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ステージ6



 2024/04/21


 実咲は一睡もできなかった。

 正確には、眠りに落ちた時もシリウスの夢を見て、現実で悩んでいるのか、夢で悩んでいる

のか判らなかったため、実質寝ていないのと変わりない。


 あれから、ずっと考えていた。


(シリウスさんは……北原君は……お兄ちゃんが好き……。男が……好き……。ゲイ……って

こと……?)


 実咲は同性愛に対して悪いイメージを持っていない。むしろ肯定的だった。しかも、薫の外

見を知っているので、ドラマの様な華やかなイメージが持てて、好意的ですらある。

 それでも、自分の初恋相手が同性愛者というのは、クるものがある。


(……何も……声かけられなかった……。間に合わなかった……)


 失恋した相手がゲイで、しかも自分の兄が好きだった、という告白を受けた直後に何かを返

せるほど、実咲の精神はできていなかった。率直な感想を口にするだけで精一杯だった。


(……どうしよう……私……)


 次にログインした時、シリウスに会うかどうか。

 会おうと思えば会える。カドゥケウスに頼めば、セッティングしてくれるだろう。正直なと

ころ、実咲はカドゥケウスに相談したかった。だが、それをするにはシリウスがゲイであるこ

とを説明しなければならない。それは話したくなかった。


(シリウスさんは私の事……お兄ちゃんのこと気遣ってくれたのに……私だけが勝手に話すな

んて……。……お兄ちゃん……)


 兄が気持ち悪いと怒った理由も分かる。相手が薫でなければ。

 自分のせいで男子校に入ったから責められないが、明らかに下心があったのは兄のはずだ。

薫の方が純粋な気持ちで逢いに行っていると思うし、その気持ちは実咲にも痛いほど分かる。


(でも……お兄ちゃんは何でシリウスさんが北原君って判ったんだろう? エメスさんみたい

に特徴的な人じゃないのに……)


 何かモヤモヤする。シリウスさんと北原君を結ぶもの。それを実咲は考えてみた。


(プレイスタイル……いや……声……は判らないはず。アプリで変えてるし……。キャラメイ

ク? ……それもない。だって、スタクロの時は女の子キャラだったはずだから。それに、嫌

な思いをしてるのに、同じ様な姿にしないはず……。だとしたら……。……北原君本人? お

兄ちゃんは北原君と一回だけ会ってるから……あってる……?)


 それしかない。そう思った時、実咲は布団を剥いでベッドからゆっくりと身体を起こした。


(……言った……! お兄ちゃんに……! シリウスさんに会いに行くって! ついてきてた

んだ……!!)


 胸が熱い。薫と話していた時の怒りが再燃してきた。それなら辻褄が合うし、他に心当たり

もある。


(あの時も……乗り換えの駅まで来てくれたのは、近くまでついてきてたからなんだ! だか

ら、あんなに早く……でも……あの時は助かったから……。いや! 心配性過ぎるよ!)


 スタークロニクルオンラインの時のオフ会は、確かに迎えに来てくれて助かった。そのせい

で心配性に拍車がかかって、シリウスの時についてきてしまったのも分かる。だが、それで薫

のことを勘違いし、過剰に干渉してくるのは間違っている。


(……そうだよ……やっぱり、おかしいよ……!)


 実咲は怒りに身を任せて心を再起動し、立ち上がった。

 カーテンを勢いよく開けて朝日を浴びた実咲は、着替えた後に階下へと向かう。


「お兄ちゃん、バイト?」


 リビングのドアを開けた実咲は、睨むように室内を見回した後、母親に訊いた。


「あら、おはよう。やっと起きたの? お兄ちゃんはバイト行っちゃったわよ。朝ごはん食べ

る?」


「……いらない。お腹空いてない」


「そう? ……実咲、調子悪いの?」


 母親はイスから立ち上がると、実咲の顔をじっと見つめている。


「ううん、大丈夫。お昼は食べれそうだから」


 心配している母親に実咲は明るい声を作って返事し、逃げるようにリビングを後にした。


(……お兄ちゃんに文句言った後に、インしようと思ってたけど……)


 関係ない。そう思って実咲は自室のイスに座って、パソコンを立ち上げる。

 だが、それまでスムーズに動いていた身体が、急に止まる。


(……シリウスさんに会ったら……何て言えばいいんだろう……)


 その悩みが解決していなかった。


 告白してもいないのにフラれたみたいで、なんだか顔を合わせにくい。でも、自分に問題が

ないなら、一緒にピリオドをプレイしたい。


(……相談しにいこう。カドゥケウスさんなら深く事情を話さなくても、察してアドバイスし

てくれる気がする……!)


 そう思い立った実咲は、ピリオドにログインした。


(もし、先にカドゥケウスさんとシリウスさんが会ってたら、時間をずらして会いにいこう。

途中で来たら……相談次第だけど……会って話した方がいいかも……)


 だが、カドゥケウスはログインしていなかった。


 今後の予定が一瞬で白紙になったみたらしは、はじまりの広場で途方に暮れていた。


(……どこかで待ってよ……)


 そうして、みたらしは悩みを抱えたまま、当てもなく歩き始めた。

 ホームショップを巡って、アイテムの物価やお買い得なものがないか目を滑らせ、周囲のプ

レイヤーたちの話題を何気なく見ながら彷徨う。


(オフラインイベント……やっぱりワンハンドメイドに決まったんだ。……そうだよね。拠点

の貢献度とか、ピリオドへの貢献度、高いもんなぁ……。カドゥケウスさん、その件で何かし

てるのかな……? もう来週だもんね……)


 みたらしは女神の広場に辿り着いてから、今は誰も座っていないベンチの方を眺めて考えて

いた。


(私……シリウスさんのこと……どう思ってるんだろう……。好き……だけど……シリウスさ

んは男の人が好き……。でも……それが判っても、気持ち悪いなんて思わない……。忘れるな

んて……できない……)


 遠くを見つめたみたらしは、ふと、拠点壁に昇りたいと思った。

 女神の広場から見える居住地エリアの先に聳える拠点壁は、一ヶ月程前のイベントでプレイ

ヤーたちが団結して建造した物だった。


 本来はこれの半分近く――住居五階建てくらいの大きさで充分だったのだが、プレイヤーた

ちが調子に乗って資材を集めまくり、その結果、難攻不落の防壁が誕生した。

 今ではプレイヤーたちに反省を促すように、居住地エリアに暗い影を落としている。


(あのイベントも面白かったなぁ……。みんなで資材集めて、作って……こんなに大きくなっ

ちゃって……。だから、拠点の防御は気にせず、みんなで突っ込んで……)


 みたらしは昇降可能なジップラインを使って、エレベーターに乗っているかの様に拠点壁を

昇っていく。今ではすっかり展望台の様な場所になってしまった拠点壁上部だが、心静かに思

いを纏めるには良い場所だ。


 それを知ってか知らずか、みたらしは懐古の念に浸りながら上部に到着した。


(流石に誰も居ないか……。居ても放置してるかも。……撮影してそうな人もいないよね……

ん?)


