中山裕介シリーズ第3弾
テレビ番組の寿命を左右する視聴率(数字)。放送各局は少しでも数字を上げようと躍起になり、開始時刻を早めたり、大事な局面に差し掛かるとCMを入れたりと、様々な戦略を立てて演出を施す。
好調な番組は頻繁にスペシャルが組まれ、低調な番組は2クール(半年)、酷ければ1クール(三ヶ月)で姿を消し、国民の記憶から消え失せる。
近年、プライムタイム(十九時~二三時)の数字が他局に圧倒されているある在京キー局は、春の改編期に数字を上げて曾ての栄光を再び掴み取ろうと大改革を行なった。それによって一本の番組が立ち上げられ、今から構成会議が行われる。
出席するのは――
直感を大切にし、確信を持つと決然とした態度で突き進む女性プロデューサー。
仕事以外ではクラブや合コンで女性と触れ合う事が趣味の男性ディレクター。
恋人との惚気を公言する傍ら、内心苦悩を抱えている女性放送作家。
持ちギャグの誕生と引き換えに、悲しい現実を背負った男性芸人兼放送作家。
勝気の中に奥ゆかしさを感じる外見の内側には、驚愕の素顔が潜んでいる女性放送作家。
そして――
ある体験によってすっかり内気な性質となり、コネクションに背中を押され続けている、ある意味では恵まれている男性放送作家……。これ、わたくし中山裕介(あだ名はユースケ)の事。
会議の議題はわたくしが提出した企画。先に紹介した六人がない交ぜになった時、企画はどんな風に煮詰まって行くのやら――
誰もいない会議室に入り、窓から遠くに見える東京タワーを眺めた。暗くなり始めたガラスの向こう側には、ちらちら舞うものが映る。
「雪、っか……」
今日は十二月三一日。後数時間で今年も終わる。二十歳を過ぎてから一年が経つのは年々早くなって来た。
会議開始の予定時刻は十六時半。腕時計に目を落とすと現在十六時十五分――
この時計の針を『グンッ!』と戻して十月――
一面黒バックのスタジオに入り、口からゆっくりと息を吐く。カメラの前に立つとタリー(カメラが回っている事を知らせる赤ランプ)が点灯した。
「はい本番十秒前ー!・・・・・・八、七ー六、五秒前ー四、三、二・・・・・・」
フロアディレクターからキューが出された。
「こんばんは。『人気番組をブッ飛ばせ!!』でございます。今週もメールを何通も頂きました。ありがとうございます。幾つかご紹介します。東京都の二四歳の女性からです。「多部ディレクターは普段からあんな風にチャラいんですか?」というご質問です。これからあの人、出て来ますけども、あの人は正真正銘のチャラ男でございまして、あれ以上でもあれ以下でもございません!」
「ハハハハハッ・・・・・・」
スタッフから笑いが起こった。こんな内輪でしかウケない発言でも笑う事で、オレの気持ちを乗せようとしてくれている演出だ。
「さあ続いてですが、埼玉県の三十代の男性です。「ナレーターの桐谷さんの写真を、事務所のホームページで見てファンになりました。かわいい人だなあと思うのですが、今後番組に出演する事はないのでしょうか?」という事です。桐谷さんが聞くと嬉しいでしょうね。まあ出演、あの人には声で出演して貰っておりますので、顔出しの出演予定はないですね。残念でございました!」
「ハハハハッ!」
「駄目だよお前、視聴者をがっかりさせちゃ」
番組ディレクターの多部亮がフレームインして来た。
「出たチャラ男!」
「皆さんどーもでーす!」
制作プロダクション<ワークベース>の社員であり、オレより一つ上で業界歴も先輩。以前ある番組で一緒になってからの付き合いだ。一見するとチャラく、多部を知る業界人は「チャラ男D」と呼んでいる。女性と触れ合う事に生き甲斐を感じているように見えるが、仕事に対しては熱いものを持っている――と、オレは信じている。
「何かオレの事も悪く言ってたろ? 伸び代がないみたいに」
「そこまでは言ってないよ」
「ハハハハッ・・・・・・」
「さあ、二人揃いました所で本題です。今週お送りしますのは、平たく言えばあらゆる事を予測するというクイズ形式の企画です。VTRをご覧ください」
『FUTVRE SHOCK 予測せよ』。
MCを務める、今年フリーになったばかりの藤島彩子アナの顔のアップでVは始まった。
人はどれだけ自分の能力、周囲の人の事を理解しているのかを検証してみようという企画である。カップルの女性に、自分が妊娠したと嘘を付いて貰い、彼氏がどういった反応を示すかを、彼女が予測する。
近頃、退陣が取り立たされている総理大臣がいつ辞任するか、政治学者や評論家が予測する。
各問題には三、四人の解答者が登場し、見事的中=正解すれば、事前に希望していた商品をゲット出来る、結果が直ぐに出ない問題もある為、五月から撮影を開始して、十月に放送する事になったロング企画である。
「多部ディレクター渾身の企画ですけども」
「我ながら面白く出来上がっていると思います」
この企画を発案した多部によれば、クラブで出会った女性で行けると思っていた人が駄目で、無理だと思っていた人と関係を持つ事になった。
今回の番組で、まさか自分がディレクターの一人に抜擢されるとは思ってもみなかった。など、つくづく「人生何があるか分からない」と実感した事がヒントになったそうだ。
まあ、ディレクターといっても、部下はAD二人しかいないんだけど――
女性云々はさて置き、確かに、人生遣ってみなけりゃ分からないと思わせられる企画ではある。
「ちょっとユースケ君良いですかあ?」
「っお! どうしたんですか?」
今度は番組ナレーターの桐谷智衣美が、半笑いでフレームインして来た。
芸能事務所<オフィスリトライ>所属で多部と同い年。現在はナレーションやイベントMCなどを主に活動している。
「さっきの埼玉の人ラッキーじゃん」
多部がニヤリとする。
「そうだ。この人が桐谷さんです」
「こんばんは。応援ありがとうございます」
桐谷は破顔してカメラに向かって手を振った。
「それで、僕に何か言いたい事があるんですよね?」
「このナレ原(ナレーション原稿)見たんだけど、「今週はこの企画を篤とご堪能頂きたい」って、固過ぎない?」
桐谷がナレ原をオレの眼前で揺蕩させる。
「たまには雰囲気変わって良いかなって思いまして」
「男の人ならまだしも、私女なんですけど」
桐谷は半笑いで顔を少し上に向けた。
「っていうかそんなナレーションで始まるような硬派なやつ遣ってないだろ、この番組」
多部の言葉にスタッフから笑いが起こる。
「じゃあ分かりましたよ。書き直す前に、まずはこちらから・・・・・・」
「ご覧頂きたい」
三人合わせて、右手をカメラに向かって差し出した。
「やっぱしっくり来ないね」
「でしょう?」
桐谷と素に戻って笑ってしまった。
「ハハハハハハッ!」
そう、この遣り取りも全てホン(台本)による演出。オレがホンを書いて多部が演出を加えた。リハーサルも済ませて本番に臨んでいる。
台本とはいっても、A4用紙二枚程度なんだけど……。本番中は多部がアドリブを飛ばすので、リアクションに四苦八苦させられている。
良くアドリブが出来るなと感服するけど、ディレクターは放送作家と違って明るい性質の人間が多い。良く言えば「ノリが良い」。悪く言えば「お調子者」。
「はいオッケーでーす!」
フロアディレクターの張りのある声がスタジオに響いた。
桐谷はさて置き、裏方である多部とオレが何故カメラの前に立つ事になったのか――
スタジオ出入口上に取り付けられた時計に目をやると、十九時を少し回っていた。
あの時計の針を『グーーンッ!!』と戻して春――
在京キー局のTHS(東京放送システム)は、近年プライムタイムの数字が他局に圧倒されつつある。この事態を受け、前年の四月に五四歳で会社史上初の女性社長に就任した山下洋子は、今年春の改編で、数字が安定している番組も含めて大量の番組を打ち切り、刷新する大改革を敢行した。
その改革はBSにも及び、四月上旬の二一時から二時間枠でスタートしたのが、この『人気番組をブッ飛ばせ!!』である。
毎週様々なタレントをMCに起用した、クイズやトークといったバラエティ企画や、週によってはドラマにも挑戦したメイン企画を軸に、エンディング近くには、約二十分のサイドコーナーが設けられている。
ホームページには、『多彩な企画をメインにサイドコーナーを織り交ぜた、本格派エンターテインメント番組』と銘打たれていた。
タイトルは、山下社長の「地上波でも通用する企画を出して欲しい」との要請を受け、「他局の人気番組をブッ飛ばせる番組を作る」との願いが込められている。が――
某局で放送されていた往年の人気番組の中に、似たタイトルのものが二本もある事を、周りは知らないのか白を切っているのやら……。
とはいえ、社長の要請通り、好評を博す企画があればシリーズで数回放送した後、晴れて地上波の番組に昇格する予定である。
そして、オレにとってある意味で災難が降り掛かるのは、この番組の初構成会議の時であった――
「所でお前、チハルちゃんと結婚しないのか」
多部は椅子に座ったまま腰を伸ばして訊いた。議論が煮詰まって来て、ふと取り留めのない会話になった中での発言だ。
「何で今そんな事訊くんだよ。そんな予定はないなあ」
軽く訊かれたのでこっちも無気力に答えた。
「お前は暇があれば日本史の本読むか城跡巡りだろ? そんなんでよく彼女と何年も続いてるよな」
「ユースケ君って彼女いたんだ?」
大石景子プロデューサーは意想外な顔付で目を丸くした。
「そんな驚かないでくださいよ。失礼な!」
冗談でムっとした表情を作った。
「ごめん。そんな雰囲気全然出さないからさ」
「かわいい彼女なんですよ。だけどこいつ日本史マニアですから彼女よりお城ですよ。チハルちゃんに聞いたけど、初デートも城跡だったんだってな? 確か石垣山……」
「一夜城だよ」
「初デートがお城の跡って、渋いね・・・・・・」
大石さんは吹き出した。
「ね? 変わった奴でしょう」
「そんな昔の話を・・・・・・それでも上手く行ってんですよ、うちは! 君みたいに沢山の女性と触れ合う技術は僕にはありませんので」
「オレはその経験を仕事の肥やしにしてるからな」
多部は踏ん反り返っている。
「肥やしって事は、君は付き合う女性を牛の糞だと思っているのかい?」
「あれは良い肥料になるからな……って、失礼な事言うな! 単なる例えだろ!」
「分かっってるよそんな事は!」
「ハハハハハッ! あんた達面白い。決めた、番組の冒頭に多部君とユースケ君が掛け合いをするコーナーを作ろう」
「はあ?」
思わず声が裏返ってしまった。
「オレ達そんなにネタないですよ」
多部の言葉は渋っている。だが、表情は乗り気――こいつはいつだって攻めの姿勢だから。
「「そんなに」じゃなくて、お前とネタ作った事一度もねえだろ!」
「それを今回作るんじゃない。君と多部君で」
大石さんは妙案が浮かんだとばかりに破顔して、オレの背中を『ポンッ』と叩いた。
「そう言っても、知名度ゼロのオレ達が出て行った所で・・・・・・」
口では難色を示したが、また厄介な仕事が増えるな、こりゃ……。心では観念していた。この業界は「ノリ」によって仕事が決まったり、企画が生まれる事が多々ある。且つ、オレは押しに弱い……。
以上が、番組が立ち上がるまでと、裏方のオレ達が出演する事になったいきさつである。
まだ会議は終わっていないが、釈然としない気持ちで机の上に置いた携帯の時計を見た。
二十時四五分――
この時計の数字を『グイーーーンッ!!』と進めて十二月三一日――
THS内の6C会議室。依然東京タワーを見詰めていると、背後で『ガチャッ』とドアが開く音がした。「おはようございます!」と挨拶しながら入って来たADの島田智也君の後ろに、多部の姿があった。いつもはもう一人、ADの枦山夕貴さんもいるのだが、二日前からインフルエンザにかかってダウンしている。
「おはようございます。ディレクターさん達でしたか」
多部は「よう」と言いながら書類を机に置くと窓に近付いて来た。
「ユースケさんいつも早いですよね?」
島田君は言った。ほぼ「二十四時間営業」のADさんから感心して頂ける事はありがたい。
「(会議の)最中に入って行くのは気まずいものですから」
敬語に少々皮肉を混ぜる。
「まあな・・・・・・今年も終わりかあ、何もこんな日に会議しなくてもなあ・・・・・・」
多部は不服満面。
「別に珍しい事じゃないだろ」
生放送の特番であれば、年末年始関係なく緊急会議や打ち合わせが行われるのは通例。だが収録、レギュラー放送(特番ではなく通常時間での放送)の番組でも年末年始は関係ないのである。
でもこの先、オレみたいな非正規労働者は別としても、多部達会社員は働き方改革関連法が影響して来るとは思うけど。
「生本番抱える人達を考えたら、オレ達だけ休む訳にはいかねえだろ?」
「世間じゃ冬休みなのにな。これじゃ受験生と同じ……でも今年は、THSにとって大きな節目になったよな」
「皮肉だな」
思わずニヤリとしてしまう。
