第50話 退屈しない人生で良いじゃないですか
「一万の軍勢を揃えて、押っ取り刀で駆けつけたのに、もう勝っちゃったのか」
美々しい甲冑姿のサラソータ侯爵がやれやれと両手を広げた。
あんまり似合ってないけどね。
義父上、もう少しお痩せになられた方がよろしいかと。肥満は万病の元ですぞ。
「骨折り恐縮です。無駄足を踏ませてしまったようで申し訳ありません」
「なんの。婿殿が英雄と再認識できたのは良いことだ。ぜひその勲しをきかせてくれ」
そんなことを言いながら、サラソータ侯爵は、援軍を迎え入れた俺を城館に引っ張り込んだ。
ここ俺の屋敷……。
我がもの顔だなぁ。
アリエッタに突っつかれても知らないぞ。
結局、戦闘そのものは一日で決着したんだ。
戦死者はフィリップ侯爵軍が二十八名、我が軍はゼロ。
遊んでんのかって結果だけど、二十八名のなかにフィリップ侯爵その人が含まれていたわけだから戦いはおしまいである。
フィリップ侯爵家では、後継者の地位を巡って一悶着あるだろう。
それが決着するまでサクラメントに攻めてくることはないんじゃないかな。
「フィリップ侯爵の策動を王国政府にぶちまけてやろうと思っていますわ」
ふんすとアリエッタが鼻息を荒くする。
正確な地図情報の秘匿。それに気づいたサクラメント男爵を始末しようとしたこと。
どっちかひとつでも、お取り潰しの理由として充分である。
「それは正論ではあるけど、あまりオススメの手ではないね」
「どうしてですの? おとうさま」
肩に乗ったままのアリエッタがサラソータ侯爵に聞き返した。
場所は応接室。
一応、彼は部外者なのだけれど家族枠ってことで事情をすべて説明している。
「いくつか理由はあるけれどね」
そういって一呼吸置く仕草は、アリエッタによく似ていた。
父娘だなぁ。
「まず、追い詰めすぎると危ないってのがひとつ」
お取り潰しを言い渡されて泣きながら自害する、なんてことには絶対にならない。
ふざけんなこの野郎って怒り狂うだろう。
フィリップ侯爵軍一万六千もいるのだ。シクラの森の殲滅戦では三十人も減っていない。
弔い合戦だー! 死なば諸共ー! って勢いで突っ込んでこられたらサクラメントはひとたまりもないし、サラソータ侯爵軍だって大ダメージを受ける。
で、そのとき王国軍は助けてくれない。
「諸侯の力を削ぐチャンスだからね。表面上は申し訳なそうに、内心ではニマニマ笑って来援要請を断るだろう」
人の悪い笑みで両手を広げる。
王家に対して忠誠心なんてこれっぽっちもありませんよーって態度だ。
家族しかいないから良いんだけどさ。
「他にもいろいろあるけど、この件を奇貨としてフィリップ侯爵家にがっつり貸しを作るのが良策だと思うよ」
「……とんでもない悪徳貴族ですわ……我が父親ながら」
くえー、アリエッタが鳴いてみせた。
抜け道のことは黙っておいてやる。通行料をせしめていたことも、追及しない。
主街道が大きくうねっていたのはたまたまで、そこに作為的なものは一切なかった。
そういうことにしておく。
かわりに、サクラメント男爵領でおこなわれる地図作成にフィリップ侯爵家は文句を言わない。
つまり、今まで通りだ。
今回の件はフィリップ侯爵……先代のフィリップ侯爵の暴走ということで手打ちとする。
「ミケイル・フィリップ侯爵はこの条件を快諾しました。名実ともに、この件はこれでおしまいです。遺恨も残りません」
使者としてフィリップ侯爵領に赴いていたオリバーの報告である。
戦いから二月半、戦後処理としては異例の早さだろう。
「むしろ感謝されましたよ。本当にこれで良かったんですか? ウィリアム」
「いいさ。欲を掻くとろくな結末にならないからな」
出発前から幾度もしたやりとりを、帰還してからも繰り返したりして。
賠償金とか領地とか、要求できるものはたくさんあるのだ。
だけどそういうは全部、「貸しイチ」ってことにしておいたのである。
もちろんサラソータ侯爵の入れ知恵だ。
王国の顔も潰さない、フィリップ侯爵家の未来も消さない、ようするに生きている人間は誰も損をしない素敵なやり方で、ぜーんぶまるっと死んだフィリップ侯爵の責任にしてしまおうってこと。
ミケイルとしては父親を殺された恨みとかあるだろうけど、先代が派手につっかかっていったのは周知の事実だからね。
勝手に罠にはめようとして失敗して、勝手に攻め込んで敗死した。
枝葉を全部ふるい落とすと、こういうことなんだよ。
だから、親父なにやってんだよ、いい歳こいて。という思いの方が強かったっぽい。
そんで、きれいに後始末をつけて事態を収拾したって名声も得られるし、ミケイル的には俺たちの案に乗ることにしたんだろうね。
ちゃんと損得勘定で動ける人に見えたってのがオリバーの感想だ。
こういう人の方が取引はしやすい。
「地図作りと街道整備に関して、測量と土木の専門家を貸してもいいとおっしゃってました」
「そいつはありがたいな」
ほら、さっそく借りを返そうと動き始めてる。
彼らには抜け道を作ったノウハウがあるもん。それを貸すってのは「いろいろ判ってるよね?」って意味。
良いんじゃないかな。
測量が進んで、主街道が敷設し直されることになったら、それはフィリップ侯爵領とサクラメント男爵を横断することになるんだし。
どっちの領地にとっても利益は多いもの。
秘匿して自分だけ儲けようってやつより、ずっと好きだよ。
「ミケイル卿とは、美味い酒が飲めそうだな」
「ウィリアムにこれ以上悪友が増えるのは、あんまり感心しないんですけどね」
にやりと笑った俺に、オリバーが肩をすくめてみせた。
と、そのとき控えめなノックのあと、アリエッタを抱いたクインが執務室に入ってきた。
「旦那様、アッシマから書簡が届いていますわ」
「向こうもなにか動きがあったのかな?」
彼は、大陸一の錬金術師クリュリクルルとの折衝のため都市国家グラナーダに赴いている。
封を切って、中に目を通した。
「……クリュリクルルがサクラメントにくるってよ。温泉に入りたいんだそうだ」
「へ?」
「は?」
意外すぎる俺の言葉に、オリバーとアリエッタが間抜けな声を出した。
ていうかニンゴリ川の温泉施設なんて、まだ半分もできていないぞ。
それ以前の問題として、よそからの客人をもてなすような施設じゃない。兵士たちが傷ついた身体を癒やすため湯治施設だもん。
迎賓館のわけがない。
「どうするんですの? 旦那様」
「どうするもこうするも、建てるしかないだろうな……」
サイサリス技術長が禿頭に青筋を立てて怒りそうだけど、とにかく貴人が逗留できるような館を建てるしかない。
「一難去ってまた一難かよ……」
フィリップ侯爵軍を退けたと思ったら、今度は大陸一の錬金術師の来訪だ。
ことが多すぎるでしょう。
「いやあ、多彩な人生で羨ましいですねぇ」
他人事だと思って、オリバーがニコニコ笑いやがった。
こやつはぁ……どうしてくれようか……。
第一部 完
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