 何もない灰色の岩壁の上で、みたらしは一人の男を見つけた。

 その男は腕を組み、眼下に映る拠点の景色を見つめている。


 鎧武者の様な漆黒の兜を被り、その下には銀色の仮面を着けている。他に特徴的な点は、首

元に紅いマフラーをたなびかせているところだ。全身には忍者の様な黒い着物と、刃の様な鋭

い気配を纏っている。


 一見、独特な個性を持ったプレイヤーに見えるが、みたらしはその人物を知っていた。


(Eye_have_勇さんだ……!)


 Eye_have_勇≪ゆう≫。ピリオド内で最も強いと評されるPKKだ。

 およそ半数以上のバウンティハンタークエストを一人でクリアし、ピリオド内でPKを行っ

ているプレイヤーのほぼ全員を一回以上倒しているという噂が流れているプレイヤーだ。


(何してるんだろう……。……私と同じで、悩み事かな……。……まさかね……)


 その姿はヒーローの真似をして、カッコつけて街を見下ろしているように見える。だが、み

たらしにはその姿がどこか哀愁漂うものに見えた。


 自分が悩みを抱えているから、きっとそう見えているのだろう。みたらしがそう思った、そ

の時。


「何か困り事か? 少年」


(えっ!? 私っ!?)


 みたらしは驚いて周囲を確認するが、ここには自分と勇しか居ない。


「アイハブユーさんですよね?」


 無視したみたいになってしまう、と慌ててチャットを打ったみたらし。

 それに応え、勇はこちらを向いた。


「イエス、アイハブ」


 偽物のような返しに、みたらしは思わずくすっと笑ってしまうが、本物はこう返すと噂され

ていた。それに、偽物はPK対象と本人が名言しているので、そうそう現れはしない。


「困り事、というか悩み事がありまして」


 変な緊張感と、それが解れた勢いからか、みたらしは気軽にチャットを打ってしまった。

「あっ!」と口に出しても、もう遅い。


「私に相談したいことがある、ということか?」


「すいません、そういうことではなくて」「悩み事をしていたらここに来てて、そうしたら偶

然アイハブ勇さんを見かけて」


「そうだったのか」「悩み事、か」


 勇はチャットを打つのも早かった。その彼が、ポツリと呟いた。


「もしかして、何か悩んでいましたか?」


「少年は私のような存在、もとい、PKKについてどう思う?」


 ほぼ同じタイミングで放たれたチャットで、みたらしは勇の悩みに勘づいた。


「私はとても助かってます」「初心者の頃はよくPKに襲われましたし、以前も初心者の人に

ゲームの進め方を教えていた時に襲われました」「その人たちは、多分ヴィランズ893だっ

たので、アイハブ勇さんを怖がってなかったですけど」「それでも、初期に比べてPKは凄く

減ったので、感謝してます」


 勇はみたらしのチャットを静かに読んでいた。そして、みたらしの返事が終わっただろうと

いうタイミングでチャットを打った。


「ありがとう」


 一言だけ、大きな感謝をのせた。


 それが伝わったのか、みたらしは普段なら打たないチャットを打った。


「こちらこそ、いつもありがとうございます」「オフラインイベントに選ばれなくたって、ア

イハブ勇さんたちの貢献度は充分高いと、みんな知ってるし思ってるはずです」


 まるでシリウスのような文章を打ち終わった後、みたらしは気づいた。自分がどうしたいの

か、はっきりと。


(そっか……。私、シリウスさんと……。……あれ? 勇さん……?)