「「数字が安定している番組まで打ち切る必要があるのか」って声が上がる中で番組刷新を敢行して、辛うじて月曜と木曜の十九時台は十五パー前後を取ってるけど、他は九月で打ち切られたもんな」
「しかも十月からスタートしたやつも低調で、二月で打ち切るかって話が出てるよ」
多部は皮肉を込めて呟くと椅子に座った。
上層部にも当然それなりの苦労はある。でも現場に限っていえば、いつも犠牲になるのはオレ達制作スタッフだ。
「話には伺っておりますけどね」
山下社長の改革はお世辞にも成功したとは言い難い。実は、去年に会社史上最年少且つ女性初の社長が誕生した時点で、THSの改革は始まっていたともいわれている。だが大改革は、社長としての実績を残し、功成り名遂げようとしただけだと、社内外では専らの噂である。
「おはようございます」
凛とした表情で入って来た女性、放送作家事務所<vivitto>所属の沢矢加奈さんだ。大学卒業後に一度はOLに成ったが、マスコミ関係の仕事を諦め切れず、作家を養成する社会人スクールに入学し、作家に転職した。その経歴通り勝気な面が強いが、その中に奥ゆかしさも感じる人である。
会議開始の十五分前になって大石さんも入って来た。
大石さんはTHSの社員で、AD時代はクイズ番組などに携わっていたが、ディレクターに昇格してからはスポーツ番組を担当していた。プロデューサー業務は『人気番組を――』が初めてとなる。
直感を大切にし、「自分達が面白いと確信する企画、価値観を明白にしなければ演者は乗ってくれない」がモットーで、現場や会議でも常に明るい。
オレが会議前に疲れた顔をしていると、
「どうしたの? そんなくたびれた顔して」
いたずらっ子っぽく笑い掛けて来る。
「ちょっと「ああ!」っていう時間が欲しくなりまして」
両腕両足をダラーと伸ばした。
「駄目よそんなんじゃ! 彼女の前でもそんな顔するの?」
「彼女も平気で疲れた顔見せてますから」
「駄目! 疲れたって事はそれだけ仕事したって事なんだから。にこやかに心を込めて自分を誉めてあげなきゃ!」
両手を胸に当てて表現してくれた。
「そんなもんですかねえ・・・・・・」
とは言いつつ、オレは笑っている。
大石さんは明るさを押し付けているようで、実は自然とアットホームな雰囲気を作ってくれる人なのである。
「おはようございます! まだ始まってません・・・・・・よね?」
五分前ににこやかに入って来たこの女性――オレと同じ放送作家事務所<マウンテンビュー>所属の、水土佐智子さん。
「大丈夫だよ」
大石さんは温かく迎え入れた。
水土さんは静岡県の出身で、高校卒業後に京都で舞妓をしていたが、それから放送作家に成ったという変わり者でオレより二つ上。
舞妓時代、アイドルや芸人など出演者が全て女性で、仕事や恋愛について語り合う深夜の特番に、舞妓代表として出演。舞妓が恋愛を語るなど聞いた事はないが、「凄く魅力的な人なんどすえ」「SEXの相性も抜群で今日もして参りました」など、一つ下のクラブDJの彼氏との惚気話を堂々として一躍注目を集めた。
作家に成ったきっかけは、その番組の事前打ち合わせで一緒だった、<マウンテンビュー>の女性作家と意気投合し、その作家と交流を深める内に作家に興味を抱き、二六歳でオレと同時期に<マウンテンビュー>に入所。
元舞妓だけあって和みムードを醸し出しているが、SEXの話題を公言するなど、過激な発言も多々あるお方である。
集まった全員が席に着いた時、大石さんはA4サイズの茶封筒から、二、三十枚はあるクリップで留められた書類を机の上に置いた。
「何ですかこれ?」
「『ウチトロ』の苦情メールですよね?」
ディレクターの多部は説明されなくても分かっている。
「そう。一回放送したらこれだけ来るの」
「知ってはいたけど読んだ事はなかったなあ」
番組サイドコーナー『ウチトロ』。タイトルの意味は、「内に秘めた気持ちを吐露する」という事。
MCは若手男性お笑いコンビのアンビリーバブルが担当している。
毎回、表面上は仲の良い五人の新人女性アイドルなどが登場し、その中から代表者一人を選ぶ。他の四人には大音量の音楽が流されたヘッドフォンを着けさせた状態で、代表者に自分は四人からどう想われていると思うか、と質問する。
四つの解答を得た上で、四人に代表者の事をどう想っているか記入用紙で解答させる。用紙は回収後直ちにパソコンに打ち込まれ、誰の解答か分からない状態にする。
そして代表者に、先程自分が解答した答えを発表させて行き、代表者と四人中一人でも解答が合えば、全員に一万円分の食事券が贈られる。が――代表者の解答ときたら、「五人の中で一番私がかわいい」「頭が良くて気遣いが出来る」など、自分を過大評価している内容が殆ど。故に、四人と解答が合う事は極稀だ。
代表者の解答を出し終えた所で四人の解答を発表して行くのだが、こちらは――「メイク落とすとおばさんみたい」「純粋ぶってるけど三股掛けてて実は狡い」と、男性遍歴の暴露や侮辱する内容が殆どだ。
そうなると――「ちょっとこれあんたが書いたんでしょ!?」「何で私って決め付けんのよ!!」このように内輪揉めが始まる。
この企画、表向きは、人はどれだけ自分の事を自覚しているのかを検証しようというものなのだが、実際は暴露合戦によって内輪揉めをさせ、それを見て楽しもうという、何とも下世話な企画。勿論、「演出」として意図的に揉めさせる事もあるんだけど――
四人の解答を発表した所で、代表者にどの解答が一番ムカついたかを訊き、選ばれた解答者にはスポットライトが当てられ、スタジオにはヘンデルの『メサイヤ第2部ハレルヤコーラス』が流れる。
「「見苦しくて下種だ」、「低俗過ぎる」・・・・・・ですか」
メールをプリントアウトした紙を大石さんの方へ戻した。
「でも、メイン(企画)よりも数字を取ってますからね」
多部は大石さんと目を合わせ、大石さんは「そうね」と微笑を浮かべた。
「他人のいざこざを面白がる人間の心理ってやつでしょうか」
沢矢さんは冷静な口振り。
「クレームよこして来る視聴者も、不快感持ちながら結局最後まで観てんだよな」
多部は不服満面だ。自信があろうがなかろうが、作ったものを否定されれば誰だって落ち込む。
「さっ! 一人来てないけど時間も過ぎたし始めよっか」
大石さんは満面の笑みだが――へーんな沈黙が流れた。皆口には出さねど、腹にあるのはやはり――「大晦日に拘束時間が長い会議……」である。
「大晦日だから気分変わって良いでしょ?」
大石さんは瞬時に皆の心境を悟ったようだ。まあ、煮え切らない表情をしていれば悟るわな……。
「そんな気乗りしてない顔してると、失笑する考えも浮かばないよ!」
大石さんは失笑ではなく破顔している。確かに、気乗りせずに煮詰めた企画の番組を観ても、視聴者はニヤリともしないだろう。
「お二人さん正月休みは?」
「二日までお休みですけど」
沢矢さんは答えながらオレが何を言いたいか察したようだ。
「私は三日までだけど、どうして?」
水土さん、全く分かっていらっしゃらない――
「オレも二日まで」
ディレクターから、やれホンの手直しだ打ち合わせだと呼び出されなければ、の話だが――
「良いねえ作家は。オレなんか明日だけだよ」
多部の皮肉な顔――
「私もそうよ」
大石さんが続ける。
プロデューサーとディレクターの休みは元日だけ……負けた。それは別として、正月の生特番に携わっている者は誰一人もいない。
「正月休みがあるんなら、最後の最後で仕事納めでも文句ないでしょう?」
「ですね」
沢矢さんはにっこり頷いた。
水土さんもゆっくり首を縦に振る。やっと分かって頂けたか。
多部が「よしっ!」と大きく拍手を打つ。改めて会議開始の合図である。
「えーっと、今日はユースケ君が出した企画だよね?」
「はい」
島田君が席から立ち上がり、他の作家に企画書と資料を配り始めていると――
「済みません、遅れて!」
元気良く入って来た最後のメンバー、押方哲郎君。芸能事務所<オフィスキタムラ>所属の芸人兼放送作家である。
彼の芸風は白いYシャツにネクタイ、下は白いブリーフだけの変態スタイルで、何かに取り憑かれたかのような狂気めいた怪演の一人コントだ。
コント中、急に「♪ なーなーなーなーなぜなのー!」とか、「♪ オーオーレはバカなのー、そーれーとーもアホなのー!」と歌い出したりして、一見支離滅裂だが、巨視的に見ると自身の半生をネタにしたものが多く、ストーリー性の高いコントを演じている。
二年前からテレビにも進出したが、芸人とタレント活動とでキャラを使い分けていて、トーク番組などにはコントのキャラとは対照的に、カジュアルやスーツなどきちんとした服装で出演する。
あまり笑顔を見せず何処かインテリ風だが、時折MCや大物タレントに対し、「おいジジイ!」「ババア!」と暴言を吐くなどキレキャラの一面も見せる。しかしオンエアのランプが消えれば礼儀正しいと定評があり、「憑依芸人」として業界内外で注目されている。
作家活動を始めるきっかけは、オレが押方君のライブを観に行き、終了後の楽屋を訪ねた時だった。
「これからの事を考えると作家の仕事もしてみたい」
こう打ち明けられ、その事を大石さんに伝えた所了承を得た。彼にとって『人気番組を――』が作家としての一歩となる。
休んでいる枦山さん以外のメンバー全員が集まり、押方君にも企画書と資料が配られた。
多部は「島田」と呼んで手招きし、島田君に何か耳打ちして指示を出すと、彼は会議室から出て行った。
「『この世に埋もれた殿方』ってタイトルにしたんですけど、古今東西各分野の主役を輝かせる脇役にスポットを当てようという企画です。主役が輝くには脇役が光る事が必要不可欠だと思います。脇役が一番光っていた時期に注目して、主役をどう照らしていたのかを多角的に分析します。それによって視野を広く持つ事の大切さを再確認しようというコンテンツにしました」
「多角的にものを見るって、分かっちゃいるけど忘れがちじゃあるよな」
多部は誰に言うでもなく呟く。
「視野を広く持てば、「打算的な考えや狡猾さも見出せるのでは?」という提案も含まれてはいますけど」
「まあそれは、誰でも多かれ少なかれ持ってる考えだから。それを脇役を利用して伝えようっていう訳ね。取り上げる候補を紹介して」
大石さんは企画書に目を落としたまま、淡々とした口振り。
「僕が候補に選んだのは、室町幕府九代将軍の足利義尚と、戦国武将の真下秋頼、GHQ女性幹部のベアテ・シロタ・ゴードンの三人です」
足利義尚。応仁の乱の影響により幕府の権威が下降していた時期に、将軍である自分を顕示させる為、幕府に背き続ける大名を征伐しようと母、日野冨子の反対を押し切って出兵する。
だが征伐は思うように行かず、次第に酒浸りとなって行き、二五歳で病死。義尚にとっての主役は、「悪女」「天下の悪妻」とマイナスイメージが強いが、インパクトはある冨子だろう。
真下秋頼。徳川家康の盟友で、家康と共に豊臣秀吉の天下統一を阻止しようとした人物。主役は秀吉、又は家康になるだろう。
ベアテ・シロタ・ゴードン。敗戦後の日本を占領したGHQの幹部にして、日本国憲法に男女平等を盛り込んだ人物。主役は、戦後まで選挙権すらなかった女性に参政権をと訴え続けた、女性解放運動家で政治家の市川房枝だろうか――
「この企画で扱いたいのは歴史上の人物だけか?」
多部は「この歴史マニア!」とでも言いたげな顔をして呆れてやがる。「マニアで悪かったな!」と言いたい所だが、
「別に歴史には拘らない。例えば漫画の原作者が主役なら、脇役は歴代担当編集者の内一人を取り上げる」
脱歴史の例を上げてやった。
「歴史なんかよりそっちの方が良いよ。この候補だと単なる「歴史バカ」だと思っちゃう」
水土さん! 多部だって口にしていない事を……。この人、にこやかな毒舌家でもあらせられる。そして今の一言で、歴史に興味をお持ちでない事も分かった。
「『――殿方』って付いてますけど、ベアテは女性だから性別は問わないって事ですね?」
沢矢さんが二の句が継げなかった心境を打破してくれた。
「そういう事です」
「義尚って人は、初回で扱うには最期が痛ましいね」
押方君は腕組をし、オレが選んだ三人で考えてくれているようだ。
「二人に絞られるか。本とかは出てないの?」
大石さんも秋頼とベアテの資料を見比べている。
「ベアテ関連の本は、自伝を含めて何冊か出版されています。秋頼の本も小説が二冊出版されているんですけど、何れも四十年近く前の物で、今は絶版です」
「ツイッター情報なんだけど、真下秋頼の知名度が一番高いね」
多部はいつの間にか携帯に目を移していた。
「フォロワーは何人」
大石さんの問い掛けに、
「五千人です。番組に出演するようになって増え続けてます」
得意気な顔――
「忙しい稼業の中「なう」「なう」とご苦労さん。どうせ大半は女性なんだろ?」
「九対一、良いじゃねえか別に」
「別に悪いとは言ってない・・・・・・」
けど、案の定――
「やっぱ戦国史は人気高いですね!」
押方君は軌道修正させるつもりなのだろう、声高に言った。
「ユースケさんは誰を推薦したいんですか?」
沢矢さんも逸脱するオレ達に対し、じれったそうな顔をしている。
