第47話 風雲急を告げる
留守にしている間に溜まっていた案件を処理しているだけで、丸一日かかってしまった。
「忙しくなったものですね」
なんだか感慨深げなオリバーである。
「勤務時間の大半が雑談で終わっていた時代が懐かしいよな」
深く頷いた。
なにしろ貧乏で不景気な所領だったからね。
領民からあがってくる陳情だって、七割くらいは「お金がないから無理です」って回答になっちゃうし。
しかも領民たちが一番それを知ってるから、陳情自体が少ないというね。
いつだったか巡察にいったとき、なにか困りごとはないかって訊いたら「男爵様よりは困ってねえですよ」って笑われたもんだよ。
あまりに上手いこというもんだから、仰角四十五度の美しいツッコミチョップをしてやったわ。
「庭で採れた野菜とかを食べてくださいって領主にお裾分けする領民がいる貴族領って、珍しいを通り越してますわよ」
机の上でアリエッタがくすくす笑っている。
はじめてリトリバ村に一緒にいったときだね。水車を作れるかどうか確かめるために。
肩の上で「えええぇぇぇ……」って驚いていたっけ。小声でね。
「うちは領民との距離が近いからなぁ」
「ちょっとだけ羨ましくなりましたわ」
サラソータ侯爵が領民たちから慕われていない、というわけではない。
しかしそこにあるのは親愛ではなく、尊敬とか畏怖とか、そういう感情なんだそうだ。
支配者としては、まったくもって正しい姿なんだけどねー。
権威勾配っていうのかな。
そこがちゃんとしていないと仕事はなあなあになり、組織は崩壊してしまうんだそうだ。
サクラメント男爵家だって、ちゃんとしていかないとまずい。
領民が領主と漫才してお互い笑ってるというのは、支配関係としてはない話だ。
「お館様! 執務時間外に失礼します!」
晩飯までのひととき、雑談で楽しんでいたら諜報部員の一人が駆け込んできた。
元盗賊団だね。
「話せ」
ノックもしなかった非礼を咎めることなく報告を促す。
大事あれば情事の最中でも駆け込むべしってのは、君主論としては初歩だからね。
そんな話ききたくない、なんて言い出したら国でも領地でも滅亡への道しか待ってない。
「フィリップ侯爵家の軍勢、約一千が西進を始めたと物見からの報告です!」
まじか。
軍事行動はないと踏んでいたのに、フィリップ侯爵というのはずいぶんと熱い御仁だぜ。
しかも千って数がいやらしいね。
うちの軍を全滅させて領地を蹂躙するには充分な数だけど、動員限界をはるかに下回ってるからフィリップ侯爵領としての負担は少ない。
御前会議で恥を掻かせてくれた青二才を徹底的に叩き潰してやろうって腹だろうね。
「すぐにサラソータ侯爵に援軍の要請を。それからグレイスとイノリ、サイサリスを呼んでくれ。迎撃計画をたてる」
「戦うのですね。旦那様」
確認するように訊ねるアリエッタ。
やや不安げな表情なのは、やはり数の差があるからだ。
こちらは正規軍が五十にウルフ隊が五十。合計して百しかいないのである。
一対十って戦力差は、絶望するには充分すぎるだろう。
「戦うといっても時間稼ぎだけどな。義父上の軍が到着すれば戦いは終わりだ」
おそらく、泥沼の消耗戦になることはフィリップ侯爵も望まないだろう。
サラソータ侯爵軍が押し出せば撤退する。
「どうしてそう言い切れるのですか?」
「サクラメントという土地には血を流してまで奪う価値がないからさ」
今のところはねと付け加える。
温泉や金山という資源があると知れたら、多少の無理をしても奪い取りたくなるだろうが、いまはまだ開発途上の貧乏男爵領に過ぎない。
俺たちの心胆を寒からしめれば、さしあたりは充分なのだ。
正確な地図を作ろうなんて、あんまり舐めたことしてると潰すぞ? いつでもやれるんだからな。ということを思い知らせるのが目的なのである。
「旦那様は政治が判らないって自分で言ってますけど、けっこう政略は判りますよね」
「判らなかったさ。アリエッタとイノリに地図の大切さを教えてもらうまで、そんなものに価値があるなんて思いもしなかった」
行軍は街道を使ってするもので、どうしてその街道が敷かれたかとか考えたことはなかった。
それがちゃんとまっすぐ進んでいるかって疑問に思ったこともなかったよ。
「アリエッタと出逢って、傭兵なんてなーんにも見えてないんだなって思い知らされたんだぜ」
「私は旦那様と出逢って、こんなに強い殿方がいるなんてって感動しましたけどね」
笑い合う。
ちょっと格好良くいえば、智と勇、お互いに足りないところを補い合っていることになるのかな。
「みんなの協力を得られたら、勝てないまでも足止めくらいはできるかなって思うんだよな」
ばさりとイノリが広げた地図に全員が注目した。
「これは……フィリップ侯が地図作りをやめさせたい理由が判りますな」
サイサリスがうなる。
「ことが明るみに出たら、さすがに処罰されるわね」
アリエッタもばさばさと翼を動かす。
あまりにもおかしいのだ。
今現在ある地図が。
「故意に大回りして作られた街道。フィリップ侯爵領を通れば、あちこちショートカットしていける。さすがにこの意味はみんな判るでしょ!」
むふんとイノリが胸を張った。
作っているサクラメント男爵領の地図から、想像で作り上げた周辺所領の配置図である。
もちろんこれも完全に正確なわけではない。
だが、断片的な情報と節度ある想像力によって、かなり正確な図面を描くことができるらしい。
「フィリップ侯爵は商人たちから賄賂を受け取って短縮路を使わせていると言うことですか……」
腕を組んだまま、オリバーが首を振った。
アータルニアは通行税を徴収していない。国是として。
それに背いてこんなことをしているなんて、一大事である。
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