 返事を打つに充分な間が空いても、勇からのチャットは返ってこない。

 それに不安を感じたみたらしは、すぐさまチャットを打つ。


「すいません! 分かったような口きいちゃって。失礼しました」


「君は優しいな」


「いえ、そんなことは……」


「君の名を教えてくれないか?」


「すいません、名乗らず。みたらしと言います」


「では、みたらし君。今度は君の悩みについて聞かせてくれ。是非とも力になりたい」


「その……」


 みたらしは無言で考え込むのも失礼だと思い、フィラーをチャットで打ちながら間を繋ぎつ

つ、文章を考えた。


「僕の友達のことなんですが――」


 そうして、みたらしが事情をかいつまんで話していると、二人の脳に妙案が閃いた。





 2024/04/21


 弘樹はバイトを終え、帰宅した。


「ただいまー」


 廊下を真っすぐ歩き、右手にあるリビングのドアを開けて父と母に挨拶した後は、廊下の突

き当りにある洗面所へと向かう。


 そうして弘樹が帰宅後のルーティーンを済ませ、二階に上っていくと、自分の部屋の前で実

咲が待っていた。


「ただいま。どうかしたのか?」


「着替え終わったら声かけて」


 実咲は明らかに不機嫌だった。

 ここ二週間程元気がなかったが、徐々に時間が解決してくれるものと思っていた。しかし、

中々シリウスのことが忘れられないようだ。


 ただ、自分が八つ当たりされる覚えがない。実咲は気分が悪かったり落ち込んでても、人に

当たり散らすような子ではない。

 思い当たることがあるとすれば、今日バイトが入ったことを言い忘れていたことくらいだ。

もしかしたら、何か一緒にやりたいことがあったのかもしれない。


 弘樹は着替えながらそう考え、申し訳なさそうな表情でドアを開けた。


「実咲ー、着替え終わったぞー」


 言い終わるか終わらないかのタイミングで、実咲は自室から出てきた。ドアがいつもより明

らかに勢いよく開いている。不機嫌なのは間違いない。


「どうしたんだ? 何かあったのか?」


「あった。ピリオドの中で」


 それを聞いた瞬間、弘樹の動きが止まった。ピンときてしまったからだ。実咲が怒るであろ

う、一番の原因に。


「あいつ……俺との約束破ったのか……」


「シリウスさんは約束破ってないよ。私がシリウスさんを捜したの。ピリオドの中で」


 やはりキャラクターも削除させるべきだった。実咲がちゃんと報告してくれたからいいもの

の、下手をしたら密かに関係が続いていたかもしれない。


「あいつから俺の話しも聞いたんだろ? あいつ、何て言ってた?」


「……今でも好きだって。辛そうに話してたよ……!」


「……は?」


「シリウスさんは男の人が好きなの……! だから、あの日も自分が男って言いたくなくて、

隠したままお兄ちゃんに逢いに行ったんだよ。絶対受け入れてもらえないって解ってても、そ

れでも友達になりたかったからって……。確かに、嘘ついて会うのはいけなかったと思うし、

ひどいと思う。でも、シリウスさんは真剣だったんだよっ! それを下心丸出しで会いに行っ

て、女じゃないって判った瞬間に今までのこと無かったことみたいに手の平返すなんて、最低

だよ!」


「実咲はあいつに騙されてるんだよ!」や「あいつは口が上手いから、俺たちのことを弄んで

たんだ!」といった、弘樹が用意していた反論は、彼方遠くへ消えていた。


 思考は完全にフリーズし、実咲が自分を最低だと言っていることしか理解できない。


「な……何言ってるんだ、実咲? あいつの方が最低で――」


「最低なのはお兄ちゃんだよっ! こそこそ妹のことつけてきて、裏で友達を傷つけて、勝手

に会わせないようにしてっ! 私のことなんか考えずに勝手なことばっかりして、お兄ちゃん

の方がよっぽど気持ち悪いよっ! バカッ! もう話しかけないでっ! ほっといてっ!!」


 実咲は耳を真っ赤にし、涙を零しながら自室に戻っていった。

 それが弘樹にとって決定打となった。


「実咲ー!? どうしたの!? 弘樹ー!?」


 母親が階下で心配そうに声を張り上げているが、それはもう届かない。

 虚ろな表情の弘樹は、ゾンビの様に歩いて部屋に戻り、ベッドに腰かけた。


 実咲の声が、泣き顔が心で反響して、何も考えられない。


(……俺が……傷つけた……俺が……? ……どうして……なんで……)


 遠く、ドアの外では母親の声が聞こえる。何か話しているが、やがてその声は消えて静かに

なった。


(俺は……最低……クズ野郎……。すぐ手の平返すような……? 違う……!)


 そんな陰湿な奴らとは違う。断じて。そいつらは自分が嫌悪する存在だ。それなのに、実咲

は自分をそう呼んだ。


(実咲のためにやったんだ……全部……! それなのに……気持ち悪いって……。話しかける

なって……。……どーして……!? お兄ちゃんはお前のことを想って……お前のピンチを何

回も救ってきたのに……!!)


 初めて実咲を尾行した時は、ナギサとのことがあった後だったため、余計心配でついていっ

た。もちろんバレないように、どこの駅で降りたかチェックした後は乗り換えが必要な駅で時

間を潰していた。


 その初回も今回も、弘樹の嫌な予感は的中していた。どちらもオフ会の危険性を絵に描いた

ような事例だ。両親が禁止していた理由がよく分かる。大人になった弘樹はそう思っていた。


(……いつも俺たちのことをかき乱しやがって……! ナギサァ……!!)


 弘樹は憎しみのままピリオドにログインし、シリウスを捜そうとも思った。だが、身体は毛

ほども動かない。


(……俺のこと……好き……って……言ってたよな……。男なのに……? ……無理だろ。女

じゃねーのに……。いや……でも……そーいう話し……聞いたことあるな……)


 クラスメイトにも、野球部の先輩後輩にも、そういう話しをしている奴がいた。


 それを思い出した弘樹は、真面目に聞いてなかったそれらを必死に思い返しながら、ナギサ

のことを考えていた。


(他の奴らはオカマとかホモとかイジってて、イジられる側も普通の奴だったな……。……で

も、ナギサは……)


 スタークロニクルオンラインを一緒に遊んでいた頃は、本当にちょっと声の低い女の子だっ

た。普通に女の子の知識もあって、女の子トークも淀みなく喋っていた。だから、男三人は全

く気づかなかったし、自分がナギサの正体をバラした時は、二人に信じてもらえなかった。


(もしかしたら……本当に女の子だったのか……? 身体が男なだけで……。何ていったっけ

な……そーいう病気……。そーだよ……そーいえば外見も……)


 ――気づけば、弘樹は車椅子を押していた。

 白い通路が真っすぐ続き、頭上からは柔らかな灯りが降り注ぐ、清潔感漂う廊下。


 そこを通る度に付きまとう、不安と悲しみ。

 こんなものじゃなくて、自分の足で歩けるようになってほしい。ここじゃなくて、家や学校

にいてほしい。良い子にしてるから、何でも言うことを聞くから、早く妹を治してほしい。


 弘樹はここに来る度に、いつも願っていた。周囲の大人に。神様に。


「お兄ちゃん……」


 不安が伝わってしまったのか、幼い実咲は悲し気な顔でこちらを見上げている。


「大丈夫。お兄ちゃんたちが何とかするから……!」


 弘樹が口癖のようにいつも言っている言葉を聞き、実咲は安心したように微笑んだ。


「うん……私もがんばる……!」


 そう言って、実咲は辛いことも苦しいことも耐えてきた。普通の子が普通に遊んでいること

も我慢してきた。だからこそ、報われてほしい。いつも笑顔で、健康で過ごしてほしい。その

ためなら、どんなことでもする。弘樹はそう決心していた。


 その時、突然実咲が立ち上がった。


 いつの間にか今の姿になっていた実咲は、振り返らずに駆け出していく。


「待てっ、実咲! 危ないだろっ!? どこ行くんだ!?」


 その声に実咲は振り返らない。いつのまにか現れた駅の改札を通り抜けて、周囲の人通りも

気にせず、元気そうに走っていく。


「ナギサッ! 俺が追うからサポ厚めで頼む! まーりん、レックス、周りの雑魚を!」


「うん、わかった!」


 そうだ、このチームならどこまでも行ける。弘樹には確信があった。


 右側では、まーりんの範囲魔法攻撃が炸裂し、マネキンの様な人々が吹き飛んでいく。左側

ではレックスが群衆に突撃し、人々が一気に押し出される。


 そうして道が開けたところで、弘樹はナギサに移動力上昇魔法をかけてもらい、風のように

駆け出した。


 実咲が光の中に消えそうだ。眩しさに目を細めつつも、この調子なら間に合う。


「実咲ッ!」


 弘樹が叫び、実咲に手を伸ばした瞬間。


「ヒロッ!」


 ナギサの声が後ろから聞こえた。


 その次の瞬間。足元には暗闇が、夜空が、宇宙が広がっていた。

 振り返ろうとしても、振り返れない。弘樹は誰の顔も見ぬまま、暗闇に墜ちていった。


「――ゥッ!」


 身体をガクンと動かしながら、弘樹は目を覚ました。


 外の灯りが薄っすらと差し込む暗い部屋の中で、弘樹はいつの間にかベッドに横たわり眠っ

ていた。


(いつの間に……。今、何時だ?)