「ごめんなさい。話を元に戻しますと、僕が一番注目しているのは秋頼です。歳を重ねるごとに頭角を現して行って、織田信長の死後は家康と協力して、全国の反秀吉派の大名と同盟を結んで秀吉包囲網を張りました。ですが、家康の力量を認めてサポートに回った印象が強いんで、真田幸村や伊達政宗みたいに率先して突撃するイメージのある人物と比べると、人気は低いです」
「秋頼が一番光っていた時期は、家康の仲立ちで信長と出会ってから始まって、秀吉と張り合った状態で亡くなった時まで、なんですね?」
沢矢さんは尚もじれったそうな顔をしたまま、資料に目を通している。
「オレはそう思ってる」
今日の彼女はやけに簡潔に進めようとしておられるが――
「それだと何年ぐらいになるの?」
大石さんが資料から顔を上げた。
「一五七○年三月に織田、徳川、北条との間で同盟が締結されるんですけど、この時、家康が秋頼も同盟に参加させたらと提案し、真下氏も加わります。それから八九年に亡くなるまでですから、十九年間です」
「ちょっと長いね」
「中でも特に面白いと思うのは、一五八○年の十月に、信長から摂津国南東部(現在の兵庫県)の統治を委任されてるんですけど、その年から八九年の三月に亡くなるまでの十年五ヶ月間です。武将としても大名としても、言動が尤もダイナミックな時期だと感じます」
「それ早く言ってよ」
「済みません・・・・・・」
「秀吉や家康みたいな「主役級を照らす」っていう企画の趣旨から見れば、秋頼の方が相応しいかもね」
「やっぱ最初は日本人で行きますか?」
多部もなーんか端的に済ませようとしているようにも見える――
「ユースケ君が一番面白いと思ってるみたいだし」
大石さんは「自分達が面白いと思う企画だけを放送する」の信念に則り、GOサインを出した。
「では真下秋頼について、改めて簡潔に説明します」
「何これ? 五重塔」
資料を全く開いていなかった水土さんが、写真を見て素朴に訊いた。資料には烏帽子を被った秋頼の肖像画と、本拠地だった城の天守の写真が掲載されている。
「神戸城。城。兵庫県の神戸市にあるんだよ」
「ふーん。歴史の事よく知らないから」
存じております――
「ほら去年だったっけ? 神戸城の天守閣から紙幣がばら撒かれた事件あったじゃん」
大石さんは思い出してしまった――
「去年の十月に男性警察官が、天守閣の最上階から約一億円分の一万円札をばら撒いた事件でしたよね」
沢矢さんはまくし立てた。その顔は、逸脱せずに早く本題に入ってくれと訴えている。オレもそうしたいんだけど――
「ああ、その事件なら知ってる。ここだったんだあ」
水土さん――事件の舞台としては興味がおありのようで。
「金は同じ年の八月に府中(東京都)で起きた五億円強奪事件で強奪された一部だって話ですけど」
押方くーん、水土さんの興味を煽らないでくれよ……。
「よく知ってるね?」
「ウィキペディアにも載ってますから」
水土さんと押方君が会話する姿を傍観していると、多部と目が合い、ばつが悪そうな顔で目を逸らされた。オレだってばつが悪い。弥が上にも「当時の事」を回想させられる――
一年前の九月――
多部が携わるテレビ番組に、今回のように「無理やり」出演させられる羽目になったオレは、メイン出演者の女性と多部らスタッフと共にロケ先の大阪へ向かっていた。
その新幹線の車内で、五億円強奪事件の共犯者、浜家珠希と遭遇し、新大阪駅では珠希の兄で実行犯の浜家竜も現れた。
当然オレ達は二人に自首する事を勧めたが、二人は自首すると約束する代わりに、スタッフとして働かせてくれと懇願して来た。時間稼ぎに利用されていると直ぐに推察は出来たが、結局ロケを行なう三日間、二人と行動を共にした。
十月に入り、竜と珠希は大阪府警に自首し、警視庁府中東警察署に移送されたが、二人はオレ達の事を供述していないようで、出演者、スタッフ誰一人事情聴取は受けていない。
まあ、今の所、の話ではあるが……、何れにせよ、多部とオレにとっては黒歴史だ。
「話を本題に戻しますね」
この一時だけ、先を急ごうとする沢矢さんの気持ちが痛切させられた。この話を「貴重な体験だったなあ」と思える日は遠し――
「どうぞ」
大石さんは資料を読み進めていた。
「真下秋頼は一五三九年六月八日、武蔵国北西部(現在の埼玉県秩父地方)を治めていた小大名、真下高尚の四男として秩父城(秩父市)で生まれました」――
幼名は吉松。四男であれば跡継ぎとされる事は稀であり、戦国時代では、人質として養子に出されたりもした。
しかし、吉松は後に真下家の最盛期を築き上げ、歴史の表舞台に名を刻む存在になる。天下を狙う秀吉の前に立ちはだかり、一戦を交え、秀吉を戦々恐々とさせた。だが周知のように、天下は秀吉のものとなる。秋頼の狙いは天下だったのか、それとも――
吉松は生後間もなく母方の祖父が守る城に預けられ、祖父の手で育てられる事になった。十四歳で元服して名を秋頼と改め、本拠である秩父入城を許される。この時、両親と初対面した。
翌年には初陣を飾り、同年十二月、秋頼にとって運命の日が訪れる。父の高尚は三人の息子を手元に置き、文武両道を英才教育によって育て、今川義元、武田信玄、北条氏康の元に養子に出した。
当時三者は良好関係にあって三国同盟を結んでいたが、三者の領国に囲まれる形であった高尚は、出来の良い息子を差し出して忠信を誓う調略を立てた。
秋頼も、自分は養子に出されるものと覚悟していたといわれるが、高尚は、四男の秋頼を世子とする事を正式に決定した。
しかし、養子に出される不安が解消されて緊張の糸が切れたのか、この頃から、同い歳の従兄弟と共に城を抜け出し、歳の近い領民と喧嘩沙汰を起すなど非行に走って行く。
不良少年と化して行く世子に、父も家臣も頭を抱える状況の中、秋頼は十七歳で今川義元の姪、松姫と結婚する。この婚礼の礼の為、翌年、高尚と共に義元の本拠、駿府(静岡県静岡市)を訪問し、この時、徳川家康と初対面。
同年、高尚に無断で不良仲間数人を戦に参加させ、一人に重症を負わせてしまう。だが、この事がきっかけとなり秋頼は改心し、以降、平清盛など嘗ての常勝者の戦記を熟読し、重臣から戦法の手解きを受けるなど、勉学に励むようになる。
その態度が高尚に認められ、二一歳で家督を譲られて秩父城主となり、晴れて真下家の当主となった。
その後は、積極的に侵攻して行く父の戦略を踏襲し、周囲の豪族を服従や滅亡させて行き、徐々に領土を拡大させる――
「ちょっと良いですか?」
「これからが面白いんですけど、何ですか? 沢矢さん」
「よく勉強されているのは分かるんですけど、まずはどういう構成で特集するかを決めません?」
「よく勉強されて――」は嫌味か?
「早く終わらせたい気持ちは分かるけど、もう少しお付き合いください」
大人気なく嫌味っぽく返してしまった――彼女は下唇を噛み、明らかにムッとしている。
とはいえ、室内が静かになったので続ける事にした。
「さっきも言いました通り、一五七○年三月二七日。織田、徳川、北条との間で同盟が締結されます。その時、家康が真下も同盟に参加させたらと提案します。信長は以前から血気盛んな秋頼に目を付けていたと伝承されていて、真下氏は北条氏とも良好関係でしたから、四月十二日に家康が仲立ちして秋頼も同盟に加盟します。この時が信長との初対面です」
「ちょっちょっちょっ!」
「今度はどうしたんだ、多部?」
「敢えて突っ込まなかったけどさ、お前って日本史の話する時やけに顔も目も輝くよな」
「突っ込んでんじゃねえか……一々バカにしやがって。好きだからだろう。あんたが女の話する時と一緒だよ」
「オレを引き合いに出すな!」
「あんたが話を止めたんじゃねえかよ!」
「フフフンッ・・・・・・やっぱ二人の掛け合いは面白いね」
大石さんは腹を抱えて涙を流している。自分の選択=演出は間違ってはいなかったと言わんばかりに――
「これでも日本史をちょっとでも気楽に聞いて貰おうと思って書いたんだからな」
「分からない人には全然分かんねえよ!」
「ごめんねユースケ君。お城の写真を「五重塔」って言っちゃうくらいだから、私」
多部と水土さんの言葉に思わず吹き出した。
「お気に召しませんか?」
「もう良いよ。書いちゃったんだから。邪魔したな」
「そうですか、じゃあ改めて続けるぞ! 同盟に加入した秋頼は、一五七○年七月三十日の姉川の戦いや、七五年六月二九日の長篠の戦いといった名高い戦に参加して行きます」――
並行して領土拡大にも尽力し、一五七八年の四月十九日に上杉謙信が死去した後に上杉家の家督の後継を巡って起こった、御館の乱で上杉領が混乱している隙を見て、上野国(群馬県)を奪取。前橋城(群馬県前橋市)を新たな本拠地とする。
一五八○年十月。「話がある」との信長の伝達が秋頼、家康の元へ伝えられ、二人は謁見の為、安土城(滋賀県近江八幡市)を訪問。そこで秋頼に激震が走る。信長は秋頼に摂津国南東部、家康に武田信玄の跡を継いだ勝頼から奪取した、駿河国(静岡県)の統治を依頼する。
摂津国の南東部では、二年前に信長に服従していた武将が謀反を起こした。織田軍は信長自らが先頭に立ち、謀反を起こした武将を打ち破り、その女性の使用人一二二人、一族と重臣の家族三六人を斬首して内乱を沈静化させるが、依然混乱は残っていた。秋頼には、その戦後処理を願いたいとの事であった。
家康は信長の申し出を直ぐに快諾するが、秋頼は熟慮したいと態度を保留し、信長は承知する。
この時、秋頼は引っ掛かっていた。自分達は信長の同盟者であって、家臣ではない。それに、家康は領国の遠江(静岡県)の隣国、駿河であるのに対し、何故自分は関東の本拠地から関西と飛び地なのか――
前橋城に戻った秋頼は苦悩する。当時の真下氏の領地は、武蔵国北西部(現在の埼玉県のほぼ全域)と上野国に、勝頼から奪取した信濃国(長野県)二郡を合わせた約九十万石。信長からの申し出を受けると三十五万石が加算され、一二五万石の太守となるが、自分で勝ち得た領地ではない。
そしてもう一つ。上野の本拠から遠く離れた摂津の飛び地とで、領国経営は上手く行くのか――
武将としての矜持と憂いにさいなまれていた折、秋頼を気に掛けた盟友、家康から手紙が届く。
『そなたは今回の件を信長殿の臣下のように扱われ、尚且つ縁も所縁もない土地であるが故、色々と苦慮しているものと思われる。信長殿の臣下ではないと反発する心は、実は自分も同じである。
しかし、信長殿の後ろ盾がなければ、自分はとっくに滅ぼされていたのではないかとも考える。信長殿に助けられて来た事は、真下家も該当するのではあるまいか。
今回の件、謀反で起きた混乱を処理してくれと頼まれたという事は、信長殿は、私よりもそなたの統治力を信頼されている証とも捉える事が出来る。
信長殿は二者択一を迫る人故、今回をきっかけに織田家と袂を分かつ事にするのか、承諾して御家の発展とするのか、よく考慮して欲しい』(以上、現代語訳)。
家康は秋頼の心情を見抜いていた。
盟友の言葉を受け、秋頼の気持ちは吹っ切れる。今信長と袂を分かつ事は得策ではない。御家の発展を優先させる事に腹を固めた――
「以上が真下秋頼の半生です。この後に前橋城を息子の信秋に譲り、自身は当時兵庫と呼ばれていた現在の神戸市に入って、神戸城を築いて西の本拠にしました」
「よーく分かったけど、ガッツリ解説したな」
多部は皮肉を込めて「ご苦労さん」という目を向けた。嘘付け!
「リサーチャーさんが一生懸命(資料を)まとめてくれたんでね」
「そう? 資料に入ってない情報も結構入ってたよ」
大石さんは笑いつつ鋭い目を向けたが、
「沢矢さん、お待たせして済みません。さあ、次行ってみよう!」
動揺する前に往年のいかりや長介のギャグで逃げた。
生まれてから四一年間はナレーションで簡潔に伝えるとして、残った十年五ヶ月間をどのように伝えるか――
「重大な局面をどう打開したかを推理して、三択で当てるっていうのは?」
沢矢さんは早口で言った。待ち焦がれていた事は重々分かるが……オレの解説を全く聞いていなかった事も重々分かる。
「推理ってサスペンスみたいで面白そう。何かで観たような気もするけど」
水土さんは笑顔でライト。賛同しながら「観たような気もする」――沢矢さんが射るような目で水土さんを睨んだが、意に介さず落ち着いている。
「主役級の人物でクイズ形式なら面白いだろうけど、脇役だとじれったくならないかな?」
押方君が首を傾げる。
「そうね。主役なら有名なエピソードも沢山あって、家族で観てても盛り上がるかもしれないけど、脇役だと今一つだろうね」
大石さんは資料を見ながら呟いた。
「これ以上は煮詰まらないでしょう。今の案は「ボッシュート」になります」
押方君が言うと、沢矢さんを除く全員が「あのBGM」を口ずさむ。
「スーパーひとし君が落ちて行く・・・・・・」
沢矢さんは口を尖らせて腕組をし、壁掛け時計を見詰めた。
「じゃあニュースリポート風・・・・・・もあるよなあ……」
「でも臨場感あって良さそうだけど」
水土さんはまたライトに……心ここにあるのか?
