第67話〜暴走、それとも〜
廃工場に、男たちはいた。
祟家の制服に似せた黒服に身を包み、そこらにあったパイプいすに座ってたばこをふかしながら6人ほどのチームでトランプを興じている。
「……ったくよお、なんであのガキとっとと殺らねえんだ?」
カードを出した男が、不満げに言った。こうやって待機するのが嫌なのか、それとも早く殺したいのか。
「それは何度も言っただろう。依頼人からの命令で、『目覚めさせてからじっくりと恐怖を味わわせてからゆっくりと苦痛を与えて殺せ』って。……ガキにする注文じゃねえよなあ」
「はっ!いいじゃねえか!俺がゆっくり愉しんでいいって言ってるようなもんだろうが!」
げらげらと笑い始めた男に、少し優しめの男が忠告する。
「やめとけよ。とっととやらなきゃしっぺ返しが来るぜ?なんったって相手は天下の祟家なんだからな」
正直、ここにいる誰もが緊張せずには居られなかった。
ここに連れてきた少女はただの少女ではないのだ。
暴力の振るう、最凶の祟家である。そんな家の令嬢をさらい、殺すということは祟家に喧嘩を売るようなものである。もし捕まったらただ殺されるではすまないだろう。それだけですめば恩の字である。
もうすでに居場所を突き止められ、いままさに祟家が全力で暴力を振るおうとしていることに気付いていない男たちは、それでもまだ楽観していた。
いざとなれば、令嬢を盾に逃げればいい、とさらに祟家の怒りを買うような考えで。
「……ま、なんとかなるだろ。こっちには切り札もあるんだし」
祟家への切り札。それはララのことだ。
祟は一般への被害を一番に恐れている。もし一般市民である白髪の少女に被害が及ぶようなことは、まず避けようと考えるはずである。
だから、令嬢と少女、二人を人質にすればまず助かる、そう思っていた。
「そうだろ!じゃあ、早く飯買ってこい!金ならあるんだ早くしろ!」
げらげらと、男たちは笑う。
「ったくしゃあねえな……」
げらげらと笑いながら、男が廃工場からでようとした、その時――
「君たちはいったい、なぜどうしてそんなに笑っていられるのかな?今すぐ僕に殺されるっていうのに……」
声が、響いた。
その声はまぎれもなくトレースを従えたルウの声であった。しかし、まるで雰囲気が違った。
普段の優しい表情、柔らかな物腰、諭すような口調もなく、ただ怒りを、ただ敵意を、ただ殺意を表現したルウの雰囲気。
ルウの後ろにいるのは、本当にトレースだけなのか。彼に味方した死神がついていやしないか。そう思わせるほどに、ルウの雰囲気は恐ろしく、黒く、どこまでも暗かった。
吸血鬼リンクよりも黒く、禍々しい雰囲気を持ったルウ。
そんな彼に男たちは恐怖することさえも忘れていた。
「ねえ、答えてよ。どうして笑っていられるの?今から君たち皆殺しなんだよ?それなのにどうしてそんなに愉快に笑っていられるのかな?教えてよ」
声は、声だけは優しそうである。しかし、男たちはまるで刃物を突き付けられ、脅されているようにしか感じ得ない。
「……まあ、前置きはこんなものでいいかな。答えて。ララと祟の娘はどこ?」
男たちは威圧され、答えることすらできない。
「……ううん、無視かあ。ま、いいか。……そうだね、ゲームをしよう。それがいい、だよね、トレース?」
後ろで従者のように待機しているトレースに、ルウが朗らかに訊いた。
「……キミがいいというなら、いい。ボクは何も反対しない」
「うん、オーケーだよ。じゃあ、ゲームをはじめよう」
男たちの方に向き直り、楽しそうにルウは宣言する。
「一人。一人だけ、助けてあげる。うちの娘と祟の娘、その居場所を最初に教えてくれた人を助けてあげる。……前提は覆らないから、安心してね?」
そう言っていつものほほ笑みを彼らに向けるが、誰一人として聞いていなかった。
「俺知ってる!倉庫の中だ!南館の中央口!」
口ぐちにわれ先にと、そのたった三つの言葉を言う。それは全て重なり、合唱したようにも聞こえた。しかし。
「トレース、一番最初に発言したのは誰?」
心から楽しそうに、ルウは訊く。まるで童心に帰ったように、あどけなく。
「……右から三人目、黒髪長髪の男だ」
そうトレースが答えると、ルウはからからと笑った。
「アハハハハハハハ!よかったね、右から三番目の黒髪長髪の男さん!じゃあ、その人を除いて――始めようか、虐殺を」
最後の部分だけトーンを落として、ルウは宣言する。その瞬間。
チン、と、何か金属の音が聞こえた。