 部屋に置かれた恐竜のキャラクターの目覚まし時計を見ると、時刻は2時を過ぎていた。

 とりあえずカーテンを閉めるべく、弘樹はのっそりと立ち上がる。


 頭が痛い。軽く眩暈もする。知恵熱でも出ているのかと思うほどに。


(さっきの夢……。俺は……)


 カーテンを閉めた後も、立ったまま夢の内容を思い出そうとしていた弘樹は、ふらっとイス

に座る。

 そして、ノートパソコンを開くと調べものを始めた。検索しているワードは「身体は男 心

は女」や「トランスジェンダー」などだ。


(……最近ネットで騒がれてたな……。こーいうことか……。確かに……分かる気がする。で

も……ナギサは……ナギサのは……)


 その後、弘樹は時間を忘れて勉強を続けた。





 2024/04/21


 21時を少し回った頃。薫はピリオドにログインした。


 今日は一日中家族と一緒に出かけていた。おそらく、落ち込んでいた自分に気を遣ってくれ

たんだろうと薫は想っていた。

 なので、昨日の告白で吹っ切れたと自分に言い聞かせ、今日は努めて元気よく振舞った。


(……、……ちょっと疲れたかな……)


 ダメージが残ってないと言えば嘘になる。だが、自分のために用意してくれたことなので、

それに報いたかった。後悔はしていない。


(……そうだよ……! 昨日だって……。それを報告して……今日は寝ようかな……)


 そう決めたシリウスは、フレンド欄を確認する。しかし、そこに唯一載っているカドゥケウ

スは、オフライン表示になっていた。


(カドゥケウスさん、出展が決まったからリアルで忙しくなっちゃったのかな……。……行き

たかったけど、仕方ないか……。……いや、一人で行こうかな……)


 カドゥケウスへの報告に体力を使おうと思っていたシリウスだが、その分が余りそうなので

いろいろ考えながら拠点内をうろついていた。


(アイテムの相場はそこまで変わってないみたいだから……あとは……一人で進めることに慣

れておかなきゃ。……いっそのこと、戦士か魔法使い一本でいってみるのもアリかも……)


 ピリオドはステータスの振り直しやスキルの選び直しは、現状できない。だが、転職はいつ

でもできるし、一度でも習得したものは能力に差はあれど使用できる。

 それにより、戦士、魔法職のレベルを均等に上げているシリウスなら、その気になればすぐ

に上位の専門職(物理攻撃か魔法攻撃に特化した職業)になれる。


(今の状態で、どこまでできるか試してみよう……)


 何となく今の状態――みたらしが前衛として居る前提の状態――を崩したくなくて、シリウ

スは現状のままフィールドに出ることにした。


 向かった先は「腐界の森」。上級者ダンジョン一歩手前の、中級最難関のダンジョンだ。

 この辺りのダンジョンから、ソロ(一人でゲームを進めること)攻略はかなり難しくなって

くる。その理由は、満遍なく行われる攻撃属性にあった。

 物理(打撃、斬撃、刺突)、魔法(火、水、風、土、光、闇)、状態異常(病毒、麻痺、幻

覚)などなど。およそ一人では対応しきれない多彩な攻撃が、出現モンスターとダンジョンか

ら繰り出される。


 そこをシリウスはアイテムの消費を抑えて進んでいく。みたらしと攻略した時に覚えた状態

異常回復魔法を駆使し、自身に有利なタイプの敵を中心に倒して進んだ。


 そうして、少し時間はかかったものの、ダンジョン最奥まで辿り着いてしまった。


(久しぶりにやっても、ちゃんと覚えてるな……)


 モンスターの種類、攻撃方法、弱点。ダンジョンの構成、仕組み、トラップ。どれもこれも

が懐かしい。そして、もちろんボスの厄介さも覚えていた。


(どうしようかな……。僕一人じゃHP削り切れないだろうし、アイテムは……まぁ、ボス倒

した報酬で賄えそうだけど……。……僕以外に攻略してる人も居なさそうだし、ここで戻って

もいいかな……)


 シリウスが不意に周囲を確認するように視界を動かした瞬間だった。

 自分の背後から音もなくニンジャが近寄ってきていた。


「うわぁっ!」


 薫は驚きのあまり声を上げた。右手も変な方向に動かしていたので、シリウスの視界が大き

くブレる。


 それで死を覚悟したシリウスだったが、視界に表示されたのはチャットの一文だった。


「俺も手伝おう」


 シリウスは姿勢を戻して、そのキャラクターを二度見した。


「アイハブ勇さんですか?」


「イエス、アイハブ」


 その返答と共に、パーティー申請が送られてくる。それを恐る恐る許可すると、パーティー

メンバーとして勇のアイコンが出てくる。


「うわぁ……!」


 突然のトッププレイヤーとの邂逅に、シリウスは思わず声を漏らした。

 Eye_have_勇。ピリオドの中・上級者プレイヤーで彼の名前を知らない人は

いないだろう。


「どうして私なんかと?」


 シリウスは焦ってチャットを打った。


「ここをソロで攻略している者を手伝おうと思っていたんだ。邪魔なら抜けるが?」


「とんでもないです! よろしくお願いします!」


「よかった。では行こう、シリウス! 私が前に出る!」


 この時は、音もなくボスエリアまで駆けてゆく背中が頼もしいと思った。


「毒以外の状態異常は治してくれると助かる」


 勇はチャットを打ちながらカクカク走る。


「わかりました! サポ中心で動きます!」


「頼む!」


 間近でトッププレイヤーと息を合わせる。そうそうできる経験じゃない。

 シリウスの集中力は自ずと限界まで高まっていく。


 二人がボスエリアに入ったところで、森の奥から巨大なモンスター「王に至るもの」が姿を

現した。


 巨人の頭蓋骨を背負った緑色の芋虫。その表現がしっくりくるようなモンスターだ。

 その巨体に見合うだけの体力と防御力を備え、攻撃方法は巨体を駆使したものばかりではな

く、眼の色に応じた魔法攻撃や口元の触手から繰り出される物理攻撃など、多種多様だ。

 加えて知能も高く、戦闘中に相手の弱点を学習し、的確な攻撃手段を取ってくる。なので、

ソロで挑むと弱点を突かれて敗北するケースが極めて多い。


 上級者でも油断ならない相手に、勇はどう立ち向かうのか、とシリウスは期待を込めた熱い

視線を送った。


 勇がやることは至極単純だった。近づいて刀で斬る。それだけだ。

 王に至るものが赤い眼の時に繰り出す放射状の火炎を避け、続けざまに打ちつけられる触手

攻撃も避ける。


 その行動を、シリウスは見逃さなかった。回避モーションに合わせて僅かに発生している残

像のエフェクト。勇は回避行動に合わせて何らかのスキルを発動している。


(ニンジャやサムライのスキルは最近追加されたばっかりなのに……。どれだけ上げてるんだ

ろう……!)


