表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

うちゅう人になった彼女

作者: 遠野音

十代の自分が書いたものを改稿した作品です。良くも悪くも、いまの自分には書けないなと思います。

 一時間前まで彼女だった黒煙がゆっくりと昇っていく。僕はそれをただ眺めていただけなのに、たくさんの大人たちが慰めの言葉を掛けてきた。学校の先生も、彼女の親戚だという知らないおじさんも、僕の両親も。

 確かに僕と彼女は、これまで多くの時間を共にした。互いの父親が会社の同僚で、なおかつ誕生日もひと月違いということで、本当に赤ん坊の頃からの付き合い――幼馴染中の幼馴染だ。

 そんな幼馴染を亡くした可哀そうな少年である僕を慰めることは、もはや大人の義務なのかもしれない。人として最低限のマナー? モラル? ルール? わからないけど、とにかくそういうものなんだろう。だから僕はその有難い慰めのお言葉一つ一つに、神妙な顔でお礼を返した。

 でも違う。そんな気遣いはまったくもって不要なんだ。

 だって僕は、彼女のことが大っ嫌いなんだから。


「あのね。あたし、うちゅう人なの」

 あれは僕たちがまだ幼稚園に通っていた頃、彼女は唐突にそんなことを口走った。

 それまで一緒に砂場でトンネルを掘り、その開通に勤しんでいた僕は、当然ながら面食らった。彼女が言っていることの意味すら理解できなかった。

 そんな僕に彼女はにこりと笑い、再び手を動かした。二方向から掘っていたトンネルが開通し、砂場の地下で僕と彼女の手が触れる。僕の小さな手を、やはり小さな彼女の手が握った。

「だれにも言っちゃダメだからね」

 当時まだ五才にも満たない僕は微笑ましくも愚かで、そんな彼女の妄言を一ミリも疑うことなく信じ切っていた。なるほど彼女は宇宙人なんだなスゴイなカッコイイな、なんて。クリスマスに世界中を飛び回るサンタさんよろしく、当時の僕にとって世界は不思議であふれていた。

 だけど幼稚園を卒園し、ランドセルを背負い、理科や社会科を勉強するようになり、だんだんと世界から不思議は失われていった。サンタはお父さんで、宇宙人なんていなくて、そして彼女は嘘つきだと知ってしまった。

「あたしが生まれた星はね、この銀河のずっと遠くにあるの。でも生まれてすぐにそこから追放されて、地球人の子どもとしてパパやママに育てられたのよ」

「ふぅん。なんで追放されたの?」

「罪を犯してしまったの。詳しいことはまだ教えられないけど」

「なんだ悪いことしたのか。じゃあ仕方ないね」

「む。で、でもほら。そのおかげで、あたしたちはこうして出逢えたのよ」

「なるほど。ところで今日出た宿題なんだけどさー」

 小学校の高学年になっても彼女は『うちゅう人』という二人だけの秘密を守っていた。むしろ難しい言葉を習うにつれ、その詳細をどんどん明かすようになっていた。

そんな彼女の言動が僕は好きではなかった。というか嫌いだった。大嫌いだった。わざわざ否定したり、誰かに告げ口したりはしなかったけれど、まともに相手をすることもなかった。

 こいつ面倒くさいな、なんて心の中で思いながら、幼馴染だからというただの惰性で一緒にいる毎日。そんな日々の終わりは、あっけなく訪れた。

「……あたし、春になったら引っ越すの。パパがね、東京に転勤するんだって」

 小学校卒業を控えた二月の末、彼女はそう告げた。雪のちらつくとても寒い日だった。

 東京。そこは子どもの僕たちにとって、遥か彼方の、それこそ宇宙にも等しい、遠い遠い場所だった。

そこに行ってしまった彼女と、この場所に留まる僕が出逢うことはもう二度とないんだろうな。そんな僕の予感は、きっと間違ってないと思う。

「明日」

「え?」

「明日、また会ってくれる? 大事なお話があるの」

 真剣な顔で彼女は言った。会ってくれるもなにも、僕が彼女と顔を合わせない日なんて年に数日程度しかなく、わざわざ約束するようなことじゃないのに。話があるのなら、いますればいいのに。そう思いつつ僕は「うん」と頷いた。彼女のこんなにも真剣な表情を見たのは、初めてのことだった。

「ありがとう! それじゃあ明日ね!」

 笑顔を浮かべ、彼女が離れていく。はにかむようなその笑みを、僕はいまでもはっきりと覚えている。

 その日の夕暮れ、彼女は自動車に轢かれて死んだ。


 黒煙が昇っていく。彼女が空高く昇っていく。僕はそれを地上からじっと見つめている。

 あの煙はどのくらいの高さまで昇っていくんだろう。雲を超え、成層圏を抜け、はるか宇宙まで届くんだろうか。わからない。中学生になれば、それとももっと大人になれば、僕はそれを知ることができるんだろうか。

 ポケットから折り畳まれた便せんを取り出す。あて名として僕の名前と、書き出し数行だけが書かれた、十枚近い便せん。全て途中から文字が滲み、書き損じられている。

 彼女が事故に遭ったのは、最寄りの文房具店からの帰り道だった。いたくファンシーなレターセットが入った買い物袋を胸に抱きながら、彼女は自動車に轢かれた。即死だった。

「……こんなに書き損じるなよな」

 ぽつりと漏れた僕の呟きに周囲の大人たちは気づかない。

 僕と別れてから彼女は、手紙をしたためようとした。間違いなくそれは、約束の「大事なお話」に関係したものだったはず。

 涙を流しながら。何枚も書き損じながら。便せんがなくなっても。わざわざ新品を買い直してでも。その結果事故に遭っても。死んでしまっても。

 そうしてでも彼女が僕に伝えたかった想いとは、一体なんだったんだろう。

「――そっか」

 もう、それを知ることはできないんだ。絶対に。永遠に。僕は彼女を知ることができない。

 雨粒が便せんの上に落ちた。一粒、もう一粒。雨粒は止むことなく、僕の頬をつたい、ただでさえ滲んでいる彼女の文字をさらに濡らしていく。

 顔を上げると、黒煙は雲一つない青空を昇り続けている。僕はそれを滲んだ視界のなか、にらみつけた。

 いまこの瞬間、彼女は本当に「うちゅう人」になってしまった。僕の手の届かない場所に旅立ってしまった。彼女の手のぬくもりも、はにかんだ笑みも、もう二度と僕の前に現れることはない。

「待って。待ってよ……!」

 便せんを握りしめ、僕は駆け出した。彼女を吐き出しつづける煙突に向かって。困惑する大人たちを振り払い、僕は走る。

 僕は彼女が嫌いだ。大嫌いだ。

宇宙人を自称する電波のくせに、それを僕との秘密にするところ。

こっちはテキトーに相手してるのに、すごく楽しそうに話すところ。

寂しいとき、いつも一緒にいてくれたところ。

僕を残して、ひとり旅立ってしまうところ。

嫌いだ。大嫌いだ。絶対に許さない。一生覚えててやる。忘れてなんかやるもんか。

 煙突から黒煙が途切れた。最期に吐き出された彼女が空に昇り、そして消えていく。

「――ッ!」

 この銀河のずっと遠くまで届くよう、僕は高らかに彼女の名前を叫んだ。



終わり



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