「ワイドショー風にした番組もあったからな」
多部の言葉に頷くしかない。
「その前に根本的な問題は、時代劇の衣装や小道具を用意する予算が降りないよ」
大石さんは残念そうにしている。
「ああ、そうですよねえ……」
多部は大口を開いてしかめっ面になった。BSの番組にプライムタイム並みの予算が降りる訳がない。
「それ、失念してたよ・・・・・・」
「はい、この案も残念ながら「ボッシュート」!」
と押方君。
「サン、ハイ!」
大石さんの指揮に合わせ、全員で息の合ったBGMを合唱……。断わっておくが、これでも我々は真面目に会議に取り組んでおります――
「まーたスーパーひとし君が落ちてしまった・・・・・・」
「スーパーひとし君を幾つ持ってんだよ! 普通にドキュメントでも良いだろうけどな」
多部の顔には焦りが現れ、貧乏揺すりが始まった。こいつが貧乏揺すりをする時は、怪しい――
「変に凝るよりもシンプルな方が良いんでしょうけど、脇役ですから何か一工夫欲しいですよね」
押方君が天井を見上げる。室内から言葉が途絶えた。一工夫――
「済みません。オレちょっと席空けます」
「っあ、私も」
多部と水土さんが外へ出て行った。会議が頓挫した所で――二人共、まるでタイミングを計ったかのようだ。
多部は焦って貧乏揺すりを始め、水土さんは人の意見に賛同してばかり。沢矢さんは先を急ごうとし、押方君は冷静に鋭い指摘をする。そして、一歩引いて人間観察しているオレ――間違いなく、オレと押方君以外は早く切り上げようとしている。この後どんな楽しい事が待っているのかは知らないけど――
「光ってる時期の中でも、特筆すべき事柄にだけ着目してみましょうか?」
「ああ、その方が良いですね。一番面白い所を重点的に伝えた方が分かり易いでしょうし」
沢矢さんが食い付いて来た。
「歴史は複雑だから始めっからそうするべきだったね。目星は付いてるの?」
大石さんも頓挫した状態を打開する案が出た事に、安堵の表情を浮かべた。
「本能寺の変で信長が自害した後、秀吉が弔い合戦で謀反人の明智光秀と対決する為に決行した、中国大返しに秋頼は協力して援軍まで送ってるんですけど、その後秀吉と張り合う関係になりました。一度は協力している点と、その後仲違いになったのは何故か、この二点です」――
一五八二年六月二一日未明。信長の家臣、光秀が反旗を翻し、信長が京(京都市)での定宿にしていた本能寺を包囲した本能寺の変が発生。
信長は弓や槍で応戦するも、右の肘に槍傷を負って内に退く。既に御殿には火がかけられていて、近くまで火の手が及んでいた。
信長は殿中の奥深くに篭り、内側から納戸を締めて自害し、四八歳でこの世を去った。
この時、秀吉は中国地方で毛利攻めの真っ最中だったが、主君の死を知り至急弔い合戦を繰り広げる為、中国大返しを決行する。
秀吉軍は本能寺の変から八日後には神戸まで到着。その日の夜は神戸城で充分に休息し、翌朝に富田(とんだ。大阪府高槻市)へ向け出発。
その四日前、秋頼に向けて信長の弔い合戦によって光秀を討つ為、領内を通り抜けさせて欲しい事と、休養を取らせて欲しい旨を手紙で打診する。
秋頼は承諾した事を伝える為、直ぐに秀吉の元へ使いを出す一方、秀吉軍が通過し易いようにと、路面の舗装を命じ、援軍として六百の兵士を送るなどの援助をしている。
家康も援軍七百名を送り、三万六三○○の軍勢に膨れ上がった秀吉軍は、七月二日、一万五○○○の光秀軍と山崎の戦い(大阪府島本町、京都府大山崎町)で対戦し、勝利を収める。
だが、その後天下へ向けて擡頭する秀吉に対抗し、秋頼は家康の後ろ盾となって敵対するようになる。
秀吉は朝廷に働きかけて、自分の官位を上げようとしたが、秋頼はその策略を逸早く洞察し、
「下層にいた者が自分達よりも上層に行くのはおかしい」
と朝廷に圧力を掛け、秀吉の官位を自分と家康よりも上にさせない対策も取っている。
一度は手を取り合った相手と後に敵対する事は、戦国時代ではざらだが、そこにはどのような真意があったのか――
当時の記録には、家康、秀吉、自分を俯瞰した時、天下を治める器量を備えているのは、家康だと判断したからだと記されている。
また別の記録には、「秀吉に援助したのは、飽く迄も信長の弔い合戦に勝利して貰う為であり、秀吉の天下取りの足掛かりの為ではない」、と語ったとされている――
「天下を治める器量は家康が一番上。後に江戸幕府を開く訳ですから、先見の明があった事は明白ですね」
「その前に、道の舗装工事までして協力して、自分の居城で休養を取らせる事も許諾している……レクリエーション、援軍まで送ってるんだね。そこまで協力した相手なのに何故敵対する関係になって行ったのか……」
大石さんは気が知れないといった表情で頬杖を突く。
「二人にとって秀吉が天下取りに動き出したのは、単なる誤算だったんでしょうかね?」
沢矢さんは違和感を覚える表情をし、首を傾げた。
「従来の説を専門家に解説して貰うだけじゃ・・・・・・只の教養番組。かといって目立った新説はないんだよね?」
押方君は渋い顔になっている。
「歴史雑誌は色々出てるけどね・・・・・・」
「それをそのまま引っ張って来る訳にはいかないよ」
大石さんも安堵の表情は消え、途方に暮れている。
「だったら私達なりの見解を出すしかないですよ!」
「うわびっくりした! 水土さんいつの間に入って来たの?」
全く気付かない内にオレの右横に立っている水土さんは、先程までとは打って変わって真剣な表情。席を外して何があった?
「織田家臣団が分裂する事くらいは予測が着いたんじゃないか?」
多部の声に驚いてドアの方を見ると、ドアに寄り掛かってポーズを決めてやがる……。
「だから、あんた達いつの間に入って来たんだよ!? それとあんたは何でカッコ付けてんだ?」
「信長が死んだ後、織田家は二分されて秀吉が勝ったんだよな?」
「オレの質問には答えないんだね。確かに君の言う通り」――
一五八二年七月十六日。織田家の相続問題などを話し合う清洲会議(愛知県清須市)が開かれた。
信長の三男、信孝を推す柴田勝家と、信長の孫である三法師(後の秀信)を推す秀吉との間で激しい対立が生じたが、同席した他の家臣らが三法師擁立に賛成した為、勝家も譲らざるを得ず、後継者問題は形の上ではひとまず決着をみた。
この会議の後、秀吉率いる勢力と、織田家臣団の筆頭、勝家率いる勢力は敵対するようになる。二人は翌年に賤ヶ岳の戦い(滋賀県長浜市)で対決し、結果、秀吉が勝利を収め、勝家は自害して滅んだ。これにより、秀吉は信長の後継者としての地位を確立させる――
「秋頼と家康にとっては、どっちが勝とうが関係なかったんだよ」
多部は得意満面だ。
「ほーう、あんたも結構詳しい事知ってんじゃねえか」
「受験の時ちょっと勉強したんだよ」
「ふーん・・・・・・」
さっきは「分からねえ」って言っていた奴が……こいつも席を外して何があった?
「何だよ、その軽蔑した目は!?」
「多部さんが言う事も分かりますけど、それじゃあ何で秀吉に味方したのかっていう説明にはなりませんね」
押方君の明言に、多部はカッコ付けていた分ばつが悪そうだ。多部ディレクター殿の得意な心境は、「三分天下」に終わったのでした――
「途中から入って来るからそうなるんだよ!」
「裏切り者の光秀に味方するよりも、秀吉に味方した方が得策ではあったと思いますけど」
沢矢さんは周りの反応を窺っている。
「確かにその方が周りに対するイメージも良いし、後々の立場も守れるだろうな・・・・・・秀吉に恩を売っといて、後々それが利用出来るんじゃないかって思ったとか?」
「・・・・・・そうだよ! 秀吉に味方した方が保身につながる、人間にはスィークレット デザイア(下心)があるからさ。秋頼は秀吉の・・・・・・何とかターンってやつを見て・・・・・・」
「中国大返し!」
それよりも押方君……何故「下心」を英語にしたんだい? オレもたまたま知っていたから別に良いんだけど、芸能人だからか知らないけど気取りやがって! これが芸人兼放送作家の二足の草鞋の人間と、放送作家一筋の人間との違いか……。
後、うろ覚えにもなっていないのが却って清々しい。
「その時の秀吉の機動力の高さを見て、弔い合戦で秀吉が勝つ事を見越してたんだよ」
「おーいおい! オレのコメントは何処行ったんだよ?」
多部はやっと室内に入って来た。
「ドアのとこ寒くなかったか?」
「めっちゃくちゃさみーよ!」
「開けっ放しにしとくからじゃねえか。中まで寒くなるだろ」
「それより押方、オレのコメントも活かせよ!」
こいつ、活かしたいのはコメントよりもメンツだろ?
「済みません。これ横取りコメント言いまんねん」
押方君はしたり顔。
「その顔と「まんねん」は止めろ!」
「無様なディレクター・・・・・・アッハハハハッ!」
出た、水土さんのにこやか毒舌……。この人はこういう性質。
「それも思うだけで口に出すなよ!」
多部の顔は羞恥心と声を張り上げた影響で赤くなる一方である。
「そういえば昔、「横取り40萬」ってあったけどね」
大石さんの一言で、しらーっとした雰囲気が室内を包んだ。
「ヨコドリ40マン?・・・・・・」
多部、水土、オレ、押方、沢矢のユニゾン――
「って何ですか?」
大石さんは皆の様子を見て、
「ごめん。マニアックだった。忘れて」
決まり悪そうに笑った。
業界人として勉強不足だと思い、後で調べてみたが、嘗て某局で放送されていた人気クイズ番組の事だった。「ミリオーンスロット!」というフレーズを聞けば、「ああ、あれか・・・・・・古っ!」と思われる世代の方々もいらっしゃるのでは?
オレらが知らない訳だし、大石さんもよく思い出したものだ――
「下心を基本にして見解を出してみたら面白いと思うんですけど」
絵に描いた如く、何事もなかったかのように話を元に戻した押方君だが、彼は以前――
彼を番組の作家として採用すると、大石プロデューサーから了承を得てその事を伝えると、喜んだ押方君はオレを飲みに誘った。
「今日は随分ハイピッチじゃん」
彼はビール、焼酎、ハイボールと飲み進め、酩酊状態だ。
「オレは今日嬉しいんだよ。芸人にタレント、そこに作家を入れて三つの草鞋があれば、少しは食いっぱぐれにならなくて済むだろうからさ」
「まあ、そんな考えだろうとは推察出来たけどね」
保証のない世界で仕事をする人間は、常に自分を顕示する仕方を模索している。それは全うな考えだが、この後、彼は口を滑らせた。
「それとさ、嫌な奴を裏で操ってやろうってもくろみもあるんだよ」
押方君は「フヘヘヘヘッ!」と悪鬼の如く笑った。
「ふーん・・・・・・そうなんだ」
これには返す言葉に困った。これを「悪意にまみれた下心」と言わずして後何と形容出来ようか……。
「多角的にものを見る事を促すには、こっちの見解をはっきりさせる必要があるから、それで良いと思うよ」
大石さんは心底納得している。軸があるからこそ色んな捉え方が出来る。形式にとらわれたくないと考える人も、形式がなければその発想はあり得ない。そんな基本的な事を仰ったこのプロデューサー殿も――
今月上旬の会議終了後、大石さんと二人でTHS内の喫煙ルームに入った時だった。
「三一日も土曜日ですけど、会議遣るんですよね?」
『人気番組を――』の構成会議は、毎週土曜日に行われている。
「うん、通常通り遣る予定だよ。この業界は基本、大晦日も正月もないからね」
「っま、確かに」
端くれ作家でも業界人。そんな事くらいは理知しているが……。
「何か狙いがあるんじゃないですか?」
遠回しに言ってしまった。
「フフンッ。流石は鋭いね。その通りだよ。「早く地上波に持って行けるような企画を出せ」って発破を掛ける上層部に対して、こっちは大晦日にも会議してるんだって必死さをアピールしたら、少しは黙るんじゃないかって思ったの」
大石さんは挑戦的な笑みを見せた。上層部に対する気魄が感じられる。
「上層部に対して意表を突くって訳ですね?」
「上層部は「数字を取れ」「面白い企画を練ろ」って呪文のように繰り返すだけ。自分達だって現場にいた頃は苦労して制作して、上の言葉を口喧しく思っていたんだろうけど・・・・・・何で人間って上に行っちゃうと、下にいた頃を消し去っちゃうんだろうね」
ガラス越しに行き交う人達を見ながら語った言葉には、皮肉と「自分はそうはならない」という誓いが込められていたのだろう。
大晦日に会議をし、必死さを見せて上層部を牽制する。「別に珍しくはない」で一蹴されるとも思うが、それで黙るかどうかはさて置き、これもまた「極めて全うな下心」……。
「最終的には秀吉を自分のフォロワーにしようとしてたとか・・・・・・」
手探り状態の沢矢さん。彼女だって――
十月下旬。十六時半からの会議に際し、少し早くTHSに入ったオレは、誰もいない会議室でメールや書類チェックをしていた。
約十分後、沢矢さんが一人入って来る。
「今日の会議室広過ぎませんか?」
彼女は二十畳くらいはある室内を見渡した。
「オレもドア開けて笑っちゃったよ。重役会議が出来るぞここ。島田君か枦山さん、どっちが押さえたか知らないけど」
