第45話 ちょっといない間に溜まっている決裁の書類
「お帰りなさいませ。旦那様」
「寂しい思いをさせたな。かわりないか?」
とんと肩に乗ったアリエッタと、多少は夫婦らしい会話を交わす。
王都にいた時間は五日ほどなんだけど、なにしろ片道十日もかかってしまうのだ。
行って帰ったら、ほぼ一ヶ月ですよ。
「御前会議、お疲れ様でした。まさか父と旦那様にそんな過去があったなんて驚きですわ」
「俺もびっくりだったよ」
だいたいのことは手紙に書いて早馬で送ってるからね、お互い。
いない間のことは、それなりに判っている。
だからニンゴリ川流域の調査で温泉が発見に至ったこととか、測量作業が完了して街道敷設工事が始まったこととかも把握済みだ。
ただまあ、手紙だと細かいニュアンスは伝わらないから、口頭での報告会が必要になる。
「アッシマとグレイスからも報告があるそうですわ」
「判った。順番に執務室に通してくれ」
アリエッタ言葉に頷き、オリバーに依頼して、うん、と身体を伸ばす。
懐かしの執務机だ。
そしてやっぱり懐かしの、決裁待ち書類の山だ。
秘書と男爵夫人で決裁できるものは先に進んでるから、領主決裁が必要な案件ってこと。
たとえば、金山の開発とかね……。
「って、金山ってなに!?」
一番上にあった決済書類挟みを何気なく開いた俺は、素っ頓狂な声を上げてしまった。
金山ってなにさ、金山って。
「金が採掘できる山のことだな。ビリー」
「知ってるよ! なんで俺が金山って言葉の意味すら知らないと思ったんだよ! クロウは!」
オリバーに伴われて入ってきた従士グレイスがひどいことをいうんだよ。
いくら俺が貧乏だって、金山くらいしっとるわい。
俺が驚いたのは、なんでそんなもんがサクラメント男爵領にあるのかって部分だ。
「トンプネ川の上流を哨戒中にな、川の中で光っているものを見つけたんだ。探させてみたらこれが出てきた」
そういってクロウが執務机に手のひらに乗るほどの小さな革袋を置く。
口紐をほどけば、なかには黄金色の砂が詰まっていた。
砂金というより金塊といった方が良い大きさのものまである。
これが川底にあったらしい。
つまりどこかに金鉱脈が存在し、周囲の岩が水で削れて流れ出したということだ。
「兵士たちには箝口令を敷いた。このことが漏れる心配はない」
「助かる」
クロウの言葉に頭を下げる。
傭兵出身のサクラメント男爵軍は、とびきり口が堅い。
情報の大切さを知っているから。ときとしてそれは命より重いため、命がけで奪い合われるのだと身にしみているから。
「川に出るくらいだから鉱脈は近い可能性が高い。ただどのくらいの埋蔵量があるのかは判らないとイノリが言っていた」
さすが土木屋を自称する技術官僚だ。鉱山とかの知識もあるらしい。
ともあれ、金でも銀でもミスリルでもいいが掘ってみなくては判らないのだ。本格的な採掘を始めたらあっという間に鉱脈が枯れてしまったなんて話は枚挙に暇がない。
それでも飛びつく人間が多いのは、やはり金というのは富の象徴だからだ。
金山があるとなれば、サクラメントの経済は大躍進する。
「そして同時に領地が大荒れに荒れる可能性も無視できませんわ」
デスクの上でアリエッタが言った。
まるで興奮するなとたしなめるように。
まず、場所が簡単ではない。
クロウが自ら部下を率いて哨戒しないといけない地域ということは、思いっきり魔物たちのテリトリーだ。
「コカトリスにオーガ、ファイアリザードやエビルベアなどもいたな」
「人外魔境じゃねえかよ。勘弁してくれよ」
哨戒中に発見した魔物を教えてくれるクロウに嫌な顔をする。
鉱夫たちがほいほいといけるような場所ではない。普通に頭からぱっくんちょと食べられてしまうだろう。
そうならなかったとしても、多くの移民がトンプネ川上流に押し寄せることになる。それは今まさに経済発展を遂げようとしているリトリバ村の住民たちの軋轢を生む。
採掘でトンプネ川が汚れ、鮭が上らなくなったりしたら最悪だ。
金という資源を得る代わりに、鮭という資源を失ってしまう。
「長期的に見て、プラスなのかマイナスなのか考える必要がありますわ」
「だよな。どうしよう?」
「すぐにアリエッタ姫の知恵を借りようとする癖、なんとかならないのか? ビリー。控えめに言ってかなり格好悪いぞ」
妻に意見を求めたら、クロウに呆れられました。
この扱いの悪さよ。
「私の意見としては見送りですわ」
ダメ夫だからしかたがないのですわ、などと付け加えたアヒル姫の意見は、いまは採掘しないというものだった。
ちょっと意外だな。
金ってのには万難を排するだけの価値がある。塩とかもそうだね。サクラメントに空前の富をもたらすかもしれないのだ。
「理由を訊いてもいいか? アリエッタ」
「四つほどありますが、一番目は防衛力ですわ」
フィリップ侯爵の宣戦布告は撤回されたわけではない。サラソータ侯爵軍が防衛に動くぞと明言したため、なんとなーく立ち消えになっているだけなのである。
もしサクラメントに金が眠っていると多少の無理しても攻め込んでくる可能性が高い、というのがアリエッタの考えだ。
たしかにな。
目の前にぶら下がったにんじんに食いつかないほど、フィリップ侯爵はおとなしい馬じゃないだろう。
「義父上の軍も、ずっとサクラメントに駐留しているわけにはいかないしな」
「しかも駐留している間の維持費はこちら持ちですわ。もったいないですわよ」
けちくさいことを言うアリエッタだが、たとえば一万の軍勢が駐留したなら、一万人分の寝床や食事が必要になるのだ。
衛生の問題とかもあるし、簡単に受け入れることはできないのである。
「俺がフィリップ侯爵だったら、攻めるぞ攻めるぞってポーズだけ取って、いつまでもサラソータ侯爵軍が引き上げられないようにするな」
で、どんどんサクラメントの物資を食い潰させる。
そしてどうしようもなくなって撤退したら、そのタイミングで攻め込むかな。
「さすが閃光ビリーだ。汚い作戦を考えさせたら右に出るものいないな」
「なあクロウ? お前ってもしかして、俺のこと嫌いなのか?」
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