 シリウスは回復魔法を唱えつつ、勇の観察を続ける。すると、王に至るものが自身を中心に

煙状に広がる攻撃<腐界の毒>を使用した。


 勇はそれをものともせず、刀での攻撃を止めない。

 シリウスは後退し、他の攻撃に備えた。


(毒は治すなって言ってたから、多分、状態異常中に攻撃力が上がるスキルを使うと思うんだ

けど……。……あっ!)


 勇が毒状態になった瞬間だった。

 彼は瞬時に武器を二刀に切り替え、体≪たい≫を回転させた。そうして、水や風が流れるよ

うな流麗な連撃を浴びせると、王に至るものの頭上には無数のダメージ表示が刻まれていく。

 そして、勇の横に残像が一体現れたかと思うと、勇が縦に、残像が横に一閃を放った。

 交差する斬撃。ほぼ同じタイミングで表れる「108」の数値。


 王に至るものの眼は色を喪い、絶命した。


「討伐完了」


「凄いです!」


 あっという間の出来事だった。


(こんなにもあっさり倒しちゃうなんて……! やっぱり勇さんは違うなぁ……!)


 シリウスは尊敬の念を込めてチャットを打とうとしていた。


「今の業は仲間があってこそのものだ。独りでは使えない」


「そう言ってもらえると嬉しいです」


「だから君にも思い出してもらおう」


(勇さんって普段一人で活動してるんじゃなかったっけ? あれ? バウンティーハンター専

門のチームを結成したって話しも……ん?)


 見逃してはならない文字が流れたような気がして、薫は画面を凝視した。


「仲間の、友の大切さを」


 そのチャットを見た瞬間、パーティーメンバーが抜けた時の効果音が聞こえた。

 そして、次の瞬間には勇が二人に別れ、自分は森に横たわっていた。


(どうして!? 偽物っ……!? いやっ、そんなはずない! 綴りはちゃんと確認したし、

偽物にこんな戦闘力は出せない! じゃあ、なんで……)


「手荒な真似をして済まない。だが、君を逃がさないためなんだ」


「どういうことですか?」


 体力が0になっても、その場に三分だけ留まれる。シリウスは死に際に事情を聞こうとして

いた。


「逝けば解る」


「その人に頼まれたんですか?」


「頼まれた。普段はこんなことはしない」


 勇はシリウスが落としたアイテムを拾うべく、シリウスの身体を漁っている。


「よかった」


 自分の憧れが、騙し討ちを仕掛けてくる相手ではなかったことに、シリウスは安心した。


「また会おう、シリウス」


「わかりました」


 シリウスは納得して死を受け入れた。そうする他なかったということもあるが、カドゥケウ

スが何かしら仕組んでいるんじゃないか、という予感がしたからだ。


 そうして、シリウスの視界は暗転し、はじまりの広場に帰還した。

 死亡すると、必ずここに戻される。状態は死ぬ直前のもので、体力などのステータスは全て

回復している。


(アイテムはいいとしても……あとで勇さんが持って……ッ!)


 シリウスが初期位置から動こうとした、その時。

 視界に入った白い少年を見て、シリウスは全てを悟った。

 少年――みたらしはこちらを見つめて佇んでいる。


 シリウスの脳裡には一瞬だけ、みたらしが勇に依頼をしてPKしてもらったのでは? とい

う考えが過ぎった。

 だが、違う。勇の言い草では「仲間の良さ」を説いていた。だから、詳しく説明しないでこ

こに送りたかったのだろう。確実に会わせるために。


 シリウスはみたらしを見つめながら、そう考えていた。そして、迷っていた。

 すると、シリウスにパーティー申請が届いた。送り主はもちろん、みたらしだ。


(自分から……勇気を出して……)


