うちゅう人になった彼女
十代の自分が書いたものを改稿した作品です。良くも悪くも、いまの自分には書けないなと思います。
一時間前まで彼女だった黒煙がゆっくりと昇っていく。僕はそれをただ眺めていただけなのに、たくさんの大人たちが慰めの言葉を掛けてきた。学校の先生も、彼女の親戚だという知らないおじさんも、僕の両親も。
確かに僕と彼女は、これまで多くの時間を共にした。互いの父親が会社の同僚で、なおかつ誕生日もひと月違いということで、本当に赤ん坊の頃からの付き合い――幼馴染中の幼馴染だ。
そんな幼馴染を亡くした可哀そうな少年である僕を慰めることは、もはや大人の義務なのかもしれない。人として最低限のマナー? モラル? ルール? わからないけど、とにかくそういうものなんだろう。だから僕はその有難い慰めのお言葉一つ一つに、神妙な顔でお礼を返した。
でも違う。そんな気遣いはまったくもって不要なんだ。
だって僕は、彼女のことが大っ嫌いなんだから。
「あのね。あたし、うちゅう人なの」
あれは僕たちがまだ幼稚園に通っていた頃、彼女は唐突にそんなことを口走った。
それまで一緒に砂場でトンネルを掘り、その開通に勤しんでいた僕は、当然ながら面食らった。彼女が言っていることの意味すら理解できなかった。
そんな僕に彼女はにこりと笑い、再び手を動かした。二方向から掘っていたトンネルが開通し、砂場の地下で僕と彼女の手が触れる。僕の小さな手を、やはり小さな彼女の手が握った。
「だれにも言っちゃダメだからね」
当時まだ五才にも満たない僕は微笑ましくも愚かで、そんな彼女の妄言を一ミリも疑うことなく信じ切っていた。なるほど彼女は宇宙人なんだなスゴイなカッコイイな、なんて。クリスマスに世界中を飛び回るサンタさんよろしく、当時の僕にとって世界は不思議であふれていた。
だけど幼稚園を卒園し、ランドセルを背負い、理科や社会科を勉強するようになり、だんだんと世界から不思議は失われていった。サンタはお父さんで、宇宙人なんていなくて、そして彼女は嘘つきだと知ってしまった。
「あたしが生まれた星はね、この銀河のずっと遠くにあるの。でも生まれてすぐにそこから追放されて、地球人の子どもとしてパパやママに育てられたのよ」
「ふぅん。なんで追放されたの?」
「罪を犯してしまったの。詳しいことはまだ教えられないけど」
「なんだ悪いことしたのか。じゃあ仕方ないね」
「む。で、でもほら。そのおかげで、あたしたちはこうして出逢えたのよ」
「なるほど。ところで今日出た宿題なんだけどさー」
小学校の高学年になっても彼女は『うちゅう人』という二人だけの秘密を守っていた。むしろ難しい言葉を習うにつれ、その詳細をどんどん明かすようになっていた。
そんな彼女の言動が僕は好きではなかった。というか嫌いだった。大嫌いだった。わざわざ否定したり、誰かに告げ口したりはしなかったけれど、まともに相手をすることもなかった。
こいつ面倒くさいな、なんて心の中で思いながら、幼馴染だからというただの惰性で一緒にいる毎日。そんな日々の終わりは、あっけなく訪れた。
「……あたし、春になったら引っ越すの。パパがね、東京に転勤するんだって」
小学校卒業を控えた二月の末、彼女はそう告げた。雪のちらつくとても寒い日だった。
東京。そこは子どもの僕たちにとって、遥か彼方の、それこそ宇宙にも等しい、遠い遠い場所だった。
そこに行ってしまった彼女と、この場所に留まる僕が出逢うことはもう二度とないんだろうな。そんな僕の予感は、きっと間違ってないと思う。
「明日」
「え?」
「明日、また会ってくれる? 大事なお話があるの」
真剣な顔で彼女は言った。会ってくれるもなにも、僕が彼女と顔を合わせない日なんて年に数日程度しかなく、わざわざ約束するようなことじゃないのに。話があるのなら、いますればいいのに。そう思いつつ僕は「うん」と頷いた。彼女のこんなにも真剣な表情を見たのは、初めてのことだった。
「ありがとう! それじゃあ明日ね!」
笑顔を浮かべ、彼女が離れていく。はにかむようなその笑みを、僕はいまでもはっきりと覚えている。
その日の夕暮れ、彼女は自動車に轢かれて死んだ。
黒煙が昇っていく。彼女が空高く昇っていく。僕はそれを地上からじっと見つめている。
あの煙はどのくらいの高さまで昇っていくんだろう。雲を超え、成層圏を抜け、はるか宇宙まで届くんだろうか。わからない。中学生になれば、それとももっと大人になれば、僕はそれを知ることができるんだろうか。
ポケットから折り畳まれた便せんを取り出す。あて名として僕の名前と、書き出し数行だけが書かれた、十枚近い便せん。全て途中から文字が滲み、書き損じられている。
彼女が事故に遭ったのは、最寄りの文房具店からの帰り道だった。いたくファンシーなレターセットが入った買い物袋を胸に抱きながら、彼女は自動車に轢かれた。即死だった。
「……こんなに書き損じるなよな」
ぽつりと漏れた僕の呟きに周囲の大人たちは気づかない。
僕と別れてから彼女は、手紙をしたためようとした。間違いなくそれは、約束の「大事なお話」に関係したものだったはず。
涙を流しながら。何枚も書き損じながら。便せんがなくなっても。わざわざ新品を買い直してでも。その結果事故に遭っても。死んでしまっても。
そうしてでも彼女が僕に伝えたかった想いとは、一体なんだったんだろう。
「――そっか」
もう、それを知ることはできないんだ。絶対に。永遠に。僕は彼女を知ることができない。
雨粒が便せんの上に落ちた。一粒、もう一粒。雨粒は止むことなく、僕の頬をつたい、ただでさえ滲んでいる彼女の文字をさらに濡らしていく。
顔を上げると、黒煙は雲一つない青空を昇り続けている。僕はそれを滲んだ視界のなか、にらみつけた。
いまこの瞬間、彼女は本当に「うちゅう人」になってしまった。僕の手の届かない場所に旅立ってしまった。彼女の手のぬくもりも、はにかんだ笑みも、もう二度と僕の前に現れることはない。
「待って。待ってよ……!」
便せんを握りしめ、僕は駆け出した。彼女を吐き出しつづける煙突に向かって。困惑する大人たちを振り払い、僕は走る。
僕は彼女が嫌いだ。大嫌いだ。
宇宙人を自称する電波のくせに、それを僕との秘密にするところ。
こっちはテキトーに相手してるのに、すごく楽しそうに話すところ。
寂しいとき、いつも一緒にいてくれたところ。
僕を残して、ひとり旅立ってしまうところ。
嫌いだ。大嫌いだ。絶対に許さない。一生覚えててやる。忘れてなんかやるもんか。
煙突から黒煙が途切れた。最期に吐き出された彼女が空に昇り、そして消えていく。
「――ッ!」
この銀河のずっと遠くまで届くよう、僕は高らかに彼女の名前を叫んだ。
終わり