会議室を押さえる事はADの仕事の一つである。
うちの番組の会議の人数は、AD二人を入れて八人だ。それでもBS番組にしては多い方で、他は番組にもよるが、十人行く事はないと思う。
ADが新人だと、三十人前後が出席するゴールデン番組(十九時から二二時)の会議なのに小会議室だったり、逆に十人未満の会議でだだっ広いリハーサル室が用意されていたりと、そんな珍事が度々起こる。
「所でユースケさん、カメラの前に立つの、もう慣れました?」
「全っ然。無理にテンション上げなきゃいけないし、腹から声を出さなきゃマイクに入らないとか、そんな序論な事から始めなきゃいけなかったから。トークもこれは言っちゃいけない、これくらいだったら多少きつく言っても大丈夫だろうとか、自己規制しながら喋らなきゃいけないしさ。タレントは凄いと思うよ」
「へー。大変だけど、慣れといて損はないですよね?」
「何、出たいの?」
「私、タレント業もこなせるマルチな作家に成りたいんです」
沢矢さんの目は野心に燃えていた。
「ふーん。(鈴木)おさむさんみたいな?」
「まあ、端的に言えばそうですけど、私は秋元康さんの方を目指してます」
「そうなんだ。大志があって良いとは思うけど、「端的に」って、おさむさんに失礼だよ。あの人だって会議に出なくてもエンドロールに名前載るし、ギャラもかなり入るの知ってるでしょ? 足元にも及ばない」
彼女は笑って「そうですね」とだけ言ってスルー。
「まずは小手調べに冒頭シーンに出演しても良いか、大石さんに打診するつもりです」
「そう。大石さんの事だから、多分すんなりOKが出るとは思うけどね」
その予想通り、大石プロデューサーはあっさり許諾し、沢矢さんはオレ達と番組冒頭に出演するようになった。自分の大志を奏功させる為、小手調べにテレビ出演。「欲望の下心」……。
「恩を売って秀吉を利用しようとしてたのは確かだと思う」
話が膨らむきっかけを作った水土さん。この人だって――
九月頃だったか、南青山(港区)の事務所<マウンテンビュー>で仕事中、一息吐こうと休憩エリアに出ると、水土さんが一人ソファに座ってコーヒーを飲んでいた。
「お疲れ様です」
「っあ、お疲れー」
オレもコーヒーを買って向かいのソファに座った途端、
「見てー、この前温泉に行ったの」
携帯をオレの方へ向け、彼氏とツーショットの写真を見せられた。二人共浴衣姿で、クラブDJの彼氏は顎鬚を生やし、浴衣の袖を捲っている。微笑を浮かべる彼氏のガッチリした二の腕に、破顔した水土さんがそっと両手を置いて寄り添っていた。ラブラブさが伝わる仄々とした写真ではあるが、今まで何回同じような写真を見せられた事やら……。
だから、
「相変わらず逞しい彼氏だね」
毎回お決まりの感想を述べる事を、オレは勝手に定着化させて頂いている。
「ユースケ君ってそればっかり」
「だって繊弱には見えないからさ」
「センジャク?」
「ああ、ごめん。ひ弱ではないでしょ? って言ったんだよ」
水土さんは「そういう事」と理解すると破顔した。
「彼の二の腕に触れてるだけで、女性ホルモンが出てるーって感じるの。雑誌で読んだんだけど、実際好きな人に触れてるだけでも出てるんだって」
「へえ。そうなると肌艶が良くなるんじゃない?」
「うん、張りが出るし、ボディラインにもめり張りが出て来るの」
幸せオーラを避けようとしてもビシビシ当たって来て、逃れようがない。
「人間の身体って精神やホルモンバランスで幾らでも変わるっていうしね」
「でもさ・・・・・・」
水土さんはそれまでの喜色満面からは一変し、表情を曇らせた。
「どうかした?」
「彼中々結婚に踏み切らないの。父親はお見合いを持ち掛けて来るしでさ。だから、お見合いを引き合いに出して彼に発破を掛けようか、結婚を強引に押し進めて父親を黙らせるか、どっちにしようかなあって。それが唯一の悩み」
悩みと言いながらもにんまりとしている。恐ろしや……。
「逆境を逆手に取るって訳か」
どちらにせよ、彼氏は人身御供のような気もするが……。とはいえ、「彼氏を出汁に使う下心」……。
「前もって布石を打っといたんだからな。常に先の事を考えて、この業界と同じだよ」
しみじみとしている多部。こいつは困った野郎で――
大石さんの勢いに押されて番組出演を承諾したものの、不安は大いなるもので、うちに帰っても払拭出来ないでいた。一人腕組をして「うーん、うーーん……」と唸り続けていると、多部から電話が掛かって来る。
『お前の事だから憂鬱になってるだろうと思ってな』
口振りからしてにたにたしているのが分かる。
「ああ、お察しの通りだよ」
「そんな事ねえよ。バカにしやがって!」口には出そうになるが、言った所で直ぐに看破されてしまう。良くも悪くも、オレの性格を知ってくれているから。
『オレは今からわくわくしてるよ。少しでもテレビに出演すれば顔が認知されて、クラブとかでテレビ関係の仕事してるって言っても信憑性があるからな』
「言われなくてもそうだろうと思ったよ。あんたの事だもん」
多部の明るい声を聞いていると、憂鬱にしていた自分がバカらしくなって来た。多部の言った事も本心。だが、オレにバカらしいと思わせる事を狙っての発言でもある。
『ユースケ、お前も女遊びしてみたらどうだ?』
急に神妙なトーンになった。
「はあ? 何だよいきなり」
『お前はチハルちゃん一筋だけど、彼女キャバだから客とデートする事もあるだろ?』
「まあ・・・・・・仕事柄仕方ないけどな」
『そうやって理解のある彼氏は彼女にとってありがたいだろうけどさ、片方は色んな異性を知り得ながら生きてるのに、もう片方は知り得ているのは恋人だけって、バランスわりーじゃん?』
「オレにクラブや合コンに行けと?」
『強要はしない。でも合コンくらいだったらチハルちゃん許してくれるんじゃないか? 別に二人で会う訳じゃないし、キスする訳でもない。合コン楽しめるようになったら、一皮も二皮も剥ける気がするけど、そんな気しねえ?』
「一皮・・・・・・そんなもんかねえ」
詭弁の中にも一理あるような気もする。
『一皮剥ける事を目指して、遣るからには楽しく遣ろうじゃねえか!』
「強引に前向きっぽく言うな!」
結局、オレは多部の詭弁に呑み込まれてしまう……。仕事の幅を広げ、それに伴い女性と触れ合う機会も増やそうともくろむ。「下種な下心の極み」……。
「画策の上にまた画策して、逆に策士策に溺れる結果になった例もあるけどね」
人の事をああだこうだ言っているオレも――
仕事とプライベート両面に於いて全くの消極的。困難に襲われてもコネクションに縋ろうとし、退路を探している自分がいる。「邪な考え」だと思念していながら……。「自覚ある邪な下心」……。
でも、先に挙げた五人もその下心を邪だと自覚し、多くの人間は分かって人生を歩んでいる筈だ。
下心――時によって快楽を齎し、良心の呵責を引き起こす。一番恐いのは、「それは邪だ!」と自分に警鐘を鳴らす手が止まった状態だ。
しかし、五人はよくオレに下心を打ち明けたものだ。それだけ信頼されていると捉えて良いのか、それとも単に人畜無害だと思われているだけなのか……。
「弔い合戦で秀吉が勝つと見越してたと思えば、その後に秀吉は信長の跡を狙って動き出すだろうとも予測が着いたろうね」
「だと思うよ。秋頼は家康と共同で反秀吉派の大名と同盟を結んで行ったんでしょ? そうやって自分と家康の存在を示して牽制したんだよ」
押方君のこの冷静な分析力――
「全ては秀吉の行動を見越しての対策だった。なるほどね」
大石さんは頷いた。
「それならオレの発言だって活きてんじゃねえかよ。勝家が勝ったって反勝家派の大名と同盟を結んだかもしれねえじゃん?」
「たーべディレクター、まーだ言ってんのか」
「事実、秀吉が勝ってるんですから。これに即しないとこの後の見解は成立しません。これは架空の小説を考えようって企画じゃないんです」
押方君は笑顔一つ見せずに真剣な顔。それに対し――
「あらポテチン・・・・・・」
多部の間の抜けた顔――
「なーんで鳳啓助なんだよ!? 皆さっきの大石さんのギャグの時よりきょとんとしてんだろ!」
鳳啓助。一九六○年代から八○年代に活躍した漫才師であり、喜劇俳優である。「あらポテチン」は、鳳啓助の代表的なギャグの一つであって――
「動画で観たんだよ! お前もよく分かったな」
「オレも動画で観たり本で読んだんだよ!」
「あんた達、昔の人をよく勉強してるね」
大石さんは素直に感心している。
「まっ、業界人としては。ね?」
「そうだな・・・・・・」
多部はこの空気を作った張本人のくせに、口籠もんじゃねえよ! とはいえ、大石さんの態度に二人共羞恥心が込み上げて来た事は確かである。
「秀吉は秋頼と家康に協力して貰った過去がある以上は、容易に戦を仕掛ける事は出来ませんよね?」
沢矢さんは冷淡に話を進めたが、その方がありがたい。
「そうそう。秋頼と家康の同盟軍が秀吉と対決したのは、一五八四年の小牧・長久手の戦いだけなんだよ。この戦いは力を強めて行く秀吉を警戒した、信長の次男、信雄が秋頼と家康に要請して三人から仕掛けたんだけど、両軍とも殆ど本陣に留まって睨み合いを続けるだけだったんだ」
「ぶつかり合いはなかったの」
水土さんは不思議そうに訊いた。
「一度だけ、秀吉軍が秋頼と家康の領国に侵攻しようとしたんだけど、二人はそれを察知して秀吉軍を追って奇襲戦を仕掛けたんだ」
「奇襲って突然襲うって事でしょ。そんな事されたら負けちゃわない?」
「その通り。不意を衝かれた秀吉軍は潰走する結果になった。大きな戦いはそれだけで、その後は両軍とも本陣に膠着したまま、結局秀吉から講和が持ち掛けられたけど、秋頼は拒否して休戦協定を結ぶ事になったんだ」
「それって、またいつでも戦いを仕掛けるぞっていう脅しじゃん?」
「それが狙いだったんだと思うんだよなあ」
ここまでの話で水土さんは頷いてはいるが、理解してくれてんだか……。
「秀吉にしてみれば、大敗を喫した二人にこれ以上刃向かってもプラスにならないって考えもあっただろうね」
「いやー押方、オレもそう思ってたんだよ」
多部は妙に朗々としている。
「嘘付けやお前!」
「オレも良いコメント出したいんだよ!」
「あーあ、本音が出ちゃった」
「ハハハハッ!」
大石さんはオレ達の遣り取りを楽しみながらも、
「秀吉は気遣いで人心を掌握する技術に長けた人物でもあるよね」
「話を進めろ」と目で指摘している。
「済みません・・・・・・」
一応頭を下げた。
「主君信長が信頼を置いていた二人、まして過去に協力して貰った相手と対戦し続ければ、全国の大名に対する自分の心証にも傷が付きかねないと判断したんだと思います。それに、もっと詳しく言えば、秋頼と家康の連合軍の兵力が約三万だったのに対して、秀吉軍は約十万だったんです。三倍以上の兵力を持ちながら秋頼と家康を打ち破る事が出来なかったって広まれば、それもマイナスですからね」
「秋頼と家康はそれも折り込み済みで、自分達の力を顕示する道具として秀吉を利用した・・・・・・」
沢矢さんは考えをまとめるように言った。彼女の言葉に、皆無言ながら納得して頷いている。水土さんを除いては……。
「前半はその見解で行こう。じゃあ一区切りして休憩しようか? 年越しそば用意したから」
大石さんは立ち上がると、買い物袋を机の上に置いた。大体予想は着いている。取り出されたのは、やっぱりカップの即席麵=年越しそば、である。
仕出し弁当を食べ、そばを啜っているさ中、押方君が用意して来た音楽を聴く。
マライア・キャリーの『恋人たちのクリスマス』。クリスマスは一週間前に終わりましたけど……。『あゝ人生に涙あり』。『水戸黄門』のテーマソングと言えば分かって貰えるだろうが、初めてフルで聴いた。そして人気演芸番組『笑点』のテーマ曲……有名な曲ばかりではあるが、
「ねえ、曲が統一性ゼロなんだけど」
本当は「何じゃいこの選曲は!?」と突っ込んでやりたかった。
「そうだよな」
多部を始め皆も失笑している。
「テーマは爆笑じゃなくて「失笑してしまうBGM」」
押方君は明言。
「そりゃ失笑はするだろうけどさあ・・・・・・」
確かに彼の狙い通りの結果にはなった。改めていうまでもないが、押方哲郎、全く摑み所のない得たいの知れない人物である――
しかし、次に流れ始めた中島みゆきの『時代』になると、皆は感慨無量の表情になる。人に歴史あり。歌詞の通り、人は年を重ねている程、色々な経験を辿り現在に至っている。曲が良い演出効果となり、走馬灯のように回想しているのかもしれない。
「あんな時代もあってこーんな時代を送ってますよ」
態とやけくそに言ってやった。
「ねえ、この雰囲気を利用して「告白ゲーム」遣らない?」
大石さんは妙案が閃いたと喜んでいるが、皆は一斉にきょとんとした。
「その前にトイレと一服しても良いですよね?」
立ち上がった押方君の表情には難色が表れている。彼も素面で本心を告白する事が苦手のようだ。
「オレも行って来ます」
会議が始まって三時間以上、トイレにも立たなかった。
「私も行きたかったの」
大石さんは早足でドアの方へ向かう。言い出しといて自分も席外すんかい!?