 その行動の原動力が、どの感情から来ているものなのか。シリウスは応えるのが恐かった。

だが、シリウスも勇気を出さねばと思った。人見知りのみたらしがEye_have_勇

に声をかけてまで、もう一度話そうとしてくれているのだから。


 シリウスはパーティー申請を許可した後、アプリを開いてボイスチャットの準備をした。


「場所を移してもいいですか?」


「はい。ついていきます」


 みたらしからチャットがきたので、シリウスはそう打ち返した。


 みたらしが向かった先は、女神の広場だ。そうして、二人は広場に入って右手側にあるベン

チに座った。


「ボイチャ繋げますか?」


 シリウスがチャットでそう訊くと、少し間を置いてみたらしの声が聞こえてきた。


「……お願いします」


「……聞こえますか?」


「はい……。……ごめんなさいっ! お兄ちゃんのせいで凄く嫌な思いさせちゃって!」


「……いえ……元はと言えば、僕のせいですから……」


 みたらしの切羽詰まった声を聞いて、シリウスは少し驚きながら答えた。


「そんなことないです! ……確かに、黙ってたシリウスさんも悪いと思いますけど、勝手に

期待してたお兄ちゃんの方が悪いと思います。それに、それを引きずって今回も……!」


「……それでも……騙してたことには変わりないですし……。お兄さんが、今回は妹が騙され

るって思い込んでも……仕方ないと思います」


「でも、今回は騙してたり、嘘吐いてないんですよね?」


「そ……そうですけど……。……全部……嘘じゃないんですよ……?」


「……私は、シリウスさんのこと気持ち悪いなんて思いません」


 実咲は、はっきりと言い切った。


 生まれてから初めて、面と向かって言われたその言葉を、薫は信じられなかった。


「……どうして?」


「え? ……そ、その……好き嫌いは人それぞれだと思いますし……。それに……話された時

はびっくりしましたけど……だからって、シリウスさんのことを嫌いになんてなれませんでし

た。それよりも……シリウスさんと一緒に、ここで遊びたいって気持ちが一番強かったです」


「……じゃあ……これからも……?」


「はい……! お兄ちゃんにはキツく言っといたので! もう大丈夫ですよ」


 実咲の優しい言葉が、薫の胸に沁みる。

 望んでいた、もう来ないと思っていた未来が、ここにある。


「……ありがとう……ございます……!」


 薫は涙を堪えきれなかった。

 自分のことを理解してほしい人に理解され、受け入れてもらえた。こんなこと、生涯ないと

思っていたのに。


 実咲はその声を黙って聞きながら、まるで母の様な愛情深い眼差しでシリウスを見つめてい

た。彼が落ち着くまで、静かに、優しく。


「……、……ごめんなさい……。ミュートにすればよかったですね……」


「いえ、いいんです。大丈夫ですよ……」


 実咲は何とも言えぬ幸福感に包まれながら、優しくそう言った。


「はい……ありがとうございます……。もう……大丈夫です」


 人前でこんなに泣いたのも、生まれて初めてだ。

 そう思いながらティッシュで目元を拭っていた薫は、ふと我に返ったようにあることを思い

出した。


「その……そういえば……アイハブ勇さんとは、どうやって知り合ったんですか?」


「え? あっ、そうでした! 連絡しないと!」


 みたらしは急いでチャットを打ち始めた。その音を聞きながら、シリウスはくすっと笑って

しまう。


「アイハブ勇さんにカドゥケウスさんって……。みたらしさん、有名なプレイヤーばかりと知

り合いになってますね」


「それは……偶然というか……運が良かっただけですよ……」


「……それでも、嬉しかったです。いろんな人に声をかけて……力を借りて、僕を捜してくれ

て……。ありがとうございます」


「……私の方こそ……ピリオドに戻ってきてくれて、ありがとうございます。……あ、アイハ

ブ勇さんが、すぐこっちに来るそうです」


 恥ずかしそうにみたらしが言うと、シリウスの視界の端に黒い影が映った。


「もう来てくれましたね」


 そこには、周囲を警戒するように頭を動かし、シリウスたちのベンチに音もなく近寄ってく

る勇の姿があった。


「パーティーに入ってもらいますね」


「はい、お願いします」


 シリウスの返事と同時に、勇はベンチの裏側に身を隠した。


「仲直りはできたようだな」


「はい。ありがとうございます」


「その場所でいいんですか?」


 シリウスとみたらしのチャットが飛び交う。


「ああ。姿が見えていると声をかけられる」


「有名人ですもんね」


 シリウスは微笑みながらチャットを打った。


「シリウスには渡しておかねばならないものがある」


 勇はそう言い、シリウスにアイテムトレードの申請を送った。

 その内容は、先程シリウスが腐界の森で拾った全アイテムを、1mon(モノ。ピリオド内

の通貨)と交換、と表示されている。


「芝居とはいえ、不快な思いをさせてしまい申し訳なかった」


 シリウスが迷っていると、勇から謝罪のチャットが打たれたので、シリウスは勇の気持ちを

酌んでトレードを受けることにした。


「驚きはしましたが、勇さんがそんなことするには理由があると思っていましたので、大丈夫

です」


 シリウスのその言葉に、陰ながらみたらしもホッとしていた。


「すいません、僕が頼んでしまったばかりに」


「受けた依頼は完遂する。それが私だ」「ところで、二人はいつも組んでいるのか?」


「そうです。勇さんのおかげで仲直りできたので、また一緒に冒険できます!」


 みたらしはチャットを打った後に、ボイスチャットで付け加えた。


「ケンカしちゃったから謝りたい、ってことにしてたんです。それで、シリウスさんを捜すの

を手伝ってほしいって、お願いして……」


「なるほど……」


 シリウスとしては、どうやって勇と知り合ったのか気になっていた。


「それならば良かった」


 先程から勇のチャットの間が空いている。毎回凄まじい速さで打ち返してくるのに、と二人

は少し気になっていた。


「……みたらしさんは、勇さんとフレンドなんですよね?」


 シリウスは勇の顔を見ながら、ボイスチャットでみたらしに訊いた。


「はい、そうです。初めて会った時に話しをして、その時に」


「……わかりました……!」


 それを聞き、シリウスは自分の勘を信じて、一歩踏み込むことにした。


「アイハブ勇さん、私ともフレンドになってもらえませんか?」


「では、私はこれで失礼する。何かあったら呼んでくれ」


 シリウスと勇のチャットが交差する。


「構わない」


 次の瞬間、勇は切り返しの返信と共にフレンド申請を送ってきた。


「ありがとうございます!」


 シリウスは許可をした後、安堵と喜びに心を熱くしながらチャットを打った。


(よかった。やっぱり、待ってたんだ……)


「では、また会おう。善き少年たちよ」


「はい! ありがとうございました!」

「はい! ありがとうございました!」


 二人は全く同じ文面で返事してしまったことに照れながら、勇がログアウトしていくのを見

送った。


「勇さん、ログアウトしちゃいましたね……」


 シリウスは気恥ずかしさを隠すように、少し寂しそうに言った。


「そうですね……。でも、時間も時間ですし、これからも一緒に冒険してくれそうで、楽しみ

です!」


 みたらしの期待に満ちた声を聞いて、シリウスは微笑んだ。


(僕は……帰ってきたんだ……。いや……ようやく見つけた……気づいたんだ。ここが僕の居

場所なんだ……!)


「その……シリウスさん? 私たちは、これからどうしましょうか……?」


「え? そうですね……って、もうこんな時間だったんですね……!」


 薫は時間を確認して驚いた。もう0時を回っている。


「はい……。私もびっくりしました」


「じゃあ……明日は学校ですし、今日は解散にしましょうか?」


「そうですね。また明日……って、ちょっと待ってください!」


 急にみたらしが大きな声を出したので、シリウスは驚いた。何か気に障ることをしたのかと

不安になる。


「私とも……フレンドになってください……!」


 みたらしの少し恥ずかしそうな声と共に、フレンド申請が送られてきた。シリウスはそれに

慌てて許可をした。


「ご、ごめんなさいっ! 本来なら、僕が送らなきゃいけないのに……!」


「い、いえっ! そんなことないです! フレンド切らせたのはお兄ちゃんなので」


「……もう一度、こんな日が来るとは思ってませんでした。ずっと独りでピリオドをやるんだ

ろうと思ってたので……」


「……でも……これからは……ずっと一緒にいられるんですよね……?」


 みたらしの少し恥ずかしそうな不安そうな懐かしい声を聞いて、シリウスは笑顔になる。そ

の表情のまま、シリウスはいつもの声ではっきり言った。


「はい。これからは、ずっと一緒です」


「……ッ! ……はい……! よろしくお願いします……!」


 シリウスの言葉に胸を打たれたみたらしは、息が荒くなりそうなのを必死で抑えながら返事

した。


「……じゃあ……このままだと言いたいことがどんどん出てきちゃうので、もう寝ますね」


「わかりました……私も寝ます。じゃあ……また明日っ!」


 天真爛漫な少女のような、可愛らしい少年の声が聞こえてくるが、この際どうでもいい。シ

リウスはこの瞬間≪とき≫を噛み締めるように、優しく呟いた。


「はい……! また明日……!」





 2024/04/22


 弘樹はノートパソコンを開いた。


(……許してくれるかな……俺のこと……)


 そう考えながら、ナギサなら真摯に謝れば許してくれるだろう、と心のどこかで思っている

自分が憎らしい。


 そして、実咲にも謝らねばならない。もう実咲とは一日以上、一言も話していない。これ以

上は耐えられそうになかった。

 だが、実咲は許してくれるか判らない。だからこそ、邪念を全て捨てて、先にナギサに謝ら

なければならない。


 弘樹は一日中、薫のことを考えていた。

 一睡もせずにLGBTQについて調べ、それを題材にした作品を観たり読んだりした。

 大学では友達にそういったことを聞いて意見交換し、多様性についていろいろ勉強もした。


(解ってやれるとは思わねぇ。でも……もうバカにしない。気持ち悪いとも思わない)


 そう簡単に解ったと口にする気はなかった。ただ分かり、素直に己の非を認めて謝る。

 その決意で、弘樹はピリオドを起動した。


(もう飯も食って、風呂も入ってるだろうから、そろそろ始めるはず。実咲より先にナギサと

話せりゃいいが……)


 そう思いながら、弘樹は女神の広場に向かった。

 待ち合わせ場所や雑談するのに、よく使っていると実咲が話していたからだ。そこならば、

ナギサが先に来て実咲を待ってるかもしれない。


 そう考えた弘樹が女神の広場に駆け込むと、右側のベンチには朱色の魔女帽子を被った青年

と、純白のローブを着た少年が座っていた。


(遅かったか……!)