と、同時に何人かの男が、血まみれになって倒れ伏した。ほぼ一瞬で近付き、斬り、納刀し、元の入り口まで戻ったのである。そんな芸当ができるのは、トレースの能力を使って身体能力を極限まで高めたルウだけである。
「う、うわああああああああああああああ!!!」
一気に、廃工場の中は阿鼻叫喚になった。命の危険のない右から三番目黒髪長髪の男だけが、涼しい顔で逃げ惑う仲間を見ている。
そんな様子を見ながら、ルウはまたからからと子供のように笑った。
「ああ、久しぶりだな、こうやって運動するの。最近戦闘はサラとか娘にまかせっきりだったからなあ。たまには運動しとかないと、動きが鈍っちゃうからね」
まるで整理体操でもしようとするかのような軽さで、ルウは視認できないほどの速度で双剣を振るう。いつもはセーブしているが、これが彼の本当の速度だった。この速度でいつもやるとたちまち敵が死ぬので抑えているのだ。
このルウの様子を見ていると、普段力を抑えているのが優しいからなのか、戦いをもっと楽しみたいからなのかどっちなのかわからなくなってくる。
「……ああ、やっぱりスカッとするね、こういうの。いつもは封じている力を解放するのって面白いね。……君もそう言えば能力を封じていたね。気分はどうだい?」
片手間で人を殺しながら、ルウは後ろのトレースに訊いた。
「……最高だよ、ルウ。キミがボクを使ってくれているということが、何よりの幸福だ」
その会話のスキに、何人かの男たちが逃げようと出入り口に向かった。
「そうなんだ。じゃあもっと幸せにしてあげるよ。さあ、逃げたあいつらを殺せ。命令だ。絶対に違えるな。さあ、行け!」
朗らかな笑顔のまま、ルウは男たちを指してそう言った。
「仰せのままに、ご主人様」
何の疑問も抱かず、どころかとてもうれしそうに、トレースは命令を実行する。
トレースが人を殺すのに何も目標のそばまで行って手を下す必要は全くない。
なぜなら彼女は万能無限の秘宝で、なんでもできるから万能無限なのだ。できないことなど何もない。そう、たとえ――
「そこの人間ども、自殺しろ」
そう、何気なく命令したことでも、それは実行されるのだ。
命令されたとたんに一心不乱に逃げようとしていた男たちの動きがぴたりと止まる。
そして、しばらくして、倒れ伏した。自ら舌を噛み切ったのだ。
自殺したのは間違いなく彼らだが、それをさせたのは間違いなくトレースの支配能力だ。
「……どうだ、ルウ?」
ルウの方を向き、ほほを染めて照れくさそうにほほ笑む。
「完璧。さすが僕の道具、いい仕事をする」
そんなトレースの頭をくしゃくしゃとなでるルウの手は、来た時と全く変わらずきれいなままだった。
一人残された右から三番目黒髪長髪の男は、ただ茫然と今の一方的過ぎる殺戮を見ていた。何も言わない。
――助けてくれるというのだ、気が変わらないうちに逃げよう――
そういう打算のもと、彼は黙って廃工場をあとにしようとした。
「あ、まって」
ルウが引きとめる。
ビクりと、男がひきつるように止まる。
「……な、なんですか?」
「ん、なんでもないよ、ただ、ちゃんと殺しとかなきゃって思って」
まるで簡単なことのように、ルウは言った。
男はとたんに逆上した。
「おい……!てめえ、俺を助けてくれるって言ったじゃねえか!てめえ約束破んのかよ!」
そう口汚く言う彼の息の根を止めようとしたトレースを、ルウが手で制した。
ルウは男に向かって当たり前のような口調で、朗らかに言った。
「何言ってるんだよ。約束も何も言ったじゃないか。『前提は覆らない』って。君たちの前提は、『僕に皆殺しにされること』だよ?だから、君が僕に殺されるのも当たり前じゃないか。……そもそもさあ。人の娘攫っておいて生きて助かろうなんて、虫がよすぎると思わない?僕は怒ってるんだ、今は許してやろうなんてこれっぽっちも思わないね。じゃあ、締めはトレース、君がやってよ。……そうだね、ううん、いい殺しかたが思いつかないなあ。人殺しなんて久しぶりだからアイデアが……って、そうだ!祟の分忘れてた!」
今まで完全に忘れていたような言い方でルウは右から三番目黒髪長髪の男にとってとんでもないことを言った。
「よし、トレース、こいつをとらえて逃がすな。後で祟に引き渡す」
そう、氷のような口調で言ったルウに、すでに慈悲の文字はなかった。
「ああ、楽しかったなあ。……と、冗談はさておいてララを助けないと……」
本当に冗談だったのだろうか。それをトレースは心の底から訊きたかった。




