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ステージ1



 2024/03/1X


 水の女神を模して作られた石像が、清らかな水の流れを奏でている。

 女神は、白亜の美しいグラフィックを目指して造られた円形の噴水の中心に、慈愛に満ちた

笑みを浮かべて立っていた。


 その姿を、空色の髪をした中性的な容姿の美青年が、ベンチに座りながら眺めていた。

 静かで穏やかな時間が流れる広場。実に優雅なひと時を過ごせるであろう空間。

 そこで、美青年――シリウスは隣に座っている純白のローブを着た栗色の髪の美少年

に、優しい口調で聞き返した。


「すいません、今、なんて言いましたか?」


 少年――みたらしも女神を見つめながら、もう一度その言葉を口にする。


「そ、その……今度のイベント……一緒に行きませんか……?」


 シリウスは聞き間違いではなかったことを確かめながら、遂に訪れてしまったその時に身を

震わせていた。


「……イベント、というのは……ゴールデンウィーク手前にある、オフラインショップのこと

ですよね?」


「そ、そうです……! オフラインの……。ダメ……ですか?」


 みたらしは声を震わせながら、なんとか普通のトーンで聞こえるように懸命に声を絞り出し

ていた。それがシリウスには充分に伝わっていた。その気持ちが、痛いほどに。


「私は……。っと、すいません。……お母さんが帰ってきちゃったので、また後で話しましょ

う。21≪く≫時……いや、22≪じゅう≫時に、ここ(女神の広場)でいいですか?」


「……はい、分かりました。じゃあ……また後で」


 みたらしの少し残念そうな声に罪悪感を覚えながら、シリウスはコマンドメニューを開き、

ログアウトボタンにカーソルを運ぶ。

 それを押すと、一瞬だけパソコンの画面が暗転し、次の瞬間にはデスクトップ画面が映る。

いつも見ているはずの夜明けの水平線の画像が、今は嫌に眩しく見えた。


「とうとう言われちゃったな……」


 シリウス――薫はイスの背もたれに身体を預けるように寄りかかった。ギシィという背もた

れの軋む音が、心の悲鳴に感じる。


(どうしよう……。断るにしてもなんにしても、仲良くなり過ぎちゃったな……。あの子は僕

と同じで、オフ会なんて嫌なはずなのに……どうして……)


 画面を見つめながら考えていると、あの時の輝かしい思い出が蘇ってくる。それと同時に、

綺麗な絵画に黒いペンキをぶちまけるような、底知れぬ後悔と痛みの記憶も沸き上がる。


(どうして……どうしてあの時、噓ついちゃったんだろう……。もし……あの時正直に……い

や、そもそも最初から……元から、僕がおかしかったんだ……)


 薫は目を瞑って、深い溜息を吐いた。逃げられない、一生付き合わなきゃいけないだろう感

情を、少しでも心から押し流すように。

 その時、階下から玄関の開く音が微かに聞こえた。噓から出た実≪まこと≫か、本当に母親

が帰ってきたようだ。


(……ご飯食べて、お風呂入って……また考えよう。行きたい理由を聞いて……行かなくても

いいように話しを持ってって……)


 薫はみたらしへの返事をシミュレーションしながら、席を立った。





 2022/01/1X


 ナギサは生涯で一番集中していた。


(相手のパターンに合わせて回復。相手のパターンに合わせて補助。相手のパターンに合わせ

て防御魔法。ヒロのスキルに合わせて強化。まーりんのゲージに合わせてアイテム。レックス

の体力に合わせてスキル。ゲージが溜まりそうになったら節約……)


 脳内で思考を巡らせ、パソコンの画面に映る巨大な岩塊――ボスモンスターに視線を合わせ

ながら、射線に入っている仲間の状況を確認し、半ば反射的にキーボードとマウスを操作して

自らのアクションを選択する。

 数年培ってきた技術。そして、仲間との連携がナギサをその域でプレイさせていた。


「割れた割れた割れた!!」


「イケる! イケるぞっ!」


「ナギサ! 補助、カバー! 押し切れぇぇぇ!!」


 興奮した仲間たちの声が、イヤホン越しに少し割れて響いてきている。その煩さを意に介さ

ず、ナギサは魔法とスキルを選択して発動する。

 唱えた魔法は、仲間全員のダメージを大きく上昇させる<ハイシフト・アタックブースト>

 選んだスキルは、一定時間相手の攻撃対象をスキル発動者のみに変更させる<フェイク・マ

ジックブラスト>


「くそっ! DPS(Damage Per Second の略。一秒辺りに与えられるダメージ量)