 弘樹が近寄ろうとすると、シリウスが立ち上がった。移動する気なのかもしれない。

 弘樹は物凄い勢いでキーボードを叩いた。


「まってくれ」


 弘樹の言葉を受け、二人は動かなくなった。振り向きもしない実咲が怖い。

 弘樹がそう思っていると、当の本人からパーティー申請が来た。


「何しに来たの?」


 弘樹がパーティーに入った瞬間、実咲はパーティー内ボイスチャットをオンにして話しかけ

た。シリウスはこの時初めて、みたらしの男らしい声を聞いた。


「あ、謝りたくて来たんだ……ナギサ……シリウスに……! 実咲にも!」


 弘樹の言葉に対し、二人は黙っている。


 弘樹は「言いたいことがあるなら、どうぞ」という無言の圧を感じたので、ゆっくり丁寧に

言葉を選びながら謝罪を始めた。


「……ナギサ……今回のことも含めて、本当に申し訳なかった……! ナギサが本当は女の子

として生きたいのに、それができなくて……だから、ネットの中だけでも……ゲームの中だけ

でも……女の子として生きてたなんて……知らなかったんだ……。それなのに、騙してた、裏

切った……気持ち悪いって言っちまって……本当にごめんっ!!」


 弘樹は思いっきり頭を下げた。その影響で、薫と実咲には謝罪の声が飛び飛びに聞こえる。


 二人からの反応はない。少し間を空けていた弘樹は、再び熱を帯びた謝罪をする。


「実咲も……勝手なことばっかりして、ごめんっ! 実咲のこと、心配で……今回も酷い目に

あったらって考えたら……ついてっちまってた……。それで……相手がナギサって判ったら、

絶対に騙されてるって思っちまって……。だから、これ以上実咲に近づくなって言っちゃった

んだ……。ナギサも実咲も……友達として会ってただけなのに……本当にごめんっ!!」


 画面に頭を下げたまま話しているので、声が少し遠くに聞こえるが、全て聞き取れる。

 だが、二人は考え事をしながら聞いていたため、半分近くを聞いていなかった。


(僕って……トランスジェンダーだったのかな……? 男の人が好きで……服とかも女性もの

の方が好きだけど……。男に生まれたから、しょうがないって思ってたけど……もしかしたら

違うのかな……?)


 弘樹の「本当は女の子として生きたい」という言葉に、薫の心は揺れていた。


 確かに好みは女性寄りで、女性を演じるのは嫌いではない。シリウスの時は例外だが、ナギ

サの時は楽しかったと感じている。

 現実の方ではというと、自身の男の身体を気持ち悪く思ったり、女装をしたりはしない。

 幼い頃は母や姉の真似ばかりをして、女の子の様に振舞っていた。それが小学校低学年まで

続いたが、やめる原因があった。


 父が病気で他界した時だ。薫は十歳になる手前だった。

 その時に父は「お母さんやお姉ちゃんを守れるような、立派な男になってほしい」という言

葉を遺した。

 その約束を守るため、薫は女の子の様な振る舞いをやめ、周囲の大人の視線を気にするよう

になった。自分は男らしくないから、せめて迷惑をかけない普通の人で在ろうと。


(僕は……なんなんだろう……)


 薫について悩んでいるのは、本人だけではなかった。


(シリウスさんって……同性が好きなんじゃなくて、心は女の子だったの……!? でも……

そっか、だからお兄ちゃんも気づかなかったし、私も一緒にいられたのかも……! じゃあ、

やっぱり……。……それを、お兄ちゃんに気づかされるなんて……)


 実咲は複雑な気持ちだった。

 シリウスと一緒にいることは、これからも変わらない。しかし、思っていた以上に大きなも

のを抱えていたので、どうやって接してあげた方がいいのか判らない。しかも、それを兄に気

づかされて、なんだか兄の方がシリウスを解ってる気がしてイヤだった。


 そうやって考え込んでいる二人に、弘樹は「無視されているのでは?」と思ってしまう。


「俺……実咲に怒鳴られた後……ナギサみたいに苦しんでる子のこと、いろいろ調べたんだ。

マンガとか映画も見てさ……。それで……主人公をバカにしたり差別する奴らに、スゲェ腹が

立った。でも……それ以上に……現実でそれをしちまった自分に、一番腹が立ったんだ……。

許してくれ、なんて虫がいいのは解ってる。……俺はこれで消えるからさ……、俺のことは忘

れて、実咲と仲良く遊んでくれ……。本当に済まなかった……。じゃあ……」


「待ってください……!」

「待ってよ、お兄ちゃん!」


 ログアウトを押そうとした弘樹を、二人の声が止めた。


 二人は譲り合うような間を取った後、薫が先に話し出した。


「えっと……僕は……もう怒ってないです……。そんな資格は、僕にはないですし……。だか

ら……僕にも言わせてください……。黙ってて、ごめんなさいっ!」


 弘樹は薫の予想外の言葉に、黙ってしまう。

 言葉が詰まるが、自らへの怒りと共にそれを吐き出す。


「……ナギサが悪いんじゃない……! 謝らないでくれっ……! 俺が悪いんだ……!!」


「じゃあ……二人とも悪かったってことで、おあいこっていうのは……?」


 そんな思いもよらない提案をしたのは、実咲だった。


「実咲……。じゃ、じゃあ……許してくれるのか……?」


「……うん。シリウスさんがもう怒ってないなら、私も」


「実咲ぃ……」


 その会話を横で聞きながら微笑んでいた薫は、初めてヒロのか弱い声を聞いたと思った。


「じゃあ、私たち週末はピリオドのオフラインイベントに行くからね」


「ああ……わかった……! 楽しんできてな……!」


 弘樹は神への祈りが通じた信者の様に何度も頷き、そう答えた。


「シリウスさんも……いいんですよね……?」


 二人は先程、丁度その話しをしようとしていた。なので、みたらしは勢いで言ってしまった

ことに少しだけ不安を覚えながら訊いた。


「はいっ、行きましょう!」


 シリウスの……ナギサの元気な声を聞いた秋山兄妹は、安心したように微笑んだ。


「じゃあ、もし何かあったら遠慮なく言ってくれ。罪滅ぼしってわけじゃないが、絶対に力に

なるからよ!」


 弘樹は昔のような生き生きとした声に戻った。それを聞いて、薫はナギサの頃を思い出す。


(やっぱり、カッコいいなぁ。こういう前向きで男らしいところに惚れたんだよなぁ……。)


