第48話 シクラの森の戦い 前編 (※三人称視点)
※三人称視点で進行します。ご注意ください。
街道を用いた場合、フィリップ侯爵領からサクラメント男爵領まで通常は十日ほどかかる。
早馬や二頭立て馬車なら短縮もできるが、軍隊を移動させようと考えたら十四から十五日程度は必要だ。
鈍重な輜重隊なども連れているのだから。
この時間読みは健常なものであり、そこから会戦時期というもが計算される。
どんなに有能な軍師だって、フィリップ侯爵軍はわずか五日で踏破するとは予想すらできないだろう。
だからこそ、フィリップ侯爵は軍の準備も進発も隠さなかった。
間諜がいることなど百も承知で泳がせていた。進軍開始を伝えてもらうために。
狼煙でも伝書鳩でも良いが、進発を知ったサクラメント軍は行軍に要する時間を逆算して迎撃の準備をするだろう。
「だが、それでは遅いのだ」
フィリップ侯爵が鞍上で唇をゆがめた。
あの小癪な若造が準備を終えるよりずっとはやく、フィリップ侯爵軍はサクラメント領内に侵入する。
もともと数が少ない男爵軍だ。ろくな反撃できずに敗滅するだろう。
あとは戦場においてあの小僧の首を獲るか、あるいは無条件降伏させる。
簡単な仕事だ。
「道とはこう使うのだ。判ったか青二才」
正しい地図を作成し公開しようなど、馬鹿すぎて反吐が出る。
情報は秘匿してこそ価値がある。みんなが知ってしまったら優位性が失われてしまうということすら判らないとは。
フィリップ侯爵家は、王都から西のパープルニアへと続く街道の裏と表を熟知しており、それを用いて巨万の富を築き上げてきた。
同時に戦争のときにも幾多の武勲をあげた。
王都タイタニアから国境まで三十日。本当は半分の時間でいけるなど、フィリップ侯爵家の重鎮以外、知る必要のないことなのである。
「侯爵閣下! 前方に防塁のようなものが見えます!」
だから斥候の報告にフィリップ侯爵は首をかしげることとなった。
秘密の抜け道にそんなものがあったか、と。
この時点で、フィリップ侯爵はまだ危機に気づいていない。
「神出鬼没にして縦横無尽。百戦錬磨のフィリップ侯爵軍という謳い文句も、種が割れてしまえばおもしろくもおかしくもないな」
サクラメント軍の司令官、従士グレイスが秀麗な顔に笑みを浮かべた。
領内の町娘たちが黄色い悲鳴をあげる美丈夫っぷりだが、これが精巧な魔導人形で本体は肩にとまっているカラスであることを、一部のものだけが知っている。
「それが手妻ってもんだろうよ」
横に馬を立てるウィリアム・サクラメントが苦笑する。
もちろん彼は従士グレイスの正体を知っている一人だ。
焦げ茶の髪と涼しげな目元をした青年で、グレイスにおさおさ劣らない若武者である。
本人はまったく知らないが、気さくな為人と民を慈しむ心で大変な人気者だ。領内の娘たちの半分くらいにとって、このウィリアムが初恋の人だという不確かな情報もある。
ただ、それを知ると調子に乗るからという理由で、秘書のオリバーが本人の耳には絶対に入らないように工作しているだけだ。
ともあれ、二人とも千を数えるフィリップ侯爵軍を前にして緊張したそぶりもない。
理由がある。
「わざわざ数の優位を捨てるとはな」
「それだけ抜け道に自信があったんだろうよ」
結局、抜け道などというものが広い道幅のわけがない。左右を森に挟まれており、どう頑張っても二人が並んで戦うの限界の幅なのだ。
しかも途中に宿場もなく補給を受けることもできないから、輸送物資の数は膨大で、兵士たちの疲労の蓄積だって無視できない。
本当に、大軍である有利さをすべて捨てているのである。
これはまさに、抜け道の位置を正確に予測できたアリエッタとイノリの功績だ。
そして、防塁を築くに最も効果的な位置を選定したサイサリス技術長の功績も大きい。
その三人はサクラメントの城館で吉報を待っている。
あとは実戦部隊の仕事だ。
「ぶっちゃけ、堂々と街道を行軍して、宿場ごとにちゃんと休息を取り、気力満点の侯爵軍と戦ったら勝算なんか立たなかったよな」
「ああ、エイビアン平原に凸形陣で布陣なんかされたら、わたしは即時降伏を進言していたよ」
サクラメント男爵領の東端に広がる平地だ。
ここも開拓したいとウィリアムは考えているが、人手がまったく足りないため手つかずである。
平原会戦の場合、基本的に数の差が勝敗を分ける。
五十対千では、小細工をする余地などまったくない。一方的に蹂躙されておしまいだろう。
しかし、フィリップ侯爵軍はグレイスの言葉通り自ら有利さを捨ててしまった。
「三射用意、一人一殺な。失敗したやつは戦後に昼飯おごりで」
ウィリアムが命じれば兵士たちが親指を下に向けてブーイングした。
サクラメント軍独特の緊張のほぐし方である。
射撃がとくに上手い六人が前に出た。
フィリップ侯爵軍は二列縦隊。先頭から三段目までを初撃で仕留めるための人選である。
誰も知らない抜け道に防塁が築かれ、しかも先制で六人も殺されたらどう思うか。
たかが千分の六、と割り切れるものは少ない。
とくに前線で戦う兵士や、それを束ねる下士官にとってみれば、単なる数ではないのだ。
「攻撃開始!」
指揮棒代わりの長剣をグレイスが振り下ろし、史書に『シクラの森の電撃戦』と書かれる戦いが幕を開ける。
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