チェック中に攻撃してくんなよっ!」


 パーティー(ゲーム内で協力関係にあるプレイヤー)内のタンク(防御役)であるレックス

は、ひたすら拳で通常攻撃をする。もう、それしかできないからだ。だから、そこで気づく。

攻撃が自分に向かってきていないことを。


「攻撃しろ! 攻撃以外はナギサちゃんがしてくれてるっ!」


 まーりんは、ナギサが使ったスキルとその意図に気づいていた。だからこそ、自分たちは攻

撃に徹してボスを倒さなくてはならない。ナギサのためにも。

 パーティー内で魔法攻撃を担当する主砲≪まーりん≫は、DPSの高い魔法コンボを最高率

で撃ち放すために、指を動かし続けていた。それに合わせ、漆黒のローブが魔法陣のエフェク

トによってはためく。


 まーりんと同様に、ヒロナイトも無言で攻撃を続けていた。長剣による通常攻撃とスキル攻

撃発動のタイミングを計り、自分のキャラの行動後の硬直をキャンセルするように操作する。

そのコンボ攻撃によって、まるで残像を残す様に白銀の剣と赤いマントが翻った。


 皆が無言無心で指を動かす。画面の情報を即座に捉え、最適な行動を反射で選択する。


 ここでボスを倒し切らないと、回避不能の全体攻撃が自分たちに降り注ぎ、ゲームオーバー

となってしまう。パーティーリーダーとしての責任やナギサを犠牲にした憤りが、ヒロナイト

を極限まで集中させていた。


「おっ! ……っっし!!」


 男たち三人の口から、言葉にならない歓喜の声が漏れる。ボスが硬直し、BGMが消え、そ

の体内から光が溢れ出したからだ。


 画面はボスにクローズアップされ、その隕石の様な巨大な身体にヒビが入る。それに合わせ

て、内から溢れ出る光の筋もどんどん増えていき、周囲の赤黒いオーロラを照らしてゆく。

 そして、ボスの身体が崩壊すると同時に赤黒いオーロラは晴れ、画面中央には神々しい青い

惑星≪ほし≫が輝く夜空が広がった。


「よっしゃぁぁぁー!!」


「――ぅぅぅ!!」


「――っったぁぁぁ!!」


 飛び飛びの歓声に雑じって、レックスの力強い雄叫びが轟いている。それを聞きながらナギ

サは懸命に感情を抑え、一緒に歓声を上げた。


「すごいっ! 凄いよ! みんな!」


 薄ら赤くなった画面の中、小惑星の表面に横たわる空色の魔導装束を着た女性キャラを見な

がら、ナギサは落ち着きつつある皆に声をかけた。


「あっ! ごめん、ナギサ! 俺のせいで勝利演出見れなくて……」


「ううん、死んでても演出は見れたから大丈夫だよ。気にしないで」


 申し訳なさそうな声で近寄ってきたヒロナイトに、ナギサは優しく応えた。


「いやぁー、しかしナギサちゃんナイス判断っ! よく攻撃引き受けてくれたよ」


 まーりんはテンションの高い声でナギサに近づき、その状況判断能力を褒め称えた。


「DPSチェック中は私ができること少ないから、レックスに攻撃してもらった方が良いと

思って……。それが上手くいって良かったよ」


「じゃあ、そんな君にはご褒美をあげよう!」


 ナギサが少し申し訳なさそうに話していると、横からレックスの声が飛んできた。すると、

淡い輝きと共に画面が元の色に戻り、ナギサはすっと立ち上がった。


「おい! 残ってたのかよ!?」


 ヒロナイトの声のトーンが数段上がった。


「一個だけな! 俺も残ってねーと思ってたわ」


 レックスはタンクなので、パーティーでは一番戦闘不能になりやすい。なので、蘇生アイテ