大石さんと多部、押方君と喫煙ルームに入った。
「さっき言ってたの、何を告白するんですか?」
「言える範囲で現在や過去、もう時効の事なんかを告白するの。下心の源って経験や思念じゃない。それを言い合ったらもっと気の置けない仲になるんじゃないかって思ったから。『ウチトロ』が継続不可能になりそうだったら、詰めて行けば使えるかもしれないし」
企画は遊びの延長線で生まれる事も多々あるが――
「下心を告白するのって、結構エネルギーいりますよ」
押方君の言う事は強ち間違いではない。下心を語る事で溜飲が下がる場合もあるが、そこに至るまでにはタイミングを計り、言葉を選ぶ必要もある。
「気の置けない仲になれば良いけど、逆に反感買ったり諌められたりする事もあるから。それを受け止める精神力も必要だよね」
良くも悪くも精神的ストレスが掛かり、エネルギーを必要とする作業である。
「お前ら真面目か! そう難しく考えなくても良くないか?」
多部は失笑している。
「笑える範囲のやつだけで良いんですよね?」
「そうよ。二人の気持ちは分かるけど、何も深刻な事まで言えって言ってる訳じゃないから。これは言える言えないって、誰でも心にリミッターを持ってるでしょ?」
「心のリミッターですか。良い表現ですね」
リミッターを掛け過ぎる人は、あらぬ誤解を持たれてしまったり、外した人は、どの分野かで余程の才能を持っているかでないと、只の直情径行と判断され、孤立を深めて行く恐いもの。
納得したのか解せないのか、何とも形容出来ない心境で会議室に戻った。押方君も釈然としない表情。
大石さんは水土さんと沢矢さんに対し、改めて「告白ゲーム」のルール説明をする。水土さんは一応納得した様子だが、沢矢さんは上を向いて勘考している。
「企画になるんなら、過去の過ちや苦労を笑いに変えて心機一転して貰う、みたいな意図になるのかな? 端的に言えば」
沢矢さんが勘考していたのは企画案の事だった。流石は常に先の事へ頭を働かせる、放送作家の鏡。
「似通った境遇や同じような失敗をした人が、元気になってくれれば良いけどね」
大石さんは穏やかに締め括り、次に進めたいようだが、
「タレントならそれで良いかもしれないけどさ、一般人がどれだけ喋ってくれるか」
多部はニヤリとして沢矢さんを窺っている。
「一般人にまで広げるつもりか?」
「それも面白れえじゃん?」
人の境遇を笑いに変えるのは非情で失礼である。でも、テレビに求められるのは面白さであるのも現実であり、ディレクターは貪欲に面白さを追及する生き物だ。
「一発芸とかじゃないからな。インタビュー形式や顔を隠さないと、カメラの前で下心を言って貰うのは難しいぞ」
芸能人が本音を語り合う番組があるが、言わずもがな、あれも事前に打ち合わせをしている。番組が用意した演出と、芸能人の「カメラを忘れているかのように見せる演技」の腕が合わさり、初めて成立するもの。それを一般人に求めるのは、これこそ言わずもがな無理に等しい。
「競い合って一番になった人には賞品を出すとかにしたら、気持ちは違うと思いますけど?」
沢矢さんの顔――
「賞品を出す程の予算はないだろ? それ以外の方法を考えるのが、あんた達の仕事じゃね?」
多部の顔――
二人共食って掛かる様相で、今にも牙をむき出しそうだ。作家の意見に異を唱えるのもディレクターの仕事の一つではあるが。
沢矢さんは多部から目を逸らし、薄笑いを浮かべて鼻から強く息を吐いた。
「まあその事は後で考えるとして、取り敢えず遣ってみようよ!」
大石さんは顔は笑っているが、口振りは明らかに業を煮やしている。
「そうですね。そうした方が良いと思うよ、あんた達」
多部と沢矢さんに目を合わせて念を押した。
「じゃあ誰から行く?」
大石さんが皆を見回す。
「オレから行きましょうか」
多部が手を挙げた。
「皆さん傾聴しといてください」
勿体振りやがって――
「ハードル上げて、それだけ勉強させて貰える内容なんだろうね?」
多部は意味深な笑みを浮かべている。
「実は今日、先月クラブで知り合ったCAと合コンする予定でした。それが十九時からでさ、さっきから後輩から状況を知らせるメールがバンバン届いてます」
皆が吹き出した。「やっぱそんな内容か・・・・・・」という雰囲気が流れる。それを察知した多部は、
「当然、仕事の方が大事だよ。でも合コンも気になる。現実と欲望がせめぎ合う事って、皆もなくね?」
絵に描いたようにテンパっている。さっき途中で席を外したのは、後輩からのメールをチェックする為だったんだな。
「同意を求めんなよ。あんたの話題ってそればっか。よく最初に手を挙げたな?」
「じゃあもっと深い内容の話しようか?」
多部は開き直ってふて腐れている。
「クラブや合コンで女性と触れ合うのは、オレなりに仕事に活かす素材集めでもあるんだよ」
そういえば以前、仕事の肥やしにしていると洒落で言っていた。
「山梨の田舎から上京した当時は只、楽しんでるだけだった。その後この業界の仕事に就いて感じたのは、精神の若さが必要不可欠だという事」
多部の顔は真剣だ。皆こんな表情は見た事がないのだろう、誰もが黙し聞き入っている。オレも長い付き合いで、多部が真剣な表情で仕事の話をする姿は、数回しか見た事がない。
「若い子達と話を合わせる為には、自分も若くなきゃいけない。それが仕事に於いて柔軟な発想を生み出す鍵になるし、場を盛り上げる技術も磨ける。だから現場で活かせるんだよ」
仕事の肥やしとは、そういう意味だったのか。一見チャラ男に見え「チャラ男D」と呼ばれているが、実は仕事に対して一本気で、真摯な性格の奴なんだ。
「ガチな話をしましたね」
押方君は爽やかな笑みを見せた。多部はそれを見て照れ臭そうだ。「言っちゃった・・・・・・」とでも思っているのだろう。
「ガチな話を聞けて良かったんだけど・・・・・・」
水土さんは敢えて先を言わなかった。思った事を直ぐ口に吐く人が、珍しい。
「何真面目に語っちゃってんの?」
「きっかけはお前だぞ!」
多部はオレの理不尽な突っ込みにご立腹。
「チャラさがないじゃないか! チャラさが」
「実はチャラ男に成り切ってるだけとか?」
沢矢さんもにやついて多部を追い込み、
「この前クラブで踊るのしんどくなって来たって言ってたじゃん」
大石さんも加わる。
「そんなの冗談ですよ! クラブと合コンなきゃ死活問題っすから」
多部は態と軽い口振りで否定するが、その姿は何とも痛々しい――
「お前演じてるだけで、某芸人と同じだな?」
「某芸人って例えは止めろ! クラブ、合コン最高っす!」
「痛々しっ・・・・・・」
「多部君はチャラ男って事にして、さあ、次は誰行く?」
「適当に片付けないでくださいよ!」
大石さんにあっさり流され、多部は不完全燃焼な事だろう。それも全っ部、痛々しい――
「じゃあ私行きます」
水土さんが手を挙げた。普通だったら中々手が挙がらない状況だろうが、この業界の人間は、受け身だと仕事をなくすと教え込まれている事もあり、比較的積極的な人が多い。オレを除けば……。
「今日、彼氏とホテルに宿泊して、年越しする予定になってるの。正直、始めはそっちの方に気が向いていました」
なーるほど、人の意見に賛同して早く切り上げようとしていたのはその為か。
「相変わらずラブラブなんだね」
大石さんは少し羨ましそうだ。
水土さんは一瞬破顔した後、
「でも、さっき父親からメールで上京したって連絡が入って・・・・・・」
表情を曇らせた。
「親父さんが上京して来たら嫌なんですか」
押方君が訊く。表情が曇れば誰だってそう思う。
「別にそんな事ないんだけどね」
水土さんは笑顔で取り繕ったが――見合い話を持ち掛けてくる父親とは、なるべく顔を合わせたくないのだろう。
「後、彼氏と結婚出来たら作家を辞めようって思ってるんです。彼が「ずっと守り続ける」って言ってくれたし、家庭に入って落ち着きたいから」
「そんな勿体ない事言わないでよ」
大石さんは心から惜しんでいる。
「専業主婦で成り立ってる家庭が今どれだけあるか、知ってんでしょ?」
多部は水土さんの言葉に現実味がないと感じているようだ。
「まだ先の事ですから。それまでは貯金を貯める事にしています」
水土さんの表情には迷いが感じられる。彼と結婚したいのは本心だろうが、「家庭に入って落ち着きたい」との言葉は訝しい。
「放送作家は四十歳が定年」という言葉がある。作家成り立ての頃、先輩作家に教えられた。作家は瞬時に発想を転換させ、言葉を引き出す瞬発力が求められる。頭は常に回転した状態で、精神的、体力勝負の職業でもあるのだ。
オレの勝手な推察だが、水土さんは毒舌家ではあるが、基本的には和みムード漂うおっとりとした人。「落ち着きたい」の言葉には、この業界に限界を感じている気持ちが裏打ちされているのではないか――
共に仕事をして来た同期が辞めようとしている。寂しさを覚えるのと同時に、何とかして翻意を促せないか、方法を模索している自分もいた。気持ちが下がるオレとは裏腹に、
「次は誰行こうか?」
大石さんは切り替えが早い事――数分前まで惜しんでいた人が……。人間って、最後は冷たいのだろうか?
「私行きます」
沢矢さんが手を挙げた。
「今日は寝不足のせいか、昼間っから性欲が高ぶってるんです」
のっけから大胆過ぎる内容。プラス、今まで彼女からそのような言葉は聞かれなかっただけに、皆呆気に取られた。
「早く帰りたいけど、仕事を中途半端にするのは嫌だから欲求を抑えてるけど、もうこの時間がもどかしくて」
そうか、だから先へ先へ急ごうとしていた訳かい――
「どうしたの加奈ちゃん?」
大石さんの言葉には、驚きの中に心配が交じっている。
「水土さんがいるんで今まで黙ってましたけど、私にも同棲中の彼がいるんです。お互いに性欲が強くてSEXの相性も良いんで、うちにいる時はお互いほぼ全裸で過ごしてます」
彼女は真顔で朗々と公言した。その姿は水土さんにガチで挑んでいる……としか思えない。
「おいおい加奈ちゃん、ぶっちゃけ過ぎじゃね?」
多部は言葉で心配して、表情は何かを期待してやがる。
「二人共全裸で生活してるって、只の獣じゃん?」
水土さんはいつものようににこやかに仰った。そして今の一言で、沢矢さんの目が水土さんにロックオンしたのを、オレは見逃さなかった。
「SEXは最大のスキンシップですよ。好きな人に全てを見られて良い緊張感にもなるし、ボディラインが引き締まる方法の一つです。水土さんも年齢的に見られて緊張感持つ必要があるんじゃないですか? 私よりも」
「沢矢爆弾」、発射!
「スキンシップはそうだと思うよ。でも恋愛ってそれだけじゃないじゃん。SEXの為に裸でいるなんて、本能丸出しで徳が低い」
「水土刀」は爆弾をバッサリ真っ二つにした。
「こういうゲームだから告白したんです! 普段は二人だけの秘密で楽しんでるんですから、文句ないでしょう? いつも二言目には「ラブラブなの~」とか言ってる能天気な人には分からないでしょうね」
「沢矢爆弾」、再び発射!!
「私達はSEX以外でも愛を育んでるの。喧嘩しても分かり合うまで徹底的に話し合う事で、絆が深まる。最後はハグしてキスすると凄く幸せ。欲望だけじゃなくて理性も持たなくちゃね」
「水土刀」、今度は峰打ちで爆弾を撥ね除けた。
毒舌――オレが知る範囲、毒舌の人には二パターンある。純粋な性格で、思った事も素直に吐露してしまう水土さんタイプ。それと、自分にも人にも厳しく接している沢矢さんタイプである。
毒舌の人を見ると、いつも決まって何とも形容し難い気持ちになる。憧れというのか不可解というのか、自分にはないものを持っている人なんだと理解するしかない。
「水土さんに言われなくても理性だってちゃんと持ってますよ!」
「でもSEXで愛を育む方が多いんでしょ?」
水土さんは刀を振り続ける。
「それはそうかもしれませんけど・・・・・・」
沢矢さんは突然意気消沈してしまう。
「何かあったね?」
押方君は沢矢さんに鋭い目を向けた。
「実は・・・・・・こないだ彼が一週間、「出張だ」って言って帰って来なかったの」
沢矢さん……この状況で今の言葉は命取りだよ。
「一週間も出張っておかしくない? この業界の人?」
ほら見ろ。水土さんのにこやかさには喜色が交じっている。
「一般の企業に勤めてる人ですけど、研修だったかもしれませんから!」
沢矢さんは語気強く言うが、それが尚一層痛ましい――
「ディレクターとかだったら、編集や番組立ち上げで何日もうちに帰れない事はあるけどね」
痛ましいと思う一方、いつも凛としている人が追い込まれて行く姿が面白くもなって来た。
「メールや電話はしたんでしょ?」
水土さんは口振りはやんわりだが、抉りは大きい。
「・・・・・・返って来なかった・・・・・・」
さっき語気強かったのは負け惜しみだったか――
「それは怪しいよ。好きな人を心配させたくなかったら、普通メールくらい返すもん」
「・・・・・・」
『バサ!』沢矢加奈敗れたり――
「カンカンカンカンカン!! はいそこまで。これ以上はもう切りがないよ」
これにて泥仕合終了。多部には、「楽しませて貰ったよ」という気持ちが溢れている。わっるい笑顔な事――でも、確かに面白かった。
水土さんは澄ました笑みを浮かべ、沢矢さんは苦々しい顔をして席に着いた。
「次オレ行きます」
押方君は早々と言った。この殺伐とした空気を一刻も早く変えたいのだろう。
「オレの「♪ なーなーなーなー――」っていうネタ、あれは二一の時、三つ上の兄貴が不慮の事故で亡くなった時に誕生したんです」
彼の発言で、ついさっきまでわあわあやっていた事が嘘のように、室内は空調の音しか聞こえなくなった。
「そんな事があったんだ?」
人が亡くなっているのだから、これ以上踏み込んだ質問は出来ない。押方君もそれは分かっているらしく、オレの言葉に「うん」と相槌を打つと、なるべく暗くならないような言葉を選んでいるようだ。
「当時のオレはバイトもしないで実家でニート暮らしでした。定職に就いて実家に金を入れてた立派な兄貴が事故で死んで、オレみたいな人間失格者が生き続けてる。それに納得が行かなくて、兄貴の祭壇に向かって「♪ なーなーなーなーなぜなのー! こーんーなーのーおかしいよー!! ♪」って叫んだ。そしたら「ふざけんな!」って直ぐに抓み出されちゃいましたけど」
押方君は明るく言ったので笑っても良いのだろうが、流石に声を上げて笑うのは憚られ、皆声を押し殺して笑っている。
彼の代名詞となっているギャグには、兄を失った悲しさと悲痛な叫びが裏打ちされていた。
この業界は耳目に入ったもの全てが財産となり、いつ活用出来るか分からない世界だ。非道だが、人の死だってネタになる事もある。そういう点では、一般とは掛け離れた意識で生きる人間の集まりだ。