 弘樹はいつもそうだった。自分のことより誰かのために動こうとする時が一番輝いている。


「うん。何かあったら、よろしくね」


「ああ、何でも言ってくれ! ……じゃあ、俺はもう落ちるから……」


「……うん、おやすみ」


「おやすみなさい」


 弘樹はどっと疲れが出てきたこともあり、小声気味に別れの挨拶をしながら速やかにログア

ウトした。


(ふー……、……あーぁ、よかったぁー……。二人とも許してくれて……。……あれ? なん

か変だな……)


 イスに溶けるようにもたれかかっている身体が、やけに重く感じる。ノートパソコンも霞ん

で見える。


(そりゃそうか……。昨日から寝てねーもんな……。明日も早いし……寝るか……)


 弘樹はよろよろと起き上がり、ベッドに倒れ込むように転がった。


 そうして、翌日。弘樹は目を覚ました。

 頭が働かないが、とりあえず明るいので朝だろう。


(……あれ? カーテン空いてる……)


 昨日の夜に閉め忘れた覚えはない。いや、そもそも電気を消したことすら覚えていない。ピ

リオドからログアウトした後の記憶が抜けている。


(……スマホは……机の上か……。……アラーム鳴ったか? めっちゃ明るいな、外。今、何

時だよ……あ!?)


 枕元の目覚まし時計を見ると、短針は4の位置で止まっていた。

 弘樹は驚きのあまり重たい身体を起こした。


(16≪よ≫時!? 嘘だろっ!? 大学行ってねぇじゃん! 母さん起こしてくれなかった

のか!?)


 その時、ふらっと眩暈がした。トントンと何かを軽く叩く音も聞こえる。


「お兄ちゃん、起きてる?」


(実咲かっ!? もう学校から帰ってきたのか……!)


 続けて、実咲はもう一度軽くドアをノックしている。


「おき……んんっ! 起きてるよ」


 弘樹は咳払いして乾いた喉を動かし、少し大きめの返事をした。


「入ってもいい?」


「いいよ」


 そう返事をすると、実咲はブレザーの制服姿のまま、手にペットボトルとビニール袋を持っ

て部屋に入ってきた。


「大丈夫? 調子良くなった?」


「あ、ああ……。ちょっと寝不足なだけだから……」


「お母さんが熱出してるって言ってたから、熱ペタ買ってきたんだよ? はい、熱計って」


 実咲はビニール袋から体温計を取り出し、弘樹に渡した。それに従い、弘樹は体温計を脇に

挟んだ。


「水は? 飲む?」


「ああ……飲む」


 そう返事をし、弘樹はペットボトルを受け取った。


 実咲は空いた手で熱ペタシートを箱から取り出している。


(水……美味い。……あ、鳴った)


 母親と会話した記憶も全くないが、言われてみれば熱い身体に水を流し込んだ後、弘樹は体

温計を見た。37度4分。熱がある。


「熱……あるわ」


 弘樹はポツリと呟くように言うと、差し出された実咲の手に体温計を渡した。


「ほら、やっぱり。じっとしてて」


 実咲は少し睨むように弘樹を見た後、熱ペタの透明フィルムを接着面から剥がし、弘樹の額

に狙いを定めて熱ペタを持っていく。


 弘樹はじっとしながら、目の前でぶらぶら揺れるビニール袋を捕まえた。


「はい、オッケー。ご飯食べれそう?」


「うん……ちょっと、お腹減ってる」


 弘樹は自分の腹をさすりながら、食欲を確認した。


「じゃあ、お母さんが作ってくれたのあるから、それ食べよ」


「……ああ、先行っててくれ」


 返事はするものの、弘樹は動かない。


「なんで? 動きたくない?」


「……ちょっとフラフラするから、ゆっくり行くわ。……実咲の上に落ちたくない」


 俯きながら話す弘樹を見て、実咲は困ったように笑った。


「私が後ろから支えるよ。それなら大丈夫でしょ?」


「……じゃあ、これ持っててくれ」


 弘樹はペットボトルを実咲に渡すと、ベッドからゆっくり立ち上がった。

 少し覚束ない足取りで歩く弘樹の後ろに、そっと実咲がついていく。


「落ちそうになったら、捕まえてあげるから」


 実咲は階段に着くと、弘樹の左二の腕に軽く触れながらそう言った。

 絶対に無理だろう。そう思うところだが、弘樹はそれを「絶対に落ちない」という支えに変

え、左側の手摺と右側の壁を手で触りながら、慎重に確≪しっか≫りと階段を下りていく。


(疲れた……)


 弘樹はリビングのイスに座りながら、一息つきた。


 そういえば、風邪を引くなど久しぶりかもしれない。弘樹は実咲の後ろ姿を見ながら、ぼん

やり思った。


(実咲にうつしちまうかもしれねぇ……。……今更か……。食事とか……一緒に使う物、気を

付けて……)


 子供の頃から気にしていたことを一つ一つ思い出す中で、実咲の後ろ姿にあの頃の実咲を重

ねる。

 だが、実咲はもう一人で何でもできる。今は自分の看病もしてくれている。


(……大きくなったんだな……実咲……)


「お兄ちゃん、ご飯どのくらい食べれる? ……お兄ちゃん? ……どうしたの!? どこか

痛いの!?」


 弘樹が返事をしないので、実咲は振り返ってカウンター越しに兄の様子を窺った。すると、

弘樹は俯いて泣いていた。


「……いや……大丈夫……。実咲……ありがとう……ごめんな……ごめんな……」


 弘樹は駆け寄ってきた実咲からティッシュを受け取ると、それを目に当てながら何度も謝っ

た。自分は何も見えていなかった。見ようとしていなかったのかもしれない。そう考えると、

謝らずにはいられなかった。


「……大丈夫、もう怒ってなんかないから……。大丈夫だよ……」


 実咲は優しく声をかけながら、弘樹の背中をさすった。兄の涙は初めて見たかもしれない。


「……ほら、ご飯食べて、早く元気になろ……! お母さんもお父さんも心配してたよ」


 もらい泣きしそうだった実咲は、努めて明るい声で弘樹を元気づけた。


「……ああ……そうだな……。早く……元気にならないとな……」


 実咲の声に何度も頷きながら、弘樹は心の靄を洗い流した。

 励ましてもらうだけで、不思議とどこも痛くなくなった気がした。

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