ムはその都度ナギサたちに分配していくため、ボスとの戦闘時には残っていないことが多い。


「ナイスナイス! これでナギサちゃんの分も報酬貰えるじゃんねぇ!」


 まーりんの言葉を受け、四人はボスエリアの中央に突き刺さっている七色の結晶に近づいて

いく。それに触れれば、ボスを倒した報酬アイテムがプレイヤー毎に手に入れられる。


「私の分はいいかなって思ってたから……。みんなでクリアする方が大事だし。それに、私の

装備が被ってないからって、いつもみんなくれるから」


「それは当たり前だろ。……大事な仲間なんだからな」


 ヒロナイトが恥ずかしそうに小声で言うと、二人もそれに同意する。


「そうだぜ? 俺たちゃそんなこと気にする器じゃねーよ」


「もちろん! それに、ナギサちゃんが死んだままだったら報酬減っちまうからな」


「お前はさぁー……。ナギサちゃんのためにとっといた、の方がカッコイイじゃん」


「はははっ! まぁまぁ、早く開けよーぜ!」


 レックスは我慢できないのか、結晶の周りをグルグル回っている。重厚なフルプレートアー

マーを身に纏った大男の忙しない姿を見て、三人は笑いながら近づいていく。


 実際には会ったことのない四人。だが、誰もが相手の笑顔を容易に想像できる。笑顔だけで

はない。困った顔やつまらなそうな顔、泣き顔とまではいかないが、悲しんでる顔や落ち込ん

でいる顔。キャラクター越しではあるが、相手の感情をはっきりと感じ取れるまで、この四人

は絆を結んでいた。


 この関係が、いつまでも続く。この時のナギサとヒロナイトは、そう想っていた。


「……俺、三月いっぱいでゲーム辞めるわ!」


「えっ!? やめる!? スタクロをかっ!?」


 まーりんの突然の宣言に驚愕したヒロナイトは、割れた声を上げた。


 チームの母船に戻り、白いソファが円形に配置されたリラクゼーションルームで雑談をして

いた四人だったが、次の大型アップデートの話しになった時に、まーりんは突然その話題を切

り出した。


「あぁ。……まぁ、ちょっとイロイロあるんだが……一番は……彼女ができたことかなっ!」


「おまっ! ふざけんなよっ!? 抜け駆……彼女と俺たち、どっちが大事なんだよ!?」


「まぁまぁ、ヒロ。落ち着けって」


 ヒロナイトを宥めるように、落ち着いた声でレックスが間に入る。


「レックス、どうしたんだよ! お前が一番怒りそうな話題してんだぞっ!?」


「そーなんだが、今回ばかりは俺も怒れねぇんだ」


「……もしかして、レックスもなの? ……大学入るから?」


 ナギサが消え入りそうな声で言うと、レックスは申し訳なさそうに答えた。


「……そ。やっぱ、ナギサちゃんは気づいてたか……。ホントはもっと前に言い出さなきゃい

けなかったんだけどなぁ」


 いつも明るくてムードメーカーのレックスがしんみりと言うと、途端に雰囲気が重くなって

しまう。


「そんな……」


 ナギサの今にも泣きだしそうな声が、場に追い打ちをかける。


「……まぁ、でもさ……一生会えないってわけじゃねーし、そんなに暗くならなくてもいいだ

ろ?」


「……会えねーよ。俺もナギサも、オンラインで知り合った奴とリアルで会っちゃいけねーっ

て約束でゲームしてんだから」


「お前たちはホント良い子だよ。普通、ここまで仲良くなったら親に内緒で、ってなるぜ? 