「でも、てっちゃん(押方君のあだ名)も毒舌キャラで人を笑わせて楽しませるっていう、人間合格の部分を持ってるじゃん」
沢矢さんは微笑み、優しい口振りだ。
「それだって、精神的苦痛を感じてるからこそ為せる技だよ」
押方君ははにかんで笑っている。
「売り込んで行かなくちゃ直ぐに消える世界だから、大物に対して「ジジイ!」「ババア!」って毒突くのも、少しでも注目を集める為だからさ」
浮き世で溜って行く心の老廃物。芸人にとっては、ライブやスタジオでウケる事でデトックスされているのだろう。
押方君が終わったという事は、次はオレ。そしてどんじりが大石さんである事は、容易に予測が出来る。
皆も公言する事ではないぶっちゃけた話をした流れがある為、「ふっ!」と息を吐き意を決した。
「オレだって、子供の頃は多部みたいにテンションが高くて、親から「喧しい!」って言われるくらいの性質だったんです」
「そうなの?」
大石さんが一番目を丸くした。
「けど中学の時に苛めを受けて、そのせいにしちゃいけないけど大人しく、変声期でハスキーボイスになった声も、一層ハスキーボイスで低くて籠った声になっちゃった。それで定時制の高校に進学したんだけど、バイトもせず家に引き籠もりがちで昼夜逆転した生活を送ってた」
自分から苦笑するしかない。
「今のユースケさんを見てると、全然そんな風に見えないですけどね」
「うん、私も聞いてびっくりした」
「いつも笑顔でいる印象があるから意外だよ」
沢矢、大石、押方の三名は、まじまじとオレを見ている。
そんな中、
「ご両親は知ってるの」
水土さんの問い掛けには吹き出してしまう。
「そりゃ知ってますよ。何せ親ですから・・・・・・今まで何度も「そんな風に見えない」って言われては来たけど、人は見掛けによらないって事ですよ」
努めて明るく言っているので皆笑ってくれてはいるが、多部だけは微笑して何か納得したように頷いている。
「オレはお前の過去を何となく推測出来てたけどね」
「どーして分かったんだ」
態と濁声で訊いた。
「誰の真似なんだよ? 何年お前と付き合ってると思ってんだ。人一倍心配性だし悩みも多いだろうから、「心の闇」には気付くよ」
多部は笑顔から真剣な顔付になる。
「そっか。今まで色んな紆余曲折がありましたよ。両親と衝突したり、作家に成る前はデパートでパート遣ったり派遣のバイトもしましたけど、「声が暗い」だの「君の事だからまた沈鬱してたんだろ?」って言われたり。バカにしやがって! って思いましたけど、口には出せなかった」
オレも真剣な顔付になって話した為、皆も静かに聞き入ってくれている。
「されるがまま、言われるがまま。沢山の人を困惑させて傷付けて、自分も傷付いて・・・・・・」
「誰も得しないよね」
大石さんは切なそうな顔になった。
「確かに今でも沈鬱する「魔の時間帯」があるんです。何かが背後から迫るような気がして怯える。「どうぞどうぞ」って道をお譲りするんで、いっその事、迫るんじゃなくて追い越して頂きたい。他にも無性に死にたくなって、何で人間は何十年も行き続けるんだろうって思いますよ」
「どうしてそんな事言うの?」
水土さんが悲痛な表情をしている。
「ごめんね。あなたより長く生きてて」
大石さんは膨れっ面に笑みを交えて言った。苦笑して軽く頭を下げたが、勿論、大石さんがいる事を分かった上での発言。
「それは苛めが原因じゃないだろう。お前の性質。でも、作家に成ってからお前の子供の頃の明るさは戻って来てんじゃね?」
多部は口振りは素っ気ないが目は優しい。
「でも人間って面白いもので、沈鬱してる時でも「今夜肉が食べたいなあ」とか、ふと思ったりするんです。心は死にたいのに頭は生きようとしている。冷静に見れば「どっちなんだ!」って突っ込みたくなりますね」
皆は笑っている。それが「苦」なのか「失」なのかは分からないが――
心をくらーくして、様はなくしようと思えば幾らでも出来る。でもその中に「苦」が付いても笑いを意識的に取り入れて行かないと、本当に潰れてしまう。
それが、最近やっと見出した自分の性質との付き合い方だ。
「ユースケ君は大丈夫よ。十分明るいし」
大石さんの顔は、我が子を見守る母のように優しい。照れ臭く笑って一礼した。
「それじゃあ、最後は私ね・・・・・・」
大石さんは急に口を一文字に結び、思案に暮れているようだ。皆一様に不審がる空気が流れる。
「・・・・・・私にも、この仕事が終わったら死のうと思い続けてた時期があったの」
徐に出た言葉に、皆相槌も打たずに大石さんに注目している。
「今でも二四時間明るい訳じゃないんだよ。一人で泣き疲れるまで泣く日だってあるし」
「人間ON・OFFがあるのが当たり前ですからね」
大石さんは「そうよ」と答えて頷いた。
でも、人間にON・OFFがあると分かっていながら、普段明るい人が苦悩を口にすると意外に思ってしまうのは、何故なのか――
「ずっと死のうと考えてる内に分かった事は、死について考えてる人に限って、案外長生きするんだよね。それでいて、押方君のお兄さんのような殊勝な人が夭折したり。そういう観点で観れば、世の中って不条理だよね」
大石さんは皆にというより、オレに対して言っている。
「ユースケ君の人はどうして何十年も生きるのかって疑問に答えるなら、苦悩しながら生きている中で、歓喜って突然訪れたりするじゃない? その歓喜を追い求めるからこそ、何十年も生き続けられるんじゃないかって、私は思うんだけど」
大石さんはオレの目を確りと見詰めている。その目は「どう? 間違ってる?」と訴えているようで、凄い目力である。
「価値観は年を重ねるごとに変化して行くもの。ユースケ君が十年、二十年後にどうなってるのか、遣りたい事が沢山出て来て、もっと長生きしたいって考えてるかもしれない」
大石さんの目は真剣なまま、にやりとした。
「人の心も諸行無常って事ですか・・・・・・」
自分が四十過ぎのオッサンになった時、どんな状況に置かれているのか不安も感じる。でも敢えておこがましく考えると、今より技術力も高まって、放送作家以外の仕事にも進出しているかもしれない。そう考えれば、少し楽しみでもある。
人が何十年も生き続ける理由は、歓喜を追い求める事と、少しでも理想に近付こうと、未来に楽しみを持ち続けているからなのだろう。
「さっ! 歓喜を摑む為に会議を再開しよう」
大石さんは拍手を打った。
「秋頼と家康は自分達の力量を顕示する為に、秀吉に戦を仕掛けて利用した」前半はこの線でまとまったが、もう一つ気になる点は――
「何で家康のサポートに回ったのか、だよね?」
押方君はオレの疑問を見透かしていた。
「そう。家康と共同で伊達政宗や北条氏政、長宗我部元親といった全国の反秀吉派の大名と同盟を結んで、秀吉を追い込んでは行くけど、天下は狙ってなかったと思う。天下を治める器量は家康が一番上って判断したからって言っても、理由はそれだけだろうか?」
「戦国大名でも、取り分け本州中央の大名なら、天下を狙うのが普通って確言しても良いでしょうしね」
沢矢さんも不思議そうだ。
「自分じゃ天下統一出来ないって悟ったからだろーよ」
多部の顔は少し疲れているように見える。
「そうなのかもしれないけど、サラーっと流す訳にはいかないだろ」
「皆忘れてない? 下心だよ下心!」
水土さんの喚起で全員が「ああ!」という顔付になった。
「それオレに言わして欲しかったなあ」
多部は――
「悔しそうな顔しやがって。誰が言ったって同じだろう。このでしゃばりディレクター!」
「そこまで言うか!? 「チャラ男D」の次は「でしゃばりD」かよ」
「マイナスイメージばっかだな、多部も」
「ハハハハハッ!・・・・・・」
声高に笑う大石さん。「フンッ」と鼻で笑う押方君と沢矢さん。水土さんは、無表情で資料を読む――
「水土ちゃん、知らないからってあからさまに聞き流さないでくれよ」
多部の突っ込みに、
「だって会議に集中したいんだもん」
水土さんは大いに不服である。
「さっきまで早く切り上げたいって思ってた人が」
「オレだって会議に集中して早く切り上げたいんだからな!」
多部は全く動じない。その図太い神経、ある意味リスペクト致します。
「早く合コン行きたいんだろ? こんなんじゃ進まないだろ・・・・・・」
「家康のサポートに回るって見せ掛けといて、実は家康をも利用しようとしてたんじゃないかなあ」
押方君は鼻で嗤ったきり、後は何食わぬ顔をしていた。襟を正してくれるには十分な態度だ。
「確かにサポートって言っても、秋頼は家康より三歳上だからね」
「自分は尊重されるって分かってたって事ですよね?」
沢矢さんはペンを指でクルクル回しながら言う。
「年上の人にサポートして貰ったら、気を遣うもんね」
水土さんも一応納得した顔を見せた。
「その観点だと、後の事も辻褄が合う。秀吉包囲網の計画は秋頼と家康の共同政策とされてるけど、殆どは秋頼の主動で行なわれてる。そして家康が天下を取った暁には、自分は黒幕的立場で政治経済を司どろうともくろんでいた」
「秋頼の本拠の神戸って、平清盛の本拠地でもあったよな?」
多部はオレをもっとヒートアップさせようともくろみ、にやつく。
「神戸は平安時代に福原と呼ばれていて、武家政権を樹立した清盛の本拠地だった。秋頼が徳川政権の黒幕となっていれば、神戸は再び政治経済の実質的な中心地になっていたかもしれない。現に秋頼は清盛の戦記を熟読したと伝えらてるしな」
「憧れを持ってたのかもしれない。けども」
多部が合いの手を入れた。
「秋頼は一五八九年三月八日に病死して、野望は幻になった。結局、翌年に天下は秀吉によって統一される」
一人の世界に入りまくし立ててしまった。多部の思う壺……。
「以上が推測によるストーリーです。ご苦労様でしたー」
多部は満足そうに嗤う。
「保身や野望の為に仲の良い人も利用するって、なーんか悲しいね」
水土さんは誰に言うでもなく呟いた。
「協力し合ったり裏切り合ったり、自分の思惑を現実化させたり御家を守る事は、武将の本能みたいなものよ」
大石さんは宥めるような口振りだ。
「保身の心は現代人でも少なからず持ってますからね」
押方君は自分を顧みている様子。
「人間の本質って、昔も今も変わってないのかもね」
沢矢さんは押方君と目を合わせた。
「でもさ、これまでに出た話は飽く迄も推測だから。な」
多部に問い掛けられ、無言で頷いた。
「企画意図の通り広い視野で見れば、純粋に家康と協力して良い国作りを目指していたのかもしれないし、人によって色んな見方がある。そういった点でも、歴史は面白い」
「へー。そうやって見ると面白くなるんだあ」
水土さん、心ここにあらず……この人が歴史に興味を持つ日は来ないのだろうて。
「今出来たストーリーを元にして、真下秋頼を主役にした作品は出来ないかって、プレゼンする企画を盛り込んだらどうでしょう?」
押方君は大石さんを窺っている。
「ああ、面白いかもね。この人物が主役の作品を観てみたいかどうか、視聴者にアンケートしてみようか?」
大石さんは多部に振り、
「観てみたいが半数を越えたら、THSのドラマプロデューサーに制作を打診してみるのも良いですね」
企画は別方向にも膨らみ始めた。プロデューサーとディレクターのアンテナに引っ掛かった案は、
「大手に限らず、映画会社に持ち込んでみるのも良いかもしれませんよ」
オレも乗っかり、
「だったら、小説家の人にも打診してみては?」
沢矢さんによって更に肉付けされた。
「多方面に声を掛けた方が可能性は広がるよね」
水土さんの妙に澄ました口振り――何処か引っ掛かる感はあるが、言葉には異存はない。
「じゃあアンケートで観たいが半数越えたら、うちのドラマプロデューサーと映画会社、それと小説家の先生に制作を打診してみるっていう、押方君の案も盛り込む事で決まりね」
大石さんは満足そうな笑みを見せた。
「皆それぞれ意見出したんだから反対じゃないよな?」
多部が念の為に確認すると、四人の作家は「ありませーん!」と声を揃える。
「よし! 今日はこれで終了。お疲れ様!」
大石さんが立ち上がると、皆も「お疲れ様でしたー」と言いながら立ち上がって伸びをしたり、帰り支度を始める。
そういえば、結局、島田君は戻って来なかった。ADは会議以外でも大変な仕事だあ……。
素早く荷物をバッグに仕舞い、真っ先にドアに向かったのはやっぱり多部と沢矢さん……特に用はないが、自然と小走りしてドアに近付いている内、顔はにやついていた。
「お二人さん良いお年になりそうだね?」
「ああ、代官山(渋谷区)がオレを呼んでるんだよ」
「私も吉祥寺(東京・武蔵野市)が帰りを待ってるんで」
二人は喜色満面、にやにやしやがって――
「代官山って事は、レストランバーか?」
「そうだよ。新年から手痛い出費になるぜ!」
多部は言葉の内容と表情が一致していない。
「私はマンションで朝まで燃え上がります!」
沢矢さん……アルコールは入っていない筈だけど、ぶっちゃけて吹っ切れたんだろうな。さっき水土さんと遣り合った時の苦々しい表情は微塵もない。
「多部亮は「たべごろ」の女を探して「りょう(漁)」に出て、沢矢加奈は「さわやかな」性生活を送る……っか」
考えていた訳ではないが、瞬時に流暢に出て来た。
「上手い!」
多部が左手の親指を立て、
「ハハハッ! 座布団一枚!」
沢矢さんが右手を口に当てて声高に言うと、二人は走り出した。二人のリアクションで急に恥ずかしさが込み上げて来る。
「赤い着物の人が何処にいるんだよ!? 廊下は走るな!」
二人の後ろ姿を見ながら、今日の会議のキーワードである下心と、もう一つの言葉を思い返した。本音――時によって闘志となり、隠す事で生身がさいなまれたりする。本音も下心も、生まれた時からインプットされている、心の働き。
そんなたわいのない事を考えていると、
「ユースケくーん!」
大石さんがドアを開けて立っていた。
「一服しに行こっか?」
「そうですね」
押方君も加わり、何故かこの人も――
「水土さんって喫煙者だったけ?」
「たまにね。思い詰めた時とかに」
今まで吸っている姿を見た事がない。思い詰めているのは、父親の上京だね? 直ぐに推察出来たが、口には出すまい。
喫煙ルームに入り、さっきのたわいもない考えの続きを考えた。
「下心と本音の事を考えて思ったんですけど、人間って自分から望みや苦しみを作り出したりして、変な生き物ですよね」
「これかあ、「ユースケのスペクタクルな話」って」
水土さんは物珍しそうにオレを見ている。
「何だよ、それ?」
「坂木社長や陣内さんが言ってるよ。ユースケ君は直ぐ物思いに耽って「人間は・・・・・・」とか言い出すって」
坂木舞社長はうちの事務所の社長であって、性別は女性だがトランスジェンダーなお方。陣内美貴さんとは、作家見習いの頃に教育係を担当してくれていたお方。
