第70話〜首の枷〜
「なに、それ?」
クレアがいぶかしげに訊いた。
沙耶は首に手をやってしきりに呻いているばかりで答えない。
しばらく呻いたあと、涙交じりの声で沙耶が言った。
「……とれない……」
茫然となった表情で、沙耶は言った。
「え?」
「とれない!これ、どうやってもとれない!」
首にはめられた首輪を取ろうと躍起になったはいいものの、沙耶の力ではどうやっても取れなかったのだ。
クレアはそれを聞いてナイフで切ろうかな、と思ったが首を傷つけるわけにはいかないし、沙耶に武器を持っていることを知られたくなかったため、沙耶の首に手をやって、力を入れた。
沙耶は驚いたように身をすくませたが、すぐにクレアに身を任せた。
「……!!」
ぎゅーっと引っ張る。
引っ張る。力の限り、引っ張る。
「く、苦しい……」
沙耶のその声で、クレアはハッとなって手を離した。
「ご、ごめん……。でも、本当にとれない……」
今度はクレアが茫然とする番だった。
クレアは武器を持っていない状態でも普通の大人よりも強い力が出せる。それでも無理だったのだ。
「……これ、なんだろう?」
クレアは首輪をよく観察する。
沙耶は恥ずかしそうに頬を赤らめたが、すぐにクレアの真剣な目に落ち着きを取り戻す。
沙耶の首にぴったりと合った首輪。材質はどこか金属めいた物質で、鉄やそれらの金属に触れ、見慣れているクレアが見てもただひたすらに硬く柔軟性に優れているということ以外わからなかった。これはどう見ても人間の力では外しようがない。
……切るしかない。
そう結論するのに時間はかからなかった。
「……とにかく、いったんお父さんの所に行きましょう。きっといい知恵出してくれるわ」
方法がない沙耶は、うなずくことしかできなかった。
なぜペンダントが首輪になったのかなどという疑問は、今の沙耶には浮かんでこなかった。
昨日と同じようにサラとビーチパラソルの下で安穏と海を眺めていたルウは、安息はすぐに訪れないことを悟ることになる。
「お父さん!これ見て!」
砂浜で宝探しをしていたクレアが切羽詰まった表情でルウにそう言った。
よっぽど急いできたのか沙耶もクレアも汗だくである。夏真っ盛りの今コートをぴっちり着こんでいるクレアと涼しげな水着を着た沙耶と汗の量が一緒だというのが体力の差を物語っている。
「……どうしたんだい、そんなにあわてて」
ほほ笑みながらルウは言った。サラはまたか、という表情でクレアを見ている。
「これ、見て!首輪!沙耶に!」
沙耶の首にはめられた分厚くとうてい外せそうにない首輪を見て、ルウは驚いたような顔をした。
「……クレア、そういうプレイは感心しないわよ?まだ小学生なのに奴隷プレイって……これもルウのせいだわ。トレースがいるから娘の性的嗜好がおかしく成っちゃったのよ!」
「何勘違いしてるのよ!私は誰かを縛るなんて趣味じゃない!」
「そうだよ。一体だれが奴隷プレイなんて……」
ルウはしらじらしくそう言った。
「……それをあんたが言う?」
「うん、もちろんさ。僕はトレースを奴隷にして『遊んで』いるわけじゃないよ。仕方なく、だからね」
どうも『プレイ』の意味を勘違いしているルウであった。
「とにかく!これ、外せる?なんか外れなくって気味悪いの」
「簡単だよ。トレース」
短くルウが命じると、彼の後ろには白髪銀瞳の少年のような少女のような人間がいた。
いや、彼のような彼女のような何者かは、人間ではない。
ルウに従い、ルウのために生き、ルウの命令をなんでもこなす万能無限の道具……トレース・トレスクリスタルである。生物学的な性別は女。それもルウが男だからであり、もしルウが女なら男になっていただろう。
「なにかようかい、ご主人様」
トレースは恭しく一礼すると、沙耶の首に目をやり、クレアに言う。
「……それを外せばいいのだね?お安い御用……と言いたいのだがね、今の僕は能力を封じられていて普通の女子高生以上の力は出せないのだよ」
「……あ、そうだったね」
ルウはまたも白々しくそう言った。
トレースの力を封じるように命令したのはほかならぬ彼なのだ。
昨日の夜大暴れしたルウはララを助けたあと盛大に後悔した。
――また、やってしまった。
ルウは普段は温厚だが、こと家族のことになるととたんに感情的になる。トレースの力を存分に振るい、そしてその敵を殲滅した。
正直、戦っている最中は楽しかった。けれど、戦いが終わると同時にやってきたのは底なしの後悔。もう二度と殺すものか。そう彼は心に誓った。
そのために、ルウはひとつの命令を自らの道具にする。
『今から一週間、一切の能力を封じろ。僕が何を言っても解除するな。これは命令だ。たとえ僕が殺されそうになっても、君が壊れそうになったとしても、だ』
早い話、この命令が今に続いているということなのだ。
「っく……」
クレアは歯噛みする。ぎりぎりと、本当に悔しそうに。
「まあまあ、そんな顔しないで。別に命にかかわることでもないし、別にいいじゃないか」
そう軽くルウは言った。
「……命にかかわらなければ、それでいい?」
クレアはその言葉に、反応した。
「そんなわけないでしょ。沙耶にこんな奴隷みたいなこと、これ以上させられるものか!……もういい!私帰る!家に行けば研究室があるから、そこで沙耶の首にある不純物取り除いてやる!」
「え……研究室って……?」
疑問に思う沙耶に構う余裕がないのか、沙耶の手を引いて早々に海水浴場を去ろうとする。
「……しかたないなあ。わかったよ、帰ろうか」
ルウは立ち上がり、クレアをゆっくりと追いかけた。
「……いいの、お母さんとかほっといて?」
「それもそうだね、サラ!一緒に来るかい?」
後ろでいまだにぽかんとしているサラに、ルウは顔だけ振り向いて言った。
「あ、うん……」
いまだに娘の行動力と思い切りのよさに驚いているのか、しみじみとサラは言った。
「……ほんと、なんであんなに他人に一生懸命に成れるのかしら?繋がってないはずなのに血を感じるわ……」
トレースに言伝をいくつか伝えると、ルウは来た時同様、8人乗りの車の運転席に乗り込んだ。もちろん免許はある。
サラも急いで車まで走ると、助手席に乗った。クレア達はすでに後ろの席に乗っている。
「……さて、行こうか」
そう言うとルウは車のエンジンをかけ、発進させた。
もうすでに事は始まっているというのに、とても呑気な速度で。