ウルトラレアだよ」


「なーにを言うか。そこに惹かれてパーティー組んだんだろ?」


「その通り! レア度高いものに目がなくてねぇ」


 ナギサはまーりんとレックスの会話に少しだけ恥ずかしさを覚えながら、同時に哀しさと寂

しさを感じていた。この、いつも聞いていた二人の笑い声が聞けなくなると思うと、胸が苦し

くなる。


「次の大型アプデは三月だろ? ちょうどいいじゃねーか。俺たちの引退試合にしようぜ」


 言葉を失くしてしまっているナギサたちに向けて、レックスは明るく言った。


「おっ! いいねぇ! 俺もできる限りイン率は落とさねーで準備するからさ、パーっとアイ

テム使って、最速クリア目指そうぜ!」


「その意気だぜっ! それに、まーりんは彼女と二ヶ月持たねーかもしれねーし」


「おいおいおい、だったらお前も怪我して引退してこいよ」


「おっ? ライン超えたなぁ、まーりん君。ピーッ! 警告ー!」


 そのやり取りを聞いて、不覚にもナギサが笑いかけた、その時。ヒロナイトの笑い声が聞こ

えてきた。


「……俺、親に正直に話す。ゲームの中だけで終わらせたくねぇ、良い友達ができたって」


 ヒロナイトは一頻り笑った後、真面目な声で宣言した。


「……おぅ。それに、そんな真面目に考えなくったって、こっちにも策はある。俺たちの繋が

りが、このゲームだけじゃねーってところを見せてやろうぜ」


「誰にだよ」


 まーりんにレックスがツッコんだ。それを聞いて、ヒロナイトは楽しそうに笑っている。


 ナギサは素直に笑えなかった。ナギサも、自分のことを正直に話さなければならない時が近

づいている、と気づいていたからだ。

 だが、その勇気が出ない。この関係が壊れてしまうと思うと、どうしても。

 この四人の絆を、ナギサは信じている。それ故に、自分が裏切っていた、嘘をついていたこ

とを知られることが恐い。


 ナギサは幼い胸中に様々な感情を抱えながら、ヒロナイトたちに合わせて愛想笑いするしか

なかった。





 2022/03/1X


 実咲は連絡を待っていた。

 だが、メッセージアプリの「コール」に連絡が来たのは、幹事役のヴェルヴァンガードだけ

だった。


「なおちゃ……イオンちゃん、どうしても調子悪くて来れない……って」


「そうなんですね……」


 実咲が暗い顔で頷いていると、隣にいる高校生か大学生くらいの年齢の青年が、スマホを見

ながら露骨に嫌そうな声を出した。


「やっぱドタキャンかよ」


「まぁまぁ、そう言うなよ流浪牙≪るろうが≫。体調悪い中来られても、めんどいだろ?」


 そう言って窘めるのは、黒いカジュアルジャケットにスラックスを履いた、背の高い大学生

に見える青年だった。


「そうそう、ギリアムの言う通り。じゃあ、今日来れる奴ら全員集まったから、中に入っちゃ

おーぜ」


 長袖一枚のみという少し寒そうな恰好をしている男性、然自≪ぜんじ≫の言葉に従い、カラ

オケ店の前に集まった五人はガラスの自動扉をくぐり、店内に入っていった。


 こうして、実咲の人生初のオフ会が始まった。


 五人が向かった部屋は、長方形の長机が部屋の中央にあるタイプの部屋だった。なので、上

座側のソファに然自と流浪牙が座り、下座側にギリアムとヴェルヴァンガードが座った。実咲

はというと、短辺に当たる真ん中の小さなソファ、いわゆるお誕生日席に座らされた。


「では! 我らギャラクティック・ナイトのオフ会を祝して! かんぱーい!」


 然自が音頭を取り、皆はそれに合わせてコップを掲げる。


 ドリンクバーの飲み物で酒宴の真似事をした後は、順番決めのジャンケンが始まった。

 実咲は運良く早々に勝ったので最後を選択し、皆が順番を決めている間にスマホを見ながら

歌えそうな曲を探した。

 幾度かのあいこの後に順番も決まり、雑談を交えつつタブレットのリモコンで各々が曲を入

れていく。


「あっ、みさ……コスモスちゃん、フリーダム見てくれたの?」


「はい、面白かったです。それで、せっかくなので……。もともと曲だけは知ってたので、上