「オレは真面目に言ってんのに嗤われとんのかい・・・・・・」
「オレもその話聞いた事あるよ」
押方君は笑いを噛み殺している。
「だから、真面目に言ってんだから嗤うとこじゃねえっつーんだよ!」
「フフフフフッ・・・・・・でも変な生き物だからこそ、世の中を動かす事が出来るんじゃないのかな。望みを持った人同士が集まって何かを作り出したり、苦しみを抱えている人には、望みを持った人が助力する」
大石さんは終始、微笑を崩さなかった。
「そうやって補い合ってるからこそ、社会が成立してるんだよ。これで解決した?」
水土さんも微笑を浮かべ、オレの右肩に手をそっと置いた。
「そんなもんなのかなあ・・・・・・」
「恐竜の時代にはそうはいかなかったんじゃないか?」
押方君も優しく諭すような口振り。
「ユースケ君、二人の説得で解決したんじゃない? 正解なんて出ないよ。帰ろっか? 皆良いお年を!」
大石さんが出口に向かい、これにて本当に解散。
オレは練馬区内にある彼女の自宅マンションに帰り、押方君は芸人仲間と飲み会があるらしく、そちらに向かった。水土さんは父親に何と返事したのかは知らないが、彼氏が待つホテルに向かったのだろう。
年明け初の会議ではブッキングする出演者達を決めて行き、二月下旬、『この世に埋もれた殿方』の収録は行なわれた。
三月中旬に放送され、「真下秋頼が主役の作品を観てみたいと思いますか?」と視聴者にアンケートした所、サイトを通じて三一二件の投票があった。
内訳は、「思う」が一六四票。よって、ドラマプロデューサーや映画会社などに企画を売り込む事になるのだが……話は年明け初の会議まで溯る。
会議が終わり、皆が席を立とうとすると、
「ちょっと良い?」
大石さんが神妙な面持ちで立ち上がる。
「皆に報告しなきゃいけない事があるの」
室内が静まり返る。大石さんの顔を見れば、良い知らせではない事は容易に予測が着く。
「番組が・・・・・・三月中旬の放送で終了する事が決まったの。私が聞いたのも三日前で、思わず放心しちゃったんだけど」
皆黙り込んで無反応。番組の終了はいつも急であっけない為、みんな慣れているのだ。オレ達にとっては急な話だが、上層部内では十二月中に決定していたのだろう。
「正確に言うと、タイトルを変えて、地上波のゴールデンで再スタートされるの」
「だけど、オレ達は外されるんですね?」
多部が控え目な口振りで言う。
大石さんは無言で頷き、
「部長に、私は外れても構わないけど、せめて他のスタッフは残して欲しいって懇願したの。だけど、部長は「社長の指示だ」と言って聞き入れて貰えなかった。力が及ばなくて、本当にごめんなさい」
悔しさを押し殺した様子で伝え、頭を下げた。
その後の話では、地上波でスタートさせる理由は、「BSで基礎付けされたコンテンツを、地上波で完成形にさせる」との事。特に好評だった企画と、秋頼を主役にした企画の売り込みは引き継がれるのだという。
「大石さんは僕らの為に懸命に遣ってくださったんですから、何も謝る事はありませんよ。僕らの方こそありがとうございます」
「ユースケの言う通りですよ。でも山下社長は功に逸ってますね」
多部は苦々しい表情で下唇を噛んだ。
「新番組は私達よりベテランのプロデューサーやディレクター、作家を起用するそうだから、そこからも社長の気持ちは読み取れるよね」
大石さんは切ない笑みを浮かべた。
逸る山下社長の気持ちも分からなくはない。高改編を敢行したにもかかわらず、未だに視聴率首位奪還は実現出来ていないのだから――
「一方的な気持ちを言うとさ、なーんか美味しいとこ取りされて追い出される感じだね」
水土さんは静かなトーンだが、鋭い眼差しには悔しさが見て取れる。
リニューアルによって出演者やスタッフが一新――悪く言えば元のスタッフは駆逐されたも同然。この業界では珍しい事ではない。
オレ達が出来る事は、リニューアル後の番組が粗製濫造のコンテンツにならないよう祈るだけである。
そして、三月中旬の最終回――この日の冒頭は、放送開始から初めて生放送を実施する事に決まった。
「こんばんは」
カメラに向かって一礼するオレに対し、
「みなさんどーもでーす!」
多部はいつものノリ。
「『人気番組をブッ飛ばせ!!』、昨年の四月にスタートしまして一年間放送してまいりましたが、今日で最終回となります」
「最終回で冒頭が生って、今頃オレ達の緊張感煽ってどうするんだ? って感じがしなくね?」
「ハハハハハッ・・・・・・」
多部のコメントにスタッフは演出の高笑い。
「お二人共お疲れ様でした」
沢矢さんは花束を二つ持ってフレームインした。
「最後までそうだったけどさ、早いタイミングで入って来るんだったら板付き(番組が始まった時点で、出演者がカメラの前にいる状態)でも良かったんじゃないの?」
「ハハハッ・・・・・・」
「いえいえ、お二人に埋もれない為にはこの方が(良い)。どうぞ」
得意げな笑みを見せられ、花束を渡された。
「ありがとうございます」
「サンキュー。姫は後から入って来るもんだよ」
「そういう事にしておきましょう。まあ何にしても今日で僕らは御役御免で肩の荷が下りる訳ですから、緊張よりも気楽に遣って行きましょう!」
「最後だからって結構言うな?」
「ハハハハッ!・・・・・・」
多部の目は「どうなっても知らないぞ」と言っているように見える。今後の事を考えれば心証に悪影響かもしれないが、このくらいの発言で相手(上層部)はびくともしないだろう。
翌週の土曜日。スタッフ総出の打ち上げが居酒屋で開かれた。
「このメンバーで絶対また一緒にやりましょう。乾杯!」
大石さんの音頭で全員が「乾杯!!」と叫んだ。
人気のあった番組や映画ならば、同じスタッフが集結する事はあり得るが、一年で打ち切られた番組だと、可能性はまずないと明言出来る。誰もがそれを分かった上で、無念さや苛立ちを吹き飛ばして打ち上げを楽しもうと活気付く。
オレの正面に大石さんが座り、オレから見て大石さんの左に多部が座っている。その多部ディレクター、のっけからウーロンハイのピッチが早い。
多部には以前交際していた女性が好きだった酒を飲んでは、グジグジと述懐する迷惑な酒癖があるのだが、今日は普通にわいわい遣っている。
暫くすると皆は散り散りになり、各々会話を弾ませる。
オレも席を立とうとした丁度その時、桐谷と目が合ったので彼女の席へ回った。
「お疲れ様でした」
「お疲れさまー」
因みに、桐谷もリニューアルする番組にはキャスティングされていない。
「この前遣った朗読劇、凄い感動した」
「観に来てくれたんだ? ありがとう」
桐谷は三月初旬、下北沢(世田谷区)の劇場で開かれた所属事務所主催の朗読劇に出演した。
「最終日に間に合ったからさ。目標にちょっと近付いたんじゃない?」
桐谷は以前、声優や役者の仕事を遣りたいと言った事がある。
「うーん、確かに嬉しかったんだけど、やっぱりドラマや映画に出たい」
「向上心高いね」
「今付き合ってる彼がドラマに携われるかもしれないの」
「へえって……まさか?」
「そうなったら口利きして貰おうかなってね」
桐谷智衣美の下心が露呈……表情は悪巧みでもしているかのようにニヤリ……。口利き出来るという事は、脚本家かディレクターだろう。ふと桐谷のグラスを見ると、ウーロンハイ。多部の方へ目を移す。多部はオレ達から離れた席に座る島田君と戯れている。そして飲んでいるのは、ウーロンハイ……。
ははーん、そういう事か――多部と目が合い、オレ達に気付いてこっちに近付いて来た。
「何だよ、またオレの悪口言ってんのか?」
「あんたの悪口じゃ盛り上がれねえよ」
「酷くね? 今の言い方」
多部が桐谷に振ると、
「だってチャラい事しか話題がないんだもん」
満面の笑みで言い放たれ、多部は不服そうだ。
「お前ら最低だ!」
多部は突っ込みながらもにこっとした。
「それより『ルームナイト』の番組が一新されるの知ってるか?」
「話には聞いてる」
『ルームナイト』とは在京キー局のTOKYO―MS(東京メディアシティー)にて毎週月曜から木曜日に放送されている深夜番組枠の名称。
「新しくなるのはタイトルとコンテンツだけで、出演者の大半は残留するか、同じ事務所の別のタレントに引き継がれるんだってよ」
「まっ、いつものパターンだよな」
放送局と芸能事務所との契約続行中は当然だが、取り分け大手事務所とのパイプは太い為、持続的にタレントのネームバリューとキャラクターに頼る事になる。遣って頂き数字を取らせて頂く。平たく言えば持ちつ持たれつの関係――
「でも月曜だけは枠移動して継続されるから、全くの新番(新番組)になるんだよ。それでオレの会社が出した企画が通りそうなんだけどさ」
「ふーん。そうなのか・・・・・・」
特に気に留めずにスルー。オレは――
「通ったら私を遣ってよ」
桐谷は朗々とした口振り。
「キャスティングの時に名前出すから任しときな!」
多部の頼もしい顔な事――
食い付きの良いタレントや作家なら桐谷と同じ事を言う。オレもそうならなければいけないのだが、中々……消極的なので候。
「ユウ、ユウ! 起きろー!」
ソファで良い眠りに就いていると、チハルに大きく身体を揺さぶられた。
五月下旬の木曜日。昨日は某キー局で二五時(深夜一時)までディレクターと打ち合わせをした後、事務所に戻ってホンの手直しをした。
全ての仕事が終わって時計を見ると、午前五時を回っている。オレの自宅アパートは東京郊外の為、帰るのが面倒になりチハルのマンションに泊めて貰ったのだ。
寝惚け眼で時計を見ると、午後十二時半をちょっと過ぎている。
「十四時半から打ち合わせなんでしょ?」
チハルはシャワーを浴びた後のようで、白地のバスタオルを巻いている。彼女の後ろ姿、巻き方が緩く背中が露になっている――だけじゃない。
「タオルちゃんと巻けよ。尻の割れ目見えてるぞ」
「見えてるんじゃなくて見てるんでしょ? 女は見られた方が綺麗になってくの!」
「・・・・・・知り合いの作家も同じような事言ってたよ」
「夜は多部さんと打ち合わせしながら食事するんでしょ」
チハルはキッチンで歯を磨きながら訊いた。
「ああ、そうだった・・・・・・」
ある番組の収録が終わった後、多部から品川の高級焼肉店で食事をしようと誘われている。なーんか気乗りしない――
気になるのは、いつもは居酒屋やレストランバーに止まっているのに、何故今日は高級店なのかという事。絶対裏がある。そう曲解したくもなります――
「っていうかチハル、何でそんな事知ってんの?」
「ユウから聞かなかったら私が知る訳なくない?」
「オレ言ったっけ?」
「言ったよ。うちに来た時にぼそぼそって」
「そうだったか・・・・・・」
チハルのマンションに着いた時、頭は半分寝ていた為、全く覚えていない。こりゃ気を付けないと、同じ状態で問題発言でもしたら面倒な事になるぞお。
レギュラー番組の収録、会議が終わって二十時半、焼肉店が入るホテルに着いた。
どんな内容の話が出るのか大いに不安だが、深呼吸をしてホテル一階にある店内に入った。
「予約している多部です」
「こちらでございます」
店員に個室に案内され、中に入って唖然とした。
「っお! 来たかユースケ」
オレを誘った多部がいるのは当然。だが……、
「ユースケ君、久しぶりー」
桐谷が多部の隣で手を振っている。二人の関係には感付いていたが、多部からはっきり告げられた事はなく、今日桐谷が来るとも聞いていない。
『今付き合ってる彼がドラマに携われるかもしれないの』『そうなったら口利きして貰おうかなってね』以前、桐谷が口にした言葉が頭を過る。それに関する話だな――
職業柄あれこれ推察していると、
「突っ立ってないで座れよ」
失笑する多部に促がされ、多部と向かい合う席に座る。
努めて平静を装い多部とオレはビール、桐谷はウーロンハイで乾杯。その後は肉――
どんどん焼かれて行くカルビやタン塩。気持ちがもやもやした状態で味わえるのかと思ったが、それはそれ。やっぱり旨い。
桐谷とは、三月の『人気番組を――』の打ち上げ以来だったので、その後の仕事の話などで盛り上がった。
一通り話が終わった所で、
「多部、今日呼び出したのは、桐谷さんに関する仕事の話だろ?」
意地悪げに探りを入れてみた。
「よく感付く奴だよな。その通りだよ」
多部は失笑し、お手上げのポーズ。
「やっぱりな・・・・・・その話の前に、こんな豪勢な店の予約よく取れたな。経費下りないだろ?」
先輩作家に聞いた話では、ベテランのタレントや作家をくどいたり降板を打診する際に、料亭に誘ったりする事があったらしいが、それは昔の話。制作費も削減されている今、まして若手と呼ばれて特に売れっ子でもない作家を誘うのに、高級店を使う事などあり得ない。
「「良い作家を買収する」って言って会社から半分出して貰って、もう半分はオレの自腹だよ」
多部は嬉しさ半分、痛さ半分といった顔付。
「そこまでしてオレなの?」
「お前しか頼める人がいないんだよ」
縋り付く表情と口振り。ディレクターは持ち上げ上手な人種でもある。
「亮とこの仕事はユースケ君にしか出来ないよねって話してたの」
桐谷はさっきからずーっと微笑み続けている。
今話している話題とは関係ないが、多部を「亮」と下の名前で言った事で、二人が恋仲である事に確信を持つ。
「多部、今後女遊びは程々にしとけよ」
「流石、感付くなユースケは。分かってるよ」
ライトに認めやがって。
「その洞察力、作家として活かせよ」
「アドバイスありがとよ」
一応礼を言っておく。
話を元に戻し、この「接待」が開かれたという事は、多部と桐谷の下心が合致したという事であり、これも持ちつ持たれつの関係――
作家が仕事を受ける時、今回のように制作会社からの場合もあれば放送局、番組サイドからと特に通例はない、のだが……今回は涙を呑んでお断り。
まだ事務所を通していない段階なのが一つ、それと、今回は彼女の欲望を具現化したいだけだという私情でしかないのも、個人として気に食わない。
「腹も一杯になったし、そろそろ帰るわ。ご馳走様でした」
素早く立ち上がる。
「おい!」
「ちょっと!」
多部、桐谷の順で立ち上がり引き留めようとするが、
「それじゃあ」
二人を背にして右手を振りながら個室を出た。
多部よ、今回ばかりは「自分で」彼女の希望を叶えてあげなさい。キー局の深夜でも特定地上基幹放送事業者(何処のキー局の系列にも属していない放送局)でも、ネット配信だろうと自分で何とかしろ! コネクションを一つなくそうが、オレは加担しない。
「お二人共どうかお幸せに。多部亮ディレクター殿の力量を篤と拝見させて頂きます。健闘は祈る」
心中でほくそ笑む。これも、オレの「Secret Desire」――
了