなんて考えないでね?」
沙良はただ頷くほかなかった。