手く歌えるかは判らないですけど……」


「いいじゃんいいじゃん、聴かせてよ!」


 実咲とヴェルヴァンガードの会話に、マイク越しに入ってくる然自。彼はトップバッターに

なってしまったので、立ち上がってマイクチェックをしていた。


 直後に曲のイントロが流れ始め、然自は張り切って歌い出す。

 そうして、互いの曲について話したり歌声について茶化したりと、室内の空気は盛り上がり

つつあった。


 その良い雰囲気で実咲が歌い終わり、順番が一周した頃だった。

「コスモスちゃん、歌上手いね。びっくりしたよ」


 ギリアムが前かがみになって声をかけてきた。


「う、うん……! 上手いよ。澪ちゃん……光乃澪≪ひかりのみお≫に似てる」


「光乃澪? ……Ⅴライバーの?」


 ヴェルヴァンガードの言葉に、頭にクエッションマークを浮かべていた実咲。そこで、ギリ

アムが思い出したかのように返した。


「ちょっと待って……。あった、ほら……」


 ヴェルヴァンガードは自分のスマホでウィーストリームに上がっている動画を再生し、二人

に見えるようテーブルに置いた。然自が歌っている最中なので、音量もかなり上げている。


「へぇー……うん、似てる……!」


「……確かに、ちょっと似てるかも……。でも、この人の方が全然上手いですよ」


 スマホに映る可愛らしい3Ⅾの姿とポップな字体の歌詞を見ながら、二人は感心したように

頷いた。


 その光景をドアの外から見ていたトイレ帰りの流浪牙は、部屋に入るなり実咲の横からスマ

ホを覗き込んだ。


「あぁ、光乃澪じゃん。なに? ヴェルのイチ推しなん?」


「いや、そういうわけじゃなくて……コスモスちゃんの歌声が似てるねって話してて」


「へー、じゃあコスモスちゃん、ちょっと歌ってみてよ」


「えっ? ……いや、この曲は知らないんで、ちょっと……」


 すかさず身を引いていた実咲は、首を軽く横に振った。


「なになに? なんかあった?」


 曲の間奏に入ったところで、然自は耐えられなくなって声をかけた。


「ちょっといい? ……もう終わるよな? 一旦全部消すわ」


 実咲に脇に避けてもらったところを通り、ついでにリモコンを手に取っていた流浪牙は、然

自の曲もろとも予約されていた分を全て消していく。


「おぉい! まだ歌ってる途中でしょうが!」


「それより良いもの聴けるらしいから、ちょっと待ってなよ。ヴェル、聴かせてやんなよ」


 流浪牙にそう言われて、ヴェルヴァンガードはスマホをテーブルの中央に置いた。


「スターなら聴いたことあるでしょ? アニメ見てたって言ってたし」


「そうですけど……難しいから歌えるかどうか……」


 軽快なイントロが終わり、光乃澪が歌い出したところで皆が黙った。それにつられて、実咲

も否定の言葉を呑み込む。


「え……うそ……これ、実咲ちゃん……!?」


 サビまで聴いて、然自は驚いた様子で実咲を見た。


「い、いえ! 違いますよ! みんなが似てるって言うので……」


「いーや、似てるよ。曲入れたから、歌ってみてよ。雰囲気でいいからさ」


 流浪牙がそう言うと、今度は部屋全体に軽快なイントロが流れ出す。モニターにはアニメの

映像も流れている。

 実咲は仕方ないので、ギリアムから差し出されたマイクをおずおずと受け取り、先程聴いた

感じで歌い始める。


「練習してないでこれだろ? てか、さっきも褒めたけど、コスモスちゃん歌上手くね?」


 サビに入って感嘆している男たちに向かって、然自は賛同を求めた。


「これはちょっと、考えた方がいいかもしれないね」


 ギリアムは腕を組みながら実咲の方を見つめて、皆に聞こえるように呟いた。


「も、もしかして……コスモスちゃんをⅤライバーにするの?」


「その通り。ちょっと可愛く声作ってもらえば、人気出ると思うんだよね。歌が上手い、ゲー

ムも上手い、とくれば……売れる条件は揃ってるでしょ?」


「顔出しでもイケんじゃね? 全然悪くないし、なんならそっちの方がウケそう」


 流浪牙にそう評価された実咲は、確かに整った可愛い顔立ちをしている。それを隠すように

前髪が少し長いセミロングの髪型にしているが、それがまた似合ってしまっていた。


 ちなみに評価した側は、どこにでも居そうな目の細い痩せ顔だ。


「顔出しはⅤがウケなかった時に取っておきたいね。でも……ネオン次第だけど、二人で組ま

せてネットアイドルって路線もアリかもね」


「それで俺らもついでにⅤライバー化して、スタクロの配信するか!?」


「それもアリだね。顔出しならプロデューサーって路線になりそうだけど」


「私……無理ですよ……Ⅴライバーなんて……」


 皆の話しを聞いていた実咲は、マイク越しにそう言った後、テーブルに置いてあるリモコン

を操作して曲を消した。


「あ……これから最後のサビだったのに……」


 曲について言及したのはヴェルヴァンガードのみで、他の三人は実咲のⅤライバー化計画に

ついて、熱を入れて話しかけてくる。


「いや……本当に無理ですし……お喋りも苦手だし……あ、飲み物……取ってきます」


「あっ、僕が行くからいいよ……! コスモスちゃんは座ってて」


「いえ、いいですよ。ついでにおトイレも行こうと思ってたので……」


「いいよいいよ、コスモスちゃんはトイレ行ってきな。飲み物はヴェルに任せてさ。ついでに

俺たちのも頼むよ」


 流浪牙はそう言うと、コップをヴェルヴァンガードの前に置いた。それに合わせ、然自とギ

リアムもコップを置く。


「……じゃあ、みんな同じのでいいの?」


 そう聞かれた三人はそれぞれ適当に返事をして、またⅤライバー化の話しに戻る。その様子

を見た後、実咲は黙って立ち上がり部屋のドアを開けた。


「ヴェルさん……行きましょう」


 実咲がドアを開けて待っていると、ヴェルヴァンガードは大きくて重そうな身体を機敏に動

かして立ち上がった。


「やっぱり、私も手伝いますよ」


「う、ううん、大丈夫だよ……! トレーがあったから、いっぺんに運べるし。その……あり

がとう」


「……いえ、じゃあ、お願いします」


 実咲は少し微笑んで頭を下げた。ゲーム内でする声かけと同じように。

 それを見て少し顔を赤らめているヴェルヴァンガードは、トイレに向かう実咲が曲がり角を

曲がるまで、その黒いロングワンピースの可憐な姿を見送っていた。


 女子トイレに入った実咲は、個室に入らず鏡の前に立った。そこには気分が悪そうな、つま

らなそうな自分の沈んだ顔が映っている。


(さっきは普通に笑えたのに……)


 実咲は沈んだ気分を洗い落とすように、手を蛇口の下に持っていき、水を出す。手を洗う必

要など全くないが、なんとなくそうしたかった。


(……ゲームの中では、みんな親切で優しかったのに、現実じゃ違う。ヴェルさんだけだよ、

雰囲気通りの人。Ⅴライバーになんてならないって言ってるのに、みんな話し聞いてくれない

し……。どーしよう……)


 実咲はこの後のことを考えると、気が滅入りそうだった。

 だが、考えていても仕方ないので、茶色のショルダーバッグの外ポケットに手を伸ばし、そ

こからハンドタオルを取り出して手を拭いた。


(とりあえず、ヴェルさんのお手伝いして一緒に戻ろ……)


 そう思い立った実咲はトイレを出て、自分たちの部屋近くまで戻る。

 このカラオケ店の通路はアルファベットのHのような作りになっており、奥にトイレ、手前

に受付、右側の通路曲がり角付近にドリンクバーがある。なので、実咲は曲がり角を曲がって

ドリンクバーに向かった。


 真ん中の通路からはヴェルヴァンガードの姿は見えず、種類豊富なドリンクバーのディスペ

ンサーが見えるだけだった。


(もう戻っちゃったのかな……。……え?)


 実咲が通路からそっと顔を出すと、ドリンクバーの隅で小さくなっているヴェルヴァンガー

ドの姿があった。

 後ろからだと、コップが積まれた棚の前で、両手でコップを一生懸命拭いているように見え

る。だが、その大きな背中から何か異様な雰囲気を感じ取っていた実咲は、声をかけられずに

いた。


(どうしたんだろ……コップ落として傷つけちゃったのかな……。……ッ!?)


 ヴェルヴァンガードが何をしているのか見える位置まで移動して、声をかけようとした時。

実咲は声と共に息を呑んだ。

 ヴェルヴァンガードは半笑いでコップの縁を舐めていた。中の飲み物が零れないように飲ん

でいる様にも見えたが、違う。その透明なコップには何も入っていなかったからだ。


 思わず実咲は通路に隠れるように戻った。何か嫌な感覚が、身体の内側からせり上がってき

ている。それに合わせ、心臓の鼓動が聞こえてくる。


(……うそ……あれ……私の……?)


 そんなはずはない。実咲はそう信じながら、恐る恐る通路から顔を出して確認する。

 トレーに乗ったコップ、数は四つ。飲み物は入っている。メロンソーダ、ホワイトソーダ、

多分ジンジャーエールにコーラ。実咲がさっき飲んでいたのは、緑茶だ。


 それが解った瞬間、実咲は咄嗟に口元を手で押さえた。何かが上がってきそうな感覚を覚え

たからだ。


(なんで……!? どうして……)


 視界に映るもの全てが歪んで見える。

 ゲームの中と同じように接してくれていた、優しいと思っていたヴェルヴァンガードの後ろ

姿は、醜く太ったチェック柄のモンスターの様に見えてきた。その脇に置いてあるコップの中

身も、モンスターの体液を抽出した気味の悪い液体に思えてくる。


 実咲はそう思いながら、震える手でハンドタオルを取り出していた。それで口元を思いっき

り拭っていると、ヴェルヴァンガードが素早く顔を上げる。どこかの部屋のドアが開いて、そ

こから漏れてきた大音量に反応したようだ。


 店内に流れる楽曲と、大音量のハモリが消える。実咲はパニック寸前だった。


(どうしよう……! 部屋……、……トイレ……、……外っ!)


 実咲は通路に引き返した後、真っ白になりそうな頭を懸命に動かした。

 早くしないとヴェルヴァンガードがこちらに来てしまう。かといって、あの部屋には戻れな

い。戻りたくない。幸い、ショルダーバッグは持ってきている。そのままトイレに戻ったとし

ても、店から出るには曲がり角付近に来なきゃいけない。そこで待ち伏せされたら……。


 そこまで考えて、実咲は曲がり角を左に曲がった。人がいないことを確認した後は、全速力

で出口に向かう。

 会計は入店時に済ませているので、店員は引き止めない。少し驚いた表情で実咲を見送るだ

けだった。


 実咲はカラオケ店の入り口からは見えない、駅方面に続く路地に駆け込んだ。


(……思わず出てきちゃったけど……どうしよ……)


 実咲はスマホの暗い画面を見ながら息を整え、再び考え込む。


(何も言わないで勝手に帰っちゃうのはよくないし……。……調子悪くなっちゃったってコー

ルすればいいかな……ヴェルさんに……。また……連絡取って……普通に遊ぶのかな……。

あの……みんなと……遊べるのかな……)


 その時、ヴェルヴァンガードからコールが届いた。


「大丈夫? 調子悪いの?」「みんな心配してるよ」


 そのメッセージを見た時、実咲はお腹の奥がズンと痛くなるような感覚がした。このまま蹲

りたい。


 そう思っていると、一つの希望を思い出した。


(コール……! お兄ちゃんに電話しよう……!)


 心配性の兄だが、こういう時の理解者でもある。きっと「なにかあった」と言っても、両親

には黙っていてくれるだろう。

 実咲が祈るようにコールで電話をかけると、兄は二、三回目の呼び出し音ですぐに出た。


「もしもし? どうしたんだ、実咲。何かあったのか?」


「……おにいちゃん……」


 兄の声を聞いて、実咲は思わず泣きだしてしまった。どうしたらいいのか判らず、我慢が限

界を迎えてしまっていたからだ。


「実咲!? どうした!? 絶対に電話切るなよ! すぐ行くから!」


「……うん……うん……」


 実咲はしばらくの間、俯いたまま返事をすることしかできなかった。それが精一杯だった。

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